恩人と裏切りと生物兵器
野営地に戻った一行は、ひとまず治癒魔術に秀でた人を探しました。
マーリンちゃんも治癒魔術の心得はあるとはいえ、治癒だけならマーリンちゃんより優れた方にライラちゃんを預けたところ、後遺症も傷跡も無い状態で治してもらえました。
ただ、まだ目覚めていません。
それでも静かに寝息を立て、空き箱に布を詰めた犬用のベッドに横たえられたライラちゃんの様子を見て、パリス少年はとてもホッとした様子を見せました。
その後、ライラちゃんとその御主人についての話を始めました。
それはパリス少年の昔話でもありました。
セタンタ君とマーリンちゃん、ガラハッド君は真夜中にお茶を飲みつつ、その話を聞く事になりました。パリス少年に知っておいてほしいと言われたのです。
レムスさんは「俺が聞いていい事じゃないだろう」と席を外し、少年少女と眠るライラちゃんだけが小さな灯りを囲んでいました。
「ケパロスさんと、ライラとは……その、2年ぐらい前に知り合ったんだ」
「……あまり、話したい事じゃなかったら言わなくていいからな」
ムッツリと黙っていたガラハッド君がぽつりぽつりと語り始めたパリス少年に声をかけましたが、パリス少年は首を振って言葉を続けました。
「せめて、お前らには話しておくべきだと、思った。遠征隊長さん達には必要な情報だと思ったら……悪い、お前らから言ってくれ……ごめん」
「わかった」
「うん」
「承知した」
「……ケパロスさんは冒険者やりつつ山師やってるドワーフさんなんだ。バッカスに来たのは、確かここ10年程度の事だったらしい」
パリス少年と出会ったのは2年ほど前。
冒険者ギルドの近所で出会ったそうです。
子供ながらも「お金が必要だ」と学校に行きながら働いていたパリス少年は、ある日、小型犬を連れた冒険者さん――ケパロスさんと出会いました。
働いても働いても小銭程度しか稼げず、それでも足掻いていたパリス少年に対し、ケパロスさんは優しくしてくれたそうです。
「よくオレの商売に付き合ってくれたんだ。けど、まあ、憐れまれてたんだろうな……必要以上にお金を出してくれようとしたり、してくれたんだ」
それぐらい優しい人だった、とパリス少年は呟きました。
見返りを求めない金銭的な援助も申し出てくれた程だったようです。
パリス少年もお金は欲しくとも――最初のうちは気づかなかったものの――過剰に構ってくれるケパロスさんに対し、やがては「受け取れない」と断る事もあったのですが、その事はセタンタ君達には語りませんでした。
語らなくていいと、言うのはカッコ悪いと考えたのです。
自分で自分を擁護したくなかったのです。
でも、そういうところがケパロスさんの目にとまったという事もあってか、ケパロスさんはライラちゃんをいつも伴いながら、パリス少年を構いました。
「仕事も紹介してくれたんだ」
「冒険者稼業?」
「ううん、違う。都市内の別の仕事。……腐肉漁りする前の仕事」
紹介して貰えたのはお世辞にも高給とは言い難い仕事でした。
ただ、住み込みで働く事が出来て食事もつけてもらえる仕事だったので、頑張って耐えていればパリス少年の乏しい貯金が貯まっていくだけのものはありました。
際立った教養も無く、秀でた魔術の才も無い少年にとって、それは十分な助けになり――だからこそパリス少年はケパロスさんを恩人と仰ぎました。
「オレは冒険者になりたかったんだけどなー……」
「そのケパロスさんが冒険者だったからか?」
「それもあるけど……まあ、オレみたいのでも稼いでいける可能性もあるみたいだから、元々は冒険者なれる年になったら、なるつもりだったんだ」
それを止めたのはケパロスさんだったそうです。
自分が冒険者稼業もしているものの――しているからこそ――冒険者として働く事の危険性を説き、少年をそれから遠ざけようとしたのです。
その代わり、仕事を見つけてきてくれて紹介してくれました。
「でも、オレが問題を起こして……ケパロスさんの顔に泥塗っちまって……」
パリス少年は起こした問題についてぽつり、ぽつりと語りました。
セタンタ君達はそれを黙って聞きました。
ケパロスさんの紹介してくれた職場で問題を起こしたパリス少年は職を辞する事となり、その事が裏切り――ケパロスさんの信頼に背いた事――だとパリス少年は語りました。
辞めた後は、ケパロスさんに会わせる顔も無く、鬱屈としているところに猫背のエルフさんから腐肉漁りの手駒としてスカウト。
