今日から私、公務員を目指します。
「退職させていただきます!!」
その時の気持ちは、今でも思い出せる。
会社を辞めることへの興奮、そしてこれからの人生への不安、人並みの生活が出来る喜び。様々な感情が自分自身の脳内でがんじがらめになっている状態だった。
この会議室の中での静寂な空気。
支店長と二人きりで面と向かって話すことは勇気がいる。
会社は日本では三本の指に入るであろう大企業のハウスメーカー。
僕はその営業だった。
あーめんどくせえ、さっさとおわんねぇかな。この空気の中にいるだけでもしんどいんだよ。本社にきて、事務所の中も人がアホほどいるし、アウェイすぎるだろうが。
会議室はガラス越しになっているため、事務所内の雰囲気が見える。どれも見知った顔だ。自分が働いていた2年間によくこれほどまでの人と関わったものだ。同期が心配そうにこちらを覗いている。
やべえまじでこの空間に居たくねえ。
心押しつぶされるわほんまに。
冷や汗が溢れ出した手を抑えながら思った。
「考え直さんか?印田なら成績もええし、将来も売れっ子間違いないと思うぞ」
いやいやいやいや、僕何回も言ったよ。もう限界です。辞めさせてくださいって。
成績はよかったよ、がんばったよ。這いずり回って、深夜まで残業して、泊まって、徹夜して、表彰もされて、、、
けどいろんなものを犠牲にしすぎた。健康、恋人、休日。そして
「鬱病になりましたからね。一番はそれが大きいです。ほんとに悩みました。年収も普通の人の2倍は貰えます。仕事にも誇りがあります。
けど、、、もうゆっくり休みたいんです。」
本音だった。
「石の上にも三年という言葉があるようにな印田‥」
支店長は言葉を続けたが僕の耳にはそれ以上入ってこなかった。
石の上にも三年。
大人はよくその言葉を使う。
3年も働いて居ないのに、、、という言葉だ。
その言葉は絶大だ。
若者を見下し、根気が足りないとし、
否定する。
確かにそうかもしれない。
しかしその言葉を使うのは比較的楽な仕事をしている立場の方が多いと思う。
僕の仕事は残業時間をいれれば、そこらへんの普通の仕事の五年ぶん以上は楽に超えている。
僕は限界までやった。
石だと思ったものが拷問椅子だった。
そこで3年もいるより、次のステップに入りたい。
ストイックに限界まで2年間働いた。
だからこそ自分に後悔の気持ちはない。
「そもそも、次はどーするんだ考えてるのか?」
「まずは病気を治すことで、」
それで後は、
「公務員でも目指します!」
煌びやかに宣言した。
その後も支店長の留まらせようとする言葉は1時間以上も続いた。
公務員になれる人なんか一握りだとか、会社を辞めたら不幸せになるとか、休職にしたらどうかとか、鬱病でも仕事はできるとか、
もう十分だった。
僕にとってはその話を聞くのが苦痛でしかなかったし、とてつもなく長く感じた。
確かにブラック企業だった。
残業代は月に10時間しか払われない。まあその分ボーナスでインセンティブがかえってくるが。
もう金とかそういう問題じゃなかった。
「私は、この会社に感謝しております。でもこれ以上この会社にいたら自分の全てが無くなります。だから
公務員を目指します」
この言葉を残して僕は会社を去った。
24歳の初冬、ボーナスだけを貰って、胸を張って本社を抜け出した。
これまで打ち合わせや企画会議などで何回も何回も通った本社。
同期の西ケ谷と優秀表彰された思い出、そんな思い出も今となっては懐かしい。
ここにくるのは二度とないんだろうとおもいながら、薄手のコートを羽織り、後にした。なにか重いものから取り払われたように僕の足は軽く、
太陽は限りなく眩しかった。