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初夏の花嫁

作者: 安栖 咲

「やはり……」


 男は薄暗い部屋で一人、顎に手を当て思案の表情を浮かべていた。黒地に金の刺繍が入った品のある服は、決して豪勢ではないが男の地位の高さを如実に表していた。

 男は一度深く頷くと、満足気に笑みを浮かべた。それは世の中の女性、いや、老若男女問わず思わず見とれてしまうような魅力的な微笑みだった。


「やはり、初夏の花嫁というのは美しい」

 男の前にはウェディングドレスを纏った精巧な人形が立っていた。まるでミルクのように白い肌は陶器と見紛うほどに滑らかで、サファイアのように青い瞳がよく映えている。それらを更に引き立たせているのは、美しい金髪だ。

 ドレスに合うよう複雑に結い上げられているものの、絹のような美しさは少しも損なわれてはいない。濃い金髪はまるで太陽のような輝きを放ってすらいる。


 無論、美しいのは顔立ちだけではない。愛らしい顔に目がいくが素晴らしいのは身体のバランスもだ。剥き出しの腕は腰の前でゆったりと可愛らしいブーケを持ち、裾の長いドレスに隠れている足はその細さが強調されている腰の位置からしてもスラリと長いのは明白だ。

 腰回りはほっそりとしているものの、胸は女性らしい膨らみが確かにあり、柔らかそうなその質感に世の男性は思わず見入ってしまうだろう。


「さあ、これで完成だ」

 男は人形に緻密なレースが全体に刺繍されているベールを被せ、その頬を撫でた。頬は柔らかいらしく男の指の形に沿って窪む。


 人形と呼ぶには、余りにも精巧である。しかし男はそれに疑問を持つでもなく人形に背を向け、部屋を出て行った。


◇◇◇


 男の名はアルディール・フランといった。まだ二十代に差し掛かったばかりとかなり若いが、彼が伯爵家の当主となって既に三年が経過していた。アルディールを知るもの全てが口を揃えて「優秀だ」と言うであろう彼の経営手段は天賦の才と言っても過言ではないものだった。


 幼少の頃に最愛の母を病で亡くし、十八の時に父も亡くし、その直後に心底から愛し合っていた婚約者を亡くしたが、アルディールは気丈にも当主を務め、今やすっかり彼の領地は安定している。

 近頃では彼に妻を、跡継ぎをと望む声が上がっているが、未だに婚約者を愛しているアルディールは見合いすら承諾したことはなかった。


「今日も、いい天気だな」

 アルディールは自らの治める領地の見回りをするために馬に乗って空を仰いでいた。初夏の空は清々しく晴れ渡り、日の光も強過ぎはしない。実に過ごしやすい気候であった。


 アルディールは閑散とした村外れまで歩を進め、その近隣に住む村民にまで話を聞く。

「ご機嫌いかがですか、アルバさん。足の具合は随分とよくなったようですね」

「あらまあフラン様、ご機嫌よう。お陰ですっかりですよ」

「フラン様!先日は子供を助けていただいて、本当にありがとうございます」

「フランさま!みてみて、このお花、さっき摘んできたの」

 親身なアルディールは多くの領民から慕われ、信頼されているようだった。


 アルディールは村民達の話を聞き終えると裏路地へと進んで行った。そして、そこで擦り切れた衣服に身を包んだ二人の姉弟と出会った。貧しさ故にだろう、二人ともやせ細っている。


「ご機嫌よう。私はアルディール。君たちは?」

 馬から下りて視線を合わせ、アルディールは優しく聞いた。姉の方は十六、七歳、弟の方は十になるかならないか、といったどちらもまだ育ち盛りな姉弟だ。

「領主様……」

 姉の方は呆然と呟いた後、ハッと息を飲んで深々と頭を下げた。弟の頭も下げさせ、畏敬の念でも感じているのか小刻みに震えている。


「顔をお上げ。君たち、身寄りは無いのかい?」

「は、はい。先月に流行り病で両親が亡くなりました。親戚などは頼るには余りに遠く、顔さえも知りません」

 アルディールの意図を図りかねるのか、少女は怖ず怖ずと顔を上げて答えた。


「そうか。私にも、身寄りはないんだ。もしよかったら、私の屋敷に住み込みで働きに来ないかい?君たちの部屋は勿論、食事や服も此方で用意するよ」

 にこりと微笑んだアルディールに頬を赤く染め、少女は俯いた。しかしアルディールの申し入れを断る理由などはなく、弟共々アルディールの屋敷に使用人として仕えることとなった。


 少女はリリー、少年はアレクと名乗った。風呂に入り身なりを整えると二人は見違えるほどその愛らしさが浮き彫りになった。やせ細ってはいるものの、病気などもなく健康そうではある。


