カドメイアの悪魔
遠征隊長の指示を皮切りに、その部下の方々が動き出し始めました。
仕掛けは事前に仕込んでいたらしく、指示一つと部下達が打ち合わせ通りに動き出した事で、直ぐに戦場に変化が訪れ始めたのです。
まず最初に、爆音のようなものが響きました。
それはとてもくぐもったもので、何も知らず防壁上で応戦していたカラティンの冒険者さん達は、眼前に広がる光景に危うく浮足立ちかけました。
周囲の地面の大部分が、崩落していたのです。
ゴゴン、ゴゴンとくぐもった音が響くたびに野営地周辺の地面が崩れ、押しかけてきていた魔物達の多くが崩落に巻き込まれ、落ちていきました。
大部分が陥落していったので、巻き込まれた魔物側の被害も相応。
全ての地面が落ちていったわけではありませんでしたが、それでも足場が少なくなった事で魔物側の攻め手が弱まるだけの働きは十分にありました。
「何だ? 落とし穴?」
「坑道だ! 野営地周辺の坑道を壊して崩落させたんだ」
「そんなの、事前に仕込んで無いとそんな簡単には……」
手際が良すぎる事を怪訝に思いつつ――それを仕掛けたと思しき人物が誰か気づいた人達が、チラチラと野営地内にいる一人の男性を見つめました。
視線を向けられた遠征隊長――巨人のエイさんはニンマリと笑いつつも、「まだ殲滅してないんだから、気を抜かないように」と言い、視線を向けていた方々は慌てて応戦を再開し始めました。
「猪突猛進な魔物達は、こういう古典的な罠にかかってくれるから気分が良いねぇ。さて、どんぐらい倒せたかな?」
「全体の一割以下かと」
「あららぁ、そんなもんか」
「ですが、これで守りやすくなりました」
遠征隊長は側近の方の言葉に「そうだといいねぇ」と頷きつつ、止まぬ雨の中、収まりつつある崩落現場を見下ろしました。
野営地周辺の魔物は多くがそこに落ちてしまっていましたが、落ちてもなお、まだ生きているものが沢山いました。丈夫ですね。
「丈夫だねぇ。じゃあ、ダメ押し行こうか」
「はっ」
追加の指示を受けた方々が動き――最初から野営地内に据え付けられていた管を使い、崩落した場所に向けて何かを流し込み始めました。
それは目には見えないものでした。
ですが、効果は直ぐに目に見えて現れ始めました。
崩落した場所で何とか生きていた魔物達が暴れ、のたうち回り、苦しみの末に息絶えていったのです。その光景は目に見えない死神の鎌に命を丸ごと刈り取られていったかのようなものでした。
「サンムラマート殿謹製の毒煙だ、たんとおあがり。効果はそこらのものと変わらないが、地下は当分煙たくなるだろうけど、我慢して死んでね」
毒で死んでいく魔物達を見た遠征隊長は楽しげな笑みを浮かべつつ、応戦している人達に向けて檄も飛ばし始めました。
「ご覧の通り、守りやすくなった。一撃で仕留める必要はない。今回来てる魔物達なら、地下に落とすだけでも十分殺せる。落ち着いて対応しなさい」
「は、はいっ」
「了解です!」
「いい返事だねぇ。オジサン、聞き分けの良い子は好きだよ」
遠征隊長は笑みだけではなく、「ひひひ」と底意地の悪そうな笑い声も漏らしつつ、未だ自分を見つめている少年達に視線を向けました。
「さてさて、キミは聞き分けの良い子かな? セタンタ君よ」
「どういう事だよ、エイのオッサン……いや、遠征隊長」
セタンタ君は戸惑いと疑念混じりの視線で巨人さんを見つめました。
「何が?」
「急な襲撃にしては、準備が周到過ぎるだろ……」
「優れた戦略家は一手二手、数手先を読んで動く者らしいよ。まあ、私はしがない戦士だから、今回の絵図を描いたのは別の人間だけどねぇ」
「誰だよ、それは……」
遠征隊長はニンマリと笑いつつ、ふらりとセタンタ君に近づいてきて、少年の頭を触りながら喋り始めました。少し手に力を入れればいつでも折れそうです。
