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恋に堕ちた私の一生

今回めちゃくちゃ長いです。一万文字は軽く越えています。












 何もない部屋────女ならばあって当然の鏡台や化粧道具、貴金属といった類が一切無い部屋。


 あるのは一台のベットと、窓辺近くに申し訳程度にあるテーブルと一脚の椅子のみ…………。


 そのベットの上には己が妻であった少女が安らかな顔をして眠っていた。まるで今にも起き出しそうなその寝顔に、私は、まだ彼女が生きているのではないかと不意に思ってしまった………。


 テーブルの上に自ら渡した『貴族の旅路』の中身が空であることを考えれば、彼女は既に事切れているのは明白であるはずなのに…………。嗚呼………何故、私は彼女にこのようなものを渡してしまったのであろうか? 私は決して彼女のことを嫌っていた訳でも、疎んでいた訳でも無いのに…………どうしてこんなことになった? 私が────彼女に恋をしてしまったから?



 彼女────学園で出逢った私の初恋の人。



 彼女の笑顔を見れば私も嬉しくなり。彼女の悲しそうな顔を見れば私も悲しく、苦しいと感じた。


 彼女は幼馴染みで婚約者でもある人との関係に悩んでいた。婚約者の友人の一人である私とも時々ではあるが────よく、婚約者の様子を聞くことがあった。


 いじらしくも健気な姿に────私だけではなく、多くの異性ひとに彼女はどんどん好かれていったのだ。



 私も、その一人であった。



 そして彼女を見ていてふと思った。

 もし私の婚約者が彼女のような立場になったら私のことを気にかけてはくれるのだろうか? 彼女は私を好いているようだけれど………人の本心なぞどうやって見分けることが出来るのであろうか?


 そのことを彼女にもらしたら一つの提案をもらった。



「だったら────試してみましょう? 貴方の婚約者が、貴方をどこまで愛しているのかを」



 その提案に私は飛びついた。これから長い時間を夫婦として過ごす婚約者の本心を知れると思ったし、初恋の人である彼女と一緒に居られることが出来ると。しかしそうなると────彼女と彼女の婚約者との間に今度こそ溝が出来てしまうのではないか? 不安に思い、彼女に聞いてみれば……………。



「情けは人のためだけに非ず、ですよ。私も────あの人の本心をしりたいのです。協力すると言って起きながら…………私自身の為でもあるのですよ」



 苦しげに微笑む彼女にツキリと胸の痛みを感じた。私ならば彼女にこのような顔をさせないのに──────。



(いや、何を考えているんだ………彼女には、私には婚約者がいるんだぞ。今度のことだって、今後の為にしようとしているだけじゃないか────)



 心の中でそう言い訳して………私は自分の心に蓋をした。



 そして彼女と私が学園で共に過ごすようになるようになった。みな私達を見ては目を丸くして驚く。けれどもこの時の私は、後にこれがどんな事態を招くのか失念していたのだ………情けないことに。それほどまでに私は浮かれていた。たとえ嘘でも………彼女と共に居られる理由があることに────。


 しばらくすると彼女は嫌がらせを受けるようになっていた。彼女は────犯人は私の婚約者とその友人達だと教えてくれた。


 最初こそ信じられなかったが………何度も、何度も繰り返される嫌がらせに私は何時の間にか彼女の言い分を全て信じ込んでしまうようになっていた。


 嫌がらせに苦しみ、涙する彼女に私は自分の婚約者が心底憎いと思った。



(彼女に比べて────私の婚約者の、なんと浅ましいことか。文句があるならば直接私に言えばいい。どうして………単なる協力者である彼女にここまで酷い仕打ちをするのだ!!)



