魔人の反応速度
救いの手はもう差し伸べられない。
勝ちたいのであれば、一人で勝たなければいけない。
少年は深く息を吐き、いつも通りに槍を握りました。
握りながら敵に勝利するための「勝ち筋」を考え始めました。
観戦にやってきたレムスさんは上機嫌でお酒とツマミを口にしつつ、傍らに立った知人の冒険者に対し、「お前もいるか?」と勧めましたが断られました。
「彼を助けなくて良いのか?」
「まあ、やられたらマジで仇討ちぐらいはしてやるよ。どうせ木っ端微塵に死んだとこで保険で生き返るし、へーきへーき」
「軽いな……」
「それに、パリス達の方はアタランテに任せて地上に送っていったから、後顧の憂い無く戦えるだろ。何より俺がこの戦いの結末を見届けてえ。勝った方と殺し合いとか出来たら最高だな」
「酷い男だ……少しは助けてあげればいいものを」
「じゃ、お前乱入してくるか? ベオ」
「……止めておこう。俺程度が割って入る余地は無さそうだ」
徒手空拳の冒険者は勝負の行末を見守り始めました。
レムスさんも同じく見守り始めましたが、「少しは助けてあげれば――」という事に関しては内心で「多少は援護にはなってるんじゃねえかな」と考えました。
勝負そのものは一対一。
しかし、異形の剣士・アリストメネスにとっては「直ぐ近くに少年側の仲間がいる」「観戦すると言っているが、信じていいものか?」という思考が過ります。
観戦するという言葉を完全に鵜呑みにしてしまえば一対一に集中出来ますが、傍らの武器を持った他人が「あ、別にアンタ殺す意図は無いからごゆっくり」と言ったところで気にかかるのが普通です。
鵜呑みにして不意打ちされるわけにもいかないので、心情的にも戦略的にも異形の剣士は意識を一対一に絞れなくなってしまっていました。
少年の方もその事に自覚的で、そこに活路を見出そうとしていました。
「向こうさんが使ってんの、丘崎新陰流だな」
「知っているのか、レムス」
「バッカスじゃ滅びた剣術流派だ。ウチの宴会にタダ飲みに来た鴉のオッサンが、おふくろ相手に再現してくれてんの見物したのが初見だったなー」
五回の立ち会いのうち四回でレムスさんのお母さんが首を刎ねられて負けたと語りつつ、レムスさんは視線は戦闘に向けたままお酒を口にしました。
「ざっくり言うと暗殺剣だ。流派の技のうち半分以上が不意打ちするためのもので、武器に毒を塗るのが当たり前。隠形の魔術も交えつつ、いかに不意を打って人を殺すかについて考えた剣術だ」
「不意打ちが失敗したら?」
「状況によるが、時間が許すならネチネチ殺す。いま向こうさんが使ってるのもそんな感じだな。一撃必殺の大振りは控えつつ、牽制の突きを連打する。この突きは相手の目、指、脚などを狙う軌道で放たれる骨までは断てねえ軽いもんだ。ああ、あと血管狙えるなら遠慮なく裂きに来るぞ」
「戦闘能力を徐々に削いでいく目的か」
「そういうこった。俺みたいな人狼なら腕落ちようが首落とされようが再生しながら戦うけど、常人は戦闘中にガンガン再生しながら戦うのは難しいからな。指一本使えなくなっただけで攻めの速さも削がれるんだが――」
くん、とレムスさんが鼻を鳴らして首を傾げました。
嗅覚と観測魔術で相手方をさらに観察し、首を傾げたようです。
「あの骸骨……オカザキ使ってんのに毒使ってねえなぁ」
「そうなのか。……いま聞いた話だと使えそうなのに、なぜ流派が滅びたのだ?」
「何でだと思う?」
「卑怯な戦い方だからか?」
「不意打ちとか毒なんてそこらの冒険者どころか、ウチの士族だって使うさ。オカザキが滅びたのは対人の暗殺剣術だからっていうのが定説だ」
「それの何が悪い?」
「バッカス王国の主敵は魔物だ。対人はさほど需要ねえのさ」
「金にならんという事か」
「そゆこと」
