鮭飛び
円卓会総長の指示の下、一人の少年冒険者が結界内へと入っていきました。
円卓会の面々の反応は、おおむね好意的です。
腐肉漁りなど死んでしまえばいいが、少年冒険者の方の意気込みは心地よい。やれるもんならやって魅せろという好戦的なものが多く見受けられます。
腐肉漁りとはいえ、子供もいるのに少しむごいのではないか、と思っているものの、総長命令なので黙って従っていた者達の心配混じりの安堵の意見もあります。
ある意味アウェーですが、セタンタ君は大盾と透明な防壁で囲われた野外闘技場の中、観衆に罵倒されながら戦う事にはならず済みました。
マーリンちゃんは半ば諦めてセタンタ君を送り出したものの、いざセタンタ君が魔物と相対し始めるとちょっとオロオロし始めました。
「うぅ……せ、セタンタぁ……」
それを見た円卓会の冒険者は「おっ、可憐な少女が少年の身を案じている」「尊い」「ヒロインの気風を感じる」「夜明けの珈琲を一緒に飲もう」と言いながら瞠目しています。
エルンブ・ヴァルフィッシュ――アンデッドがセタンタ君を認識しました。
自分を恐れず、歩み寄ってきているセタンタ君に向き直ります。
そのまま猪突猛進に突っかかってくる……ことは無いようです。蛇腹剣を地面に垂らし、まるで一人の戦士のように静かに待っています。
大元の素体になった人間の自我が残っているという事は無いはずですが、人を見れば猪突猛進に迫ってきて暴れる魔物にしては珍しい行動です。
「ヤツの弱点は、本体の頭蓋骨」
すり足での移動を始めたセタンタ君が小さく呟きました。
相手はアンデッドであり、既に息絶えた者。それでもなお稼働している死人を止めるための急所は、大元の素体となってた者の頭蓋骨です。
それを砕けば倒せます。
しかし、それは骨の鎧に包まれています。
逆に言えばそれを壊さない限り、エルンブ・ヴァルフィッシュは止まりません。適当に斬りつけたところで失血死させるための血も出ず、毒で蝕み、じわじわと殺していく事もままなりません。
本体を叩かない限り、止まらないタフな魔物。
一足にそれを砕きに行くのは難しく、倒すためには砕くための仕込みをしたり、鎧を少しずつ壊していく事になります。
しばし、セタンタ君がすり足で魔物の周囲を巡り、見守る冒険者達の中から「行け! 根性見せてみろ!」と無責任な声が上がる中、魔物が動きました。
「――――ッ!」
ひゅん、と蛇腹剣が唸りを上げました。
ほぼノーモーション、振って勢いつけるという事もなく、バネ仕掛けのように飛んできた蛇腹剣が横薙ぎセタンタ君がいたとこを通り過ぎました。
セタンタ君は、すり足で後退して回避。
「既に間合いを見切っていたか」
冒険者の一人が面白げに、そう言いました。
骨で出来た蛇腹剣は間合いも相応に長いものですが、限界もあります。腐肉漁りの冒険者達に振るわれたそれを見ていたセタンタ君は、相手が踏み込んできた場合の間合いもおおむね把握していました。
間近で見た事で、さらに間合いを学習しました。
一撃で仕留められなかった不満でもあったのか、魔物が蛇腹剣をさらに横薙ぎに振るってきました。さらに、それを陽動に攻撃を加えてきました。
セタンタ君は後退して避けつつ、何かを槍で弾きました。
骨で出来た矢じりです。
パリス少年に致命傷を与えたそれは、蛇腹剣ばかりに気を取られると容赦なく冒険者の身体をえぐってきますが、セタンタ君は既にそれも見ています。
「どこからでも飛ばせるわけじゃないし、連射も不可」
セタンタ君は冷静に蛇腹剣の軌道を見つつ、アンデッドの身体にある矢じりの射出口の様子も見据えていました。あとは避けつつ、槍で弾くだけです。などと言うは易いですが、失敗すると死ぬので良い子は真似しないようにしましょう。
