三ツ首の舞い
「虹式煌剣!」
「「「わぁ~!」」」
「腹の立つ回避方法を……!」
フェルグスさんはレムスさんの分身を早急に片付けようとしました。
そのために――全ては無理でもどれかが落とせればいいと――薙ぎ払いを敢行したものの、魔刃を読んでいたレムスさんは跳躍で回避しました。
単に跳ぶだけなら回避しきれなかったでしょう。
ですが必殺の間合いにはやや遠く、三体に増えたレムスさんがそれぞれレムスさんを蹴り飛ばす事でレムスさん二体を逃し、残された一体は飛んだ二体が腸をロープ代わりに引っ張り、迫る魔刃を寸前で回避させていました。
「あわわ、今日食べたもんが超もれちゃう」
「うんこだーーーー!」
「戻せ戻せ、無理やり戻して再生させとけ」
「若殿!! 子供も観戦しているのでもう少し……慎みをッ!!」
「「「やーだよ!」」」
老戦士は思わず舌打ちしました。
相手の挑発に対してではなく、三体に増えた人狼への対策に難儀しそうである事に対し、渋い顔をして鼻息を漏らしたのです。
ですが、「これは勝てない」とは思いませんでした。
極端な話、これは単なる三対一の戦い。急に一人が三人に増えただけであり、老戦士は人狼相手であっても三人同時に相手取った事は、当然、初の経験ではありません。もっと酷い人数差の殺し合いを強いられた事もあります。
その経験から「いや、むしろ三対一よりもマシだ」と考えていました。
老戦士は分身の魔術と分身をしてくる相手への対処は心得がありました。
相手が三体の人狼に増えたとはいえ、それは三人ではなくあくまで三体。対峙しているのは一人だけであり、一人の処理能力には限界があるのが普通。
三人それぞれ独立した思考で動かれるのと比べたら――。
「全ての動きが一人の意図で連動するゆえ――」
「「「…………!」」」
「そこからの予測も可能なのですよ、若殿」
全方位への三体同時攻撃に見舞われつつも、相手の動きの「意図」を読み切り、二本あった剣をそれぞれ突き出してきた二体の人狼に剣を振って突撃を止め、直ぐ様背後に飛び、見向きもせずに後ろに迫っていた空手の人狼を穿ちました。
振るわれた撃は剣でも拳でも蹴りでも無く、後方への肘鉄。
迷いなく打ち込まれたそれは人狼の一体を弓なりの状態で吹き飛ばし、老戦士はそれに追いすがるためにターンしつつ――さらに一工夫凝らしました
「解呪――」
「あっ! くそっ……! それは止めろ!」
「お断りします」
飛ばされた一体が大剣で斬り飛ばされ、真っ二つで転がっていきました。
肘鉄を食らっていたとはいえ、それだけで身動きが取れなくなるほど人狼はやわではありません。斬るまでの過程で対処が難しくなる工夫を入れたのです。
まず使われたのが解呪魔術。
魔術を消す、あるいは効果を薄める魔術殺しの魔術を老戦士は周囲に撒き散らしていました。これで完全に消された魔術はありませんでした。
ですが、分身の動作はそれで滞りました。
「この程度の解呪で分体の動きが鈍るのは、まだ慣らしが足りんようですな」
「ぐぬっ……」
レムスさんの分身は魔術的なもの。
本体はともかく分体の方は本体からの指示を魔術で受け取り、遠隔操作されているがために指示のための魔術を解呪で乱されると、如実に動きが鈍りました。
また、解呪魔術はもう一つの意図が込められています。
観測魔術を乱すという意図も込められ、行使されていました。
これも本来なら大きな効果は及ぼさないものですが――。
「若殿の分身魔術はまだ、若殿本体の視覚しか無いようですな」
「ええい、わざわざ言わなくていい……!」
分体の方にある目は飾りに過ぎません。
ゆえに老戦士は追撃の最中、飛ばされた分体と取り残された本体との間に割って入る形で追いすがり――大剣を背後に回して本体が分体を見つめるための視界を物理的に塞いでいました。
観測魔術が十分に機能していれば、死角であってもある程度は確認も可能。ですがそれは老戦士の解呪魔術で乱されていました。
操作事体は受け付けるものの、視界を奪われた分体は本体の必死の指示虚しく、反撃の拳を突き出したところで避けやすい大振りしか突き出せず、容易くずんばらりんと斬り倒されていました。
斬りながら解呪で分身の役目も殺され、再生不可の肉片とされたようです。
「ちなみに、本体はそちらでしょう?」
「さっきの解呪魔術で乱れた動きで、見切られたか……!」
