魔物釣り
あるところに元孤児の少年がいました。
少年は14歳で孤児院を追い出された後、バッカス王国という国で冒険者という職業に就き、魔物を狩りながら日々の糧を得ていました。
孤児院を出て一年が経ち、少年は何とか命を失う事なく15歳になり、いままさにその命を散らしかけるような出来事に遭遇していました。
「うおっ!? っと!」
狼うろつく森の中を駆けていた少年は転びました。不注意にも、そして不運にも坂道の途中にある木の根に足を引っ掛け転んでしまったのです。
転びながら受け身を取り、幸いにも直ぐに体勢を立て直す事が出来ましたが、少年が冷や汗たらして舌打ちしてしまうには十分な失態でした。
少年が中腰から横っ飛びするのと、坂の上から飛んできた何か大きなものが少年がいた場所に砲弾のように落ちてくるのは、ほんの一瞬の差しかありませんでした。少年の反応が僅かに遅ければ押しつぶされ死んでいたかもしれません。
飛んできた何かは「バオオッ」と雄叫びをあげました。
木々を半ば折りながら坂の途中で止まり、直ぐに猛烈な勢いで少年の事を追いかけはじめました。少年は何かが走り始めるまで半身で見守っていましたが、追ってくると逃げ始めました。
少年を追う何かは、巨大な熊でした。
立ち上がれば5メートルはある大きな大きな熊で、茶色を通り越して赤に近い毛皮に覆われた身体で地面を殴るように駆け、木々をツクシのようにパキポキ折り、少年をまっすぐに追ってきています。
対する少年の身長は背伸びして何とか150cmを超える程度。
少年が熊の毛むくじゃらの手で撫でられでもしたら、ポキーッ! とあっけなく死ぬに違いありません。それこそ悲鳴すらあげる暇もないでしょう。
熊の正体は神が創造した人狩る獣、魔物です。
バッカス王国の冒険者の多くは、その手の魔物と戦っています。
冒険者である少年の仕事は魔物討伐で、今回は魔物熊を狩る依頼を受け、やってきたのですが、追う者追われる者は逆転していました。
しかし、狩る者と狩られる者の立場は逆転していません。
「迷子になるなよ……!」
少年は自分に、そして魔物熊に対してもそう言いました。
目印として木々に巻きつけていた蛍光色のリボンを見つつ、走っています。
少年は逃げつつ、魔物熊の息遣いを聞きつつ、一定の距離を保ちながら逃げました。魔物熊に人間のように考える頭があれば、自分がおびき寄せられていることに気づいたかもしれませんが、魔物熊は少年を追うのに夢中でした。
やがて少年は森から小さな河に出ました。
バシャバシャと水音鳴らし河を突っ切っていった少年を追い、魔物熊もズブ濡れになりながら河を横断し、そこから直ぐに少年は崖に辿り着きました。
もう逃げ場はありません。
崖から飛び降りでもしたら別ですが、少年は空は飛べませんでした。
魔物熊が咆哮をあげつつ、木々をヘシ折りながら少年への距離を詰めてきています。このままの勢いなら少年を巻き込み、自分から崖下へと落ちていき、少年もろとも死ぬでしょう。魔物熊に自分の身を案じる頭はありませんでした。
「それは困る」
少年はそう呟きました。
少年は冒険者です。
少年は魔物を狩り、日々の糧にすべくやってきました。
少年には、魔物熊を崖下に落とさず狩る必要がありました。
少年はタイミングを見計らい、罠を起動させました。
罠は主の命に従い、主が誘き寄せて釣り上げた魔物熊に食らいつきました。具体的には絡みつきました。罠は魔物熊に向かって振ってきた網でした。
網だけでは魔物熊の突進を止める力はありませんでしたが、網に繋がった木や岩には無数の文字が――ルーン文字が刻まれていました。
少年の命に従い、ルーン文字は一瞬、稲光を放ち、辺りを白く染め、ルーン文字から放たれた電撃は網越しに獲物をしたたかに雷撃で打ち、魔物熊は「ギャヒン!」と悲鳴をあげ、ドウ、と地面に倒れました。
魔物熊は丈夫です。
この程度の電撃、へっちゃら……即死はしません。
しかし、少年が振りかぶった槍には耐えられませんでした。
罠により魔物熊の動きを止めた少年は、槍の一撃でスパン! と魔物熊の首を断ち、それによって魔物熊の首から噴水の如き赤い液体が飛び出ました。
魔物熊は首断たれてもなお、腹ばいになって動いていました――が、直ぐに動きを止めました。魔物熊は死にました。
少年に討たれ、生命活動を終えました。
「よしっ」
少年は小さくガッツポーズをしました。討伐成功です。
討伐の証明として、魔物熊の首なり目玉を二つくり抜いてバッカス王国の冒険者ギルドに持っていけば少年は討伐報酬を受け取る事が出来るでしょう。
ピコピコと可愛らしい尻尾でもいいですね!
