再会
「――――」
少年は、自分の肌が焼けている事に気づきました。
敵が浮上と同時に放ってきたブレスにより、周囲の大気が熱され、熱された大気が人々の眼や肌を焼き焦がしていきました。
少年は――セタンタ君は咄嗟にマーリンちゃんに飛びついて押し倒し、守るために自分の身体を盾にして全力で防護の魔術を行使しました。
「――――」
肌を焼かれながらも、魔術を行使し続ける事が出来ている事を知覚しました。
まだ生きている。
即死していてもおかしくないのに、生きている。
一瞬見えた破滅の光。それが直撃していたのであれば、魔術師1人の防護魔術程度ではどうしようもない。それでも魔術を使い続ける事が出来ているのは――。
「っ…………」
少年達の身を守ってくれている人がいるおかげでした。
彼らの傍にいたエレインさんも防護のために魔術を使い、近衛騎士がそれを補助していました。2人はセタンタ君以上に大怪我を負っていましたが、それでも眉一つ動かさずに持ちこたえてみせていました。
少年に押し倒されて守られ、大人達にも守られているマーリンちゃんはそれでも軽傷とは言い難い傷を負っていましたが、咄嗟に治癒魔術を使って3人の身体を何とか持たせていました。
ですが、それだけで熱線を耐えられるはずがありませんでした。
竜種のブレスの直撃を受けてもなお死なない人間など、この場に1人しかいませんでした。
「――――」
敵の熱線が放たれた側の甲板。
そこに1人の魔術師が立っていました。
彼は――半身を熱でどろりと溶かされながらも――魔術を行使し、放たれた熱線を魔術で捻じ曲げ、船への直撃だけは避けさせていました。
本来は直撃していたものをかろうじてそらしただけ。熱線の余波だけでも甲板上には逃げ遅れた重傷者が多数出ており、並大抵の火では溶けることさえない氷船の装甲も溶けていました。死者も出ていました。
『逃げ切れません。応戦準備』
それでも老魔術師はそう言いました。
少年達が永遠のように感じた熱線の熱に焦がされた時間が終わった中で――溶けた半身を自分で削ぎ落とし、神によって与えられた不死の呪いと自身の治癒魔術で元通りの姿を取り戻した老魔術師は誰よりも早く再起しました。
海を掻き分け、大波を起こして迫ってくる巨大な魔物を見据えながら甲板に両手をつき、魔術を行使しました。
船越しに海に干渉し、水を操って氷船を人1人分の魔術で動かしました。敵の動きをよく見据え――海中から飛び出た巨大な角を見据え――その角による衝角攻撃の直撃を回避させました。
直撃は回避したものの、突撃してきた巨大な魔物の胴体に激突した氷船に大きな衝撃が走りました。空高くから大地に激突したような衝撃が走り、船体や計器、そして中にいた人々が悲鳴をあげる事になりました。
「うおッ?!!」
甲板上の人間も当然無事では済まず、魔物が激突してきた衝撃が斜め下から襲いかかり、跳ね飛ばされる事になりました。
治癒魔術でなんとか軽傷まで回復していたセタンタ君達も跳ね飛ばされましたが、何とか生きていました。
しかし、船の方は――。
「お、横転するぞ!!」
激突の衝撃と魔物に押しのけられた事でひっくり返ろうとしていました。
「やべっ……!!」
「セタンタ!」
「バカ! 先に逃げろ!!」
海に落ちたセタンタ君は逃げ遅れ、荒れる海の中、倒れてくる船体の下敷きになろうとしていました。
浮遊魔術で先に逃げられるマーリンちゃんはそれを見捨てる事が出来ず、急いで助けに走りました。
少年はこのままでは助からないと焦りました。
少女に引っ張ってもらったところでもう逃げ切れない。それなら海中に――いや、いま海中に逃げたところでどっちにしろ助からないんじゃないか。