「違います。眼球の動きです。分体の飾り眼球と違い、こちらの一挙手一投足を正確に追ってそこから判別しました。次からは分体の方も、もう少し本物らしい挙動を身につけるべきかと」
「この短時間でそこまで見切れる化物フツーいねーよ!」
「私などまだまだ。普通はいないに関しては肯定しますが――」
老戦士はそこで一度言葉を区切り、不敵な笑みを浮かべました。
「普通の枠で収まり満足するなら、そこで驚いておられるだけで良いかと」
「あー! クソッ! わかってるよ! アンタ並みの化物は、数多くは無くても……まだいるからな! 今の俺だと上見てるとキリがねえ!」
「それでも目指されますか、さらなる高みを」
「ああ、俺はカンピドリオの次期士族長である兄者の剣だからな。アンタはもちろん、ウチのおふくろもブッ倒して、この国の騎士団長も近衛騎士隊長も、鴉のオッサンも全員まとめて倒して兄者の力になるんだ」
「その兄弟仲、少し羨ましく思います」
「入れてやんねーぞ」
「傍目で見ているだけで十分です。さて……今から若殿には負けて頂きますが、その分身魔術は中々に有用ですので、もう少し解呪に乱されないよう精度を上げ、可能であれば分体との視覚共有魔術も覚えられた方がよろしいかと」
「うるせえ! 舐めやがって! ご指導ご鞭撻ありがとうございましたッ! いい加減、本気出して来やがれ!! こっちはもう切る札がねえってのによ!」
「十分本気ですとも。まあ、手管は隠しておりますが……それは別の機会にでも」
「ムカツクぜ……っしゃ! 仕切り直す……!」
狼戦士は再び駆け始めました。
分体は残り1体。本体入れれば2体。
もちろん3体に増やす事も可能ですが、生成時の隙を突かれるのを嫌いました。これもまたもう相手にとって初見ではないのです。
生成中のところに魔刃を飛ばされたら分体ごと、消し飛ばされかねない――と判断したがゆえに2体のまま走り出しました。
老戦士は飛び込んでくる狼戦士が遠隔で起動してきた体毛の魔刃を躱しつつ、大剣で地面を抉り、土埃を巻き上げ、人狼に向けて飛ばしました。
それは分体対策の解呪魔術も込められた動作で――。
「ッ……!」
「虹式煌剣」
最後の分体が魔刃に飲み込まれ、消し飛びました。
見えない視界で大きく横っ飛びしたものの――分体の肉の動きから――飛び退る方向を読み切った老戦士に跳躍中のところを打ち滅ぼされたのです。
分体を消し飛ばした最中も老戦士は動きを止めませんでした。
魔刃を振り抜き、振り抜いた勢いで走り、青年の眼前で再び剣を抜きました。
「此度はこれにて、おさらばです」
「くそっ……!」
レムスさんの心中には、もう勝ち筋が見えていませんでした。
全ての策を使い切り、もはや逃げ回る事も叶いませんでした。
再生能力に優れている人狼相手でも、一撃で仕留めてくる業を相手が持っている事を自覚していたがゆえに潔くやられるべきだ――という考えが過るほどでした。
こうして彼は諦めました。
今回は、諦めた筈でした。
「にいたーーーーん!」
「ッ……!」
「がんばぇ~~~~!」
舌っ足らずな応援が耳朶を叩く、その瞬間まで諦めていました。
重度のシスコンであるレムスさんは諦観に呑まれつつあった意識を叱咤し、もはや腕一本分すらない距離に迫った大剣を敵を見つけました。
受ける事は、即ち敗北。
相打ちに持ち込む事すら許してもらえない窮地。
回避は――可能であると、彼は判断しました。
「シッ――――!」
「…………!?」
老戦士は驚きつつ、大剣を振り抜きました。
人狼の胴体のド真ん中を大剣が通過。
通過しましたが、それは回避動作でした。
人狼が自身で体をねじりつつ、胴体部分で自身を真っ二つにしたのです。
ただそれは単なる蜥蜴の尻尾切りには収まりませんでした。
回転する人狼の上半身と下半身が――大剣が完全に通過した後――お互いに蔦を絡め合うように血管と血管が引っ張り合い、二身から一体へと合体したのです。
「無茶を……!」
「勝ちゃあいいんだよ!!」
人狼ならではの無茶に対し老戦士は文句を吐きましたが、狼戦士は満面の笑みで――再生が終わりきらないうちから――最後に残っていた剣で斬りかかりました。
それは大剣を捨てた老戦士に阻まれました。
双拳を構えた老戦士が剣を横っ面から殴り飛ばし、剣が振るわれたのとは逆の手から繰り出された手刀には手刀で応えて防ぎました。
