8/8 ひとりになって
少年は生きてバッカス王国に辿り着きました。
西方諸国とバッカス王国の境でオークに助けられた後は――それまでの道程とは比べ物にならないほど――安全にバッカス王国に辿り着きました。
バッカスにやってきた少年はバッカス政府の難民対策部署に保護された後、先にバッカスへ亡命していた伯母夫婦のところに引き取られました。
引き取られたものの、良好な関係は築けませんでした。
伯母夫婦も生活に余裕があるわけではありませんでした。転がり込んできた少年に十分な愛情を注ぐだけの余裕もありませんでした。
少年は伯母夫婦が自分の扱いに困っている事を察し、出ていく事にしました。虐げられているわけではありませんでしたが、じっとりとした空気感に耐えかね、ふらりと出ていく事にしました。
「……お世話になりました」
夜。狭い寝床からこっそりと抜け出した少年は伯母夫婦の家を出て――少し歩いた後に振り返り、頭を下げ、去っていきました。
少年にはもう行く当てがありませんでした。
生きる理由すら失っていました。
どこで死のうか。
その事だけを考え、とぼとぼと夜道を歩いていました。
「……少年」
「…………!」
そして、大剣を背負ったオークと再会しました。
弟の死体を屠り、少年にとっての希望を砕いた男と再会しました。
それは偶然の再会ではありませんでした。
難民の少年の事を見張っていた政府の人間が少年の家出を見つけ、政府の人間を経由して事を知ったオークが「自分に任せてほしい」と言った事で実現した必然の再会でした。オークにとっては必然の再会でした。
「――――!」
少年はオークに向けて走りました。
死を見つめていた瞳に生気が戻っていました。
少年はオークを全力で殴りつけました。
少年なりの全力で。
「…………」
オークはそれを軽々と受け止めました。
大きな手のひらを使いながら受け止めました。
ぱちん、と音が鳴る程度の拳相手では魔術を使う必要すらありませんでした。
「……身体の動きにバラつきがある。力が分散されてしまっている」
「うるせぇ」
「まずは一発一発を集中して打ち込んできなさい」
「うるさい!!」
少年はオークの手を払い除け、飛び上がってオークのアゴを狙いました。
ですが、オークは少年の拳を一歩下がるだけで躱しました。後先考えずに拳を突き上げた少年はバランスを崩し、その場に倒れそうになりました。
オークは少年の背を片手で支えて体勢を立て直させ、言いました。
首に「とん」と手刀を当てながら。
「これで一度死んだ」
「…………!」
「なぜいまの攻撃が失敗したかは、説明しなくてもわかるな?」
「うわあああああああああああああっ!!」
少年はオークを再び殴りました。
何度も殴りました。
ですが、全て受け止められました。
少年は叫び、男の股間を蹴り上げようとしました。拳を囮として。
男は少年の腕を軽くひねって体勢を崩し、蹴りを失敗させました。そして少年の首にまた手刀を当て、「二回目だ」と言いました。
「うぅっ……!!」
少年はオークから離れ、道端の石に飛びつきました。
苦し紛れにそれをオークへと投げつけました。
オークはそれを受け止め、投げました。
少年が再び投げてきた石を石で迎撃し、ズカズカと少年への距離を詰めていきました。少年はすくみ上がりながらも歯を食いしばり、また男に殴りかかりにいきました。
「殺してやるっ!」
「今のお前では無理だ」
「うるさいっ!!」
少年は何度も何度も挑みかかりました。
息が上がってふらふらになっても、オークの治癒魔術を再起しました。
蹴っても殴っても通用しないオークに対し、噛みつき攻撃を繰り出す事もありました。ですが、オークは少年の首を押さえて攻撃を止めて突き放しました。
「くそっ! くそっ……!!」
「もっと頭を使って戦え」
「うるさい!」
「私は大人で、お前は子供だ。体格の差を埋めるにはどうすればいい?」
「黙ってろ! いま考えてる……!!」
少年はオークと向き合いつつ、視線を動かしました。
体格の差を埋めるためのモノを探しました。
「…………!」
少年は道端に落ちていた長い棒きれを拾いました。
ささくれだった棒きれが手のひらに刺さって顔をしかめつつも、「これなら届く」と考え、それを槍のように構えました。
「武器を使うか、少年」
「ひっ……卑怯だって、言うのかよ!?」
「いや、正しい選択だ。来い」
少年はへっぴり腰で棒きれを構えていました。
ですが、オークに「正しい選択だ」といわれると、ほんの少しだけ安堵しました。正しいと言われた事に安堵を抱きました。
その安堵に心を落ち着けたのも束の間でした。オークの言葉に心を落ち着けてしまった自分を恥じ、叫びながらオークに再び挑みかかりました。
「やあっ!」
「…………」
オークは少年が突き出した棒きれを無造作に掴みました。
少年が押しても引いても動かせないほど、ガッチリと掴みました。
「うっ、うぅっ……!!」
「貸せ」
「あっ……!!」
オークは棒きれを力づくで取り上げました。そして自分の手のひらに魔術をかけ、棒きれを軽く研磨しました。そうする事で少年の手が傷つきづらいよう、棒きれを加工しました。
