養親と養女
ヒューマン種排斥団体・ヘリワードや諸々の事に関する報告や打ち合わせが終わると、カヨウさんはマーリンちゃんとカスパールさんには「貴女達はもう退出しても構いませんよ」と告げました。
「退出しても構わないって事は、居座ってもいいんだ」
「ここでいびきを立てて寝られると迷惑なので出ていきなさい、カスパール」
「はいはーい……。しょうがない、父娘水入らずにしてあげ――」
にまにまと笑っていたカスパールさんの姿がかき消えました。
再びの転移魔術による移動。
ただ、今度は無表情のまま指を鳴らしたカヨウさんによる転移魔術でした。
成層圏まで強制的に転移させられたカスパールさんは「やれやれ」と言いたげな様子で伸びをしつつ、しばし空の旅を堪能する事になりました。
「…………」
「アッ、はいっ! 直ぐに失礼します~……!」
カヨウさんが再び指を鳴らす素振りを見せると、マーリンちゃんは「ひぃひぃ」と言いながら脱兎のごとく逃げ出していきました。
その背に向けてカヨウさんは指を鳴らし、魔術を行使しました。しかしそれは転移魔術ではなく、開けっ放しの扉をパタンと閉める風を吹かせるだけのものでした。ビックリしたマーリンちゃんの悲鳴が付属するものでしたが。
「あまり若い子達をいじめていると、嫌われてしまうよ」
「灸をすえているだけです。嫌われようが媚びるよりはマシです」
「またそんな事を言って……。友達がいなくなるよ、カヨウ」
「父親面をしないでください」
2人きりになると、エルスさんはやんわりと砕けた調子で接し始めました。
カヨウさんは余計にツンツンし始めましたが、エルスさんは鷹揚に構えました。そうしていると反抗期の子供が父親にたしなめられているような雰囲気になりました。
父親、といってもエルスさんは外見だけは女性ですが。
「ヴィンヤーズに立ち寄ったのに一切顔を見せに来なかったくせに……」
「それは、ごめん。挨拶ぐらい行くべきだったね」
「…………。教導遠征を率いている立場上、仕事中に私用で教導隊を離れられなかったぐらいの言い訳をしたらどうですか?」
「いやぁ、そういう言い訳をしたらキミはますますヘソを曲げるだろう?」
「ハァ?」
「あー、すまない。今のは口が滑った」
「チッ……!」
「こら、舌打ちなんて。品がないよ、士族長なのに」
「好きで士族長になったわけではありません。私が士族長をしているのは貴方が押し付けてきたから仕方なく! 嫌々やっているだけで――」
「ごめんね。でもありがとう。キミが500年近くナス士族を導いてきてくれたおかげで、多くの人を助ける事ができた。最初はほぼ西方諸国難民しかいなかったナス士族が大きくなったのはカヨウのおかげだ」
「…………。世辞は結構。世辞を言われても今回の作戦で……貴方達が連れてくる者達の受け入れでウチの士族が尻拭いさせられる事実は変わりませんし」
「いやー……ごめんね」
エルスさんが申し訳無さそうに苦笑いする中、カヨウさんは深い溜息をついて眉間を揉みつつ、「養父の尻拭いをさせられるのは慣れっこです」と言いました。
「作戦後の受け入れの件に関しては何とかします。もう決めた事ですから」
「ありがとう」
「ただ、尻拭いする代わりに内々に頼みたい事があります」
「頼みたいこと?」
「この子の事です」
カヨウさんは人差し指で机上を叩きました。
そこには先程まで話し合われていたヒューマン種排斥団体のヘリワードに関わり、彼らを西方諸国内に侵入させた人物の1人と目される女性の資料がありました。
「この子と……エリヤと遭遇したら生け捕りにして私に引き渡してください」
「その生け捕りの方法には――」
「一度殺して死体を拘束した後、蘇生魔術をかけて『生け捕り』するのは無しです。彼女はもう長くないはずなので蘇生に耐えられない可能性もありますから」
「生け捕りが難しい場合は?」
「……どうしようもない時は一度殺してもらっても構いませんが、貴方が遭遇するような事があれば可能な限り生け捕りにしてください。生きていた方が都合がいいので」
資料に目を落としていたカヨウさんはチラリとエルスさんを見て、「出来るでしょう?」と言いたげな視線を送りました。
エルスさんは悩ましげにうなり、手の甲をさすりながら問いかけました。
「失礼を承知で教えてほしいんだけど、それは証拠隠滅のためかな? それとも士族内の機密を守るため?」
「ウチの士族が被る事になる損害を可能な限り減らすためですよ。エリヤは『自分はもうナス士族に関わりのない人間です』と書き置きを残していきましたが――」
カヨウさんは懐からその書き置きを取り出し、指で弾いてエルスさんに渡しました。弾かれたそれをエルスさんが指で挟んで受け取り、ぺらりと開いて読む中、カヨウさんは不機嫌そうな様子で言葉を続けました。
「士族内でも上層部に当たる地位にいた人間が面倒を起こしたら、『既に士族を抜けた身です』と説明しても外部の暇人共は納得しないでしょう」