そんな思考を抱き、焦っていた少年の身体が「ぐいっ」と船から遠ざかる方向へと引っ張られていきました。
少年だけではなく、他にも海に落ちていた人々が同じ方向へ引っ張られていきました。魔術によって動かされた海水に一気に押し流されていきました。
「師匠!」
「危ないから傍にいなさい」
救助と体勢立て直しのために海に降りてきたエルスさんがマーリンちゃんの首根っこを掴んで逃げつつ、海水を操って自力では逃げ切れない人々を退避させました。
倒れてきた船体が大波を起こしましたが、老魔術師が腕を振るうとまばたきのうちに凪ぎました。おかげでセタンタ君達は何とか助かりました。
ですが、当然、危機は去っていません。
船をこんな状態にした存在は健在のままでした。
「……こんな近くでご尊顔を拝見できるとはな」
海水をかぶったセタンタ君は塩水を吐きつつ、空を見上げました。
そこに巨大で長大な竜が鎌首をもたげていました。
人の視界を埋め尽くす巨体。
その身体の大半は未だ海中にあり、少年達の耳にも海底が「ゴリゴリ」と削られる音が聞こえました。魔物の巨体が蛇のように動き、海底を削っているようです。
全長に関してはマーリンちゃんの魔術でも把握しきれないサイズでした。
そんな巨体の持ち主が転覆したアワクムの上空で不機嫌そうな鳴き声を響かせました。雷雲から響くような大音が船の直ぐ上から聞こえてきました。
鳴き声の主は、その頭だけでもアワクムより巨大な存在でした。
アワクムを真っ二つに出来そうなほど巨大な角を振りかざし、口角からは先程吐いたブレスの予熱で大気を歪めつつ、船と人々を見下ろしていました。
「ティアマト」
誰かがその名を呼びました。
少年達がアラク砂漠で目撃し、その後もバッカス王国を騒がせ続けている巨大な魔物の名を呼びました。あれがティアマトで間違いない、と思いながら。
その認識は正しいものでした。
ですが、多くの船員がそうであってほしくなかったと思いました。
「……あんなバカでかい魔物、どうやって、倒せば」
頭だけで氷船を凌ぐ巨体の持ち主。
大軍を一気に殲滅する事も出来る大火力の熱線を吐く竜種。
それだけでも驚異的だというのに、「それだけではない」という事を少年達はよく知っていました。アラク砂漠で嫌になるほど体験していました。
「ッ……! 来るぞ!!」
少年が叫びの直前。
空から――ティアマトの巨体から黒い粒が落ちてきました。
黒胡椒でも振るように大量に落ちてきたそれは、無数の魔物でした。
1匹1匹が人1人よりも大きな魔物が――ティアマト配下の魔物達が降下してきました。矮小な人間達にトドメを刺そうとするように。
「教導隊長、応戦は無理だよ」
セタンタ君達と同じく海に落ちつつ、転移魔術で落下した人々を逃していた近衛騎士は老魔術師が操る海水で引っ張られつつ、そう進言しました。
この場にそれなりの戦力はいるが、あれほどの大物の討伐は不可能。
1人でも多くを逃がすべき。
そう考えながらカスパールさんは進言を続けようとしましたが――。
「ここは逃げ――――ぇ」
それ以上の言葉を吐く事は出来ませんでした。
近衛騎士の背後から突き出された銃剣が、彼女の身を貫いていました。
『フハハハハ! こんにちわ強者! そしてサヨナラ!』
銃剣の持ち主は機械音声で愉快そうに笑いました。
笑いながら銃剣を引き抜き、横に振るって近衛騎士の首を刎ね、殺しました。
銃剣を振るった者を見たセタンタ君は目を見開き、叫びました。
「お前、まさか!」
『また会ったなぁ、少年ッ!!』
セタンタ君が首都地下で倒した金属質な骨人形。
墓石屋・アリストメネスは再会を喜び、少年に向けて叫びました。