加工したそれを少年に放り、オークは短く「来い」と言いました。
咄嗟に棒きれを受け取った少年は――オークの情けを受け取るか迷いましたが――捨てずに握りしめました。握りしめ、オークを睨みつけながら突きを繰り出しました。
オークはそれを最小限の動作で回避しました。突きは連続しましたが、どれも回避され、最後には再び棒きれを奪われる事になりました。
「そうじゃない――こうだ」
オークは奪った棒きれを構え、ズン、と踏み込みながら突き出しました。
少年は顔面横を奔った棒の勢いに気圧され、その場に尻もちをつきました。オークは少年に近づき、引っ張り起こして棒きれをもたせました。
「もう一度だ。突いてこい」
「…………」
「私は逃げん。落ち着いて、一打ずつよく考えて突いてこい」
「ッ…………!」
少年は突くのではなく、横薙ぎに棒を振りました。
オークは上半身だけ動かしてそれを回避し、頷きました。
「それでもいい。今のは悪くない」
「舐めやがって……。舐めやがって……!!」
「来い。私を殺したいのだろう? 強くならなければ殺せんぞ」
「――――ッ!!」
少年は自分に出来るありとあらゆる手を試しました。
朝になり、日が昇るまで槍代わりの棒きれを振り回しました。
オークは少年を指導しつつ、少年が倒れるまで付き合い続けました。
「……ころせ」
「もう降参か?」
「お前は、いつでもこっちを、殺せるだろっ……!」
「……身体を動かせば、少しぐらいは気が晴れると思ったのだが……そうでもないようだな。うぅむ……」
倒れた少年は苛立ちながらオークに棒切れを投げつけました。
オークはそれを受け取り、脇に置きながらその場にあぐらをかきました。
少年から少し距離を取って、少年に話しかけました。
「キミを殺す理由がない」
「おれは、あんたを殺そうとしてる……! だから、正当防衛って理由で、殺せばいいじゃんかっ……!!」
「私に有効打の1つでも入れてからいいなさい。そういう事は」
「くそっ……! くそッ……!!」
少年は腕で目元を覆い隠しました。
そして震える声で言葉を続けました。
「……しにたい」
「駄目だ。それ以前に不可能だ。いまのキミは自殺の疑い有りという事で、魔王様の使い魔に見張られている。上手くやれば1度ぐらいは死ねるかもしれんが、直ぐに蘇生魔術で生き返らされるのがオチだ」
そう言ったオークは「蘇生された後、自殺できないように本格的に魔術を使って行動も縛られるだろう」と淡々と告げました。
「蘇生なんてことができるなら、母さん達を生き返らせてくれよぅ……!」
「スマン……。それが出来なかったのは私が間に合わなかった所為だ」
「死なせてくれよ……。おれだけ……おれだけ死ねなかったんだ……」
「キミが死んだら――」
オークは「御母堂が悲しむぞ」と言おうとしました。
ですが、その言葉を飲み込んで別の言葉を投げかけました。
「私は悲しい。少なくとも私は悲しいよ」
「アンタは……アンタは何も関係ねえだろっ!」
「そう言うな。今は他人かもしれんが、知ってる子が死ぬのは……心に来るものがあるのだ。それもキミのような子供が死ぬのは嫌なのだ」
「しらねえよ。アンタがどう思うと、おれの知ったこっちゃねえもん……」
少年は大の字に倒れ伏したまま、顔を動かしました。
昇る朝日に照らされながら、オークとは反対方向に顔を向けました。
「……なんで他人に自分のこと縛られなきゃいけないんだ……」
「…………」
「母さんも、弟も、何も悪い事してないのに……なんで……」
「…………」
「しにたい……」
「駄目だ。キミには生き残った責任がある」
オークは少年の方をまっすぐ見つめながら言葉を続けました。
「生きて、生き続けて、為すべきことを為しなさい」
「……なんだよ、それ……。おれに、なにをしろって……」
「まあ、例えば私が憎いなら殺せるように強くなってみるとかだな。今のままでは寝首すらかけんぞ。弱すぎて」
「くそっ……。くそっ……!」
「あと、知らんかもしれんがバッカス王国では死んだところで保険というものがある。万が一、私を殺す事に成功したところで、保険による遠隔蘇生で蘇生されるだけだから――」
「うるさいっ! うるさいっ!! うるさぁいっ!!」
少年は寝転がったまま大声を上げ、ジタバタと暴れました。
早起きの通行人が少年の様子を見て、怪訝そうな顔をしましたが、オークは「そっとしておいてください」と言う代わりに手で制しました。
そして、少年が疲れて暴れるのをやめるまで待ちました。
少年は寝転がったまま肩で息をしていましたが、やがてその場で丸くなりました。丸まって、震え始めました。
ひっく、ひっくとすすり泣く声を聞きつつ、オークは「とにかく生きなさい」と言いました。穏やかな声でそう語りかけました。
「死ぬのはいつだって出来る」
「っ…………」
「とりあえず生きて、人生を楽しみなさい」
「…………」
「まずは生きて、生きながらこれからの身のふりを考えればいい」
「…………」