期せずして一応は冒険者となった事でフェルグスさんに拾われ、エレインさんに教えを受け、現在に至るとの事です。
セタンタ君はしばし黙っていましたが、パリス少年の事をまっすぐと見つめながら「フェルグスのオッサンは、さっきの話を知ってるのか?」と言いました。
「クアルンゲ商会の人達には、もう話した」
「そうか。ま、フェルグスのオッサンは……今のお前さえ真っ当にやってくれてさえいれば、気にしないだろ。結構、身を崩した奴らを拾い上げてるからな。この間の群峰で拾った奴らも面倒見てるし」
「…………」
「俺も今のお前を見てるから、過去がどうのこうのと掘り起こしたりはしねえよ。クアルンゲ商会の人もフェルグスのオッサンに限らず、お前のこと結構褒めてるんだぜ? 真面目に一生懸命、やってくれてるって」
「…………」
「だから……その……な、泣きべそかくんじゃねえよ!」
「な、泣いてねえし……!」
「ボクもセタンタと同じ意見だし、そこはガラハッドも同じだよね?」
マーリンちゃんが微笑みながらガラハッド君を見ると、思案顔だったガラハッド君はムッツリとした顔ながらも「もちろんだ」と頷きました。
頷いてパリス少年に話しかけました。
「パリス、キミがそのケパロスさんとの関係に関して積極的に話そうとはしなかったのは、ケパロスさんに対して引け目があるから……なんだな?」
「…………」
パリス少年は声が上手く出せず、黙って頷きました。
「それでもせめて、行方不明のその子……ライラプスは探そうとしていたんだな」
「…………」
パリス少年は頷きました。
ガラハッド君は眉間にシワを寄せつつ、パリス少年の胸ぐらを掴みました。
「なら、そうだと言え! 心配してたんだぞ!? キミが遠征初日から何か鬱屈とした様子で、一人で抱え込んでいるから……とても、心配したんだからな!」
「ご……ごめん……」
「人間、誰しも言いたくない事の一つや二つはあるだろうし、もう終わった事なら言わなくていい。大事なのは今と先の事だと、私は思う」
「…………」
「けど、助けぐらい求めろ! 私達に……いや、私は索敵では大して役に立てなかったかもしれないが……言ってくれれば、少しは手伝えたはずだ。結果的にライラプスは助ける事が出来たが、キミが言ってくれればもっと万全だった」
「そう……だよな……ごめん……」
パリス少年はしょげつつ、所在なさげに自分の手をこすり合わせました。
ガラハッド君は気まずそうにしつつも、言葉を続けました。
「こっちは、何があったのかとずっとモヤモヤしてたんだからな。頼ってもらえなかったという事実に、ちょっと傷つきもした」
「ごめん……」
「次からは頼ってくれ。それで帳消しだ」
ガラハッド君はフン、と鼻を鳴らしました。
鳴らして顔を背けた先にマーリンちゃんがニヤニヤと笑みを浮かべていたので、ちょっとたじろぐ事になりました。
「何をニヤニヤしてるんだ、キミは……」
「べっつに~? まあ、ライラちゃん探しは遠征隊長の指示で皆してた事だから、今より早く見つかって事は無いだろうし、そこは重く考えなくていいと思う。いいじゃない、結果良ければ、で。ところでパリス」
「なんだ」
「そのケパロスさんってどこの出身?」
「出身?」
「さっきパリスがケパロスさんに関して『バッカスに来て10年程度』って言ってたじゃない? 埒外士族かな? それとも異世界かなにか?」
「えっと……どうなんだろう」
パリス少年は思い出そうと首を捻り、自分の記憶を掘り起こしました。
「確か……カドメイア士族って言ってたと思う」
「ああ、カドメイアね……10年程度前……なるほど」
マーリンちゃんは何かがわかったように頷き、セタンタ君も――マーリンちゃんの言動から――どういう事なのか少しだけ察しました。
パリス少年はその事には気づかず、何気なく問いかけました。
「どこにある士族なんだ?」
「西方諸国とバッカスの国境からそう遠く無いところに集落があった士族だよ。部類としてはバッカスの庇護下には無かったから、埒外士族だね。当然、集落に都市間転移ゲートは無くってね……」
「そうだったのか……わっ!?」
パリス少年がその場で飛び上がりかけました。
急に手にヌルッとした感触がきたので、ビックリしたようです。
セタンタ君達が「何だ?」と思いつつ、パリス少年の傍らを見ると――そこに少しだけ元気を取り戻した様子で、少年の手を舐めている小型犬の姿がありました。
