父娘
「なあなあ、俺にもジャム分けて?」
「…………」
「なあなあ、帰ったらそれ以上を奢ってやるからさ……」
「…………」
レムスさんは甘味が少し欲しくなり、アタランテさんに林檎ジャムを分けてくれるようねだりましたが、何の返事も返ってきませんでした。
お尻や胸に触っても肘鉄が飛んでくるだけで指を咥えて「ちぇっ」と羨ましげにジャムを眺めていたレムスさんの視界の端で動く人の姿がありました。
バーネットさんです。
焚き火から離れ、野営地の隅っこで不貞腐れているラカムさんのところにお酒を持っていき、差し入れているようでした。
隊商の中で数少ないラカムさんを擁護しているバーネットさんに対しても、ラカムさんは馬鹿にしたような態度を崩さず、お酒を瓶ごと引ったくっていました。
「犯人扱いされたのが余程、腹にすえかねてるのかね……?」
レムスさんは自分もそれに加担した事に、少し申し訳無さを感じました。
バーネットさんがラカムさんの態度に構わず、腰を据えて話しかけているのを見たレムスさんはアタランテさんの隣から立ち上がり、腐肉漁りのエルフと商人の方へと歩み寄っていきました。
「おーい、オッサン。さっきは疑ってごめんなー」
「ケッ! どーせ、わたくしめは汚らわしい腐肉漁りですからねぇ。身の覚えのない疑いをかけられるのも、慣れっこですよぅ。日頃の行いってヤツかねぇ」
「ごめんって言っといてなんだけど、それわかってるなら……もうちょっと言動を改めたらどうだ? わりとマジで腐肉漁り稼業は嫌われるし、長期的に見たら自分の首が締まっていく一方だぜ……って兄者が言ってた」
「はっ……士族長家の坊っちゃんは優等生な事を言うねぇ」
「自慢じゃねえが俺の学院での成績は兄者が頭抱えるほどだぞ! ふふん」
「ホント自慢じゃねえな……」
ラカムさんがさすがに呆れ顔を見せましたが、直ぐにツンと顔を逸しました。
「何かオッサン不機嫌だなぁ。アッ! あの日か……」
「違うわボケ! 男と女の見分けぐらいつけろクソボンボン」
「そんならアレか、最近、稼業がことごとく上手くいってねえとか?」
「ぐ……」
「風の噂に聞いたけど、ククルカン群峰で円卓会の後つけて下手打って大損こいたり、セタンタ達相手に欲かいて大失敗して、他にも投機で失敗してヤベえ事になりかけたとも聞いたぜ」
「……アンタには関係ねえ」
「まあ、そうだけどよ」
レムスさんは頭を掻きつつ、「でも概ね、腐肉漁りっていう嫌われ稼業している事での身から出た錆だろう」と言いかけました。
ですが、それより早くバーネットさんがおずおずとそれに似た事を告げました。
「お噂は聞いていましたが、苦労されているのですね」
「アァン? んだと、アンタまで……はいはい、案内役からもお役御免ですか」
「いえ、そういうつもりはありません。契約通り、行きも帰りも付き合ってくださいね。足元見る言い方になりますが……フェリクス商会に対する借金を肩代わりさせていただいているので、途中でいなくなられると困ります。とても」
「ぐぬ……」
「借金の肩代わりって……いくら?」
「まあ、ちょっと……これぐらい……」
「あ、言うな!」
ラカムさんは制止したものの、バーネットさんはしれっと指を4本立てて「400万です」とハッキリと言い、今度はレムスさんが呆れる事になりました。
ただ、ラカムさんに対する呆れだけではなく――。
「おいおい……噂聞いてて、そんなに肩代わりしたのか」
「ちょっと早まったかなぁ、とは思っていますが」
「アンタ、このオッサンとどういう関係だ。まさか家族とか?」
「違います」
「違うに決まってんだろ……? そっちヒューマン種、こっちは高潔なる森の賢人であるエルフ様だぜ? まあ、俺は森っつーか馬小屋生まれみたいなもんだが」
「じゃあ、どういう縁で知り合ったんだよ? 何で他人のオッサンを庇う」
「知り合ったのは、まあ、さっきも言った通り借金の絡みだよ」
腐肉漁りのエルフは不承不承ながら――既に借金のことは知られてしまっている事もあり――静かに語り始めました。
本人も納得していないらしく、バーネットさんの表情を伺いつつ……。
「赤蜜園のガキの所為で色々と失敗して、ちぃと借金で首が回らなくなりかけて……フェリクス商会の商会長であるソウザの旦那にシメられてたんだよ。おやおやラカム様、古式に乗っ取ってエルフの身体を食品として売ってみますかってな」
