人夫の装備
セタンタ君が今回の遠征で一緒に山々を歩く事になる人夫さんや護衛の冒険者さん達と雑談をしながら待っていたところ、フェルグスさんが皆のところに戻ってきて「予定通りだ。そろそろ出発しよう」と言いました。
皆が群峰に入っていって間もなく、雨が降り始めました。
正確にはずっと雨が降っている領域へと足を踏み入れました。
「うへぇ、話には聞いてたけどトンデモナイ山だなぁ」
「お前はククルカン群峰に来るのは初めてだったか」
「近所までは来た事あるけど、中入っていったのは初めてだよ」
「これで小雨程度だ。上ばかりに気を取られず、遮られがちな視界に気をつけろ」
「うーい。それじゃ、そろそろ先行する」
セタンタ君が小雨と言うには間髪をいれず降り注ぐ大雨の中を走り、いくつもの小河が出来てしまっている岩山を上へ上へと登っていきます。
ここ、ククルカン群峰は一年の殆どを雨に打たれ過ごす事になる場所です。
雨が上がるのはとても稀な事で、群峰外縁部の一部が晴れる事はあっても中心部は岩の山肌を削りかねないほどの豪雨が続き、群峰全体の雨が止んだ事など数百年に一度程度の異常天候地帯です。
ひどい時は「バケツを引っくり返したような豪雨」を通り過ぎて「単なる上からの放水」というほどに雨が降ってくる事もあります。
ただ、それだけ雨が降るだけはあって群峰周辺は水に恵まれています。その水をバッカス王国は都市間転移ゲートを使って引っ張っていたのです。
バッカスの冒険者が挑む都市郊外はこの手の普通では有り得ない状況が発生している場所がいくつかあるのです。
晴れない霧に包まれた五里霧中の魔境。
一線を超えると重力が存在しない異常重力地帯。
河の水のように暴風の流れが巡り続けている大渓谷地帯。
一切の魔術が使えなくなる封魔の地。
衛星のように大地を巡り、飛び続ける空の島。
全裸で生活する事が許されている露出狂達の聖地。
近づくと孕むと噂のフェルグスさんの家。
ただでさえ危険な都市郊外をさらに危険にする――いや都市内も含まれてましたが――異常地帯がバッカス王国の内外には沢山あるのです。
ククルカン群峰はその中でかなり危険な部類として名が上がる場所です。フェルグスさんの家なら最低孕むだけで済みますが、この群峰では下手すると即死です。
岩山から群峰の中心部を見据えるセタンタ君の視界。
その中にいくつもの光の帯が大地を打っている場所がありました。
「遠目でも凄え事になってるな……」
セタンタ君がちょっとワクワクしながら見据えているのは雷です。
群峰は雨以外にも雷が日常的に降り注ぎ、群峰のどこかしらかで常に雷が鳴っています。それは度々、山肌を光と轟音と共に打ち据えているのです。
また、それらの雷は一度だけで済む事が無く、大抵、一度降り注ぎ始めたら少なくとも1、2時間は同じ山に降り注ぎ続けます。
雷そのものは基本的に雲の中を遊泳している大型の魔物の放電によって発生しているものであり、ある程度は進路を予測可能となっています。
仮にその魔物に見つかると雲の中から飛びながら追ってきて、人をガンガン狙ってくる指向性の稲妻が降ってくるので頑張って逃げましょう。当たらなくても直撃以外でも死ぬ時は死にます。
セタンタ君は魔物相手なら護衛として奮闘します。
キチンと特訓積んで強くなってきた子なので、そこらの魔物には負けません。
でも雷は100%保証しかねます。
今回の遠征においては「魔物」「豪雨による視界と足場の不順」「落雷による突然の死」などに注意していかなければなりません。
あと、雨による体温低下ですね。
それに関しては魔術でしっかり身体を温めておけばよく、それに加えて雨具で対策しておけばある程度はやり過ごす事が出来ます。
今回のセタンタ君に関しては湯屋のお姉さんがしっぽりが身体も装備も超撥水の加護を付与してくれているため雨具いらずです。キモいほど水を弾きます。
傘は手が塞がり、合羽は蒸し暑い以前に聴覚を阻害しかねません。そのためクアルンゲ商会の計らいと経費でセタンタ君を始めとする護衛の冒険者達は加護で雨に対応しています。
人夫さん達は、その手の加護はつけてきてません。
ただ、頭から雨に打たれるという状態にはなってません。
先日の雪山における採油遠征は物資運搬にソリを使っていましたが、今回は同じ手は難しいです。かといって荷車を使うには道が過酷過ぎます。ほぼ未整備です。
