若手のホープVS歴戦の大英雄
狼の戦士とオークの老戦士の戦いは、暫し立ち止まったまま始まりました。
ですがまったくの不動だったわけではありません。
狼の戦士が無造作に双剣を投擲したのです。
「む……!」
「挨拶代わりだ」
投げられた双剣は真っ直ぐに老戦士に向かいましたが、同時に投じられたものではなく、間隔を置いて一足に斬り払うと片方を受け損ねかねないものでした。
老戦士は開始間もなく武器を投ずる動作に半ば不意をつかれつつ、冷静に大剣の腹で受けつつ――さらに飛び退っていました。
それは、僅かに遅い回避動作でした。
投じられた双剣に隠れ、やってきた本命を避けきれない回避だったのです。
「ほい、かかった」
「…………!」
狼の戦士が空っぽのはずの指で何かを掴みつつ、親指を鳴らしました。
闘技場内に微かに響いた魔術は音速で老戦士の周囲に届き――双剣に張り付いて隠し運ばれていた物と反応し――無数の光刃を空間に生やしました。
光刃はセタンタ君が老戦士に振るった魔槍と似た存在でした。
魔槍と同系統の魔術の刃――魔刃です。
違うのは少年冒険者が歯噛みするほど質が――精度と強度と威力が違うという事でした。それはほぼ同時に老戦士に突き刺さりました。
刺さりましたが、貫通はしませんでした。
「うわ……受けるか、結構自信あったのに」
「硬化による防護も嗜んでおりますので」
魔刃は確かに当たりました。
ですが、老戦士が自身の体表を魔術で硬化し受ける事で刺さり切る事はなく、出血前に治癒魔術で自らを癒やした老戦士は実質無傷で終わりました。
「踏み込みが浅い――以前に、軽い刃で助かりましたな」
「言うねぇ」
「挑発ついでに若殿、一つ言わせてください。本日は闘士なのですから、場が盛り上がりきる前に必殺を持って殺しにくるのは控えられた方が良いかと」
「知らねー! 俺、八百長死合とか苦手だから~!」
「まったく……」
「続けていい?」
「ご随意に」
言葉躱す二人の間で動くものがありました。
レムスさんが投じた双剣です。
その柄の部分に糸のようなものが結ばれており、糸はレムスさんの手元まで伸び、いままさに一足に手繰り寄せられ、手中へと戻っていきました。
老戦士はその様子と糸らしきものの存在を認識しつつ、先ほど硬化による防がなければ致命傷を与えられていた攻撃の正体を考察し、ほぼ正解に辿り着きました。
辿り着いた事で当初の予定より――以前、青年に請われて戦った時の倍以上の警戒を相手に向けました。強敵であると戦士の嗅覚が決したのです。
同時に敵方に地の利を取られつつあることを悟りました。
「これは長期戦になればなるほど……私が不利のようですな」
「おっと気づかれたか。さあてどうする、先輩冒険者!」
「こうします」
老戦士は「代理闘士」ではなく「戦士」の意識で大剣を振りかぶりました。
「露と滅せよ――」
「アッ! それはずりぃ……!」
「虹式煌剣」
振り抜かれた大剣は巨大な光跡を空間に残りました。
老戦士の魔力が大剣から薙ぎ払いの光刃として放たれたのです。
これもまた一種の魔刃。ただ、規模と破壊力は先ほど狼戦士が振るった魔刃とは比べ物にならないものとなり――闘技場の大地と敵対者を抉り飛ばしていました。
老戦士がこれまで数多の魔物を屠ってきた必殺の一撃。
並みの冒険者も100人単位で楽に鏖殺する一閃。
ただ、老戦士は「虹式煌剣だけで倒れる楽な相手ではない」と判断していた事から会場が驚き湧く中、直ぐ様追撃を仕掛けるために走りました。
走った先にて、鋭い切っ先に襲われました。
切っ先の主は当然、狼戦士が振るう双剣のうち一つ。
ですが担い手の身体は右の上半身が見事に消し飛び、頭も3分の1が抉れ、右目は眼球がほぼ全て露出しているというグロテスク極まりない状態でした。