 アルディールは二人に簡単な仕事を与え、他の使用人達と同じくあたかも家族であるかのように接した。二人もすぐに屋敷の仕事や他の使用人達に慣れ、幸せそうに暮らしていた。屋敷の人間達はこの二人のようにアルディールに居場所を与えられた者が多い。そのことも、アルディールが領民たちに信頼を寄せられる理由の一つであった。



 そうしてリリーとアレクの二人が屋敷へやってきて数ヶ月が経った頃のことだった。屋敷の中庭ではアルディールが寝そべり、その傍らにリリーが佇んでいた。アルディールを見つめるリリーの眼差しは、敬愛からいつしか一人の男性へと向ける愛情に変わっていた。

「リリー、君がこの屋敷に来て、随分経ったね。君には、随分と助けてもらったよ」

「アルディール様のお役に立てたのでしたら、とても嬉しいですわ。私達兄弟はアルディール様に返しても返しきれない御恩がありますもの」

「リリー、気が付けば私は君が居なくては耐えられなくなってしまったようだよ」

 リリーは首を傾げ、寝そべっているアルディールの瞳を覗き込む。


「つまりね、リリー。私は君を愛しているんだ」


「まあ、アルディール様。そんな風に言っていただけるだなんて」

 嬉しそうに微笑むリリーだったが、アルディールは真顔になってリリーの前に跪いた。


「リリー、君は勘違いしているようだね。私は家族という意味ではなく、一人の女性として君を愛しているんだ。私のこの想い、受け取ってもらえるだろうか」


 途端にリリーは顔を赤く染め、口元を覆い隠した。呼吸困難に陥ったように幾度か深呼吸を繰り返したが、リリーは落ち着かない様子で俯いた。

「どうかな、リリー」

 静かな問いに、ようやく笑みを浮かべた。恋する少女が浮かべる、とても可愛らしい笑みだった。

「勿論です、アルディール様。私も、密かにあなたをお慕いしておりました」



 それから二人は恋人となった。しかし公にはせずに二人だけでこっそりとだ。リリーは弟であるアレクに対して幾らか罪悪感を覚えているようだったが、それすらも恋の前では無力であった。その密かな交際は、彼らが出会った頃の季節になるまで続いた。

 ある日のこと、いつものように二人で中庭にいるところをアレクに見られ、二人の関係はアレクに知られてしまったのだ。

 アレクは激しく動揺して走り去ってしまい、リリーは罪悪感に押しつぶされそうになっていた。その日は二人とも気まずさからか一度として口を聞くことはなかった。しかしリリーはアルディールとの関係を絶つことはなかなか決められないようであった。


 翌日、アレクは朝早くにアルディールの元へ赴いた。

「アルディール様、昨日は誠に失礼致しました。姉とのことですが、どうか姉をよろしくお願い致します。姉が甘えることができるのは、恐らくアルディール様だけでしょうし」

 キッパリと言い切ったアレクにアルディールは目を白黒させたが、やがて嬉しそうに微笑んだ。

「良かった。リリーはずっとアレクのことを気にしていたんだ。君に祝福してもらえると聞いたら、一体どんな顔をするだろうね。呼んでおいで、アレク」


 アレクは言いつけに従いアルディールの部屋を後にしたが、すぐに慌てた様子で戻ってきてアルディールに一枚の紙を渡した。

「部屋に、これが…!姉はどこにもいなくて、荷物も少しなくなって……!」

 取り乱した様子のアレクから紙を受け取り、アルディールは素早くそれに目を通した。読み進めていくにしたがい、顔色が悪くなっていく。


「なんて、ことだ……」

 アルディールはどさりと椅子に身を沈め、紙を放り出す。それは、リリーからの置き手紙だった。アレクとアルディールに宛てられたもので、要約すると“主に恋をするなど愚かだった。アレクのためを思えば慎むべきであり、今は罪悪感に胸が押しつぶされそうである。大事になる前に私は責任を負って屋敷から出て行く”といった内容のものであった。


 一使用人として、主と恋に落ちるなど世間ではやかましく非難されることだろう。リリーの選択は、世間的に見れば正しい行動であった。

 しかし、残された者達は納得することができない。アレクは間もなく屋敷を去り、アルディールは食事も摂らずに自室に籠もるようになってしまった。


◇◇◇


 数日後、アルディールは自身の部屋にある隠し部屋でウェディングドレスを着た一体の精巧な人形と向き合っていた。

 その人形の肌は白く滑らかで、瞳は薄いブラウンだ。複雑に結い上げられている髪は艶やかな黒髪だった。


「やはり、初夏の花嫁は美しい」

 アルディールは呟き、人形の頬に指を滑らせた。頬は柔らかく、指に沿って窪む。


「綺麗だよ、リリー」


 アルディールが部屋を去った後には、ウェディングドレスを着た美しい人形達だけが残された。

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