船の変化
時は少しさかのぼり、マーリンちゃんがカヨウさんのところから逃げ出した頃。
セタンタ君はアワクムの船内で座り込んでいました。
「マジで訓練し始めるとは……。真面目だねぇ」
座り込んでガラハッド君が訓練している光景を眺めていました。
セタンタ君の視線の先には、訓練時間外なのに船内のランニングコースを走っているガラハッド君の姿がありました。
アワクムは全長300m超えの大きな船ですが、身体強化魔術も交えて走っているガラハッド君は1分とかからずスタート地点に戻ってくるため、セタンタ君が座ったままくつろいでいても直ぐに視界内に戻ってきています。
否、戻ってくるはずでした。
「…………?」
もう何十周とぐるぐると船内を回っているガラハッド君がなかなか戻ってこなくなったので、くつろいでいたセタンタ君は少し身を起こしました。
何か問題でも起こったのかと思い、探しに行くか迷っていたセタンタ君でしたが、その必要はありませんでした。少し遅れてガラハッド君が戻ってきました。
ただ、ガラハッド君は首を傾げながら走っていました。
船内をキョロキョロと眺めつつ。
「どうした。滑ってコケたのか?」
「違う。そうじゃなくて、この船、大きくなっていないか?」
ガラハッド君は走っているうちに抱いた疑問をセタンタ君に話しました。
曰く、船内のランニングコースがヴィンヤーズに寄港する前と後で距離が変わっている気がする、との事でした。一見、コースの形は変わっていないように見えるものの、体感で距離が変わっている気がする、と話しました。
「ちゃんと測ってないが、そんな気がする」
「ふーん。なるほど」
「あ、そんなことありえねえだろ、とか思ってるな?」
「思ってねえよ。氷船なら普通に有り得る事だし」
木材や金属で出来ている船と違い、氷船は大きさが大きく変わります。
船体の多くが氷で作られており、必要に応じて海水を凍らせて船体を大きくしたり、逆に不要な部分を削ってスリムにする事が可能です。
「ヴィンヤーズに停泊しているうちにいじったんだろ、船体を」
「単に氷を足して船体を大きくしただけじゃなくて、内部の構造もいじったのか? 通路や部屋の大きさもところによっては変わっていたり……」
「そうかもしれん。そういう事できるのが氷船だからな」
セタンタ君は「俺は気づかなかったけど」と言いつつ、辺りを見回しました。
見回しましたが正確に調べていたわけではないため、変化には気づきませんでしたが、変化していたとしたら気づく人物に心当たりはありました。
その人物の事を考えていると、折よくやってきました。
船内をふよふよと飛びながらやってきました。
「2人ともひどいや! ボクを置いてくなんてっ!」
「お、来た来た。ちょうどいいところに来たな、マーリン」
浮遊魔術で飛んできたマーリンちゃんに対し、セタンタ君は床を指差しながら問いかけました。この船の大きさは変わっているか、と。
問われたマーリンちゃんは空中でくるりと逆さになりつつ、「ふんふむ」と言いながらあごに手を当てて思案顔を見せていましたが――。
「うーん、そんな細かいとこまで見てないから知らな~い」
「……何か知ってるな、コイツ」
「そうなのか?」
ボソリとつぶやいたセタンタ君に向けて顔を向けたガラハッド君が首を傾げながら問い、マーリンちゃんの様子をチラリと横目で窺いました。
マーリンちゃんは逆さになって浮いたまま頭の後ろで手を組み、下手な口笛を吹いてごまかそうとしています。それを見たセタンタ君は頷きました。
「そういう雰囲気をしている。知っててもおかしくない顔だ」
「ソンナコトナイヨー」
「はい嘘。知ってるけど嘘ついてるわ、その声色は」
「悲しいな~。セタンタがボクのこと信じてくれないっ……! ガラハッドはボクのこと信じてくれるよね? 友達だもんねっ!」
マーリンちゃんが両手を胸の前に持ってきて可愛い子ぶった事でガラハッド君は気圧され、ぎこちない動作で頷きました。
頷き、助けを求めるようにセタンタ君に視線を向けてきたため、セタンタ君はマーリンちゃんを軽く押し、押しのけられたマーリンちゃんが「ワァ~!」と声を上げながら空中で回転するのを尻目に口を開きました。
「多分、政府主導で何かやってるから口外できないんだろ、マーリンも」
「何でマーリンがそんなこと知ってるんだ?」
「政府の雇われ冒険者だから。地に足のついてない奴だけど、バカみたいに優秀だからな。常人が10人、100人と動員されてやっとできる事を鼻くそほじりながら1人でやってのけるからな、コイツ」
セタンタ君がぞんざいな様子ながらも手放しに褒めている事を聞いたマーリンちゃんは「ボクは鼻くそなんてほじらないもん」と言いつつ、ちょっと得意げになって天井近くまで浮き上がりました。
「もっと褒めてもっと褒めて」