双剣は両方とも健在。
ですが、片手が消し飛んで保持で出来なくなったため、右手の剣は胴体に自ら差し込んで持っておくという無茶な手段を使っています。
「容赦ねえオッサンだぜ……!」
「その程度で死ぬ御仁では、ありますまいッ!」
「まあな!」
狼戦士は土煙の中から突き出した突きが当たり前のように逸らされたやいなや、直ぐ様飛び退りながら――逃さんとばかりに距離を詰めてくる――老戦士と斬り結び合い、左半身を前にフェンシングのように突きを入れました。
その突撃は受け、流されましたが――。
「――――」
「――――!」
狼戦士は更なる連撃を加えました。
刺突により伸び切った身体は、即座には次の動作には入れません。
されど、彼は人狼。
超再生能力を持つ人狼は左半身を衝立に右半身を一瞬で再構成。
同時に踏み込んでいた左足の膝関節を中心にぐるり、と横方向へと回転させていました。人間としては有り得ない動きです。
彼は人狼変生に当たって体表だけではなく、内部構造まで変化させていました。
その一つとして両足の膝関節を人形の如き球体関節としたのです。
球体となった間接を軸に骨と肉を軋ませつつも無理やり動かし、常人には不可能な動きをしていました。人狼ですら並みの者では出来ない戦闘行動ですがカンピドリオ士族に伝わる業の一つです。
刺突はあくまで囮。
受け流させる事で相手の受け太刀を――老戦士から見て――右側に移動。
そこから球体関節による体捌きで老戦士のガラ空きの左懐へ距離を詰め、再生させた右腕による手刀による肝臓打を敢行。
殺った。
若き狼戦士は必殺を確信した刹那、失策を知りました。
敵が大剣を捨てていたのです。
老戦士は手練であり、豊富な戦闘経験の持ち主でした。
人狼との殺し合いも嫌になるほど積み、対人戦闘も数多く経験してきました。
数多くの敗北も経験してきました。
彼は大剣を使う事を好み、それは対魔物では断頭台の如く活躍し、大剣による防御術は必殺への連撃や激しい攻勢を凌ぐのに大いに役立ちました。
ですが、それでも大剣を使うからこそ存在する「負け筋」に晒されてきました。
矢じりよりも弾丸よりも素早く動き、大剣の間合いの内側に滑り込んできた相手の重い一撃で脇腹を抉られ、敗北するという経験をしてきたのです。
丁度、いまと同じ流れで負ける事もありました。
当然、彼は対策を立てました。
対策が獣人の青年に容赦なく振るわれました。
「――――」
「ぶ、ベェッッッ!!?」
人狼の鼻面が、文字通り潰されました。
それを成したのは老戦士の振るう鉄拳。
人狼を常人として扱わず、「それぐらいはしてくるだろう」と予測していた老戦士は青年の刺突受け流し後、即座に大剣をリリース。
予測通りに動いてきた人狼の鼻面に対し、人狼ならぬ常人らしく――あるいはボクサーのように――ぐるりと回して最短距離から拳突敢行。
魔術で強化された鉄拳の回避不能を悟った人狼がダウン覚悟で身体を弛緩させてなお、狼の鼻先から顔面に至るまでを潰され、受け損ねて膝までへし折られながら大地に折りたたまれ、土に跳ね返され反射跳躍。
その間も老戦士は宙に放られた大剣を肩で受け、体表を滑らせ再び手で握ろうとしつつ――人狼が逃げないように相手の下半身を踏みつけていました。
相手はカンピドリオの人狼。
脳みその欠片一つ残せば再起する者すらいる、化物中の化物。
打倒する手段は3つ。
シンプルに肉片一つ残さず抹殺する。
脳を揺らして意識を刈り取る。
残る三つ目の勝ち筋を、老戦士は実行しようとしました。
人狼が悪足掻きしていなければ、ここで実行出来ていたでしょう。
それは微笑ましさの欠片もない悪足掻きでした。