しかし、この場において対人剣術は冴えに冴え渡っていました。
セタンタ君の攻撃は全て相手の身体に届く前に短刀に弾かれ、ゆらゆらと突き出される突きは少年の身体を切り刻み、そこら中からプツプツと血が出ています。
額にも傷がありました。
毒は拭き取られたため、致命傷には程遠いものですが、少年は積み上げられていく小さな突きに苛立たずにはいられませんでした。
感情が僅かに、判断力を鈍らせました。
「ッ――――!」
『雑』
一撃を誘い込まれ、重い一撃を貰いました。
一瞬の交差なれども、異形は無傷、少年は腹を短刀で突かれていました。
誘い込みに使われた動きは、異形の剣士が曲刀を振りかぶったまま、しなやかな低空跳躍による間合いを一気に詰めるという動作でした。
少年は敵の跳躍を「好機」と見て、反撃の一撃を放ちましたが、それは穂先を曲刀に絡め取られ、軌道を変えられる事になりました。
それだけならまだ、回避する余裕はありました。
しかし異形の剣士は跳躍の姿勢から自身の脚を伸ばし――石畳の突起を――脚で掴んでいました。手指と大差無い仕草で掴み、その勢いで着地。
少年を殺すため、地に足つけてさらに前に進みました。
少年が慌てて槍を引き戻そうとしたものの、槍には常に曲刀が添えられ、金属同士の摩擦で引き戻しの速度と軌道を管理され、その隙に「防御にしか使えない」と意識を刷り込まれていた短刀に腹を刺されるという結果になりました。
刺された刃は内臓まで届き、自然治癒不可な領域まで破壊しました。
『さすがに今のは、雑な一撃だったぞ』
「ぐ……うるせえ」
『集中しろ』
完全回避は無理だったものの、咄嗟に後ろに飛んだ事で刺さった刃を横に動かされ、内臓を露出する事だけは避ける事が出来ました。
ですが、腹部への致命傷です。
血が絶え間なく垂れ続ける状況は長期戦を不可能としました。
今のセタンタ君は船底に穴が開いた航行中の船の如き存在です。
魔術で治療は戦闘をしながら施されましたが、セタンタ君の治癒魔術では死を先送りにする程度の事しか出来ませんでした。
まだ戦えます。
ですが、時間制限を取り付けられました。
『救援の期待が破れた事に対する気落ちが、後を引いているか?』
「はっ! そんなウジウジ悩むほど真面目な性格じゃねえよ……!」
『ふむ。少年、貴様には師がいるか?』
「……ああ、色んな人に色んな技術を教えてもらってきた」
『境遇はさておき、置かれた環境は悪いものでは無かったのだな』
「……おい、まさかあんたの知り合いとやらは、俺の事をべらべら話したのか」
少年は「その知り合いは誰だ」と問いました。
異形の剣士は疑問に解を与えませんでした。
『さてな。だが、師がちゃんといるのは良い事だ。その教えを思い出せ。この窮地において吾輩に勝つ策を授けるものは……何か、無かったか?』
「は…………この程度、まだまだ窮地とは言わねえだろ」
『良い反骨心だ。では、征くぞ』
「おう」
死合再開。
そこから前方に向け、二人は同時に飛び込んでいきました。
敵に向け、距離を詰めました。
先に放たれた槍の一閃は曲刀に打ち落とされましたが、少年は即座に後退。
刺された腹部が痛み、息が荒くなる中。
たらり……と血が額から流れてきました。
それは少年の左目を隠す位置に流れ落ちてきて、塞いだタイミングで――それを狙っていた――異形の剣士が、左目の死角に突っ込んできました。
少年の狙い通りでした。
「Hagall」
『――――ヌゥッ!?』
バンッ、と床が爆ぜました。
異形の剣士が踏み込んだ床。その一つが地雷のように爆ぜたのです。
その爆発は異形の脚に直撃し――少年は塞がる事を予期していた死角を索敵魔術でカバーしつつ、槍を放ちました。よろけた敵に槍を放ちました。
『誘い――』
「――――!!」
『――込まれたかッ!』
「――――!?」