 恥ずかしいことに、この時の私は本当にそう思っていた。本来ならば婚約者を問いただして真偽のほどを窺うのが道理であるはずなのに。いや、そもそも私が勝手に始めたことを婚約者が知っているはずが無いのだ。それなのに私は、愚かにも彼女に責任転換していた。


 どんどんと彼女と疎遠になっていき───何時しか彼女と共にいることの方が当たり前になっていった。だからといって婚約者との間に特に亀裂が入ることもなく。私は亀裂が入らないことこそが婚約者が私自身ではなく、婚約者という立場を愛している証拠ではないかと疑った。何より婚約者は狡猾にも……自分が直接、私に意見するのではなく自身の家を通して私に諫言を言うようになってきた。それは婚約者の父親からだつたり、本人からの手紙だったりもした。


 私はますます婚約者が疎ましくなっていった。しかし私の一存で婚約は破棄できない。そうこうしているうちに彼女が一時学園に来なくなった。どうしたのかと思い、お忍びで彼女の家を訪ねたら……そこには嘆き苦しむ彼女の姿があった。聞けば婚約者に婚約破棄を一方的に言い渡されたというではないか。理由も分からず突然破棄された婚約にどうしても耐えられなくなり泣き伏せっているのだと聞いて私は彼女の元婚約者を殺したくなった。



 泣き叫ぶ彼女は………もう、貴方しかいないの―――といって私の胸に縋りついてきた。



 私は彼女に対する憐れみと愛情から、いけないと分かっていても彼女を――――――抱いた。



 それからわたしは彼女との関係を続けていった。学園を卒業してしまえばあの疎ましい婚約者と結婚しなければならなくなるが……私は、もう彼女を手放せるとは思えなかった。



 いとおしい人


 私の可愛い恋人


 私の、運命の女性――――――



 そうして学園生活を過ごしていくうちに卒業となり……私は婚約者と結婚した。


 彼女には何度も詫びた。本当に愛しているのは君だけだと、結婚式の前の晩は彼女を何度も抱いた。彼女こそ、私の妻だと心の中で叫びながら――――――。


 初夜の夜は義務感から務めを行いはしたが、その日以降は公式な催し以外顔を合わせることなく。私は彼女の元へと甲斐甲斐しく通った。そんな私に多くの人が苦言を呈してきたけれど、私は耳を貸すことなく拒絶した。父上と母上と、歳の離れた兄上とその妻の人からも忠告を受けたが……本当に愛する人とは結婚できぬのだから見逃してくれと懇願した。私のこの行動に家族は唖然としていた。義姉上は私のことを責めた。婚約者――――今はもう妻だが――――に申し訳がないと思わないのかと。愛人を作っても、せめてあからさまにせず、隠す誠意はないのかと。義姉上の言葉に私はギクリとしたが、先に私を裏切ったのは妻だと思い直し、義姉上からのせっかくの忠告を不意にした。


 それから私が妻と結婚してから4カ月後、妻が妊娠したとの報告を受けた。その報告は私に大きな衝撃を与えた。妻を抱いたのは初夜の一度きり。彼女は幾度抱いても身籠もらないのに、妻は一度で懐妊したのかと。


 私は信じられない気持ちになり、この事が父上達の耳に入らぬよう箝口令を引いた。報告した者も私が妻の身の安全と体をおもんぱがってそうするのだと誤解してくれたお陰で妻の妊娠は誰も知ることはなくなった。


 私は仕事も早々に彼女の元へと向かった。私が突然訪れたことに驚きながらも快く迎えてくれた彼女に…………私は、妻の妊娠を告げた。


 唖然とする彼女は────急に堰が切れたように私を責め立てた。酷い、私が貴方の最愛ではなかったの? どうして? 貴方の子を孕むのは私ではなかったの!?


 責め立てる彼女に私は詫びた。私とて自分の子は君以外に産んでもらう気はなくなった。だから私は妻を義務である初夜の夜以外抱いていない。私も………まさに一度抱いただけで身籠もるとは思わなかったのだと。そう弁解したのだ。


 私の話を聞いた彼女は、もしかしたら妻は不義を行ったのではないのかと言った。そんなこと、有るわけがないと私は反論した。妻の暮らすあの場所は、その万が一が無いように造られた特別な場所。許可無き者は誰であろうと踏み込むことが出来ない鉄壁の城塞なのだと。


 だが彼女は、その場所に入る以前ならばどうだと聞いてきた。最初から別の男の子を身籠もったまま嫁いできたのなら可能では無いのかと。


 その言葉に私は衝撃を受けた。

 確かに………最初から孕んでいれば初夜の一度抱いただけでも妊娠したと偽れる。彼女と共に過ごすようになってから妻の行動には無関心だった。有り得ない話では無い。いや───むしろそれしかない!!