「ア゛ア゛ア゛アアアアアアアアアァァァァァァァッッッ!」
「ぬッ……!」
人狼は潰れた口を再生させながら咆哮をあげました。
魔術的な咆哮は音響兵器として敵対者の全身を強かに打ちましたが――それすら予測していた相手は余裕を持って受けきりました。
ですが、ほんの一瞬……コンマ1秒以下……攻撃が遅れました。
その隙に人狼は下半身を捨てました。
押さえ込まれている下半身を――ヘソから下をトカゲの尻尾切りの如く、ずるりと捨て去り、腕だけで器用に飛び跳ね、相手の攻撃を回避――――。
「虹式煌剣」
「ン、ゲッ――――!?」
容赦の無い、追い虹式煌剣に襲われました。
回避不可能な一撃でした。
口から下が全て消し飛び、残った頭も大半が死に向かいました。
それでもなお、即死は避けたからこそ――瞬きの最中で全身再構築しました。
「クッッッッッッソ――――!!」
「若殿、以前の立会より再生能力が――」
「いってえええええええええええええええええええええーーーー!!!」
「向上されておられるようですな」
「うん。ああ、叫んだらスッキリした~」
老戦士は「こっちはスッキリし損ねたのですが」と文句を言おうとしたものの、それを飲み込んで――振るった鉄拳に突き刺さっていた光刃を抜きました。
殴った際に刺されていたのです。
致命傷には程遠く、治癒魔術による再生も――人狼には遥かに及ばないものの――可能ではありますが、暫しの動作不良に襲われる事となりました。
老戦士はその事に憮然としつつ、抜いた光刃を分析しました。
正確には光刃の骨子となっている人狼の一部を手に取り、見つめました。
「やはり、体毛を魔刃の媒体にされていたのですな」
「おう。自分の身体の一部は良い魔術の媒体になるから、兄者みたいに複雑な魔術使えない俺でもいくらかは使えるようになるんだぜぇ~」
「度し難い全身凶器ぶりですな」
「もっと褒めて」
セタンタ君の場合、愛槍を媒介に魔槍を振るいました。
レムスさんの場合、人狼となって生えそろった全身の体毛一つ一つにそれぞれ魔刃を生やす事が可能となっています。毛一本が長剣並みの光刃へと化けるのです。
フェルグスさんに殴られた際も避けながら――ハリネズミの如く――数本の毛を魔刃に変じさせ、カウンターを食らわせていたのです。
初動でも剣の投擲を囮に体毛を老戦士の周囲に送り込み――遠隔で――魔刃魔術を起動して切り刻もうとしました。
攻守共に使える性能のうえ、任意で地雷の如く起動出来る体毛は闘技場の大地どころか空気中に舞い散り、地の利を取ろうとしています。
毛を結んで一本の糸のようにする事も可能で、それを剣の柄にくくり付けて鎖鎌のように使い――時に毛糸そのものに刃を纏わせる事も可能としていました。
老戦士なら身体硬化で中空の魔刃を防ぐ事は不可能ではありません。
ですが、常に対応にリソースを割かれる事になりました。
お互いにそれを自覚し合いつつ、再び刃を交えていきました。
身体強化魔術フル活用で疾駆する二人は走るだけで凄まじい土埃が舞い上がり散、交される剣戟は火花と撃音を鳴らし、観客達を熱狂させました。
「当然、使えるのは毛だけじゃあ――ねえッ!」
「む…………!」
老戦士が狼戦士の蹴りを大剣の腹で受け、飛ばされました。
魔術込みの人狼の蹴りとはいえ、老戦士は受けきれるつもりでしたが――人狼の脚部内にて筋組織がゴムのように稼働し、骨をパイルバンカーの如く打ち出し、蹴りそのものの激突と同時に打ち込まれた事で威力を倍増させたのです。
人狼は自傷行為によりズタズタになった脚を再生させながら体毛を投げナイフのように放ち、空中の老戦士に投じ――それらを魔刃へ。
老戦士は無数の刃を大剣ではなく腕で受けました。
