九 美味なる男
舜海はふと目を覚ました。うとうとしていたらしい。
傍らを見ると、千珠は相変わらず同じ姿勢で眠っている。よほど疲れたのだろう。
ーーまだ黒髪……ああ、夜が明けていないからか。ほんまにきれいな顔や。人間じゃないみたいや。……って、人間じゃないか。
その寝顔に見惚れていると、昨朝の柊の言葉が思い出された。
光政に抱かれる、千珠の姿。
いつも無表情で高飛車で生意気な千珠。しかしたまに見せる笑顔はとても綺麗で、その場がきらきらと光り輝くように見えたものだ。
戦の最中は、返り血を浴びながら、一枚の感情も窺い知ることのできぬような、凍った仮面の如き無表情で敵を斬り裂いていた千珠。
そんな千珠が快楽に喘ぐとき、どんな表情を浮かべ、どんな声を漏らすのか……。舜海には、全く想像がつかなかった。
「何考えてんねん、俺」
「……んぅ……」
呻き声がしたため腕の中をもう一度見下ろすと、千珠が顔をしかめて苦しげに身動ぎをしている。
「あう……ううっ……!」
「千珠?どうした」
「うううっ……うあぁ!」
「千珠!起きろ、千珠!」
あまりに辛そうなその姿を見かねて、舜海は千珠を揺り起こす。
ぱちっと開かれた両の目は、まるで恐ろしいものを見たかのように大きく見開かれ、細っこい両腕を突っ張って舜海を引き離そうとしたようだが、それは全く上手くはいかなかった。
普段ならば肋の二三本折られてしまうであろう千珠の怪力だが、人の姿であるせいか、それはまるで非力であるからだ。
「おい、俺や、俺」
「舜……」
「大丈夫か?悪夢でも見たんか?」
「う……ううっ」
千珠の黒い瞳からぽろぽろと大粒の涙が流れ出し、舜海は仰天した。
「ど、どないしたんや!?」
「うう……うえっ……う……」
「千珠、大丈夫やから。な?大丈夫やから、落ち着け」
舜海は起き上がって千珠を抱き締めながら、必死で背中をさすって宥めにかかる。
「怖い夢、見たんやろ?大丈夫やで、俺がおるから、な?」
「う……ぐすっ……」
千珠は鼻をすすりながら、舜海の黒衣にしがみついて震えている。華奢な背中を抱き締めながら、舜海はただ大丈夫だと伝え続けた。
しばらくそうしていると、千珠の嗚咽が収まってきた。
舜海は千珠の表情を確認すべく、肩にそっと手を添えて身を離す。すると、上目遣いにこちらを見上げてくる千珠の潤んだ黒い瞳に、どくんと心臓が跳ね上がる。寂しげで悲しげなその目が、舜海に庇護されたいと懇願しているように思われて、その可愛らしさに眩暈がした。
次の瞬間、何を考えるより前に身体が動いて、舜海は千珠に口付けをしていた。
目一杯抵抗されるかと思っていたのに、千珠はまるで身動ぎせず、むしろ舜海の唇を下から啄み返してくる。その柔らかな唇の感触と甘い吐息に、舜海は我を忘れていた。
舌を忍び込ませ、貪るように乱暴な接吻を繰り返しながら、千珠を荒々しく床に押し倒す。着物の合わせ目がしどけなく開いて、白く滑らかな脚がむき出しになることも構わず、千珠の脚が舜海に絡みつく。
「はっ……はあっ……は……」
切な気な声を漏らす千珠の表情が見たくなり、舜海は千珠の唇を解放してその顔を間近で見つめた。艶のある長い睫毛に縁取られた、玉のように美しい瞳と視線が絡み合い、心臓が大きく震える。
「……お前は黒髪でもきれいやな」
「え?」
「あ」
舜海はぱっと千珠から離れた。顔から火が出そうだった。
ーーおい、一体何をしようとしたんや、俺は!!ありえへんやろ!こいつは、男やのに……!