「だからしっかり生け捕りにして、自士族の不始末を自士族でつけた、と言いたいと」
「ええ。ナス士族でも部隊を派遣して追っていますが、上手く潜伏しているようでまだ尻尾が掴めていません。……政府や他士族も動いている以上、先を越される可能性もある」
「…………」
「ひとまず貴方達には捜索に加わらずにいてもらうとはいえ、例の作戦のために動いている時にエリヤ達が西方諸国入りしたのが気になります。貴方達の方にちょっかいを出してくるかもしれない以上、なにかあったら身柄の確保と引き渡しをお願いします」
「私もバッカス政府側の人間のつもりですが――」
「貴方は私にたくさん貸しがあるでしょう。協力してく……協力しなさい」
エルスさんは困った様子で眉を動かしましたが、少し思案した後に「わかりました」とナスの士族長の頼みを引き受けました。
「確約は出来ません。遭遇するにせよ、遭遇しなかったにせよ」
「ええ、それで構いません」
「カスさんにも話を通しておかなくてもいいのかな? 彼女はキミに頼まれたら何だかんだで言うことを聞いてくれそうだけど」
「あの子は魔王の直属の部下です。この手の汚らしいやり取りは知らなくて結構」
「そっか。政務官長達にも相談しているのかな? 今回の件」
エルスさんのその言葉を聞いたカヨウさんは渋面を浮かべ、「ロクスレイやメーヴは貸しが高く付くのでしてませんし、しません」と返しました。
「特にメーヴは隙あらば私の首根っこを掴みたがってくるので。鬱陶しい」
「それだけキミの事を高く評価しているんだよ」
「物は言いようですね。まあ、とにかく頼みます。もしも出番があれば」
「うん」
「助かります。……それで、あの子は相変わらずですか」
「あの子?」
「マーリンですよ、マーリン」
嘆息をもらしたカヨウさんはマーリンちゃんが出ていった扉の方を眺めつつ、「最近のあの子はどうですか」とエルスさんに問いかけました。
「楽しそうにしているよ。友達も増えたようだし。……ただ」
「ただ?」
「……キミがそうやって人の事を気にするのは珍しいね」
エルスさんが茶化すように言うと、カヨウさんは今日何度も浮かべている不機嫌顔になりました。今回はムッとした様子も混じった不機嫌顔でした。
「あの子も私の元部下です。エリヤと同じく暴走して、ウチの士族に火の粉が飛んできたら面倒だと思って聞いてみただけです。答えたくなければ結構」
「ごめんごめん、今のは意地の悪い言い方だった」
「答えたくなければ結構。私は帰ります」
席を立とうとしたカヨウさんでしたが、座ってくつろいでいたエルスさんが中腰になって止めると不承不承といった様子で再び席につきました。
そして、エルスさんの言葉を目をつむって聞きました。
「毎日それなりに楽しくやっているようだよ。毎日キッチリ働くより、気分次第で働く冒険者の生活の方が肌にあっているようだ」
「…………」
「ただ、養親の仇は未だ追い続けているよ。それに迫れる可能性があれば寝食も忘れるほど没頭している」
「……そうですか」
「キミが上司としての権限を使い、養親の件からマーリンを遠ざけようとしていた件も勘付いているかもしれない。キミ以外の人間もそうしている事にもいずれ気づくだろう」
あの子は聡い子だ、と呟きつつ、エルスさんは微笑しました。
喜びの感情を抱きながら微笑しました。ただ、別の感情も混ざっていました。
その対面にいるカヨウさんは押し黙り、微かにうつむいて表情を歪めていました。
「忘れてしまえばいいのに」
表情を歪めたまま、そう吐き捨てました。
エルスさんが微笑している事に対して苛つきながら。
「忘れられないだろう。彼女の仇を討つのが、あの子が強さを欲した動機だ。……その前は別の動機を抱いていたけど」
「真実を知れば、きっと後悔します」
「どうかな。私は、マーリンに復讐を遂げて欲しいと思っている」
エルスさんがそう言うと、カヨウさんは目を見開きました。
「正気ですか?」
「いつまでも本当の事を隠し続けるのは不可能だ。あの子は優秀な魔術師だから、いずれ真実に辿り着くよ」
「貴方がそれを許しても、私がそれを許しません」
黒狐系獣人が拳を机に叩きつけました。それは魔術を伴うものではなかったものの、机が鈍い音を立てるには十分なものでした。
「モルガンの件に関しては、私が手を打ちます」
「……キミは当事者じゃないのに?」
「うるさい。貴方は、絶対に余計なことをしないでください。この件に関しては絶対に私が正しい。当事者達の意志など、私にはどうでもいい」
ナス士族の長は拳をギュッと握ったままエルスさんを睨みつけました。
怒りと苛立ちを込めて。「なぜ理解してくれないのですか」という言葉も込めて。
エルスさんはナス士族の長の視線を微笑したまま受け止め続けました。彼女が落ち着くまで黙って受け止め続けました。
「…………」
やがてカヨウさんの方から視線をそらしました。
ただ、そのまま立ち去ったりはせず――。
「……もう1件、貴方に伝えておくべき事を思い出しました」
「うん?」