 なんて女だ。私のことを愛していると言いながら他の男に身を任せていただなんて………。やはり、あの女は私の妻としての地位以外に関心なんてなかったのだ!! 生娘であるか否かなんて簡単にでっち上げられる。もしかしたら………彼女は密かにあの場所から抜け出していたのでは無いのか? そしてどこぞの男と不貞を重ねていたのだ、そうに違いない!!


 怒り狂った私は彼女に妻を断罪してくると告げて足早にその場を後にした。私は私自身に忠誠を誓う騎士達のみを連れて妻のいる場所へと急いだ。勿論、騎士達には本当の事を教えた。突然妻を幽閉すると聞いて彼等が私を諫めてきたからだ。しかし私の話を聞いた彼等は妻の不貞に憤慨してくれた。そして彼等の同意を貰えた私は妻を捉えて、そして────



「や、何? やめ……あっ、あぁああ!!」



 不義を働いた妻を騎士達に抑えつけさせ、妻の罪の証である子を下りるまで何度も蹴りつけた。


 何度も懇願する妻を私は許せなかった。未だに腹の子が私の子だと偽るその根性に、もはや吐き気しか感じはしない。


 子が確実に下りた証拠である血の筋を確認して私は騎士達に妻を閉じ込めるように命じた。



「貴様の顔なぞ二度と見たくはない!」



 そう吐き捨てて私は怒りに燃える感情を持て余しながらその場を立ち去った。妻の不貞は私の一族に対する裏切りに他なら無いが………だからといってこの事を公にすれば混乱と衝突は必定。妻の不貞の事実は完全に隠蔽するしかなかった。


 それはあの女が私の妻のままだということだが………業腹ではあるが致し方ない。これも全て国の為だと割り切った。


 妻の裏切りを癒やすように私は前にも増して愛しい彼女の元へさらに通うようになった。周りからの非難はさらに増したが………真実を告げられぬ以上、私は、妻は病に掛かり療養している。そんな妻との間に子を儲ける訳にはいかないから彼女を正式に愛妾に迎えると大々的に公表した。


 これには流石に父上達から猛反対を喰らったが、私は無理やり彼女を愛妾にした。


 それからの日々は人生で最高は幸せな時間だった。暫くすれば彼女は身籠もり、私は父となる喜びから大層浮かれていた。私の子を懐妊したことにより、父上達も渋々ではあるが彼女を私の第二の妻として公式に認めてくれることになった。



 しかし、そんな時間は長くは続かなかった。

 


 第二の妻となった彼女の懐妊を祝って、父上達が本来ならば立ち入ることの許さないあの女のいる場所に、あの女の両親を恩赦と称して招き入れたのだ。


 恩赦と称されたのは私が妻を幽閉した場所はそもそも一族の恥となる行為をした妻、娘を監禁する場所だったからだ。父上達には妻が不貞を犯したから私の手によってそこに入れられたのだと、私自ら説明した。父上達は私の話をまるっきり信じていなかったが………事実、その通りであるので私は妻を出そうとはしなかった。父上達は最後まで疑い、話を聞いた仕える者達も有り得ない、と否定して来る始末だった。


 妻の両親が面会を終えた直後に、私の両親と兄がいる会談室へと詰め寄った。何故…………妻に宿った子を無理矢理下ろさせたのかと。寝耳に水だった私の両親と兄は仰天して私にいったいどういうことかと問いただした。そして私は嫌々ながらもありのままの真実を両親と兄、そして妻の両親に語った。


 ────語り終わった直後に私を襲ったのは兄上の拳だった。母上は卒倒し、そのまま気絶した。父上はワナワナと震えだして私をキツく睨み付ける。


 妻の両親は互いに寄り添い涙を流しては、絶望した面持ちで魂が抜け出ている。生気の無くなったその顔は、まるで幽鬼のようだ。


 後からやってきた義姉上はその場の異様な様子に唖然としていた。父上と兄上から事情を聞いて沈痛そうな面持ちで妻の両親を見詰めたと思ったら私に向き直り手に持っていた羽扇も思いっきり私の頬を打ちつけた。



「愚かだとは思っていましたが………まさか、ここまでだったとは!! 衛兵! 今すぐ、この者を連れて行きなさい! そして先王が娘、シンシアの名の下に命じます。現国王が第二子、オスカーの証言通りに妃であるエリザベスが不貞を行ったのか。そして本当に腹の子は不義の子をだったのかを調べなさい!!」