「す、すまんな。お前の顔、めちゃきれいやから。女と勘違いしてもうたわ、はは、ははは」
赤くなりながらそっぽを向き向きそんな言い訳をしていると、背中に千珠の手が触れる。
「お前の気、すごく美味だな」
「……え?」
「美味い、すごく。今の俺は、空っぽだ。だから……もっと欲しいよ」
まるで想定外の反応に戸惑い、舜海はそろそろと千珠に向き直る。そして、誘うようにこちらを見上げる潤んだ瞳に、また性懲りもなくどきりとさせられていた。
「な、何、言ってんねん」
「舜海、舜海……」
千珠は再び泣きそうな表情になりながら、うわ言のように舜海の名を呼びしがみついて来る。そんな千珠の色香に勝てうるはずもなく、舜海は非力なその身体をまた組み敷いていた。そして、もう一度舌を絡め合う。
千珠はそれを拒まない。首筋や胸元へ舜海の唇が降りていくことも、拒まなかった。
「……お前、暴れへんかったら、このままやるぞ」
その耳元で、舜海は熱っぽい声でそう囁く。千珠は何も言わず、その代わりのように快感に震えるため息を漏らした。
その瞬間、舜海の理性が崩壊した。
❀
日が昇るまで二人はそうして身を重ねていた。何度も何度も、千珠にそれを求められるままに。
舜海は汗で濡れた千珠の肩を抱いて、ことの後の千珠の表情を見つめる。
「お前、なんやろな」
「ん?」
「あかんて、良すぎやわ」
「……」
千珠は何も言わない。舜海は冷えてきた千珠の身体を暖めるように、もう一度強く抱き寄せる。
「よかったんか?これで」
「……何が」
「俺はもう前みたいに戻れへんかもしれへん」
「え?」
「お前のこと、そういう風に見てまうぞ」
「いいよ、お前なら」
「え」
千珠はちょっと笑った。
「妖力が無くなってる今だからかな。お前に抱かれて霊気を注がれると……今までの不安が嘘みたいに安心するんだ。何でだろうな」
「……そう、か。でも、殿じゃあかんのか。お前のこと、大事にしてはるみたいやし、これからだって」
千珠は舜海の言葉を遮るように頭を振った。
「光政は霊力を持たぬ只人だ。それに国のためにも、もうこれ以上こんな関係を続けたくない。あいつの想いには、応えられない」
「……」
「あいつは、初めて俺に居場所をくれた暖かい男だ。だからこそ、な……」
千珠が光政を想う気持ちが伝わってくると、舜海は複雑な気持ちになってしまう。何も言葉を返せずにいると、隣でむくりと千珠が身を起こした。
黒かった髪の毛が徐々に光を吸うように、輝く銀色に色を変えつつある。舜海は、そんな変化の瞬間をまじまじと見ていた。
「目が」
暗がりの中で黒曜石のようにきらめいていた瞳も、朝日に染まるようにみるみる琥珀色に変化していく。
「きれいや……」
舜海は吸い寄せられるように瞳を覗き込み、千珠の頬に手を触れた。すると千珠はいつものように赤い唇をちょっと吊り上げ、高飛車な笑みを浮かべた。
「もうすぐ、お前にも勝てる身体に戻る」
「何や急に生意気になりよって……ぐうっ!」
一瞬にして、今度は千珠が舜海の上に馬乗りになり、首を片手で捉えた。するすると爪が伸び、白い指に鉤爪が蘇る。
千珠は舜海の首を掴んだまま顔を近づけると、ちろりと舌を出して舜海の鼻先を舐めた。舌なめずりをする千珠の瞳孔が、獣のように縦に細まる。まるで獲物を得て喜んでいるかのように。
「美味そうな男だ。欲しいな、お前のことは丸ごと」
そう囁きながら、千珠は舌で今度は舜海の唇をぺろりと舐めた。
白珞鬼。
人を素手で殺めることも出来る、妖鬼。
それが千珠だ。
舜海ははたとその事実を思い出す。
千珠がその気になれば、舜海の首など一瞬でへし折ることが出来るし、文字通りあの世に送ることだって容易い。それだけの力を千珠は持っている。
「今怖くなっただろ」
千珠は猫がじゃれつくように、舜海の耳朶を甘噛みしながら囁いた。その声には舜海をからかうような声色が含まれている。
「正直な」
「安心しろ、喰ったりしないよ」
「喰えるもんなら、喰ってみろ」
そう言いながら千珠のはだけた衣の襟を引き寄せ、乱暴に荒れた畳の上に組み敷く。
「いって!」
不意打ちを食らった千珠は、顔をしかめて舜海を見上げる。そんな千珠の唇に、舜海は再び貪るような荒々しい口づけを降らせた。
「そんなに欲しいなら、もう一回、してやる」
「あ……っ!」
舜海が時間をかけず、荒々しいやり口で千珠の身体を貫くと、千珠はどこか悔しげに眉根を寄せながらも、挑発的な目つきで舜海を見返した。しかし拒むことはせず、しなやかな腕を舜海の首に絡ませて自らも身を寄せる。
行為の間中、舜海は千珠の琥珀色の瞳から一時も目が逸らせずにいた。美しく淫らなその双眸に、身も心も喰われてしまうかのように。
「ほんまに、たまらへん……お前」
「はぁっ……あ、はっ……はぁ……!」
段々と互いの身体が馴染むにつれて、千珠は頬を朱色に染め、はにかむように長い睫毛を伏せながら喘ぎ声を漏らす。
その度、力では到底敵わぬ千珠を屈服させたような心地になり、舜海の動きは更に激しさを増してゆく。
汗に光を纏い、火照りに目の縁を赤くする千珠の蕩けそうな表情にも酔いしれながら、舜海は飽くこともなく千珠を抱き続けたのだった。