「だが、このままではジリ貧だぞ」
冒険者の一人が指摘した通りです。
間合いを保てばしのげるとしても、魔物側も丁寧に同じことばかりやってくれるわけではありません。実際、魔物が距離を詰めてきました。
後退し続けるにも円卓会の作った壁があります。高みの見物している総長が命じない限り、それが消える事はないでしょう。
「時間稼ぎでもしてるつもりか! 坊主!」
「いや、そろそろ反撃に出る」
文句を言った冒険者の隣で、大剣を背負ったオークが呟きました。
実際、その通りになりました。
空気を引き裂き飛んできた蛇腹剣が、間合い以上のところを断ち切っていったのです。そしてそれは魔物側の意図で行われたものではありませんでした。
蛇腹剣の先端部分だけが、断ち切られたのです。
それをしたのはセタンタ君でした。
十分に間合いとタイミングを測り、相手の刃の軌道に添えるように槍の切っ先を配置し、その勢いを利用して蛇腹剣の破壊に打って出たのです。
正確には、断ち切ったのは蛇腹剣の関節部分。
鞭のようにうなる剣ですが、リーチが長かろうが蛇腹剣として成立させる間接部分は比較的脆いところです。
そもそも大変振るいにくいもので、魔物らしからぬアンデッドの絶技にも舌を巻くべきかもしれませんが脆い部分があるのです。
一歩間違えば間接を断ち切れず、槍を絡め取られかねない立ち回り。
しかしセタンタ君はそれを腕っ節と目でやってのけました。
そのまま、セタンタ君は蛇腹剣が振るわれるたびに少しずつ破壊していきました。長かったアンデッドの得物も、やがて見る影もなく小さくなっていきます。
これは競技武闘ではなく、魔物と人の命の取り合い。
武器を壊すなど卑怯な! などと言う理屈は吐けません。
「へっ! 悔しかったら他の武器を出して見ろ!」
「――――」
魔物が蛇腹剣を捨て、骨の鎧の中から二つの太い骨剣を取り出しました。
「おい、持ち替えとか卑怯だぞ」
一瞬硬直したセタンタ君の文句は聞き届けられませんでした。
これは競技武闘ではなく、魔物と人の命の取り合い。
審判が止めてくれるなんて事はありません。
セタンタ君は3メートルを超える魔物から繰り出される二刀攻撃を捌かなければならなくなりました。間合いは短くなりましたが、振るわれる一撃は蛇腹剣以上のものがあります。
「げ、やばっ、さっきのよりキツい」
骨の鎧の防御も活かし、距離を詰めてきた魔物の攻撃は苛烈でした。
両側から間髪無く繰り出される攻撃は、すり足で回避していたセタンタ君がたまらず飛び退って逃げる事も併用しないといけないほどのものでした。
「……妙な歩法だな?」
円卓会の一人が首をかしげつつ、セタンタ君のすり足に感想を述べました。
中には「どこかで見た事があるような」と漏らす者もいましたが、この場で歩法の意味を知っているのは、まだマーリンちゃんと一人のオークだけでした。
セタンタ君は冷や汗を流しつつ、それでも出来るだけすり足で回避していっています。避けつつ、隙あらば槍の石突で打ち据えています。
でも、それで入るのは、ほんの小さなヒビ程度。
打ち込みが弱ければヒビすら入らず、セタンタ君の手がしびれる始末。
致命打には程遠い、一瞬、攻撃を遠ざけるだけの小突きです。
「終わりだな」
「ああ。年のわりにはよくやってるが……」
倒すには至りません。
回避し、逃げるだけなら出来るかもしれませんが討伐するには至っていません。本体の頭蓋を破壊しない限り、エルンブ・ヴァルフィッシュは止まりません。
蛇腹剣はあくまで攻撃手段の一つ。このアンデッドにとっての真骨頂はそのタフさなのです。さすがのセタンタ君も冷や汗流しながら捌いています。
マーリンちゃんはオロオロしてます。