「シンシアの、言うとおりにせよ……」



 衛兵と騎士達は恐る恐る国王を仰ぎ見て、国王自身が許可を出したことを確認した後にようやく動き出した。



「シシー……いくら君が先王の娘だからって今の国王は陛下なんだ。怒り狂う気持ちは分かるけど、あまり………臣下達が困ってしまうことをしてはいけないよ………」


「……ごめんなさい、貴方」



 項垂れる妻を抱きしめて王太子は弟であるオスカーを一度強く睨む。国王は自分の近衛に命じてオスカーがエリザベスの勝手な断罪の現場に居合わせていたであろう彼の騎士達を連れてくるように命じた。そしてオスカーが自室に連行された後に連れてこられた彼の騎士達は状況が飲めずに困惑しているようだったが、エリザベスの両親に気付くと射殺すような視線を浴びせてきた。


 そして騎士達は国王の命じるまま、オスカーがエリザベスにした仕打ちの数々を語るのだった。



「なんと……身籠っている己が妻の腹を蹴り飛ばしただと!?」


「夫として……いえ、男だろうと何だろうと人としての所業ではありませんわね………」


「っオスカー!!」



 気絶して、既に別室で休んでいる王妃がこの場にいなくて良かった。あまりにもオスカーの仕打ちは惨すぎる……。


 国王と王太子夫婦の様子から違和感を感じたオスカーの騎士達はそれでも国王の命令に従って報告を続けた。



「そして……殿下は子が流れたのを確認した後、妃殿下を幽閉なされました。妃殿下付きの侍女達の話によると………妃殿下は、二度と子が出来ぬ体になったとのことです」



 続けられた言葉に、その場にいた全員の空気が変わった。エリザベスの両親など、もう、気力のみで立っているような状態だ。



「お前達………オスカーに仕える騎士でありながら…………何故オスカーを止めなかったのだ!!?」



 国王の激しい叱責に、オスカーに仕える騎士達はもはや誤魔化しようが無い事態に、ようやく己らの思い違いに気付き始めていた………。



 まさか……いや………もしかして!?



「………妃殿下の堕胎は、陛下の、皆様のご意向では無かったので……………?」



 一人の騎士が不敬と思いつつも我慢出来ずに国王達に恐る恐る尋ねた。



「そうか………お前達はオスカーから彼女の堕胎は王族総意のことだと言ったのだな?」



 王太子の冷めた声音が騎士達の鼓膜を叩く。流れる汗を自覚しながらその騎士はいいえ………と、ぎこちなく首を横に振るった。



「ただ……殿下は妃殿下が不貞を犯した上に不義の子を孕んだ。そしてあろうことか殿下の子として偽ろうとしている。これは、王家に対する簒奪行為であり叛逆だ…………この事が公になる前に内々のうちに対処する。これは、全て国の為なのだと…………そう、おっしゃられました……………」


「─────」



 深い────深いため息が幾つも聞こえてくる。顔からダラダラ流れる冷や汗が床を濡らす。痛いほど沈黙の後に聞こえてきたのは、王太子妃の透き通っているかのような声。



「もはや話になりませんわね………。つまりアナタ方はオスカーの独断に従ったということね? そして王家の血を引いている可能性の高い御子を殺すことに協力したと…………そういうことね?」



 この言葉に騎士達はギョッとする。妃殿下の腹の子は不義の子では無かったのか────!?



「貴方達はオスカーの勝手な思い込みに巻き込まれたのね…………でも、だからといって貴方達がしたことが許される訳ではないわ。事実確認を怠り、ようやく生まれるかもしれなかった王家の御子を殺してしまったのですから。それ相応の覚悟をしておきなさい」


「「「!?」」」



 それは実質の死刑宣告であった。幾ら主君であるオスカーの命令とはいえ、確証の無い大事おおごとに対して勝手に判断を下し、王家の御子の殺害に手を貸してしまったかも知れない。もしそうならば、文字通りこの首は…………それどころか一族郎党死罪を賜っても可笑しくはない。



 騎士達はこの時、心から祈った。

 どうか────オスカーの判断が間違いでは無かったように。妃殿下が事実、不義の子を身籠もっていたのだと彼等はそう祈ったのだった。




* * *




 自室に強制的に戻されたオスカーは苛々しながら部屋の中をひたすら歩き回った。何故自分が父上達に責められなければならないのか? 何故自分がこのような目に遭わなくてはならないのか?


