少年の帰還
「……戻ってきちまったんだなぁ」
積荷を下ろすのを手伝っていた少年が、ポツリと呟きました。
少年の名をセタンタ。彼はバッカス王国の冒険者教導隊に参加し、西方諸国――自分の生まれ故郷がある諸国連合の地にやってきていました。
バッカス王国と西方諸国は敵対関係にあります。
いま現在も戦争状態が続いています。
ただ、バッカス王国は西方諸国を「どうでもいい存在」として殆ど無視し、自分達から攻め入るという事はしません。
両者の力の差は大人と子供以上のものがあり、バッカス王国が本気になれば西方諸国は一週間とかからず滅びるほど歴然とした差がありました。
西方諸国の上層部も、その事実に危惧を抱きながらも完全には認めずにいました。認めてしまうと自分達の権力基盤が跡形もなく崩壊する事を自覚しながら。
ゆえに、両国は戦争状態にありました。
とはいえ、毎日のように戦闘を繰り返しているわけではありません。
仕掛けるとしたら西方諸国側からで、バッカス王国はそれを適当にあしらって追い払う事を500年近く続けてきましたが、比較的大規模な戦闘が起こるのは数十年に一度程度の事でした。
いま現在は比較的、平穏な状態です。
そのためバッカス王国は氷で出来た船、アワクムに物資を運び、西方諸国の港に運び入れていました。交易目的ではなく、殆どが救援物資です。
セタンタ君は船から物資を下ろすのを手伝いつつ、溜息をつきました。
それを聞きつけたガラハッド君が「どうした」と聞いてきました。
「いや、こうやって救援物資運び込んでも、本当に困ってるヤツの手元に届くのは、ほんの一握りどころか……ごく僅かだろうなぁ、と思ってな」
「そういうもの、なのか?」
「そういうもんみたいだぜ」
バッカス王国は西方諸国を「どうでもいい存在」と定義して放置しつつも、飢饉や流行病で苦しんでいるようなら慈善事業として助ける事があります。
今回もその一環として、無償で物資を運び入れているのですが運び込まれた国は大抵、国ぐるみで着服してしまうため救援の役目は殆ど果たせずにいました。
「俺が西方諸国にいた時は、聞いたことも無かったな。バッカス王国から救援のための物資が届いたって事は、少なくとも聞いたことは無かった」
「そうなのか……」
「ただ、バッカスからの貢物が届いた、バッカスは私達を恐れているがゆえに貢いでくるのだ――って嘘っぱちを説法してる事はあったなぁ」
「酷いな、それは」
「だな。まあ……逆に、哀れかもしれねえよ。そうまでして虚勢を張って、緩やかに滅んでいくとこすらあるぐらいだからな……」
少年は肩をすくめ、荷降ろしに戻っていきました。
いまいるのは西方諸国、最初の寄港地です。
寄港地と言っても立派な港があるわけではなく、ろくに整備されていない崖っぷちに氷船が接岸していました。先方からそこを使えと指示があったのです。
しかし氷船は船体が氷で出来ている事もあり、魔術で形を変えて崖下が岩礁地帯だろうがなんだろうが乗り上げて無理やり接岸していました。
やろうと思えば陸路ですら進む事も出来るので、船底をこすろうがお構いなしです。壊れても海水で修復出来る氷船は水棲の魔物が支配する海で頼られ、セタンタ君達が乗っているアワクムよりさらに巨大なものも作られています。
西方諸国の面々は接岸に際して面食らい、今も強張った表情で見守っています。
セタンタ君も荷降ろししながら、その表情を見つめていました。
そこに白い狼の獣耳と尻尾を持つ人物がやってきました。
カンピドリオ士族のロムルスさんです。
黒狼獣人のレムスさんの兄であるロムルスさんは、つい先日まで冒険者稼業をしていましたが現在はバッカス政府の政務官になり、今回、アワクムに乗り込んで西方諸国との渉外を担当していました。
物資引き渡しの話し合いを終え、船の方に戻ってきたロムルスさんはセタンタ君に片手あげて挨拶しつつ、話しかけていきました。
「元気にやってるか」
「元気有り余ってるかも。まあ、食うもん困ることはないし」
少年は笑みを返しました。
ただそれは、心から浮かべたとは言い難い空虚なものでしたが、本人はそれに気づく事が出来ませんでした。
「…………」
「ロムルスさんは、どう? 政務官の仕事慣れた?」
「まだまだ知らない事だらけだ。今回も先輩政務官がいないと逃げ出したくなっているかもしれない。冒険者稼業とは別の重圧があるからな」
「政治ってヤツかぁ」
「そうとも言うかもしれない」
「揉めなかった? 最初の寄港地だけど――」
少年は軽く目配せしました。
寄港地の外にいる西方諸国の人達を、チラリと見つつ。
「何か俺ら、メッチャ睨まれてるんだけど」
「そうだな」
「というか、寄港地の外に陣地築いて武装してる人らが500人以上、いるっぽいようにみえるんだけど……大丈夫? 戦闘にならない?」
「なるかもしれないな」
「マジかぁ」
「まあ、なったらなったでスタコラと氷船に逃げよう。どうせ、一度乗り込めば向こうに追ってくる手段は無いのだから」
「こっちからやり返したりは――」
「しない。魔術すら使えない兵士に、ムキになることもあるまい」
青年は肩をすくめてそう答えました。
西方諸国において魔術は「悪しきもの」とされています。
先天的に使える者がいても殺されることさえあるほど忌み嫌われています。
バッカス王国は才能が無くても後天的に魔術を使えるようにする事が可能ですが、西方諸国では民が力を持ちすぎるのを恐れた支配階級の人々が魔術の存在をおおっぴらには許さないでいるのが現状です。
あくまで「おおっぴらには」の話です。
魔術が当たり前に使われているバッカス王国は西方諸国の支配者達に取って、悪しきものという定義を通り越し、恐ろしい存在となっています。
魔術を使うバッカス人が1人しかいなくても、ただの西方諸国人では数十人が束になっても勝てないぐらいの力の差があります。
そのため寄港地の外に見張り兼ねて詰めている西方諸国の兵士は、やろうと思えばロムルスさん一人で殲滅出来るほどです。
そう出来るのは魔術の有無もありますが、まともな武装をした兵士など100人にも満たない数で、残りの900人ほどは農民、村人の寄せ集めです。
持っている武器も槍なり剣を持っていればまだマシ。単なる木の棒を棍棒代わりに持っているやせっぽっちの民の姿もありました。
「……もう、バッカス王国で西方諸国全体を征服してやればいいのに」
「征服事体は可能だ。だが、その後の統治なり、自治を任せる事が難しいからな……。経済格差も凄まじいものがある。西方諸国人への悪感情も未だ、バッカスで完全に潰えたわけではないからな」
「難民は、受け入れてもらえるんだよな」
「ああ。こちらも何千何万の難民を一気に受け入れるのは難しいが……」
青年は「その辺は、キミも知っているだろう」と言いかけて止めました。
元難民の少年があまりにも暗い瞳をしていたので言葉を飲み、軽く肩を叩いて船に戻るように促しました。
「そろそろ出発だ、戻ろう」
「うん……」
「今日はカレーらしい。明日はキミ達が獲ってきた魚だな。楽しみにしてる」
「獲れなかったら魚無しだけどね」
「穫れるまで潜っていれば穫れるだろう?」
「鬼畜だなぁ」