光の刃が突き立つのに構わず腕で防ぎ、大剣はサーフボードのように自身の下へと送り、それに搭乗。多くの観客が奇怪な行動に首を捻りかけましたが――。
「爆ぜろ」
人狼が指を鳴らすのと、ほぼ同時。
老戦士が着地する筈の大地が半径10メートルほどを巻き込み、爆ぜました。
空中の老戦士はそれを予測して大剣で受けたものの、完全には受け損ねて体表をジリジリと焼かれ――さらに空中に跳ね上げられる中、見ました。
人狼が空を横薙ぎに蹴り飛ばすのを見ました。
それは凄まじい勢いの蹴りであり――足先から何かが飛んでいました。
赤々とした液体――血です。
血が放水のような二本の筋として空を侵しました。
その血はつい先程、大地で爆ぜたものと同じものでした。
「喰らえ、母上様直伝……!」
「血液を爆破するとは……!」
「二重、血閃衝ッ!」
「虹式、煌剣ッ!」
血液を媒介に起動した爆撃の魔術。
大剣を媒介に起動した光撃の魔刃。
二つの破壊が空中で一瞬、鍔迫り合い――後出しのものが僅かに勝りました。
「ッ……! オイオイオイオイ、血閃衝も防ぐかよ……!」
「いやいや、今のは流石にヒヤッとしましたとも」
「カーッ! 歴戦の大英雄サマは貫禄が違うねえ。クソむかつく」
「貫禄ではありませんよ。単なる、技術です」
「俺もそれ欲し~! 欲しいから……今からアンタをブッ殺して手に入れる」
言葉を躱した二人のうち、老戦士の方が地を蹴り距離を詰めていました。
意図としては「時間をかければかけるほど、足の踏み場にも困るほどに地の利を取られる」と考えたがゆえのものでした。
魔刃による薙ぎ払いで敵の仕込みを消し飛ばし、リセットする事は可能ですがそれも完璧ではなく――何より、老戦士の必殺剣は振るい慣れている本人によっても燃費が良い業ではありませんでした。何十発も放てばさすがに魔力が枯渇します。
狼戦士も相手の突撃を回避と後退で凌ぎ、一見すると体毛と血を活かした長期戦に縺れ込む狙いのように見えました。
ですが、レムスさんをよく知る人物は「そうではない」と知っていました。
獅子系獣人の女性もその一人でした。
「攻めあぐねてるわねー……」
「えっ? 毛とか血とか撒き散らして長期戦狙いじゃないの?」
「いやいや、ありゃ手詰まり気味なのよ」
アタランテさんは手を軽く振りつつ、パリス少年に告げていきました。
「人狼って丈夫なうえに体力あるし、レムスの場合は魔力もまだまだ余裕あるわ。全身血まみれだけど出血止まって再生で健康体そのものなんだけどねー」
「さっきの血で炎ブワアアアなヤツ、撃ちまくったりしないの?」
「まだ撃てるだろうけど、アレじゃ攻めきれないって判断してるんでしょうね。出来るんだったらさっさと畳み掛けてるわ。地の利はレムスが無理やり握っていってるけど、時間は向こうにも味方する」
「フェルグスの旦那も、罠を仕掛けていってんの?」
「いや、見切っていってんのよ」
初見の業は脅威です。
それはフェルグスさん自身がセタンタ君と手合わせした際、よく聞かせた通りに認識しており、此度の戦いでレムスさんが見せた「毛を使った魔刃」「血閃衝」は老戦士にとって対応し辛い業でした。
ですが、それはもう初見ではなくなりました。
「罠でも業でもあえて見せる事で、相手の行動を封じる役割を果たす事もある。例えば、フェルグス公が相手の行動を縛ってる業は何かわかる? パリス君」
「えっと、やっぱカラドボルグかな」
「正解」
老戦士が振るう魔刃は離れた場所にいる相手だろうが、斬り伏せます。
ですが、派手なうえに魔力の塊ゆえに不意打ちの狙撃にはあまり向きません。正面から迫ってくる巨大な光刃は敵方に警戒心と即時対応を促すため、離れれば離れるほど回避しやすくなっていきます。
逆に近ければ近いほど、避けづらくなります。