「少し、昔話をしてあげよう」
「んなこと言ってる場合かよ……!」
「とある埒外士族の集落に、妻と娘と犬っころの家族で仲良く暮らしている男がいました。暮らしはそんなに楽じゃなかっただろうけど、男はまあ幸せだったんじゃないかなぁ? 家族も仲間も急にやってきた奴らに殺されたけどねぇ」
「…………」
「とある国の政府は男にとって憎い仇を殆ど捕まえてしまいました。怒り狂う男の復讐の矛先は、どこにも向かう事なく、虚空を彷徨う事となった。しかし、振り上げた腕を下ろす先に関しては、ケジメをつける問題はまだ残っていたのさ」
「どういう――」
「テウメッサ、という魔物をご存知かなぁ」
少年はツバを飲みつつ、「カドメイア士族にも現れた悪魔か」と呟きました。
「あの爺さんは、テウメッサも集団誘拐事件の当日に集落に来たと言っていた。そこで事件の主犯と……赤蜜園の人間と一戦交えて、やられて、赤蜜園のヤツを付け狙うようになったって……」
「その通り。神様と取引したのか、ここ最近、力をつけて暴れていてねぇ」
「……利害が一致したって事?」
少年と老人の会話に少女の声が混じりました。
治療を受け、戦線に復帰してきたマーリンちゃんです。
まだ顔色は悪いものの、背筋を伸ばして眉根を寄せ、声をあげました。
「テウメッサが本当に赤蜜園の人間を付け狙ってるなら、赤蜜園側にとっては面倒を通り越して危ない相手。野放しにしておきたくは無いよね」
「その通り」
「ケパロスさんは、テウメッサが赤蜜園を狙う理由は知っていた。採掘遠征を隠れ蓑に赤蜜園を――多くの赤蜜園出身者で冒険者クラン・カラティンの上層部に話をもちかけたんだ。狐狩りの囮になりませんか、って」
「これまたその通り」
「表向きは採掘遠征の計画を進めつつ、裏ではテウメッサが食いついた時の事……迎撃のための体制を整えてたんでしょ? いま地下にある鉱石は単に遠征の口実にしただけで、実際は他所から運んできた」
「そう思ってもらって構わない。マーリンちゃんが言う通り、利害が一致したんだよ。ウチの総長は仲間を囮にするって提案に激怒したけどねぇ。結局、無駄に年くったオジサンが古参の権限で総長の意志を跳ね除けたけどね」
「そこはわかった。けど、わからない事が一つある」
息を吸いつつ、一拍置いたマーリンちゃんは問いかけました。
「ケパロスさん側が、テウメッサを討伐しないといけない理由は?」
「言っただろう? ケジメだよ」
遠征隊長のエイさんは笑みを浮かべつつ、言葉を続けました。
「あの男は、誘拐事件の主犯との戦闘で傷を負ったテウメッサを手当したのさ」
「なっ……! 相手、魔物でしょ!? そんな馬鹿な事……!」
「まあ、これだけ聞いても納得は出来ないだろうねぇ。けど、例えば……敵の敵は味方って言葉もあるでしょ? 主犯は捕まったものの、当時、彼とテウメッサには共通の敵がいたって事さ。いまは違うけどねぇ」
「ありえねえだろ……魔物と協調なんて、出来るわけがねえ」
セタンタ君が頭を振り、否定しました。
けれどもエイさんは笑ったまま「協調したのは事実さ」と言いました。
「まあ、ケパロスも責任感じてるからこそ、私財投げ売ってでも今回の件をウチに提案してきたのさ。アイツがテウメッサを殺す機会は沢山あったからねぇ」
「そのケパロスさんは、いまどこに」
「地下坑道を使い、魔物の群れがいない場所に出て、周辺のどこかにいるはずのテウメッサを狩ろうとしている最中さ。魔物の群れの中にはいないだろうから、少し外れたところだろうねぇ……ただ、少し問題があってねぇ」
「問題?」
「ケパロスはともかく、他にも二人と一匹が地下から戻ってきてないんだよねぇ」
その言葉にセタンタ君はハッとしました。
