贋者の少年
「パリス君、正式にウチの子になりませんか?」
「…………」
パリス少年は、それが自分に向けられた言葉だとは思えませんでした。
一瞬、ポカンと口を開いて、振り返りそうになったほどでした。
呆けた後、自分の事を指差して自分の目の前に座る男女に話しかけました。
「え? お、オレ……?」
「そうですよ。ウチの子とはつまり、養子になりませんか、という話です」
「ウチの息子が引き取ったあの子と同じように、養子に来ないかという話だ」
パリス少年の目の前に座る男女はどちらも微笑みながら、そう告げてきました。
女性の方は黒髪エルフのエレインさん。
男性の方はこの家の主でオークのフェルグスさんでした。
二人は冒険者稼業をしつつ、住み込みでクアルンゲ商会で雑用もしているパリス少年に対し、他の誰かではなく、二人の養子として来ないかと誘いました。
パリス少年にとっては寝耳に水の話ではありましたが、フェルグスさん達にとっては少年を住み込みで引き取った当初から考えていた事でした。
決め手になったのは当然、少年の魔術の才――などではありませんでした。
「収監中のお前のお父上に面会してきて、お宅の息子さんをウチの息子にしたいのですが……と話もしてきた。まあ、喚いて断られたが」
「大事なのはパリス君の意志なので、面会の内容はポコンと忘れました。お母様の方は特に反対はしませんでしたよ。追い返されはしましたが」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ……な、なんで……オレなんか……」
「なんか、などと自分の事を貶めるのは止めなさい」
「貴方の事を息子として見守りたくなったと、夫と見解が一致しただけですよ」
「…………」
オークとエルフの夫婦の表情はにこやかなものでしたが、少年の表情は戸惑いが隠しきれないもので、二人の態度に別の感情が溢れ出してきそうになりました。
何かを言うべきだとは思っても、言葉が出てきませんでした。
黙り込む彼に対し、フェルグスさんが言葉を投げかけました。
「もちろん、親として見守りたいというのは私達の勝手な望みだ」
「…………」
「パリス。お前が嫌と言うなら、私達も養子に取るという事は諦めよう」
「い、嫌じゃ……ねえよ。で、でも……そんな話……」
「もちろん、パリス君が養子話を断ったところで嫌なら出て行けなどという無体な事はしません。というか、キミに一人暮らしさせるのはまだ不安ですからね」
「ああ。ずっとここで……お前が居たいだけ暮らしなさい」
「…………」
少年は目の前の夫婦の言葉に対し、複雑な感情を持っていました。
嬉しいとは、思っているのです。
寝耳に水の話であっても、ビックリしても、嬉しい誘いだとは思っていました。
どっしりとした大樹の如き養父と、落ち着いているようでイタズラっ子のようなところもある養母との生活は、憧憬を抱くに十分なものでした。
師匠である養母に稽古をつけてもらって、他愛のない話をしながら本当の親子のように一緒に食事をして……仕事で忙しくとも構ってくれる養父に訓練の成果を見てもらい、上手く出来たら褒めてもらう……そんな、穏やかな日常。
それに飛びつく事は、彼にとって実の両親への裏切りでした。
もっとも、父親は酒に溺れて息子を虐げ、挙げ句の果てには本当の犯罪者となり……母親は、そんな夫を見限り、息子の事も一緒に捨てていましたが……。
それでも、彼の本当の両親はそんな二人でした。
そんな二人が親だからこそ、養子縁組の誘いがとても眩しいものに思えました。
申し訳ないという感情がポロポロとこぼれてきそうなほどでした。
色んな感情が彼の胸中で渦を巻いていて、少年は戸惑い、泣きそうになりながらもそれらと向き合っていく事にしました。
向き合い、言葉を返していきました。
「オレは……旦那とエレインさんの息子には、なれないよ……」
「何故ですか?」
「そ、そんな資格ねえもん……!」
「資格。難しいことを言いますね! 言っておきますが、私はわりと母親失格ですよ。戦う事は得意ですが家事は正直、そこまで得意ではありませんからね」
「そこまで……?」
フェルグスさんが非常に何か言いたげな顔をしました。
エレインさんはそれを視線で黙らせつつ、「コホン」と咳払いして、「まあ、そこまでというのは言い過ぎですね」と自分の言葉を訂正していきました。
「武器強化魔術が得意過ぎて、うっかりまな板を切断して料理に大胆な木くずが入る事は認めます。我ながらドジっ子で可愛いですね」
「師匠、普通の調理に武器強化魔術は基本的に不要なのです……」
「ですが、それ以外の料理の腕は完璧ですよ」
エレインさんは「えへん」と豊かな胸を張りました。
「生食、焼き物、なんでもござれです」
「二種類……!」
「掃除は得意です。ゴミ屋敷を片付けた実績まであります」
「アレは……見事な、更地でしたな……?」
「お洗濯も得意です。新品同様に綺麗にしてみせますよ」
「師匠……それらは、師匠がダメにした服を……私が買ってきた新品です……」
「知ってますよ? おやおや、夫に貢がせる魔性の女ですね?」
「……………」
フェルグスさんは両手で顔を覆い、少し泣きました。
他の奥さんがいて良かった……と深く感謝し、家族の温かみを実感しました。