「あわわ……」
セタンタ君心配なあまり、雲の中を近づいてくる存在の感知が遅れてます。
ほんのり暗雲が光っているのですが、マーリンちゃん以外も気づいてません。
皆さん、セタンタ君の勝負の行末に集中しています。
「くそっ! 爆砕のルーン仕込む暇もねえか……!」
セタンタ君も反撃手段はあるのですが、その仕込みをするだけの余裕がまだありませんでした。あまりにも相手の攻撃が早すぎて、隙が無いのです。
魔物側も、単に力任せに振っているわけではありません。
本能的に腕や身体の関節を駆動させ、骨剣を振っているのですが、それはもはや人間らしい動きは欠片も残っていません。
どの関節も360度回転する様は人間ミキサー、あるいは何かの工作機械の如し。蛇腹剣が児戯だったかのように常に刃が振るわれ、セタンタ君を切り刻もうとしています。
「やべっ……!」
骨の矢じりも忘れてはいけません。
二刀を振るいつつ、近接から真っ直ぐに打ち込んでくるため下手に反撃も出来ません。ついにセタンタ君にも命中しました。致命傷は避けましたが、顔をしかめ、頭に少し血を登らせるには十分な威力でした。
「ちくしょう!」
セタンタ君が力強く、打ち込みました。
大剣を背負ったオークは「逸ったな」と顔をしかめました。
セタンタ君の一撃は、魔物の内側まで届きました。
届くどこか、貫通しました。
骨の鎧が開閉し、槍を通り抜けさせ、骨で噛み込んで押さえつけたのです。
「しまっ――!」
セタンタ君が槍を引き戻そうとした時には、既に手遅れでした。
「ガッ――グッ――!?」
槍から手を離し、避けようとはしました。
しかし間に合わず、骨剣で斬りつけられたセタンタ君は大量の血を流し、痛みで受け身もとれず、堅い岩の大地でまともに身体を打ちました。
しくじった、斬られた、死ぬ。
様々な想いがセタンタ君の脳裏を過りましたが、身体は考えるより早く動き、転げるように立ち上がり、何とか骨剣によるトドメの一撃を回避しました。
回避したものの、セタンタ君の身体はボロボロです。
短気の代償に青ざめつつ、セタンタ君は再び攻撃を回避し始めました。
しかしそれは精細を欠く動きで、もはや打ち込みすらまともに出来ずに防戦一方。頑丈な魔物と違い、少年冒険者が失血から死に至るのは時間の問題でした。
「総長、助けるべきでは」
「倒せなかったとはいえ、アイツは死なせるには惜しい才能ですよ」
「ならん」
部下の嘆願をアルトリウスは一蹴しました。
セタンタ君がまだやれると思ったわけではありません。
既に勝敗は決したものの、死ぬまでやらせると高みの見物を決め込んでいるのです。その顔には少年の無謀を嘲る笑みが浮かんでいました。
セタンタ君は、すり足で回避し続けました。
朦朧とする意識の中、セタンタ君は昔の事を思い出していました。
孤児だった少年は、分相応をわきまえる分には十分に暮らしていけるだけの力を手に入れました。才能はありましたが、それは無敵の力ではありませんでした。
それでも食っていくには十分な力はあったのです。
しかし、彼は分相応以上のものを追い求めました。
孤児院を出て、冒険者になった彼は大金を欲しました。
一人の女性を手に入れようと、足掻く事を決めたのです。
その女性は、少年の命の恩人でした。
美しく、優しく、彼にとって初恋の人でした。
しかし、その人は娼婦でした。
バッカス王国一と言われるほどの技巧を持つ娼婦で、一人で何人もの子供を養う事が出来るほど娼婦でした。自分の身体を売り、日々の糧を稼いでいたのです。
少年は、それでも彼女の事が大好きでした。
けれど、娼婦である事実は大嫌いでした。
好きだからこそ、他の男に抱かれている事実が嫌だったのです。