遠征隊長さんの方は最初からテウメッサが引き連れてくるであろう群れを想定し、周辺の地下坑道を落とす腹積もりでした。
全ての坑道を埋めたりはしないものの、直ぐに埋めてしまうと遠征の口実となった採掘中の人達にも被害が及びかねません。だからこそ坑道の出入り口に人を立て、出入りを管理していたのですが――。
「まさか、パリスとガラハッド、まだ戻ってきてねえのかよ!?」
「一匹って事はライラちゃんも……?」
「人もやって探させたんだけど、戻ってくる様子も無くてねぇ。まあ保険はかけてるそうだから、生き埋めになってもゴメンねってとこだねぇ」
「クソッ! 俺が地下に残ってれば……!」
セタンタ君は苛立ち、悔いましたが遠征隊長は飄々とした様子で「まあまあ、まだ死んだとは限らないよ」と告げました。
「ケパロスは地下坑道を通り、別の場所から地上に出たと言っただろう? ケパロスに導かれる事は無いだろうけど、あの犬が主人を追い、その犬を子供達が追っているなら――」
「そうか。あいつらも地上に逃れてる可能性が……!」
「あるかもしれないね。そして、自分達がどこにいるかも知らせてきているかもしれない。そこら辺はまあ、マーリンが探してくれるだろうさ」
「病み上がりに言ってくれるなぁ。探すけどさ……!」
未だ青白い顔で少し怒ったマーリンちゃんが魔術を起動し、セタンタ君も魔術を起こして幼馴染のバックアップにつきました。
「いけるか?」
「妨害あるかねー……索敵は不調、正確に把握出来るのはご近所ぐらい……」
苦戦する二人に対し、端から見ていたレムスさんが口を挟みました。
「いま妨害しているのは魔術の行使だ。遠くまで索敵魔術の目を伸ばすのは厳しいかもしれねえが、既に物理現象として現れてるヤツは拾えるんじゃねえか?」
「そっか、パリスが魔力を音に変換してくれてれば――――いた!」
マーリンちゃんは市街跡の一角を指差しました。
振り続ける大雨の影響もあり、目視での確認は厳しいようですがまだ無事のようです。ケパロスさんが通ったのと同じルートを使ったのでしょう。
ただ、少し遠い場所です。
単純な距離であれば身体強化魔術を使えば直ぐに駆けていけますが、彼我の間には未だ魔物の群れがうごめいています。
「多少迂回すれば戦闘も少しは避けれるかな。まずはここを取り囲んでいる魔物を何とかしない事には、どうしようもないけど……」
「エイのオッサン! 俺はこっちじゃなくて向こう助けに行っていいよな!?」
「ボクもセタンタについてくよ」
「んじゃ、俺もそっち行こうかな」
セタンタ君、マーリンちゃん、そしてレムスさんの三人がパリス少年達の救援のために手を挙げました。
遠征隊長はそれに「いいよいいよ、お好きにどうぞ」と気安い様子で応じ、その場を離れ、迎撃の様子を確認しにいきました。
「さーて、どうやってあそこまで行くか。砂漠の時みたいに飛んどくか?」
「条件的に厳しいと思う。ボクだけならともかく」
「地下坑道は――」
「崩落してるし、通れるとこあっても毒煙の通り道だよ。毒放置するわけにもいかないだろうから除去する方法は持ってきてるだろうけど、いまは迎撃の対応に必要だから無理」
「んー、じゃあ、突っ切るか」
レムスさんは気安い様子で言いました。
「俺が人狼化して、高速移動形態になって突っ切る」
「「高速移動形態?」」
「通常、人狼化は二足歩行だが四足歩行になって狼みたいに走るんだ。お前らちっちゃいから二人ぐらいなら乗せて余裕で走れるぜ」
「マジか。そんな事まで出来たのか、レムスの兄ちゃん」
「余裕だぜ。通常二足歩行が四足歩行だから……八倍速になるな!」
「いま無茶な計算しなかった? けど、それだけで突っ切るのはキツイと思う」
「なら、私の出番かしらね」
突破の算段をつける三人に声をかけてきた人がいました。
それは弓を携えた獅子系獣人の女性でした。