「まー、400万も借金してんだから……そんだけさせるのもどうかと思うが」
「あの旦那は怖いお人でね。そうやって借金で首回んなくして……おっと」
口を押さえて言葉を区切ったエルフは「ま、ともかく借金でやべえことになってたわけだ」と言葉を続けていきました。
「そこにフェリクス商会との取引に来てたバーネットの旦那が来てよ。あろうことか借金の肩代わりを申し出てきたわけよ! いや、マジでヤバイとこだったから俺も飛びつきはしたが……怪しい話だろう?」
「おいおい、恩人を疑うのかアンタ」
「いえ、ラカムさんの疑念も、理解できますよ」
バーネットさんは頭の横の空間をまた弄りかけて――慌てた様子で手を下ろし――微笑みながら少しだけラカムさんを見つめ、俯いて言葉を続けました。
「ラカムさんの姿に、自分の父親を重ね見ていたのです」
「父親を?」
「はぁ~? 何でぇ、そりゃ俺と同じロクデナシだったとか?」
「はい。あっ、すみません、口が滑りました」
「おい、バカ殿、この失礼なヤツを殴ってやってくれ」
「おう」
「痛え! 俺じゃねえ!?」
肩をどつかれて痛そうしたラカムさんをバーネットさんが笑みを浮かべて見守る中、レムスさんは問いかけました。
バーネットさんのお父さんについて聞きました。
「どんな親父さんだったんだ?」
「父は、商人だったのですが……ちょっと、どうしようもない事情でその立場を追われる事になりましてね。後はもう借金まみれになりまして……」
「今は大丈夫なのか?」
「え?」
「借金、親父から残されてたりしないのか?」
「え、ええ、ありませんよ。相続放棄してるので」
商人は苦笑いしつつ、「自分という立場は継いでしまいましたけどね」と言いながら落ち着いた様子で言葉を続けていきました。
「父は失敗して商人の立場を追われた後、悪事に手を染めていきました。悪事といっても直ぐに捕まるようなものではなく、灰色の領域の……それこそ、ラカムさんの腐肉漁り稼業、のような事を」
「「…………」」
「ですが、一度転落した後はもう何も上手くいかず、借金ばかり増えていき、私が父を見捨てて縁を切っているうちに、そのまま……といった感じです」
「…………」
「……そんならなおのこと、このオッサンみてえなヤツ、ムカつかねえの?」
レムスさんがそう聞きましたが、ラカムさんの物言いたげな視線に関しては無視しました。ラカムさんも睨みつつも黙って話の続きを気にしました。
黙りつつも少し焦っているような、緊張しているような面持ちです。
それは、バーネットさんの語る「父親」に自分を重ねたためでした。
「ムカつくというか……何というか、これは私の罪滅ぼしなんですよ」
「父親と似てる俺の借金肩代わりして、親を見捨てた罪を償おうってか」
「まあ、そんなところですね……」
「ハッ! お優しいねぇ! ま~、いいんじゃねえの? オジサン、そういう救いようのねえ鴨って大好き。ついでに借金帳消しにしてくれると嬉しいなぁ」
「おい」
レムスさんがゆっくりと腐肉漁りのエルフの胸ぐらを掴もうとしましたが、バーネットさんは――他の冒険者さんの時と同じく――その手に触れて、止めました。
今はとことん、庇うつもりのようです。
「帳消しには出来ません。ただ、ラカムさんがいまの生活を……腐肉漁りや、諸々の人に対してやっている意地悪を止めたら、直ぐに借金も完済出来ますよ」
「おいおい、借金肩代わりどころか更生まで担うってか?」
「出来れば悔い改めてほしいと思っています」
「チッ……改めるわけねえだろ……」
「損得勘定をしてください。今の生活を続ければ続けるほど、首が締まりますよ」
「金の事だけ考えて、今の生き方を選んだわけじゃねえよ」
「…………」
「金以外に何の理由があって、好き好んで腐肉漁りやってんだ?」
「好き好んでじゃ……いや、まあ、確かに好き好んでか……」
ラカムさんはため息をつきかけて――口を一文字に結んで鼻息を漏らすに留め、「むしろ言いふらした方がいいのか」と呟いて語り始めました。
自身が何故、腐肉漁り稼業をしているかについて。
「俺には、娘がいたんだよ。
目に入れても痛くねえ娘のつもりで、娘のために真面目に頑張ってきたんだよ。
だけど……その娘に対する復讐のために、今の生き方を選んだんだ」