大剣の間合いの外――切っ先が僅かに届かない場所であれば回避はほぼ不可能。かといって受け切るには相当の守りの術に優れているか、即時再生するだけの再生能力が必要となります。
一撃受け切るだけでも可能な人材はかなり限られますが、さらなる連撃に繋げられると殺されずに済む人間はバッカスでもそうはいません。
カンピドリオ士族でも大半が一撃目で脱落。
二撃目でさらに篩にかけられ――レムスさんですら、不意を突く形で命を繋いでみせただけで次は回避できるか本人でもまったく自信が無いほどでした。
「都市郊外なら、まあ勝てないにしても何とか逃げ切り図るって方法もあるけど……闘技場であのオーク倒せるの人材は、そうはいないわ」
「そうなんだ……やっぱ、旦那はスゲえ……!」
「ちなみにレムスの行動を縛ってる業は、あともう一つあるわ」
「えっ、そうなの?」
「その業で斬られたら、カンピドリオの人狼でもヤバイのよ……。再生能力でどうこうなるものじゃないから、レムスも今日は近接戦闘控えてるぐらい」
「アレで控えてんの!?」
「メッチャ控えてる。実際、魔刃の方はさておき、大剣に直接斬られてないもん」
「あ、そっか……レムスさん、人狼だから……」
パリス少年はつい先日の事を思い出していました。
首都地下で出会った超再生能力の持ち主――自分が戦った人狼の事を。
「人狼の再生能力あるなら、斬られるの覚悟で組み付きにいけば……」
「そのまま身体で武器を絡め取るなり、へし折るなりして再生能力でゴリ押し、っていうのがカンピドリオの人狼がよく使う戦術よ。一撃で殺しきれないとメチャクチャ面倒なのよね……」
「それをやらない理由が、旦那が相手の行動を縛ってるもう一つの業?」
「うん。まあ……レムスが負けるようなら、多分、見れるわ」
そうならないでよ、と心中で祈りつつ、アタランテさんは幼馴染の青年が戦う様を黙り、見守りました。決着が近づいている事を予感しながら。
レムスさんもまた、決着が迫っている事に気づいていました。
対峙している老戦士が初見の業以外にも全ての動きを見切り始めたのです。
青年の今現在の限界を見切り、大胆に攻め手を増やし始めて来たのです。
攻撃は防がれ避けられ、一手上回ったと思った矢先を大剣や拳、大剣で地面を抉り突きながらそれを突撃の助けとしつつ繰り出された蹴りを胴体に食らい、内臓を風船のように破裂させながら蹴り飛ばされていきました。
攻撃どころではなく血を吐いて飛び退りつつ、青年は勝ち筋を模索しました。
いまやれる新手は全て試しました。
此度の戦闘は遭遇戦ではなく、事前に取り決めが合った戦闘であり、自分が誰と戦う事になるか知っていたレムスさんはどう勝つかをよく考えてきました。
それが全て防ぎ、潰され、追い詰められています。
青年と老戦士の戦闘は今回が初ではありません。
武闘派のカンピドリオ士族は実戦そのものだけではなく、実戦形式の訓練――お互いの命を取り合う死合は日常茶飯事。青年も幾度なく戦ってきました。
士族内部だけの戦闘のみならず外部から優秀な戦士を招き、稽古相手となってもらう事もあり、二人はその場で何度も戦ってきました。
戦績は63戦62敗1引き分け。
ほぼ全ての立ち合いでレムスさんが敗北を喫していました。武闘派士族の未来を背負って立つ事が期待され、それに相応しい実力を身に着けていきつつある彼でも――バッカス最高峰の実力者には、未だ抗しきれていないのです。
しかも、63戦全てが手加減された戦闘でした。
青年はその事も知っていたからこそ憤り、自身と士族の未来のため――勝利のために奮い立ちましたが、全ての未来を斬り殺されていました。
「どうする――」
青年は自問しました。
改めて勝ち筋を検討しました。