冒険者によっては証明用の部位を取り、サッサと帰る事もあります。既に冒険者パーティーを二つ壊滅に追い込んだ魔物熊の討伐報酬を受け取り、酒場でこう……一杯、ぐいっと飲んで、娼館で気分よく散財する事も出来るでしょう。
でも、少年は帰りませんでした。
まだ、仕事を完全には終えていませんでした。
魔物熊討伐の依頼は終えたものの、まだやる事が残っているのです。
少年はまず、自身の槍を布で拭きました。
大事な槍です。
孤児院を追い出される際、孤児院長が贈ってくれた刃の大きなミスリル製の槍です。大きさのわりに軽く、体躯の小さい少年にも扱いやすいものでした。
冒険者となった彼を幾度となく救ってくれた槍で、少年にとって大事な相棒で大事な宝物で、眠れない夜は抱きまくら代わりに抱くほど愛着のある槍でした。
たまにサクーッと主の肌を裂く反骨心もありますが、それは少年の寝相と槍なんて抱いて寝るせいでしょう。
大事な槍を木に立てかけ、少年は魔物熊の解体を始める事にしました。
この世界の魔物は殺したら勝手に金になったり素材だけポロッと落とすという事は中々ありません。基本的に自分で頑張って解体しなければなりません。
少年はまず、魔物熊を仰向けにしました。
5メートルほどある魔物熊でしたが、少年が折れた木をテコとして使ったり、ロープを利用し引っ張り、トドメにちょっと踏ん張るとドシン、と落ち葉を吹き飛ばしながら仰向けになりました。
これは少年が魔術で身体能力を強化しておかげです。
少年は冒険者で、魔術師でした。
基本的な魔術は修めており、特殊なものだとルーン魔術等が使えます。
バッカス王国では魔術という不思議な力が広く一般に使われており、人間でも魔術を使えば獣を超える速さで走れたり、少年がルーン文字を使った罠のようのようなものも作れる大変都合のよろしい力です。
首の無い魔物熊を仰向けにし、マウントを取った少年はナイフを取り出し、しょりしょりと毛皮を剥ぎ始めました。魔物熊の毛皮はお金になります。
少年は討伐報酬に加え、魔物の毛皮等を売って追加の金銭収入を得る魂胆なのです。お金は時に魔術より都合のよろしい力となります。
バッカス王国の冒険者も様々で、魔物は討伐するだけで解体はしない者もいます。狩るだけでも討伐依頼を発布してるギルドがお金くれますからね。
ただ、少年は孤児院時代に魔物の解体方法も教え込まれて習得しているので、今回は解体する事にしました。
ただし、急いでやる必要があります。
あまり悠長にやっていると死にます。
いま少年が解体に使っているナイフの刃は先端が少しクネッと曲がった皮剥用のナイフです。先端が鋭利過ぎると毛皮どころか内臓までブスーッと破いてしまう可能性があるので、解体する部位によって使い分けていきます。
いいじゃん、どうせ殺して解体してんだから内臓ぐらい傷つけても! とか言って内臓までブスーッとやるとドバドバと血が出てきます。
血ならまだいいですが、消化器官から胃液なり溶けかけの人間の部位、下半身からウンコやシッコがビュッ! と出てきた時は悲惨です。状況によりけりですが、目的に合わせた解体方法を取りましょう。
迅速に出来ないなら帰りましょう。
最悪、本当に死んでしまいます。
理由は後で説明します。
少年は周囲をよく警戒しつつ、魔術でナイフを適度に強化しつつ魔物熊の股間から胸上までペリペリと切り、刃を止めた胸上から両前足の平まで切りました。
次に股間の切れ目から両後ろ足に向けて切れ目を入れ、既に切れ目を入れた正中線部分から布ガムテープでも剥がすように皮を片手で持ち、空いた手で皮と皮下にナイフを入れつつ、ベリベリと剥いでいきます。
仰向けの状態で剥げるとこまでいったら、ドテンと転がし次は背中の皮を容赦なく剥がしていきます。解体作業開始から五分後、体長5メートルほどの首のない魔物熊の毛皮が服のようにペロンと剥げました。
少年はちょっと渋い顔です。
