迷い人
完璧、とは言い難くてもパリス少年が少しずつ痕跡の事を覚えていきました。
目薬の効力は切れましたが、自力で多少は魔力の痕跡を追えるようになったパリス少年はウキウキとした様子でアニマル・トラッキングを楽しんでます。
「おいセタンタ、この足跡ぜんぜんわかんねえ。珍しくて稼げる魔物か?」
「どれだ?」
「これ、ここのなめくじが張った跡みたいなやつ」
「ああ、こりゃスライムだ。この辺は殆どいないのに珍しいな」
「おーい、二人とも、そろそろ帰らないと危ないかもよ」
セタンタ君も何だかんだで楽しんでいましたが、マーリンちゃんが木々の間から覗く空を指差しながら二人に呼びかけました。
セタンタ君も空を見て、「確かに」と呟きました。
「もう夕方か。少し森の奥に来すぎたし、パリスもいるし、暗くなる前に帰るか」
「なんだと。オレ様は24時間戦えるぞ」
「夜は色々危ないんだよ。三人でメシでも食いに行こうぜ」
「やった、セタンタの奢り? ボクはグレンデル亭に行った後、8丁目の大衆浴場にまた行きたい。全メニューを蹂躙しつくすのだ」
「誰も奢りなんて……あー、まあ、今日だけ、今日だけだぞ」
「「やった!」」
マーリンちゃんとパリス君が諸手を上げて喜びました。
ただ、マーリンちゃんは直ぐに「ん?」と首を傾げ、セタンタ君達に索敵魔術による観測結果を伝えてきました。
「向こうから何か来てる」
「魔物か?」
「いや、人だね。多分、冒険者のパーティーじゃない?」
マーリンちゃんの言葉通りのものが来ました。
五人の冒険者達が息せき切ってセタンタ君達の方に近づいてきます。
皆、どこか憔悴した様子で、髪型は乱れ、身体や装備に返り血がついている事から察するに、魔物との戦闘――それも楽ではない戦闘があったようですね。
セタンタ君達に近づいてきた五人の冒険者達は立ち止まり、「すまない、ちょっと聞きたい事があるんだが」と荒れた息を整えつつ、話しかけてきました。
「軽鎧の下にタイツを着た女の子の冒険者を見なかったか!?」
「年は私達と、あなた達と変わりないぐらいの子なんだけど……」
「いや、見てない」
「ボクも視てないなぁ」
五人の冒険者達は端から見てもハッキリわかるほど、気落ちしました。
セタンタ君達の返答に期待していたようです。
マーリンちゃんは何があったか察しつつも、「どうしたの?」と聞きました。
「森狼の群れに襲われたんだ」
五人の冒険者達は元々、もう一人加えて六人で組んでいる冒険者パーティーでした。魔物に襲われた際、この場にいない一人とはぐれてしまったようです。
平均の年齢で言えばセタンタ君達より年上のパーティーのようですが、どうも駆け出し冒険者に脂が乗り、中堅冒険者として成長してきた頃だったみたいです。
「襲われたのはどれぐらい前の話?」
「襲われた辺りは探せた?」
「た、多分、1、2時間ぐらい前だ。さっき戻って探したんだけど、全然、なにも、見つからないんだ。当然、死体も!」
「や、やっぱり手分けして探した方がいいのよ!」
「落ち着いてー、そろそろ日が暮れるし、散らばったら各個撃破されるよ」
マーリンちゃんが高ぶった冒険者達に軽い治癒の魔術をかけつつ、気分だけでも落ち着かせていきました。
少し経つと幾分か落ち着いてきたみたいですが、それでも仲間が一人行方不明のままだけに、さすがに落ち着いてばかりもいられないようです。
「そのいなくなった人も含めて、アンタら保険は」
「そんな金ない!」
「そうか……。まあ、死体が無かったって事はちゃんと逃げ切ったって事だよ。今頃コンパスでも使って街にでも戻って、アンタらが帰ってくるのを心配して待ってるはずさ。俺達も帰るとこだから、一緒に帰ろうぜ」
「コンパスの入った鞄は、襲われたとこに落ちてた……」
「この辺、あまり慣れてないし一人で何とか立ち回れるような子じゃないから、今頃どうなっているか……!」
五人の冒険者達は、みんな行方不明の一人の身を案じているようです。
人間関係の意味では良いパーティーです。群れに襲われていなければ、今頃は皆で笑いあって都市に帰り、酒場あたりで祝杯をあげていたかもしれません。
今となっては、明るく食事をする気力もないでしょう。
何より、まだ行方不明の一人を諦める様子もありません。
放っておけば夜になっても探し続けるであろう事は、セタンタ君達も察していました。ある意味、人間関係の良さが彼らの未来を暗いものにしつつあります。
セタンタ君は少し迷いましたが、ふよふよと駆け出し冒険者パーティーの後ろを漂っていたマーリンちゃんが「別にいいよー」と言いたげに頷いたので、立ち去って捜索を続けようとしていた冒険者パーティーを呼び止めました。