完全に体勢を崩していた地雷の魔術。
密かに敷設していたそれは完璧に機能していましたが、続く連撃と放たれた槍はまたしても短刀に阻まれていました。
受けた異形の剣士もさすがに反撃はしてきませんでしたが、足元から爆破したつもりの脚が未だ健在な事を確認した少年は渋面を浮かべずにいられませんでした。
一時、体勢は崩せても脚部破壊は出来なかったようです。
「くそ……硬えなその脚」
『常人と比べられても困る。だが、今のは吾輩が手のひらの上で転がされた』
「…………」
『少年、わざと自分の視界を血で潰し、吾輩を誘い込んだな?』
「アンタの目の良さを信じさせてもらった」
血を拭い、魔術で瞬時に洗浄した少年は視界を復帰させました。
「けど、マジで目が良すぎだろ……アンタ、地雷踏んだ瞬間に脚上げて直撃だけ避けてなかったか……?」
『然り。そういえば、少年はルーン魔術を修めていたのだったな』
「……それも、アンタの知り合いから聞いたのか」
『然り。戦争屋との雑談で得た知識だ』
「手の内もある程度バレてるわけか……クソ汚え」
『む……それを言われると……ううむ、辛いものがある。スマン、悪意は無かったのだが今更忘れろと言われても、それが出来るほど器用ではない』
「じゃあ代わりに教えてくれ。アンタの目、どこにあるんだ」
『全身だ。それこそ足の裏すら見える』
「はは……冗談だろ……?」
『慣れるのには苦労したが、吾輩に死角は無い。頑張れ少年』
「言われなくても……!」
『こちらも頑張ろう。先程の爆破はもう見た。次はかからん』
少年は戦いながら考えました。
どうやったら敵に――アリストメネスに勝てる?
準備がろくに出来ない遭遇戦において、単純に戦闘能力の高い今回の相手は少年が最も苦手とする相手でした。準備可能なら搦手は無数にあります。
敵の武器は短刀と曲刀。
そして、常人を遥かに超えた反応速度。
先手を取っても反応速度で無理やり追い抜き、一撃を加えてくるような相手。
それに対する勝ち筋は――反応されても防げない一撃。
そこに至るための手札は既に一枚切りました。
地雷により体勢を崩す方法は既に防がれました。
天井全てを爆破して、回避不能の捨て身の決着を狙うには時間が足りない。
頼みの綱の鮭飛びは――使用を控えました。
対峙している敵は少年の名も、技も知っていました。
少年の名を教えた「戦争屋」なる人物から鮭飛びの存在を聞かされているかもしれません。便利な技であるため、それなりの人数が知っている必殺技です。
反応速度を上回るには、未知の一撃の下駄が必要。
初見殺しと策略こそが、相手の命に届く一撃となる。
少年は手札を――自分が使える手段と技を――再検討しました。
その中で、あまり人には見せていない技――魔槍について考えました。
その過程で、師との会話を思い出しました。
『……魔槍も、もうちょっと頑張ってみるか』
『お前にはよく合う業だと思うぞ。現状の質でも、工夫で使いようはある』
『オッサンぐらい反応出来る相手に振るっても、砕かれねーか?』
『普通に使えばな』
反応速度だけ切り取れば、師よりも速い異形の剣士。
地雷の魔術なら何とか当てる事が出来ました。
ですが火力不足のうえ、次も当たるとは限りません。
それは地面から魔槍を生やすだけでも、おそらく同じこと。
余程の致命傷を与えなければ……倒せない。
現状、最高の一撃を当てない以上は敵を倒せない。
「…………」
少年は今まで共に修羅場を潜り続けていた愛槍を握りました。
一撃で殺すなら、これしかない。
現状、最も速く最も強い一撃はこの槍でこそ放つ事が出来る。
なればこそ、少年は愛槍と魔槍を使う事に決めました。
さらに、駄目押しの威力も付与する事にしました。
現状で足りないなら、工夫を凝らそうと決め、決戦を挑む事にしました。