その上、人狼を蹴りで飛ばしつつ――空手で追いすがり――トドメを刺すべく、脚を下ろした後に前へ出ようとしました。
凌ぎきったと、思ったのです。
それは老戦士の焦りから生じた前進動作でした。
前進ではなく防御を優先していれば、この後の連撃は完全に防げていました。
「――――」
「――――ッ!」
レムスさんは既に最後の手を打っていました。
それは、彼の口から繰り出されたものでした。
動作としては血痰を吐きつけるようなもの。
ですが狼の舌を折りたたみ、レールとして魔術も使って打ち出されたそれは弾丸並みの速度で飛ばされた真っ赤な針でした。
吐き撃たれた弾の正体は血を媒介とした針型の魔刃。
焦った老戦士の不意を、完全に突いていた奇襲でした。
肌に撃たれていれば、防護の魔術でも致命傷は防いでいたでしょう。
しかし、魔針の狙いは眼球。
柔らかい眼球から脳に送り込む事で狼戦士は勝利を掴もうとしました。
魔針は刺さりました。
見事に眼球を捉えました。
老獪な老戦士ですら、まともに眼球に針を刺されていました。
ですが、それでもなお――。
「手刀にて失礼――」
「ん、な――」
老戦士は構わず動いていました。
完全に決まったと見た狼戦士の不意を突きつつ、老戦士が追撃を仕掛けました。
追撃は拳ではなく手刀。
魔術で強化されたそれは人狼の胸部に杭のように突き入れられ、内部の心臓をぐちゃぐちゃに引き裂きつつ、内側から二つの魔術を行使しました。
一つは再生を阻害するための解呪魔術の直打ち。
もう一つは、獅子系獣人の女性が言っていた「行動を縛る業」でした。
「掠め荒らせ――略式煌剣」
「カッ――――ハッ!!!」
手刀にて振るわれたトドメの魔術に対し、人狼は抵抗しました。
震える手で何とか相手の腕を掴み、握りつぶして引き抜こうとしましたが老戦士は腕を硬化してそれを防ぎつつ、人狼の無力化を開始しました。
カンピドリオの人狼は優れた超再生能力の持ち主。
ですが、まったく対価無く振るえる能力ではないのです。
魔術の一種であり、他と同じく再生に魔力を必要としているのです。
老戦士の振るう剣は、その魔力を奪い尽くす魔技でした。
「ひ、人の魔力、盗ってくんじゃねぇぇ……!!」
「一晩寝れば若殿なら完全に元通りですよ――ですが、今日は負けていただく」
「くそ、がァ……!」
「貴方様が勝利を贈りたい相手がいるように、私もカッコつけたい相手が応援に来てくれているのですよ。ゆえに興業とはいえ、負けるつもりはありません」
フェルグスさんの虹式煌剣はとても燃費が悪い魔術です。
並大抵の者なら一発と放てず、放てたとしても一発で魔力枯渇。
該当する魔術の適正があり、振るい慣れている老戦士や魔技を授けた彼の師匠で無ければ自前の魔力で何十発と振るう事は出来ません。
振るう事が出来てもあくまで数十発だけなので、どちらにせよ燃費の悪い業です。威力は高かろうが長期戦では振るい過ぎると魔力切れに追い込まれます。
略式煌剣は、その魔力切れ対策の業でした。
武器あるいは手刀で相手を斬りつけ、突き刺す事で攻撃を媒介に相手が持つ魔力を吸い取り奪う業で、これによって魔力補給を行った老戦士が百を超えてもなお振り続ける魔刃の砲撃は時に災害の如く、魔物の群れを討滅してきました。
魔力という根幹を支えるという意味では主たる攻撃手段となる虹式煌剣よりも重要な業なのです。また、魔力を吸い取れるという性質上、人狼のような相手であっても魔力切れによる敗北に追い込む事が可能でした。
複数の魔技を振るう歴戦の大英雄。
それがクアルンゲ商会のオーク、絶倫のフェルグスその人でした。
「ああああああ! やばいやばいやばい! マジでやられるうううう!」
「しぶといですなぁ……」
「こっちから口から放った魔針当たったじゃああああん! なんでアレ受けて倒れてねええんだよおおお! 痛えだろおおおおお!?」
「もちろん痛いのですが、脳まではやられず済んだので」
「うそっ」
狼戦士は改めて敵の顔を見つめました。
確かに魔針は眼球に突き刺さっていました。
ですが、これまた確かに脳にまでは達していなかったのです。
「瞼で掴み、止めさせていただきました」
「うわ、白刃取り……」
「眼球には突き刺さっているので取れていませんよ。まあ、あとで治癒します」
かくして人狼は敗北しました。
ですが、この敗北すら糧としていきました。