エレインさんは夫に対して静かに勝ち誇りつつ、少年を見ました。
「冗談を言うのは苦手で、母親として子供を導いたり、師匠として弟子を導くのも苦手です。でも、楽しくてあったかい日々を差し上げられるよう、頑張ります」
「…………」
「今ならフェルグスもついてきますよ」
「人を洗剤のように言わんでください」
「ふむ? 潤滑剤がいいのですか?」
「ああ、いや、それは商会の面接に来た就活生を思い出すので、洗剤でいいです」
「だそうです。ウチの夫は家族に優しい洗剤ですよ。私は、年下の夫にメロメロでいつも心洗われています。私と違って、懐の深い、良き父親だと思います。ちょっとどころではなくスケベですが、私は大して気にしてません」
「…………」
「他にも家族いっぱいです。皆にも相談したのですが、皆、ちゃんとパリス君の頑張りを見てくれていたので……おいでおいでと言ってくれてます」
だから、遠慮なくウチに来なさい。
エレインさんは強くそう言いました。
フェルグスさんも強く頷き、その言葉を後押ししました。
それでも――パリス少年は首を振りました。
「オレは、ホントに、旦那達に優しくしてもらう権利なんて……無いんだ」
「そんな権利は私達が決めるものだ」
「勝手に可愛がりますよ」
「だって……だって、犯罪者の父親がいて、犯罪にも加担したんだぜ……!?」
「その話なら、ウチで暮らし始めた初日に聞きましたね?」
「一緒に、お前が勤めていたところに謝りにも行ったな」
門前払いされたがな、と言ったフェルグスさんは頬を掻きました。
頬掻きつつ、追い払われてもなお、一人で通い続けている少年に対し、元の雇用主が「もう来るな」と肩を怒らせ言っていたのが、むっつりと「もう謝りに来なくていいんだ」と言ってくれているのを盗み聞きした事を思い出していました。
「そ、それにオレは……家族を見捨てて、バッカスに来たんだ……」
「その話も聞いた」
「その話は……子供の貴方に、抗えるような状況の話ではありませんでした」
悔いているのは知っていて、何とかしてあげたくても何とか出来ない事を、こちらも歯がゆく思っているんですよ、とエレインさんは心中で考えていました。
「ふ、腐肉漁りもしてた!」
「知っている」
「人の死体だって、漁った事がある……!」
「それも聞きました。ですが、それは誰にも頼る事が出来ない貴方が、やむなくやった仕事で、生きていくには必要な事だったんでしょうに……」
「お前が殺した相手なら叱るが、打ち捨てられていた死体だったんだろう?」
「そんなの……! オレが、ウソついてるかもしれねーじゃん!!」
「いや、そんな嘘はついていないだろう」
「ええ、確信を持ってそう言えます」
「何で……!」
「一緒に暮らして、一緒に食事をして……昨日は、貴方の涙を見ました」
「…………」
「パリス君を信用して大事にしたい私達を……信用してくれませんか?」
「…………」
パリス少年は膝の上で両手をギュッと握っていました。
言葉を出そうとしても、喉が詰まったように何も言えませんでした。
それでもせめて、首を振って返答しようとしました。
ですがそれはエレインさんの言葉に封じられました。
彼は養子話を申し訳なく思いつつも、目の前の二人の事を信用していて……二人への信頼を否定する事だけは、したく無かったのです。
喋れない少年の代わりに、夫妻は言葉を投げかけ続けていきました。
「お前が……バッカスに来る過程で、弟を亡くした事も教えてもらった」
「…………」
「パリス君自身に……いえ、弟君の、パリスという名を名乗っている貴方に、教えていただきましたね……」
エレインさんは立ち上がり、俯く少年の傍に近寄り座りました。
座って、少年の手を取って静かに語りかけ続けました。
「自分は偽名を名乗るような人間だから、家に置いてもらう資格など無いと……貴方はフェルグスに連れられて来た当日に、私達に教えてくれました」
「…………」
「本当の名前は教えてもらえてませんが……まあ、それはいいじゃないですか」
「師匠の仰る通りだ」
フェルグスさんも頷き、近づき、少年の直ぐ側に座り込みました。
俯く少年の肩を大きな手で触れて、話しかけ続けました。
「お前が弟を大事に想い、パリスという名を継ぎ、名乗り続けたいなら……それでいいじゃないか……。彼もきっと、喜んでくれている筈だ」
「貴方がやりたいようにしたらいいのです。それが善行であれば、私達は目一杯、貴方を褒めましょう。悪いことなら叱りますが、褒めて伸ばさせてください」
「…………」
「……私達の子供になるのは、嫌か?」
「…………」
少年は首を振りました。
一緒にいたいと、強く想いました。
やがて、言葉を紡げるようになると、彼は夫妻に答えを返しました。
まだ大人とは言い難い少年の身から言葉を振り絞り、答えを返していました。
オークとエルフの夫妻は少年の答えを聞き届けました。
聞き届け、少年の希望に従う事にしました。
いつか、彼自身の口から、本当の名を聞ける日が来る事を、祈りました。
その時はきっと……自分自身の事が大嫌いな少年が、自分の事を好きになれた時の事だと確信しながら、そんな日が来る事を祈り、少年の選択を受け入れました。
その日が来るまで見守りたいと、強く願いしました。