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三 罪の意識

 千珠の功績は甚大であり、重臣たちが千珠へと向ける目線の変化は、歴然であった。兵たちも皆、畏敬の念を込めて千珠を仰ぎ見るようになっていた。


 夥しい血に濡れながらも、眉一つ動かすことなく死体の山の中佇んでいた千珠を見て、畏れを感じない者はいなかっただろう。


 ーーまさかあれほどの力とは……。くそ、脚が震えてしもた……。


 舜海は悔しげに、舌打ちをする。

 青葉軍の中でも、舜海は光政の右腕といえる高位にいる。幼い頃から鍛錬を積み、光政とこの国のために日々精進を重ねてきたという自負もある。

 しかしふらりと現れた千珠は、舜海が積み上げてきた今までの功績を一瞬で塗り替えるほどの働きをして見せたのだ。


 ーーこれが、鬼の力か……。


 悔しがる方が、どうかしている。それ程の圧倒的な力の差を目の当たりにして、舜海はこの苛立ちをどうしても抑えきれずにいる。


 ーー人間の俺に、敵うわけがないんや……。


 それはただの言い訳にしか思えず、舜海は奥歯を噛み締めて眉を寄せる。



 ✿



 青葉の軍勢は、森の中に佇む廃城に陣を張っていた。数年前に戦で敗れた国の一族の城である。


 あの後の行軍は、異様な雰囲気であった。

 あんな力を見せつけられ、唯輝もただ黙っていることしかできない様子だった。

 そんな皆の視線を嫌ったのか、千珠はふらりと姿を消してしまっていた。


 光政は兵たちに軽く労いの言葉をかけながら、あちこちが崩れて草に埋もれかけている城壁の中を歩いた。そして、城門の外で見張りに立っていた舜海の横に立つ。

「お前、軍議にも出ないでこんな所にいたのか。まぁ、話すこともないか……」

「……どうです?皆の反応は」

「皆千珠をなめていたからな。今は皆、言葉もない」

「あれが鬼の力か。俺らがなんぼ束になっても敵わへん。これからどう接していっていいやら……」

 舜海は少し険しい顔で、腕を組む。

「なに、普段のあいつはただの子どもだ。俺達まで態度を変えては、可哀想だろう」

「まぁ、そうやけど……。そういえば、あいつはどこに?」

「身を清めたいと言っていたが、遅いな」



 ✿ ✿



 千珠は廃城から少し離れた場所に小さな沢を見つけて、血のこびりついた身体を清めていた。

 水が冷たいが、久々に人を斬って昂った妖気を落ち着かせるには、丁度良い。

 

 千珠には昔から、仲間たちにひた隠しにしていたが迷いがある。


 人間を殺すことへの、迷い。


 幼い頃、修行中に初めて人を切り裂いた時、身を守るために僧兵を殺した時。

 その時は、この手で命を奪うことへのためらいも感じ得ず、むしろ血が滾ることへの快感すら覚えているというのに、後に襲ってくる激しい罪の意識には耐え難いものがあるのだ。


 脆い人間の肌を引き裂く時、柔らかく鉤爪にまとわりついてくるような肉の感触や、痛みと恐怖に慄く人間の叫び声、恨みのこもった視線を思い出す度、足がすくむ程に恐ろしくなった。


 頭が割れるように痛む。


 千珠は水を浴びながら、自分の掌を見下した。

 もう血はついていないのに、自分の手が真っ赤に染まっているように見え、千珠は愕然と両掌を見下ろす。


 涙が零れた。


 怒りに任せて武者を引き裂き、昂ぶり滾った気迫のまま、一軍をこの手にかけた。

 恐れられ、怯えられ、化物と罵られた。

 非力な人間たちの首を狩り、血を浴びながらそれを快楽と感じていた自分には、紛れもない鬼の本能が宿っている。


 ーーなのに、なんでこんなに、苦しくなるんだ。なんで、涙が流れるのだ。俺は鬼なのに……心は人間よりも、脆く、弱い。

 

 千珠は水の中に映る自らの姿を見下ろして、顔を覆う。


 思わず嗚咽が漏れそうになったとき、ふと、嗅ぎ慣れた匂いに気付いた。


「おおい、千珠!」

 遠くから舜海の声が聞こえ、茂みをかき分けてくるその姿が視界の中に映る。

「遅い遅いって、殿が心配しとる……って、うわ!」

 舜海は振り返った千珠の裸体を見て、慌てて後ろを向いた。

 しかし、よく考えると、千珠は男である。背後から、含み笑いが聞こえてくる。


 振り返ると、白い単を身に着けただけの千珠が、腕を組んですぐ後ろに立っていた。

「何してる。見たければ見ればいいのに。お前、(うぶ)なやつだな」

「だ……誰がか初やねん!なめんなよ、お前のほうがお子様やろ!その……ちょっとびっくりしただけや!」

 舜海がいきり立つと、千珠は可笑しそうに笑った。

 初めて見るその笑顔に、舜海はもっと浴びせてやろうと思っていた雑言を忘れていた。


 肌が透ける白い衣も、濡れて水の滴る長い髪も、舜海が見てきたどんな女よりも千珠は美しい。


「何を見てる。やっぱり裸を見たかったのか」

「うっさいな、ちゃうわ!」

「寒いな……その羽織、貸せ」

 千珠は手を突き出して、舜海から羽織を剥ぎ取る。舜海は渋々それをくれてやると、肌が隠れて話がしやすくなったこともあり、ようやく千珠に向き直った。

「お前、衣は?」

「あれは俺の妖気を具現化したものだ。気を鎮めてしまったから、今はまだ出せない。さっきのは血みどろだし……」

「あぁ……」

 舜海は、ふと死体の山の上に立っていた千珠の姿を思い出す。血に濡れた赤い衣と、冷え冷えとしたあの瞳の色を。


「……怖くなったか?」

「阿呆ぬかせ。なんで俺がお前を怖がんねん」

と、舜海は強がってみせる。

 ちらりと千珠を見ると、自分を見上げるその目に少しだけ淋しげな影が見えたことに、驚く。

「ふん……」

「まぁ俺はともかく。みんなはお前を敬うようになるかもしれへんな」

「ちょうどいいさ。唯輝殿も、少しは静かになってくれるだろう」

「ちょっとくらい、あいつには痛い目見せてやってもいいんちゃうか」

「またいずれな……」

 千珠が歩き出すと、舜海も慌てて後を追う。


 本陣に戻った千珠の姿を見た途端、見張りに立っていた兵士たちがささっと道を開けた。皆が畏れをなした目をして、千珠を仰ぎ見ている。


 後ろを歩く舜海には、今千珠がどんな顔をしているのか、想像が出来なかった。

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