第三話:ネルケ神は実在するのですか?
◇後野まもり・護衛と猫の世話係◇
「本日より陛下を御守りするクリノ・キスタです。よろしくお願いします」
そう挨拶したのは、カリナの弟である。
同じぐらいの年に見えるが、年子だろうか? それとも、双子?
男性にしては背が低く、カリナと同じぐらい。それでも、イフィリアよりは大きいが。
「よろしく頼みます」
そう言って、私はもう一人に顔を向けた。
「御使い様のお世話係となりました。ケルナ・コルタと申します。よろしくお願いします」
こちらは、女性にしては背が高い。ついでに、声は低い。
「貴女、本当に女なの?」
「失礼だろう!」
カリナがケルナに不躾な質問をすると、クリノが透かさず叱った。
「姉が失礼な事を…済みません」
「お気になさらず。慣れていますから」
「本当に済みません。カリナ、謝りなさい!」
クリノは、一向に謝ろうとしないカリナを叱る。
「慣れているなら良いじゃない」
それでも傷付くだろうに、カリナには想像も着かないのだろう。
「良くない! …何時からこんな無神経な人間になったんだ」
カリナも、昔は、まともな性格だったのだろうか?
「だって、怪しいでしょう? 女なのに背が高くて声が低いなんて」
「…男なのに、背が低くて声が高い人だっている」
クリノが不機嫌そうに、そう言った。
「それとこれとは別! 私は陛下の為に疑っているのに!」
反論されたからか、カリナは怒りで顔を真っ赤にした。
「好い加減にしなさい、カリナ」
静かでいて不機嫌な声でそう言ったのは、ケルナを連れて来た叔母であった。
「私は、身元が不確かな者を陛下に近付けたりしませんよ。ケルナは、間違い無くコルタ家のお嬢さんです」
「…済みません」
謝るのが不満なのか、頭を下げたカリナは床を睨み付けている。
「ケルナにも謝りなさい」
「…はい。…疑ってごめんなさい」
怒りで握り締めたスカートが、皺になっている。
「…お気になさらず。…そうだ! 後で一緒に剣の稽古をしませんか?」
「え?!」
驚くカリナに、ケルナは不思議そうにした。
「キスタ家のお嬢さんは、私と同じで、女だてらに剣を習っていると聞きましたが?」
「…それは、クリノが女みたいな顔しているから、勘違いされたんだと思います」
「そうなのですか。残念です」
残念そうなケルナを見ながら、私は叔母に話しかけた。
「ケルナは腕が立つのですか?」
「ええ。最近、貴女の周りは物騒ですからね。女性で剣が使える者を連れて来たのですよ」
「ありがとうございます、エルマリア叔母様」
クリノとケルナが居れば大丈夫だろうと、私は安心した。
◇後野まもり・猫◇
餌を食べている猫を見ながら、名前を付けようかと考える。
「ミケ…とか」
そう呟いてみたが、三毛猫でもないのにおかしいか。
しかし、猫が返事をする。
「神殿で、ミケと名付けられたのかしら?」
「この国では、オッドアイの猫はネルケ神の眷族ですから、『ミケ』とも呼ばれるのですよ」
叔母がそう説明してくれた。
ネルケ神版天使のようなものなのだろうか?
「この猫、洗った方が良いんじゃないですか?」
カリナがにやついてそう提案したが、多分、猫が水を嫌うと知っていて嫌がらせのつもりなのだろう。
「そうね。この品種は水浴びが好きだそうだから、喜ぶでしょう」
「え?!」
私の言葉にカリナは驚き、目論見が外れたからか不満げな表情を浮かべた。
「カリナ、まさか、御使い様を虐めようなんて思ってないよね?」
クリノがカリナを睨んで確認する。
「まさか! 汚れていると思ったから洗った方が良いと思っただけ!」
「…それなら良いけど。分かっているよね? 御使い様を虐待したら、悪魔崇拝者として処刑されるって」
悪魔崇拝者は全て処刑なのだろうか? それとも、オッドアイの動物を殺した者だけだろうか?