「そう言われると褒めたくなくなるんだが……冒険者稼業を長くやってるとコイツみたいなクソ優秀な索敵手の存在はメチャクチャありがたく感じるぞ。ガラハッドも冒険者続けるならそのうちわかってくれると思うが」
「まるで古株の冒険者みたいな口ぶり。やってきた事の濃さはともかく、年数的にはガラハッドとそこまで差はないくせに~」
「うるせえなぁ、比喩表現だよ、比喩表現。まあ、何かと重宝されてるみたいだよ、マーリンは。今回も教導隊に参加しつつ、政府の依頼で動いてんじゃねーのか」
「さて、どうだろうねー。師匠に教導隊参加者の様子を観測記録するように頼まれているけどね」
逆さに浮いた状態から壁を蹴り、「くるり」と頭を上に向けた状態に戻ったマーリンちゃんは、手の甲でカーテンをめくるような仕草をしました。
すると、ガラハッド君とセタンタ君の横に2人と同じ姿をした人物が現れました。
ガラハッド君が「うおっ」と叫んで飛び退き、転びかけると、その先にいたセタンタ君が「落ち着け」と言いながらガラハッド君を受け取めました。
「マーリンが魔術で見せている幻だ」
「お、おぉ……幻か。幻術なのか? 本物にしか見えないが」
「触ってみ。手がすり抜けるから」
恐る恐る差し出されたガラハッド君の手は、自身の幻をするりと貫きました。
手を横に振っても縦に振っても何にも遮られないことを知ったガラハッド君は関心した様子でマーリンちゃんを褒めつつ、幻の足元を見ました。
「うわ、影までちゃんとあるじゃないか。実体がないのに、どうやって……」
「ふふーん♪ そこまで魔術で作ってるんだよ。単に見えるだけじゃなくて観測や索敵の魔術でもわかりづらくなってるから調べて調べて~」
ガラハッド君は言われた通りにしましたが、眉根を寄せて「まったくわからん……」「魔術で観ても確かにそこにあるように見える」と言いました。
「触る事でやっと幻とわかる。いや、幻というにはハッキリ見えすぎているような」
「それだけ精巧な幻を作れるんだ、コイツは」
セタンタ君も魔術を使って調べましたが、嘆息しながら頭を振りました。
「普通の幻術なら、タネが割れた時点で注意深く見ればわかるもんなんだが……マーリンの幻術は注意深く見てもなかなかわからんな。色んな方面から観測欺瞞も仕掛けてくるから、視覚的にも魔術的にも判別しづらい。俺も未だに直ぐ見抜けん」
「訓練が足りないね~」
「お前の腕が良すぎるだけだよ。戦闘中にパッと出されたら見抜ける奴なんていないんじゃねーかな……」
「師匠やフェルグスのオジ様には直ぐ見抜かれた事あるけど、ま~、あの2人ほどじゃなければ猛者相手でも一瞬は確実に騙す自信あるねっ!」
そう言いつつ、人差し指をくるりと回しながらさらにマーリンちゃんが魔術を行使すると、セタンタ君達の幻がランニングコース内を跳ね回り始めました。
2つの幻が槍と剣で激しく打ち合い、戦っています。マーリンちゃんは金属が打ち鳴らされる音や、壁が蹴られる音も本物そっくりに再現してみせ、ガラハッド君をさらに驚嘆させました。
「おおっ……! マーリンが優秀な魔術師なのはなんとなくわかってたつもりだが、こういうの見せられると素人目にも優秀だとわかるなぁ」
「専門が索敵と観測だから、そういうのはパッと見わかりづらいわな。有用さで言えばこの幻術より遥かに凄いもんなんだが」
「……しかし、この幻、私の方がやられっぱなしだなぁ」
ガラハッド君がちょっぴり不満げに言いました。
2人の幻は戦い続けていますが、ガラハッド君の剣はセタンタ君に対して一切届いていないのに対して、セタンタ君の槍は2、3秒に1回はガラハッド君の急所を捉えています。
あくまで幻なのでマーリンちゃんが止めない限りは戦い続けますが、これが幻ではなく現であればガラハッド君はとっくに倒れているでしょう。
マーリンちゃんはガラハッド君にウインクをしながら「これはあくまで昔のガラハッドを再現したものだからね」と言いました。
「師匠に頼まれて皆の観測記録してるって言ったでしょ? いま出している幻は教導遠征が始まった当初の2人を再現したもの。現状を反映するなら、こうかな」
マーリンちゃんが再び指を踊らせると、ガラハッド君の動きが――ガラハッド君の幻の動きが目に見えて変化しました。
先程までは押されっぱなしで何度も急所を抉られていましたが、鋭い槍の一撃を盾で受け、あるいは受け流し、力強く踏み込んでいっています。
逆にセタンタ君の方が後退する姿が目立ち始めるようになりました。
ガラハッド君の幻が振るう剣も、届きはせずともセタンタ君の幻を退かせるだけの圧力あるものとなりました。がむしゃらに振られていたものが、相手の嫌がる場面で振るわれるようになりました。
「こんな感じかな~。いまのセタンタとガラハッドがやり合うと」
「ほ、ホントか? これ幻だから盛ってるんじゃないのか?」
「盛ってる――と言いたいところだが、今のガラハッドならこんなもんだろ」
セタンタ君は腕組みしながら小さく頷き、言葉を続けました。