「ライラプス! もう元気になったのか?」
「まだ万全って感じじゃないかなー……」
マーリンちゃんが観測魔術を起動し、念のため確認しました。
万全ではなくとも、山は十分に越しました。また大怪我しない限りは大丈夫でしょう。ちょっと安静にしておく必要はありますが……。
ライラちゃんは盛んに鼻で息をしつつ、パリス少年の手を舐め、少年が抱っこするとされるがままになり、今度は手ではなく顔をペロペロ舐め始めました。
パリス少年は「やめろよぅ」と言いつつも、抵抗はせず、嬉しげな様子でまだ少し水気が残っている目元を舐められました。
「パリス、懐かれてるねぇ」
「ライラは賢くて優しいやつなんだ。そんで、強いヤツなんだ」
「強い?」
「ライラプス、ちょっとだけお前の力を見せてやってくれないか?」
ライラちゃんは「ふんす」と鼻を鳴らしつつパリス少年の腕から降り――なんと、人間と同じように魔術を行使し始めました。
まず行使したのは簡単な念動力で、それにより首輪についていた小さな宝玉をポコッと外し、地面に落ちた宝玉はズブズブと土中へと潜っていきました。
潜って直ぐに地面が盛り上がり、そこに土塊とライラちゃんが落とした宝玉を心臓部にして形勢された人型の物体が立ち上がりました。
土を使ったゴーレムのようです。
起き上がったゴーレムはライラちゃんの魔術行使に応え、人のように動き、ボクサーのように土塊の拳をビュンビュンと振っています。
セタンタ君とマーリンちゃんもちょっと驚いていましたが、一番驚いているのはどうもガラハッド君のようです。
「なっ……! そ、それ、ゴーレムだろう? い、犬でも魔術が使えたのか!」
「ライラは賢いからな。なっ?」
パリス少年がライラちゃんに同意を求めましたが、ライラちゃんはパリス少年の手をペロペロと舐めるだけでした。
パリス少年はそれも「下手に吠えたら魔物来るから、吠えないようにしてくれてるんだ」と言い、賢いライラちゃんの振る舞いにちょっと誇らしげにしています。
「賢いで済む問題だったのか……」
「理論上、ワンちゃんに限らず、他の生物でも魔術行使は可能だよ。人間と同じように魔力を生産してるからね。個人差があるけど、それは人間も同じ」
「そうなのか……」
「ライラは確か索敵魔術も使えるよな?」
「なんか……負けた気分だ……」
ガラハッド君はちょっぴり傷つきました。
マーリンちゃんはそれをケタケタと笑いつつ、重ねて人間以外の生物による魔術行使に関して説明を始めてくれました。
「使い魔は主人からの魔力供給無いといけないけど、ライラちゃんみたいな子なら訓練次第で人間と同じように魔術使えるようになるんだよねぇ。見たとこ、普通の小型犬っぽいからライラちゃん自身が賢いってのも確かにあるんだろうね。魔術の適正も悪くなさそう。ゴーレム使えるし」
「ライラ、お前褒められてるぞ」
「ナス士族なんかはそれを活かして、品種改良と訓練によって動物を人間と同じように魔物駆除に当てる研究とかしてたりするよ」
「き、聞いた事がある……犬に爆弾を持たせて、敵に突っ込ませると……」
ガラハッド君が戦慄した様子で呟きましたが、マーリンちゃんは「いやいや、ナス士族はそんな非効率な事はしないよ」と言って笑いました。
ただ、思想としては「人的資源の損失を抑える」ための研究です。
人間が行けないような危険な場所にスタンドアローンに活動出来る改造生物、生物兵器を送り込み、人は都市内でぬくぬくと暮らし、改造生物に対魔物戦闘を担わせるという研究があるのです。
完全に冒険者の代替えには至っていませんが、対魔物として動く事が出来る改造生物が実験兼ねて配備されている都市もあるほどです。
障害無く研究が進みさえすれば、都市郊外で繁殖させて増やしつつ、魔物相手に縄張り争いを仕掛け、駆逐していく――という動きが生まれるかもしれません。
それが上手くいけば人間は死なずに済むでしょう。
あくまで、人間は死なずに済むでしょう。
改造生物達に反旗をひるがえされなければいいですね。
「ライラプスはホントに賢いからな。コイツも冒険者なんだぞ」
「へ? さすがにそれは無いでしょ?」
「コイツの首輪見てみろよ」
「……うわ、ホントだ……冒険者証発行してもらってる」
「ウソだろ?」
驚いたマーリンちゃんに続き、セタンタ君とガラハッド君も腰を上げてライラちゃんの首輪を見に行くほどでした。
