酒保商人
今回、セタンタ君が参加する事になった遠征は二つの目的があります。
その一つが水質調査です。
現在、セタンタ君達が訪れているククルカン群峰はバッカスの首都とは海を隔てて900kmほどのところにある山脈なのですが、首都に暮らす人々の生活を支える大事な役目を担っています。正確には過去の事なので「いました」ですね。
首都にとって水源地の一つだったのです。
首都サングリアは広く、多くの住民が生活しているため相応に多くの水が必要となります。近郊の水で賄う事も不可能では無いのですが「新たに河川を整備して引き込んでくるより魔術で直接引っ張ってきた方が、はやーい」という結論に達し、長らくその通りにしていました。魔術使った力技!
具体的にどんな魔術かというと、都市間転移ゲートです。大きな水源地の傍にある他都市からゲートを使ってドバドバと水を引っ張ってきて、それをドバドバと消費しているのです。
そのおかげもあってバッカスの都市は大抵どこも水不足に悩まされる事もなく、一般家庭程度の使用量であれば水道もタダ。大量に使っても大した料金を徴収される事もなく、大衆浴場が色んなところに乱立する事になりました。
ククルカン群峰も長らく水源地として利用されてきました。
が、ここ最近、群峰の水質がとても悪くなってしまっているのです。
どれぐらい悪くなっているかというと、手をつけていると肌がただれるほどです。もう完全に毒ですね。飲んで体調を崩す人すら出ています。
幸い、死人が出る前にククルカン群峰の引水は止められたので被害拡大を防ぐ事ができましたが現在も群峰から湧き出す水の観測結果は芳しいものとはいえない状況です。明確に回復する兆しもありません。
バッカス政府とギルドが調査を行ったところ、原因は群峰内のどこかにあるという事に関しては突き止める事が出来ました。朗報ですね。
問題は原因を完全に突き止めるには群峰が広く、天険過ぎるという事でした。
広さだけでも首都サングリアの10倍以上のものがあり、人が暮らすにはあまりにも過酷な山岳地帯の環境。そこを闊歩している強力な魔物達の存在は気軽に調査隊を送り込むには過酷過ぎたのです。
そこで政府はギルドを通じて冒険者達を調査の護衛、邪魔な魔物の駆除に送り込む大規模な調査作戦を実行する事にしました。
セタンタ君を雇ったクアルンゲ商会も調査に参加します。
が、クアルンゲ商会はギルドから依頼を受けて動いているのではありません。
入札を経てギルドから依頼を受ける事になった団体がいくつかあり、クアルンゲ商会はその団体のうち一つの下請けです。セタンタ君は下請けの下請けですね。
クアルンゲを雇ったのは「円卓会」という冒険者が集まった組織です。
その手の冒険者組織はバッカス王国で「クラン」と呼ばれており、円卓会が擁している冒険者は約500名。古くからある由緒ある武装集団です。
ギルドの雇った団体は円卓会以外にもおり、円卓会は群峰全体ではなく割り振られた担当地域をギルドから派遣された調査班と一緒に魔物をブッ殺しながら回る事になります。
クアルンゲ商会が円卓会に頼まれたのはその援護です。
ただ、援護といっても担う事になるのは物資補給となります。
クアルンゲ商会の事業の一つに、酒保事業と呼ばれるものがあります。
今回はその酒保事業の中で遠征随伴営業と呼ばれる仕事をやる事になります。
要するに兵站管理の仕事なのですが、管理するのは軍隊ではなく主に冒険者相手の兵站となります。日帰りで済むなら冒険者達が個々人で物資を用意すれば十分なのですが、大人数の動く遠征では時にその手の兵站管理需要が生まれるのです。
此度はフェルグスさんが兵站管理の責任者として動き、前線の円卓会との間に補給線構築してエッサホイサソイヤッと食料や物資を届けるのです。
都市郊外での物資運搬となるので時に魔物の危険に晒される可能性もあり、セタンタ君は魔物から運搬担当の人夫の人達を守るのが今回の主な仕事となります。
まったく危険がないわけではないのですが円卓会の冒険者さん達が戦っている後を追っていく事になるため、円卓会のいる前線に比べれば後方の補給戦線は静かなものです。
イレギュラーな魔物が横槍を入れくるとか伸び切った補給線を潜伏していた魔物の群れが断ち切ってくるとか円卓会が突如全滅するなんて事が無い限りは死ぬような目には合わな……合わないかもしれません! 神のみぞ知るといったとこです。
フェルグスさんが率いるクアルンゲ商会の補給部隊はククルカン群峰の麓までやってきました。
円卓会の部隊は既に群峰内に踏み入っているのですがまだ一部は麓に残っており、フェルグスさんはそこで円卓会の担当者の人達と落ち合って「現場の状況」「予定に変更はないか」などを聞いてから群峰に立ち入っていくのです。
見知った顔と挨拶しつつ、セタンタ君を伴って円卓会の野営地を歩いていたフェルグスさんは「おや、アルトリウス殿がいるな」と呟きました。