 悪いのは不貞を行い、不義の子を孕んだエリザベスであるはずだ。決して………オスカーが叱責を受ける話では無い。



 ────それもこれも、全てエリザベスがいるせいだ。エリザベスがいるせいで。エリザベスさえいなくなれば……………。



「おい、今から言うものを用意しろ。早急にだ。いいな!!」



 近くに控えていた侍女にあるものを用意するように命じた。侍女はオスカーの命令に顔色を悪くしたけれど苛々と睨み付けるオスカーに恐れを為して急いで言われたものを用意した。


 侍女から受け取ったものを持ってオスカーは自室から出ようとしたが、シンシアがオスカーの連行を命じた衛兵がそのまま自室の前で見張りをしていることに気が付いて舌打ちした。


 が、オスカーは寝室に入るとその部屋にある隠し扉から部屋を抜け出した。


 部屋から無事に抜け出すことに成功したオスカーは、そのままその足でエリザベスを幽閉している離宮へと向かった。そしてエリザベスが居るであろう部屋に許可なく立ち入った。


 乱暴に開けたドアの向こうには憔悴仕切って茫然自失状態のエリザベスが、窓辺近くの椅子に座っている姿だ。


 幽閉された者は身の回りの世話をする者を必要最低限に抑えられる。そして幽閉されている者との必要以上の摂取を禁じられる。その所為か、エリザベスの部屋の中にも外に通じる通路にも侍女や女性騎士の姿を見ることは無かった。



「……………」



 突然侵入してきたオスカーに気付いているのか、気付いていないのか? エリザベスは外を眺めるばかりでオスカーの方を振り向こうとすらしなかった。


 そんなエリザベスに、オスカーは一つの小さな小瓶をテーブルの上に置いた。



「本当は貴様の顔など見たくも無かったが………貴様の両親が、恥知らずにも父上達に貴様の腹の子は私の子であると抜かしてな。せっかく私が隠匿した貴様の不貞は、公の下に晒されることになったぞ? 良かったな? 貴様の両親の所為で私の苦労は水の泡だ! この一件の所為で王家の信頼は揺らぎ、他国からも侮りの眼差しを受けるだろう!! それもこれも、全てはエリザベス! 貴様の所為だ!!」



 憎にくし気にエリザベスを睨み付けたオスカーは一旦、息を落ち着かせてからテーブルに置いた小瓶を指差した。



「貴様のような女が今も息を吸っていることすら忌まわしい…………夫としてのせめてもの情けだ。眠るように死ねるという『貴族の旅路』を貴様にくれてやる。自分の身の振り方ぐらい、自分で決めるがよかろうよ」



 正式に罪が確定すればエリザベスは公開処刑される。栄えある貴族の娘からすれば耐え難き屈辱であろう。最も罪が確定した時点でエリザベスの両親も連座で罪に問われることになるが。


 言うだけ言ってさっさと帰ろうとするオスカーの背中に今まで黙っていたエリザベスが声を掛けた。



「夫としての情け、ですか…………ふふっ、オスカー様? 貴方の言うところの情け…………有り難く頂戴致しますわ」



 それほど大きな声でも無かったのに、不思議とはっきりと聞こえたエリザベスの言葉にオスカーは鼻で笑うのみだった。



(何を今更しおらしくしおって………流石に王家を欺ことした女でも苦痛の死は怖いということか。くだらない)



 毒薬を渡した時は、確かにそう思っていた。しかし数日が経ち、国王と王太子に呼び出されたオスカーの前に突きつけられたのは信じられない事実であった。



「今………なんて……………?」


「お前の妃であるエリザベスの腹に宿った子どもは間違いなく、オスカー………お前の種だったと言っているのだ。つまりお前は無実の妃を不当に貶めたばかりか自分の子を、身勝手な勘違いで手に掛けた愚か者だということだ!」