「…勿論、分かっているわ」
カリナは不服そうな表情で答えた。
◇後野まもり・歴史の授業◇
「ところで、先生。敵が猫を盾にして攻めて来たりはしないのですか?」
近代の歴史から学んでいるのだが、エジプト辺りでそのような事があった筈だと思い出した私は、ヨワルト夫人にそう尋ねた。
「過去何度かありました」
「投降したんですか?」
「いいえ。猫を傷付けないように戦ったそうですよ」
それは凄い。
「でも、相手が、『猫を殺すぞ』と脅したりはしなかったんですか?」
「そう言う事もあったそうですが、他国の猫を他国の人間が殺すのは自由ですしね」
わぁ、ドライ。
「その後敵国には、悉く天罰が下ったんですよ」
「天罰…ですか?」
偶然とかじゃないのかな?
「ネズミが大繁殖して流行性出血熱が大流行したり、人食い虎・人食いライオン・人食いヒョウに襲撃されたりしたんです」
ネズミの大繁殖は、猫を大量に連れ出したからだろうね。
「それは、恐ろしく思ったでしょうね」
「そのようです。『ネルケ神の怒りを鎮めてくれ』と大量の供物が届けられたそうですよ」
◇後野まもり・歴代国王の肖像画◇
とても広い城の一角に、歴代の国王の肖像画が飾られている。勿論、全員オッドアイだ。
ヨワルト夫人による簡単な解説を聞きながら、イフィリアの父から順に遡って見て来たが、私は一人も覚えられなかった。
先程の授業の後、これまで学んだ事をどれだけ覚えているかテストを受けたが、人名・地名・年代など、ほぼ壊滅。
授業を真面目に受けてもこんな結果だったので、ヨワルト夫人は大層落ち込んでいた。
彼女の教え方は恐らく悪くない。私の記憶力が悪いだけだ。
「そして、このお方が、初代国王にしてイフィリア様即位以前の唯一の女王。アリディリアです」
しかし、そこに描かれていた女性は、オッドアイではなかった。
「アリディリア女王は生涯独身でした。その息子であるオルレイン一世の父親が、ネルケ神であったと言われています」
私は隣のオルレイン一世の肖像画を見る。先程見た通り、オッドアイである。
「レクシアは、元々レマトリア帝国の一地方でした。ネルケ神も、レマトリアで信仰されていた多数の神の一柱です」
『柱』は、神霊を数える時に使われるそうだ。
「独立した訳ですか?」
「そうです。当時レマトリアでは、人型の神以外を邪神にして排斥しようと言う動きが主流となっていました」
何の為にだろう?
「それに反対する人々が、レマトリア皇帝の娘の一人であったアリディリアが反旗を翻したのを切っ掛けに、一斉蜂起したのです」
アイディリアにはカリスマ性があったのだろうか? それとも、獣型の神々に対する信仰心が強い者が多かったのか?
「結果、無敗の歴史と広大な領土を誇ったレマトリア帝国は、多くの領土を失い・衰退の一途を辿る事になり、終にはその長い歴史を終える事となりました」
当時の皇帝は本当に何を考えて、国民の信仰心を踏み躙るような真似をしたのやら?
「レマトリア帝国の皇帝は、世襲制だったのですか?」
「血筋よりも皇帝に相応しい資質を持つ者が優先され、皇帝の養子となって後を継いでいたそうです」
それで何故、そんな事になったのだろう?
◇後野まもり・私室◇
寝室に入ると、見知らぬ男がベッドで横になっていた。
先日の侵入者かと、クリノ達を呼ぼうとした時、男が目を覚まして上体を起こした。
男の目が金目銀目のオッドアイである事に気付いた私は、王族の誰か…叔父の二人の息子のどちらかかと思った。
『アイディリア!』
男は喜色を浮かべ、あっという間に私に駆け寄ると抱き着いて来た。
次の瞬間、男の姿は何処にも無く、一匹の黒猫が私の肩にしがみ付いていた。