「貴方は私に沢山の貸しがありますよね?」
「う……ん……」
エルスさんは身構え、居住まいを正しました。
怒られるのかな。まあ怒られてもおかしくないぐらい貸しを作っているのは確かだからなぁ……と思いながらカヨウさんの言葉を静聴する事にしました。
「私は貴方に言われて仕方なくナス士族を作り、今までずっと長を務めてきました」
「うん、うん。大変なことを押し付けてごめん」
「士族を作った当初から大量の西方諸国難民を押し付けられ、仕方なく受け入れてきました。彼らはバッカスに来て初めて魔術を使えるようになった使い所に困る人材ばかりで、能力がないくせに不平不満は人並み以上に言って、大した利益を生まないどころか士族財政に大きな負担をかけてくるくせに衣食住は人並みに要求してきて――」
「う、うーん…………」
「そういった使えない人材が何とか利益を生むよう、私は心を砕いてきました。貴方が『皆、住むところや働くところがなくて困ってるんだ』『カヨウ、助けて……』と泣きついてくるので仕方なく……仕方なく! 受け入れてきました」
エルスさんは「そういう泣きつき方したかな」と思いながら過去を振り返りました。5秒とかからず「してたわ……」という結論に至ったので黙りました。
「そういう難民を何百、何千、何万と受け入れてきてもなお、ナス士族の財政は未だ破綻していません。それどころかバッカスで指折りの士族になりました」
「うんうん、そうだね。士族長が優秀な子だからね。いや、私はカヨウならやってくれると信じていました。さすが!」
エルスさんは後が怖いのでヨイショする事にしました。
世辞を言うまでもなく、本当に思っている事を言えばいいので気は楽でした。残念ながらカヨウさんはヨイショされても容赦してくれませんでした。
「他にもありますが、金を貸す以外の面倒ごとは全て網羅しているかもしれません」
「ははは。さすがに養女にお金借りるのはね」
「難民を1000人ほどまとめて押し付けてこられるより、100万、1000万を貸す方が金銭的にはまだマシだと思うのですが」
「ゴメンネ……」
「ともかく、貴方は私に沢山の貸しがあり、その多くを返せていません」
カヨウさんは再び机を叩きました。
ただ、その叩き方は軽快で明るいものでした。
「そろそろ清算すべきだと思いませんか? 全て」
「す、全て!? さすがに一個人じゃ有力士族のように自由になるお金はないから、清算とかも、直ぐには……。いや、その、そうしたいという気持ちはあって――」
「全てチャラにする方法を用意しました」
これです、と言いながらカヨウさんは紙束を取り出しました。
それは先程の資料より遥かに分厚いものでした。机に乗せると重たい音が鳴るほどのものでした。
「ウチの士族に入ってこれをやりなさい。貴方が」
「……これは?」
「冒険者を育成する育成所です。まあ学校のようなものです。士族の内外から広く入所者を募り、キチンとした制度と設備、そして教官を用意して使える人材を育成していきます。短期的には利益が上がらないものですが、長期的にはウチの利益をもたらしてくれますし、それに貴方の好きな公益のためにもなります」
「…………。こういうのは神様が横槍を入れて邪魔してくるんじゃないかな」
「奴は私が黙らせます。黙らせるための取引材料も近く用意できる予定なので、今回の作戦と教導遠征が終わったら私のところに来なさい」
「…………」
「士族内での職は、貴方の希望を聞きます。育成所全体をまとめる所長でもいいですし、教官として務めてもらっても構いません。他の事でもいいです」
「…………」
「貴方は教導隊を何度も率いるほど、人にモノを教えるのが好きでしょう?」
「それは……」
「ならこの話を受けるべきです。ええ、絶対に。貴方は好きな事が出来て嬉しいうえに私への貸しが返せる。マーリンも連れてきても構いませんよ。あの子は生徒に教えるのは苦手かもしれませんが、苦手は克服していけばいいだけの話です」
「……カヨウ」
エルスさんの表情には微かに動揺が現れていました。
ですが、カヨウさんはそれを見ていませんでした。
苦労して作った資料や計画を押し付け、言いたいことをまくしたてるだけで、養親の反応から無意識に目をそらしたまま会話を打ち切りにかかりました。
エルスさんが呼びかけても応答しませんでした。
「教導遠征が終わったらその足で私のところに来なさい。マーリンを連れて。これは決定事項です。貴方に拒否権はありません。以上です」
「カヨウ」
エルスさんが再び呼びかけた時にはもう、カヨウさんの姿は消えていました。
転移魔術を使い、ヴィンヤーズにある執務室に帰ってしまいました。
後に残されたエルスさんはしばし呆然としていましたが、やがてカヨウさんが最後に押し付けてきた育成所の資料に目を落とし、ゆっくりと読み始めました。
カヨウさん自身の筆跡で書かれたそれを、一文字一文字なぞるようにゆっくりと、大事に読み進めていきました。直ぐに返事できなかった事を後悔しながら。