「俺とマーリンで探してくるよ」
だからアンタ達は都市に帰れ、と勧めました。
冒険者達は「気持ちは有り難いが、僕達だけ帰るわけにはいかない」と返してきましたが、ひとときの問答の末、セタンタ君の提案を半ば受け入れました。
「僕は引き続き彼らと探す。皆は先に帰って、都市にいないか確かめてくれ」
駆け出しパーティーのリーダーがそう言って仲間を説得し、セタンタ君達と行動を共にする事を決めました。
その間にマーリンちゃんは広域の索敵魔術で近場にいた別の冒険者パーティーを捕まえ、憔悴した帰還組の冒険者達の護衛を頼みました。
小銭握らせて頼もうとしましたが、相手方も「まあこっちも帰るとこだし」「持ちつ持たれつだよ」とタダで受けてくれる事になりました。
「じゃあパリス、俺達は三人で人探ししてくるから、お前もこの人達について先に帰ってくれ。メシはまた今度な」
「は? 何言ってんだ、オレ様もついていってやるぞ」
「いや、正直に言うと足手まといでな」
「ムカーッ!」
パリス少年は「連れてけ連れてけ」とぐずりました。
セタンタ君は呆れつつ、マーリンちゃんに命じました。
「マーリン、頼む」
「あいあい。くらえ睡眠魔術!」
マーリンちゃんが変なポーズ取りつつ、魔術を行使しました。
それをまともに食らったパリス少年は見えざる手に揺らされたようにふらついた後、眠るようにバタッと倒れました。
これぞ睡眠魔術――などというものではなく、念動の魔術でパリス少年の頸動脈洞を圧迫し、気絶させただけです。要するに魔術による絞め技ですね。
時間も無く、人の命がかかっているためセタンタ君達はパリス少年を帰還組に託しつつ、念のため携行食などをわけてもらいつつ、彼らと別れました。
「とりあえず、魔物に襲われた場所に急ごう」
「そうだね。痕跡消える前に行かなきゃ」
セタンタ君、マーリンちゃん、駆け出しリーダーの三人は全力で駆けました。
身体強化の魔術を使いつつ、マーリンちゃんは浮遊しながらセタンタ君の身体に捕まって移動は任せて索敵と観測に集中しています。
やがて三人は森の中ですり鉢状になった場所に辿り着きました。大分暗くなってきましたが、そこには森狼という名の魔物の死体がいくつか転がっています。
「ここだ、ここで群れに襲われて、戦闘してるうちにはぐれたんだ……」
「マーリン、追えるか?」
「…………」
マーリンちゃんがセタンタ君から離れ、すり鉢状の大地の一角に進みました。
全力で魔術を行使し、痕跡を追っています。
「……ここで立ち止まり、鞄落として踵を返して逃げ出して……ここで噛まれて血を流し……ここに傷跡を触った手をついてさらに進んだ、と」
マーリンちゃんがブツブツとこぼした言葉の通り、地面には少量の血痕、そしてその傷跡を拭ったらしい手型の血痕が木にべたりとついています。
木の血痕を見つつ、マーリンちゃんは少し先の森の闇を指差しました。
「100メートル先に死んでる森狼が行方不明の子を噛んだヤツ。それに関してはちゃんと自分で撃退してるけど、これはどうも錯乱してそのまま逃げて……うん、この先の谷に転げ落ちていったみたい」
「追えるって事だな」
「まだ何とかね。深手は負ってないみたいだし、急ごう」
一行はマーリンちゃんに先導を任せ、追跡を開始しました。
森の奥に向けて、追跡を開始しました。
駆け出しリーダーは必死に仲間の生存を信じて祈っていますが、セタンタ君にしろマーリンちゃんにしろ、「これは死んでる可能性高いな」と少し醒めた思考を抱いていました。
死んでいてほしいわけではありません。
生きていてくれれば御の字ですが、状況や行方不明の子が腕利きとは言い難い駆け出し冒険者である事を考えると、そう判断していたのです。
それでも、駆け出しリーダーを含む行方不明の彼女の仲間が不憫という事もあり、「どういう結果になるにしろ、自分達なら見つけれる可能性もあるだろう」と判断して協力しているのです。
見つけるのは死体かもしれませんが。
少なくとも四人はパリス少年と共に都市に送り返す説得が出来ました。
いま同行している駆け出しリーダーに関しては説得しきれない状況でしたが、「どんな形でも見つければ納得して帰ってくれるだろう」とも思っていました。
こういう事もある危険な職業がバッカスの冒険者なのです。
危険な代わりに大きく稼げる可能性もあり、誰でも――それこそ異世界からやってきた身分不確かな人間でも――就ける職業がバッカスの冒険者業です。
ただ、探し人はまだ死んでいませんでした。
無事とは言い難い状況ではありましたが、さすがにマーリンちゃん達もその辺りの詳細まではまだ気づけていませんでした。