 父である国王の侮蔑と軽蔑に満ちた眼差しにオスカーは反射的に反論した。



「そんなはずありません!!」


「何の自信があってそう断じるのだお前は!! ろくに裏も取らずにふざけたことをしおってからに! お前とエリザベスの婚約及び婚姻は国王である儂自ら整えたものなのだぞ!? 国政の一環である婚姻を蔑ろにして愛人に入れ込むばかりか、正当な妻であるエリザベスの子は殺して愛人の子は立たせる! これを見た王侯貴族はどう思うのか? それすら分からなかったか!!?」


「そしてお前が王家に仕える者を信じていなかったことも問題だ」


「兄上………」



 もはや虫けらを見るかのような王太子。幼い頃から見守ってくれていた優しい眼差しはなりを潜め、どこまでも冷徹な視線をオスカーに向ける。



「王族の………特にその妃が住まう館は王家に絶対の忠誠を誓うもの達で固めている。今回、お前がたとえどんなに疑わしく思っていたとしても彼らにキチンと筋を通して調査を頼めば、それで事すんだであろうに………勝手な思い込みでエリザベスを処罰したお前を見て彼らは『自分達は信用されていない』『どんなに尽くしても王族がそれに応えることはない』と王家に不信を抱いたぞ。我が国が、正しき血筋で継承することが出来るのは偏に彼らの尽力があってこそ…………その絆を、お前は傷付けたんだ!!」



 身の内に抑えこんでおけなかったのだろう。王太子は、最後は叫ぶようにしてオスカーに怒鳴りつけた。



「そんな………わ、私は…………私はそんなつもりでは!?」


「黙れ!! オスカーよ。事態が収束するまでお前には謹慎を命じる! 詳しき処罰は、その後にあると心得よ!! …………連れていけ!!!」



 引き摺られるようにオスカーは連れて行かれた。最後に見えた光景は俯く父親の姿と、疲れた面差しをした王太子の姿だった。


 自室に閉じ込められたオスカーは、茫然と部屋の中で呆けていた。



 エリザベスの孕んでいた子どもは真実自分の子どもだった? エリザベスは不貞などしておらず…………私は、単なる勘違いで妻であるエリザベスを批判し、あまつ新たな命の宿っていた腹を蹴りつけて無理やり流産させた? 私は────私の手で自分の子どもを殺した?



「うっ………う゛え゛ぇ゛え゛え゛え゛え゛」



 胃の中の全ての物をその場に吐き出した。己の仕出かしたことの重大さと重圧がオスカーの両肩にのし掛かる。もはや吐くものも無くなり、胃液しか出なくなってもオスカーの吐き気は治まらなかった。



「私は………私はなんて事を!!」



 ガタガタ、ガタガタガタガタと震える体を押し留めようとするかのようにキツく、キツく自身を抱きしめて押し寄せる恐怖感から逃れようとする。



(彼女の………彼女の下に行きたい……………嗚呼……私の愛しい人、私を助けてくれ。私はもう。怖くて怖くて仕方がない…………)



 何時も優しく微笑みかけてくれる人。彼女ならばオスカーの恐怖心と罪悪感を解ってくれる。辛いとき、オスカーの話を聞いて慰めてくれるのは何時も彼女だった。学園時代、当時婚約者だったエリザベスは、あまりにも王族の花嫁として完璧過ぎて、オスカーの不安や愚痴をこぼすには向かない人であったから。


「……………エリザベス?」



 ふと思い出した。そういえば…………父上達にエリザベスの子を下ろさせた事がバレて、自分は腹立ちのあまり侍女に───────



「エリザベス!!」



 オスカーは隠し扉から逃げ出した。


 そうだ。あの時自分はエリザベスに自決用の毒を渡した。エリザベスが死んだと聞こえてこなかったから死ぬ覚悟が出来ていないのかと馬鹿にしていたが………………もし、エリザベスが『貴族の旅路』を飲んでしまったら─────?


 必死で駆けて、エリザベスを幽閉した離宮に着いたオスカーはエリザベスのいる部屋の扉をこじ開ける。



「エリー!!」



 そして冒頭に戻る。


 オスカーは現実が信じられないのかその場にへたり込み……………オスカーが部屋から逃げ出したことを察した騎士達が見つけるまでひたすら眠るように死んだエリザベスの死体を見続けていたのだった。




 

オスカーは身勝手過ぎていますね。

作者の個人的にはチョッキンしてもいい気がします?


次回は最終回の復讐編です。

誰が。誰に復讐するのかお楽しみしてください。

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