内心、時間かけ過ぎたとか思っているところです。
平均的なバッカス冒険者に比べれば早いのですが、熟練の者にかかれば一分ほどでペロンペローンと剥けるので、その辺と比較してるようですね。ちょっと頭おかしい技巧の持ち主にかかれば生きたまま一瞬でペロンペローンです。
頑張った方なのですが、時間かけているとマズいのは確かです。
少年はその事を自覚しており、毛皮に加え、後は高値で売れる胆やいくつかの内臓を抜き取って帰る事にしました。内臓は薬、毛皮は鱗衣や服の材料になるのです。持って帰って売ります。
肉と脂も少し持って帰る事にしました。
魔物熊は比較的不味い魔物ですが、部位を選べば美味しいとこもあります。ゆっくり選ぶ時間はありませんでした。
「よし、あとは手だけでも……!」
そう呟いた少年は、方針転換し、ナイフを投げつつ槍を手に取りました。
直ぐ近くまで来ていた狼が投げつけられたナイフに怯み、次いで少年の突き出した槍に刺され、ゴボゴボと自分の血に溺れ死んでいきました。
少年を襲おうと近づいてきた狼は死にましたが、そう遠く無いところから狼達の遠吠えが演奏のように響き始めました。
少年は舌打ちを一つ。
潮時です。
少年は毛皮をぐるりと巻いてロープで縛り、大事な槍と荷物を持ち、崖を走って下りはじめました。まだ若く小さな彼でも、魔術で身体能力を強化し、上手いこと足を運べば垂直に近い岸壁でも十分下っていけます。
「ぬおっ!?」
ちょっと踏み外しましたが、死んでないのでセーフ!
最後はぴょん、と10メートルほどを飛び降り、魔術で強化された足で大地を踏みしめ、少年は狼達がうろつく森を後にしていきました。
狼達の名は森狼。
魔物の一種で、単独あるいは群れで行動する魔物です。一匹一匹は弱いのですが群れで襲ってこられると大変厄介な相手です。バッカスの駆け出し冒険者を何人も殺してきた悪名高く面倒くさい魔物です。
取れる部位がまだ高値で売れれば旨味もあるのですが、森狼の毛皮も肉も大した値段では売れません。そこそこ稼いでいる少年にとって、小銭程度のものです。
だから無理せず逃げる事にしました。
バッカス王国の都市郊外には魔物が沢山います。
魔物熊を一匹倒したところで、悠長に解体作業をしていると魔物熊を恐れ距離を取っていた魔物達が殺到してくる事もありえます。
解体して高価な部位を手に入れれば収入は増えますが、あまり欲をかき、解体に熱中していると他の魔物に寝首をかかれる可能性もあるという事です。
少年は功名心より仕事として冒険者をやっているので、無駄な戦闘を避けて収入を最大化するための工夫もしています。
例えば魔物熊から一定の距離を取って釣り、逃げていたのは罠に誘導するという理由もありましたが、解体場所の一面を崖としておく事で四足歩行の森狼が近づいてくる方向を限定したという事情もあるのです。
解体中も高値で売れるところを部位も選びました。全部を持ち帰るのは一苦労ですからね。荷物が増えればそれだけ危険も増えます。
ただ、少年には一つ手抜かりがありました。
全身が痒いのです。
虫殺し用の薬を忘れていたため、魔物熊の毛皮で元気に生きていた大量のノミやダニが少年の身体に「のりこめー」「おぉ~」とやってきたのです。痒いです。命に別状はありませんでしたが、少年はウンザリしました。
「風呂だ! さっさと毛皮引き渡して……風呂に行こう!」
少年はそう呟き、狼の群れからスタコラ逃げつつ街への道を急ぎました。
少年の名をセタンタ。
元孤児で、冒険者稼業をして暮らしているバッカス王国の住人です。
これはセタンタ少年の魔物との戦いを追いつつ、それに付随する冒険者達の街での生活や、彼らの使う道具、冒険者経済を覗いていく物語です。
もしよろしければ、ほどほどのところまでお付き合いください。
今日中に23話まとめて投稿予定です。異世界職業図鑑と同じ世界の話ですが、世界観共通なだけであちらは読む必要はありません。