そのため、今回の人夫さん達は棚を背負ってきました。
背面、頭上、側面に連結した運搬用の棚を背負っているのです。
展開図を作るとカタカナのコの字型に近く、人夫さん達はコの字の真ん中部分に収まり、よっこらせと運搬用の連結棚を背負っている形です。
前方と斜め前方、そして足元が少し見える程度ですが一人あたりの運搬量が高まっており、魔術で身体強化をしている人夫さん達は数百キロの荷物を二本の足で歩き、ホイホイと運んでいっています。
格好が格好なので狭い崖道はカニ歩きで進む工夫をしないといけなかったり、魔物の接近をいち早く視界に収めるのはかなり難しいです。
その分、護衛の冒険者であるセタンタ君達がしっかりせねばなりません。
今回は雪山の時よりもしっかりせねばなりません。魔物に襲われてやむなく物資放棄なんてことをしたらクアルンゲ商会の取引相手たる円卓会が餓死して全滅~、なんて事になる可能性もあるからです。
そのため護衛は人夫さん達の傍についたり、斥候として補給部隊から少し離れたところを駆け回り、事前に魔物の存在や危険なルートの偵察を行うという役割分担をしています。
魔物の襲撃がありそうな隘路は一帯に潜んでいないかよく探し、時に殺し、対処が面倒な魔物は注意を引いて補給部隊から離れた場所に誘導していったりします。
人夫さん達と護衛の皆の努力、そして天候にも比較的恵まれた事もあり、一日目の遠征はつつがなく進行――
「おあーっ!」
補給部隊の進行方向から誰か叫び、走ってきました。
勢いつきすぎて崖っぷちを踏み越え、下の濁流へと落ち――落ちていくという事にはならず、宙を走ってきた勢いのまま飛んでいます。
飛んでいる人物は補給部隊に近づいてきました。
近づいてきて、「急いで急いで!」と皆を急かし始めました。
「どうした?」
「上! 来てる! 全滅待ったなし!」
宙にぷかぷか浮きつつ、大変慌てた様子で身振り手振りを交えて話しかけてきた誰かの声を聞き、僅かに気を緩ませていた補給部隊は慌てて道を急ぎ始めました。
急ぎ進むと人工的に作られた洞窟があり、殿としてついていたフェルグスさんがそこに飛び込むのと、そう離れてないとこに落雷が落ちるのはほぼ同時でした。
「――――」
洞窟に隠れたフェルグスさんが内部の皆を手で制し、雨のように立て続けに降り注ぎ始めた雷の柱――それを振るう主の姿のいる方角に目を向けています。
その主は美しく澄んだパイプオルガンの音色に似た咆哮を辺りに振りまきつつ、雲の中を泳いでいました。
雲は光るばかりでシルエットを浮かべ上がらせる事はありませんでした――が、一瞬、フェルグスさん達をまとめて薙ぎ払えそうな白く帯電する尻尾を雲間に覗かせ、しかし人々には気づかず雷撃のオーケストラを鳴らし始めました。
驚異的な火力の持ち主ではあるのですが、わりと鈍感なのです。
ただ万が一、雲からひょこっと顔が覗いた際に視界の内に収められようものなら怒り狂って追ってくるのです。迷惑なゲリラライブですね。
フェルグスさんは「今日はここで夜を明かし、明日、前線に補給物資を届け、再度麓へと戻るぞ」と補給部隊の面々に告げ、それを聞いた皆さんは冒険者ギルドが整備した人工の横穴に泊まる準備を始めていきました。
「おぉ~い、セタンタ~」
その最中、セタンタ君に近づいてくる影がありました。
それは補給部隊の危機を救うべく、慌てて観測結果を「全滅待ったなし!」と簡潔に伝えに来た人物でした。
地に足をつけず、ふよふよと洞窟の天井付近を漂いながら移動してきて、セタンタ君の前に降り立つと白い外套のフードを外し、にこやかに微笑みました。
微笑んだのはセタンタ君より背の低い可憐な少女でした。
「うわ、マジでマーリンいるじゃん……」
「なんだよぅ。そんな嫌そうな顔しなくていいじゃんよぅ」
「だって、お前……なぁ?」
セタンタ君は少し渋い顔をしてましたが、「まあ、さっきは助かったよ。ありがとな」と助けてもらったお礼は告げました。
それを聞いた少女はニシシと嬉しげに笑い、「どーいたしまして!」と言いながら細長い白い尻尾を揺らし、頭についた獣の耳をぴこぴこ動かしました。
彼女の名はマーリン。
猫系の獣人で、セタンタ君と同い年の元孤児です。
いまは冒険者をやっています。
「そういや、お前なんで冒険者やってんだよ」
「いやー……話すと長くなるんだけどさぁ」
「うん」
「前の仕事はクビになったのさ!」
「一瞬じゃねえか」