恋心を自覚してからは、彼女が他の男といる姿を見たり、いまごろ一緒にベッドの中にいるであろう事を想うと、胸が締め付けられました。
少年は、惚れた女性を救おうとしました。
お金を貯めて、身請けしようとしたのです。
それはとても無謀な事でした。
彼女は他の追随を許さないほど稼ぐ高級娼婦で、仮に身請けするなら途方もない額のお金が必要だとされていました。それこそ、天文学的な数字です。
それでも、少年は諦めきれませんでした。
父親のようによくしてくれているフェルグスさんが諭しても、への字口で目にちょっぴり涙を浮かべながら、「いやだ、諦めねえ」と言い切りました。
放っておくと、金のために無茶をして死ぬ。
フェルグスさんはそう思い、少年の実力を認めていた事もあり、彼が納得するまで付き合う事にしました。いずれ現実を見据えてくれると信じて。
やがて、セタンタ君は大金を手に入れました。
棺桶に片足突っ込みつつも、立派に稼いでみせたのです。
ですが、彼は自分で稼いだ事で現実を知り、泣きました。
手に入れた大金は、身請けするにはまったく足りないものだったのです。
足りたとしても、一夜の共をしてもらう程度のもの。
それだけのお金を貯めるのに、一年かかりました。
彼女の一生を買うには、生涯を費やしても足りないと知ってしまったのです。
それでも彼は、諦めたくありませんでした。
悔しさで零れそうな涙をこらえ、初恋の人のところへ行きました。
自分が稼いだお金を差し出し、「今日だけでいい」と言いました。
「今日だけ、俺に買われてくれ!」
少年は勇気を出して、そう言いました。
他の男のとこなんて、行かないでくれと懇願しました。
一夜を買うだけのお金だけは、あるのです。
彼に告白された高級娼婦は、困ったような笑みを浮かべました。
そして、私はそもそも好きで娼婦をしているのよ、と言いました。
身請けなど、そもそも望んでいないのです。
彼の想い人の種族は淫魔でした。
単にお金のためにやってるだけではなく、生存のために精気を得ているのです。
それでもいいから今日だけ一緒にいてくれ、と少年は泣きました。
その言葉に、彼女は少し申し訳なさそうにこう返しました。
「ごめんなさいね。私、自分の子は客に取らないと決めてるの」
だから、とお金は返される事になりました。
ただ、少年があまりにも泣くので彼女は昔のように白く美しい手で彼を撫で、寝かしつけ、それからまだ孤児院達にいる自分の子達を養うためにも、その日も夜の街へと消えていきました。
少年はフラれ、初恋の人はいまもまだ、望んで娼婦をしています。
そしていま、その少年は足をもつらせ、大地に倒れようとしていました。
「セタンタ!」
孤児院時代からの幼馴染が悲鳴のように名を呼びました。
オークは腕組みしたまま、ただ見守りました。
少年はかろうじて倒れきらず、両手をついて血を吐きました。
吐いた血を指でなぞり、地面に何かの文字を書きました。
骨剣がギロチンのように降ってきます。
多くの者が「これで終わりだ」と思いました。
ある意味、少年はもう終わっているのです。
恋い焦がれた人に降られ、明確な目標を持たない冒険者稼業。
いまはもう、ただ惰性で戦っているだけでした。
けど、それでも、死んではいないのです。
まだ、目の前の魔物に負けてはいませんでした。
「wird」
少年が唱え、魔物が骨剣で斬りつけるのはほぼ同時でした。
骨剣は岩を断ち、砕き――しかし血を帯びる事はありませんでした。
「はぁ……痛えな、くそ」
顔面蒼白の少年は、魔物と背中合わせの状態で立ちながら、骨鎧の背に素早く血文字を刻み、魔力を叩き込みました。
彼が何をしたのか、わかったのは一握りの人間だけでした。