「教導遠征に参加してからのガラハッドは着実に伸びてる。元々素質はあったけど、最近はその素質を上手く使いこなしてる感じで――」
真面目な様子でそこまで言ったセタンタ君は、まじまじと眺めてくるガラハッド君達の視線に気づき、頬を掻きながら恥ずかしそうに口を閉じました。
「……まあ、その……とにかく、こんなもんだろ。マーリンはこんな感じで幻術も一流だが、そもそも観測の腕が優れてるから幻も現実に即したものを上手く再現できているわけで…………。おい、マーリン、なにニヤニヤしてやがんだ」
「いやいや、セタンタがちゃんと先輩冒険者してるな~、と思ってァ痛ぁッ!!」
素早く動いたセタンタ君はマーリンちゃんのお尻に強烈な蹴りを放ちました。
マーリンちゃんはセタンタ君が動くのがわかっていましたが、動くことは観測できても――体術では分が悪いので――思い切り蹴られてしまいました。
ぎゃーん、と鳴くマーリンちゃんが宙をごろりんごろりんと回りながら遠くまで飛んでいくのを尻目に、セタンタ君は「お前は確かに強くなってるよ」とガラハッド君に告げました。恥ずかしげな様子のまま。
ガラハッド君はちょっとだけ目を白黒させた後、嬉しそうにはにかんで「まだまだ精進しないといけないけどな!」と返しました。
「身体を動かす関連の事は得意になってきたと自負している」
「うん」
「ただまあそれ以外がな……! 今日の夜は解析魔術に関する補習が待ち構えていて……今から気が重い。身体を動かしていると少しは気が紛れるが」
「まー、頑張れ。教官もいい人揃いだからこの機会に勉強させてもらえ」
「は~……。わかってる。真面目に頑張るよ」
喜びから一点、肩を落として落ち込み始めたガラハッド君の肩を叩いていたセタンタ君の視線が遠方に注がれました。
ガラハッド君が先程まで走っていたランニングコースを走ってきた小柄な少女を見つけたためです。少女は集中して走っている様子でしたが、セタンタ君達を見るとちょっと気まずげうつむきながらそのまま走り去っていきました。
少女は羊系獣人のアイアースちゃんでした。
アイアースちゃんの後方からはメドラウトさんとキウィログちゃんがスローペースで走ってきたため、セタンタ君は「よう」と片手をあげて挨拶しました。
2人が挨拶を返してくる中、メドさんはキウィログちゃんに「先に行ってくれ」と指図で示しつつ、セタンタ君達に近づいてきました。
近づいてきて話しかけてきました。
「なんだなんだ、そっちの女性陣も時間外の訓練中か」
「一応な。俺は……キウィがアイアースの事を気にかけてるから、その付き合いでついてきてただけだ」
メドさんはポツリと言った後、アイアースちゃん達が走り去っていった通路を見つつ、ポツポツと言葉を重ねていきました。
「アイアースの奴、ヴィンヤーズとかで色々あって……重い腰をあげて訓練を頑張る事にしたみたいだからさ」
「色々ね。ふぅん」
セタンタ君は興味なさそうにため息を漏らし、「大変だな」とメドさんに言いかけましたが――その言葉は飲み込んで「まあ頑張ってくれ」と言いました。
メドさんは頷きつつ、アイアースちゃんとキウィログちゃんの後を追って走り始めました。セタンタ君は視線を切りましたが、ガラハッド君は両腕をぐるりと回し、大きく鼻息を吐いて快活な様子で叫びました。
「皆がんばっているなぁ! 私も負けてられんっ!!」
そう言い、再び走り始めました。
セタンタ君は「アイツはホント、クソ真面目だな」とため息混じりにそう言いつつ――ガラハッド君のまっすぐな様子に少しだけ羨望の感情を抱きました。
ガラハッド君が全力疾走し始めた事で、アイアースちゃんが負けん気を刺激されて鼻息荒く全力疾走して竸り始める光景が繰り広げられる中、セタンタ君は壁に背を預けて座り、また見守り始めました。
そして、ガラハッド君が――後輩冒険者が楽しげに走っている様子を見ながら、ふと思いました。弟がここにいれば同じように見守っていたのかな、と考え、走るガラハッド君の姿に少しだけ弟の姿を重ねました。
「…………」
重ねたものの、詮無きことと考え、目元を揉みながらその考えを捨てました。
「……そういや、さっきの事はごまかされたまままだな……」
自分の考えから目をそらし、視線をさまよわせてマーリンちゃんの姿を探しましたが、その時には彼女はふらりとどこかに行ってしまっていました。
セタンタ君はガラハッド君の抱いた疑問を――船が大きくなっている件についてごまかされたままだと思ったものの、追いかけて問う事はしませんでした。
問いかけたところで政府主導で何かをやっているなら教えてもらえない。機密事項ならちゃんと守るだろうと思いました。
そして、仮に裏で何か動いていたとしても、「マーリンがいつも通りならこっちに火の粉が降り掛かってくることはそうそうないだろう」と結論づけました。マーリンちゃんの事を信頼し、ひとまず詮索を止めました。