「生きて、生き続けて……たくさんの楽しい思い出を作りなさい」
「……おれにはそんな資格ない。生きるのを楽しむなんて、そんな……」
「キミの御母堂は……おかあさんはそう思っていたんじゃないか?」
オークはそう問いかけました。
少年はその言葉を黙って受け止めた後、ボソボソと言葉を続けました。
「かあさんがどうおもっているかなんて、もうわからない」
「本当にそうか?」
オークは「そんな事ないだろう」と思いながら声をかけました。
「キミのおかあさんは、我が子の死を望むような人だったのか?」
「…………」
「違うだろう? 仮にそうだったとしたら、自分の命の方が大切であったなら、子供を追いて逃げたはずだ。その方が生き残れる可能性が高かった」
「…………」
「彼女の奮戦を無駄にするな。無駄にしないために、キミには生きる責任がある」
「…………」
「どうせ生きるなら、人生を楽しめ」
「…………」
「そうすればいつかきっと、生きていて良かったと思える日が来る」
「…………」
少年は無言のままでした。
もう肩は震わせていませんでしたが、言葉は返しませんでした。
ただ、オークの言葉を――母の事を――思い返していました。
オークは少年の事を黙って見守っていましたが、ポツリと呟きました。
「……私もキミぐらいの年頃の時、死にたいと思っていた」
「え……?」
少年はオークの言葉に驚き、上半身を起こしました。
涙で濡れた目元をそのまま、思わずオークの言葉に反応しました。反応してしまった自分を恥じ、ごまかすようにオークを睨みつけ、「オッサンの自分語りなんか聞きたくない」と言って口をキュッと結びました。
オークは苦笑しながら「そう言うな」と言うと、言葉を続けました。
「自殺も考えた。だが、生きて、生き続けて、人生を楽しむ事にした」
「……アンタは、それで良かったのか?」
少年は視線を地面に落とし、問いかけました。
恐る恐る問いかけました。
「生きてて、良かったって思っているのか?」
少年に問われたオークは笑みを浮かべました。
朝焼けを見つつ、笑みを浮かべて言葉を返しました。
「――――」
「…………」
オークの言葉を聞いた少年は、地面を見たまま視線をさまよわせていました。
視線をさまよわせていましたが、顔を上げ、問いかけようとしました。
「おれ――」
問いかけようとしましたが、それを遮るように腹の虫が鳴りました。
少年は「きょとん」とした様子でオークを見ました。とびきり大きな腹の虫が鳴いたオークを見ました。オークは少し恥ずかしそうに頬を掻きました。
「……実は昨日の夜から何も食っていないのだ。聞かなかった事にしてくれ」
「だっせ――」
少年はオークを鼻で笑おうとしましたが、自分のお腹からも「ぐぎゅるぅ」と腹の虫が鳴ったので、顔を赤くして黙りました。
オークは大笑いするのをこらえつつ、頬を引きつらせました。
笑うのをガマンしつつ少年に近づき、手を差し出しました。
「今のは聞かなかった事にしてやろう」
「っ…………」
「とりあえず、メシにしよう。私の奢りで食事をしつつ、これからの話をしよう」
「いやだ。お前なんかに施されてたまるか!!」
「おや? 良い機会なのに断っていいのか? 私の奢りという事は、たくさん食べれば私の金を減らせるという事だ。金がなくなれば命が削れる……私を殺す事に繋がると思わないか?」
「ハッ……! …………あ、いやっ、そのりくつはおかしい!!」
少年は意地を張り、オークの手を払い除けようとしました。
オークは振り抜かれた少年の手をしっかり掴み、強引に引き起こしました。そして「つべこべ言わずに食事に行くぞ」と言って少年を脇に抱えました。
少年は暴れ、噛み付いて抵抗しました。が、相手がビクともしないうえに、お腹が減って力が出ないので、されるがままになりました。
そして近所の屋台街に連れて行かれました。
「たくさん食べろ。たくさん食べれば強くなって、私を殺せるかもしれんぞ?」
「うるさいっ! くそっ……! くそっ……!!」
少年は与えられた食事を地面に投げ捨てる事も考えたものの――食事を捨てるなんてもったいないという考えと、少年を見てオマケをしてくれた屋台の主達の顔を思い返し――捨てずに食べる事にしました。
バッカス王国ではなんてことない屋台飯を口にしました。
西方諸国では食べたことのない美味しい食事を口にしました。
口いっぱいに頬張りながら食べました。
「おい、そんなに急いで食べると――」
喉につまらせるぞ、とオークは言おうとしました。
ですが、少年の表情を見てその言葉を飲み込みました。何気ない動作で麦酒の入ったカップを手に取り、少年から視線をそむけ、ゆっくりと飲み始めました。
「…………」
少年は口いっぱいに食事を頬張りつつ、ポロポロと涙をこぼしていました。
本当に美味しい食事だと思ったからこそ、涙をこぼしました。
これを一緒に食べたかった2人のことを想いながら、泣き続けました。
少年はひとりぼっちになってしまいました。
少年は、これからもずっとひとりぼっちだと思っていました。
少なくとも、この時はそう思っていました。