「速さと再生能力、地の利は、こっちが上――」
それ以外の全ては劣っています。
再生能力はさておき、速さも圧倒的な差があるわけではありません。
攻め手は全て見切りによる「後の先」で十分以上に対応されつつありました。
「無様に逃げまくるのも手だが――」
正面から痛快に勝つ事こそ、彼の本懐でした。
ですが必要であれば卑怯な手も使います。
過程より結果を尊ぶべき事は彼も異存ありませんでした。
ゆえに長期戦に縺れ込んで相手がミスを犯すまで全方位から攻め立てるのも手。
「でも、こりゃ、逃げ切らせてもらえなさそうだな……!」
戦闘経験にも裏付けられた彼の計算は逃げ切れないと警笛を鳴らしていました。
都市郊外であれば勝利は出来ずとも、逃げ切る事は可能だったでしょう。
ですが老戦士は巧みに青年を闘技場の端に追い詰めつつありました。
青年はそれを悟りつつも老戦士が振るう虹式煌剣に行動を制限されていました。下手に脇を抜けようとした瞬間、魔刃が容赦なく飛んでくるのです。
「強え……! 流石は士族の最強と互角で殺しあえる男!」
「私は、若殿の御母堂ほど強くはありませんよ」
「抜かせや。おふくろ言ってたぞ、アンタに切り札使われたら五分五分ってな!」
青年は「負けず嫌いのあの人に、そこまで言わせるお人だけあるぜ」と付け加えつつ――会話の最中に隙を見出そうとしましたが――無理でした。
話術で揺るがせるほど、容易い相手ではありませんでした。
ただ、一つ改めて思い出す事がありました。
相手は切り札は使わずに手を抜いてなお、青年を圧倒してきています。
それは今までの63戦全てがそうでした。
ですが、彼の戦績は63戦63敗ではありません。
63戦62敗1引き分けなのです。
青年は数少ない「引き分け」に活路を見出そうとしました。
もう何度も検討した引き分けについて考えました。
「あの時は、兄者と組んでの2対1だったからな……!」
此度を除けば最新の戦いがその引き分けでした。
もっとも、その戦いでも人狼兄弟は地に伏す結果となりました。
相手方が切り札を切らないままに戦い、二人とも倒されはしたものの――過去最大の手傷を与え――相手方が「自己治癒出来る限界までやられた」という事を理由に「引き分けという事で」と言われた結末でした。
兄弟にとっては華を持たされ、情けをかけられた悔しい引き分けでした。
ですが、63戦の中で最も相手を追い詰めた戦いである事は確かだったのです。
「でも、いまは兄者いねえしなぁ……!?」
青年は困りました。
兄と連携しようにも、いまこの場では不可能です。
2人以上で組み戦う事も出来ません。
「ああ、でも、こうすればいっか!!」
「む…………むうッ!?」
老戦士が目を見開き中、青年が双剣を振るいました。
自身の身体に対して振るいました。
観客はその行為が罠のための血肉を用意するための自傷行為だと、思いましたが――実際の意図は罠とは言い難いものでした。
双剣が行った腑分け。
人狼の身体を三分割にし――さらに超再生で欠損を取り戻していました。
三分割された肉がそれぞれ、人狼として増えていったのです。
「おっ! やれば出来るもんだなぁ!?」
「やったー、新必殺技開眼だぜ」
「戦いは数だよ兄者!!」
「ちょっ――待たれよ! 待たれよ若殿!!」
老戦士は流石に慌てて叫びました。
レムスさん一人が、三人に増えていたのです。
「土壇場で何を、閃いているのです!?」
「「「分身の術! さあ、決着つけよーぜええええええ!!」」」
「これだから……これだから、天賦の才を持つ者は……!」
三人分の人狼が「わぁ!」と楽しげに突っ込んでくる最中。
老戦士もまた笑みを浮かべ――しかし、切り札はあくまで温存しました。