ライラちゃんは首元掴まれる事はお気に召さない様子でしたが、仕方無さそうにガマンしています。ちょっと苦しかったですね。
「スゴいだろ? 確かケパロスさんがバッカスに来てから冒険犬として活動してたはずだ。オレ様達よりずっと長く頑張ってきたんだぞ」
「へぇぇ、顔は不細工なのにやるなぁ……ウッ、唸ってるのか?」
「セタンタに怒ってんだよ!」
「10年ぐらいとなると、部類としては老犬なのかなぁ」
「また負けた気分になってきたぞ……」
「まあ、冒険者として登録してもらえたのはケパロスさんが少しだけゴネたって事もあるらしいけど……でも、ちょっと、おかしいな」
パルス少年が首を捻りました。
少し腑に落ちないところがあるようです。
「何がおかしいんだ?」
「ケパロスさんもライラの事を相棒として信頼してたんだ。冒険者稼業でも山師稼業でも、どっちするにも一緒にいたのに……何で今回は置いていったんだろう」
「あの腐肉漁りのエルフさんが盗んだとか?」
「さすがにそれは無いだろ。逃げられた時点で知らんぷりしそうだ」
「まー、ローブ被ってたとはいえ、ボクらの前で顔バレしちゃったしねぇ……」
「この子が体調崩してたんじゃないか?」
ガラハッド君の言葉にパリス少年は「そうかも」と思いつつ、不安げにマーリンちゃんに訪ねてみました。
マーリンちゃんもその辺はとっくに観測魔術で確認していたので、「特に患部とかある様子は無いよ?」と答えました。
「老犬って事と、さっき怪我したぐらいかな? まあ、体調悪いのは治癒魔術で大体はどうとでもなるからねぇ。寿命とかはともかく」
「ライラ、お前具合悪くないか? 大丈夫か?」
ライラちゃんは大丈夫そうに鼻を鳴らしました。
鳴らして、トタタ……と少し辺りを走り、パリス少年達から遠ざかりました。
少し遠ざかって振り向き、「世話になったな」と言いたげにヘッヘと舌を出し、そこからまた走って行こうとしましたが――ふらつき、ちょっとコケました。
怪我は治ったとはいえ、やはりまだ万全ではない様子です。
パリス少年達は慌ててライラちゃんを捕まえ、犬用ベッドに押し込みました。
「ダメだぞ、ライラ! 大人しくしてないと」
「コイツ、やっぱり自分の主人を追いかけようとしてるのか」
「そうなんだろうなー……ライラ、賢いから、理由なく都市から出ていって、そのまま迷子になるって事は……無いだろうし」
「ボク達の野営地からそこまで遠くないとこにいたし、御主人であるケパロスさんの後は概ね正しく追えてるみたいだしねー。目的地は同じだし」
「でも、ライラ、一人で走っていっちゃダメだぞ」
魔物いて危ないんだからな、とパリス少年は呟きました。
呟いて――ライラちゃんが瀕死になっていた光景を思い出し――不安のあまり少し動悸が早くなりましたが、それを誤魔化すようにライラちゃんを撫でました。
「オレ達も……その……ケパロスさんと目的地は同じなんだ」
「…………」
「もう少しガマンしてくれれば、会えるはずだから……一緒に行こう」
「…………」
ライラちゃんは、じっとパリス少年の顔を見ていました。
少年の顔には不安げな色が浮かんでいました。
それはライラちゃんの身を案じているという理由もありましたが、恩人でありながら迷惑をかけたケパロスさんに再び会う事への不安もあるようでした。
ライラちゃんは、しばし、少年の顔を見つめていました。
やがて、ぺろりとパリス少年の手を舐めてから大人しく眠りにつきました。
一人と一匹の様子を見守っていたセタンタ君達は、パリス少年に「顔合わせづらいなら、ケパロスさんには自分達が引き合わせる」と言いました。
言いましたが、パリス少年は首を横に振りました。
「オレが、直接……会いに行く」
「……そうか」
「ライラとも、約束したしなー……ケパロスさんにも、ちゃんと謝らないと……」
セタンタ君はパリス少年を見つつ、少し首を掻きました。
掻いて言いよどみつつ、仲間を励ます言葉を贈りました。
「その、ケパロスさんを詳しく知らないオレが言うのもなんだけど……優しい人なんだろ? ちゃんと謝れば、笑って許してくれるさ」
「……許してくれないかも、だけどな」
「その時は仕方ないだろ」
「うん……だよな」
「仕方ないなりに、これからのお前を変えていけばいいんだよ。少なくとも俺達はいまのお前の味方だ。将来のお前に関しては、まだわからないけどな」
「うん……ありがとな」
パリス少年は笑って礼を言い、寝袋に潜った後、少しだけ声を押し殺して泣きました。