「誰?」
「円卓会の総長だ」
円卓会で一番えらい人です。
フェルグスさんはてっきり「アルトリウス殿は前線あたりにいるだろう」と思っていたのですが、実際はまだ麓で優雅にお茶を飲んでおられたようです。
取引先の一番えらい人なので無視する事も出来ず、フェルグスさんは丁重に挨拶しておく事にしました。総長さんは必要な情報をいまいち把握していらっしゃらないようでしたが、二度手間でも無視出来ないのです。面倒な世の仕組み。
フェルグスさんは恭しく頭を下げて挨拶と依頼のお礼を述べ、円卓会の総長さんはそれを聞いてちょっと満足げな様子で椅子にふんぞり返っています。
「バッカスで有数の冒険者クランである円卓会からの名誉ある仕事だ。円卓会に間違いは有り得ないが、補給の内容次第ではそれも起こりうる。二重の意味で懸命に働き給え、フェルグス殿」
「お任せください」
セタンタ君はちょっとおもしろくない顔をしてます。
自分の雇い主で恩義もあるフェルグスさんが礼儀正しく接しているのに、取引先の総長さんが無駄に偉そうなのでムスッとしてます。
フェルグスさんにとっては礼を尽くして相手の承認欲求満たしてあげるのも接待業務の一環なので、ケロリとしてます。おだてて必要以上にお金使ってくれれば儲けものですからね。商人さんです。
そういう事情があってもセタンタ君は不満を覚えずにはいられず、そこを見咎めた円卓会の総長さんは眉をつり上げ「何だそのガキは」と言いました。
「今回、クアルンゲの護衛につく冒険者です。まだ若く精神的に未熟なところはありますが、将来有望な男ですよ」
「名は?」
「セタンタと言います」
フェルグスさんの言葉に総長さんは「あぁ……」と声をもらし、次いで鼻で笑いながら「貴公の小判鮫として有名だった孤児か」と言いました。
「少年、腐肉漁りなら好きにすればいいが、フェルグス殿は見どころのある亜人だ。寄生はほどほどに、あまり手をわずらわせるのではないぞ」
「なんだとコンニャロ――」
セタンタ君が憤慨して突っかかろうとしましたが、それより早く笑みを浮かべたフェルグスさんが肩に担ぎ上げて止めました。
「ふぬーっ! オッサン! 離せー!」
「申し訳ありません、さっそく手をわずらわせております」
「ふ……フェルグス殿、孤児と言えどもあまり甘い顔を見せすぎるべきではないと思うぞ。立場ある者同士、付き合う人間はよく選び給え」
「ご忠告、痛み入ります。まあこの通り頭に血が登りやすい童ではありますが、能力は確かにあるのです。いずれ、アルトリウス殿にもご披露する機会があるかと」
「ふん、期待せずに待っておこう。……下がって良いぞ」
「ふぬーっ!」
セタンタ君は魔術で身体強化してまで抜け出そうとしましたが、フェルグスさんが巧みに力の起点を押さえてくるのでどうしようもならず、そのまま米俵のように天幕の外へと出ていきました。
やがて肩からは降ろされましたが、今度はネコちゃんのように首根っこを掴まれたまま宙ぶらりんで進む事となりました。
「ちくしょう、離せよオッサン」
「アルトリウス殿に突っかかりにいかないと言うなら離してやろう」
「やだ」
「ヤダではない。まったく……あまり手を煩わせるな、こちらの仕事を邪魔するな。もはやここは孤児院ではないのだ。お前もいい加減大人になりなさい」
フェルグスさんはセタンタ君に対して怒りました。
怒りましたが、顔には愉快そうな笑みを浮かべています。
「お前が短気を起こしてアルトリウス殿に殴りかかってたら、クアルンゲ商会は取引先の一つを無くしていたかもしれん。そしたら何人か暇を出さねばならんようになるかもしれないのだぞ?」
「うっ……で、でもよー。オッサンは悔しくないのかよ?」
「多少は腹が立つが、それで皆の腹が膨れるならお安い御用だ。お前も少しずつ腹芸を身に着けていきなさい」
「やだ」
「ふむ……まあ、そうだな。お前は私のように小賢しいことをせず、伸び伸び生きるべきかもしれん。見ていると、時に心が洗われる」
「…………」
「ただし、お前が感情的に拳を振るった結果、誰かが積み上げてきた事が台無しになる事もある。腹芸は覚えずとも、それぐらいはよく考えて動きなさい」
「……ごめんなさい」
ちょっとシュンとしたセタンタ君を地面に降ろし、フェルグスさんはちょっぴり満足げな笑みを浮かべながらセタンタ君の頭をガシガシと撫でました。
「さて、切り替えて仕事と行こう。そうそう……そういえばお前には言うのを忘れていたが、今回の仕事はマーリンも冒険者として来ているぞ」
「はあっ!? マジで! マーリン来てんの!?」
「うむ、仕事を与えて先行させている。夕方には合流出来るだろうよ」
「ゲェー……!」
なぜか嫌そうな顔をしているセタンタ君をそのままに、フェルグスさんは円卓会の正式な担当者さんとの話し合いのためにスタスタ歩いていきました。
大笑いするのをこらえながら、楽しげに歩いていきました。