第二話:ご先祖様は猫でした
◇後野まもり・神殿◇
あれから事件の方は全く進展が無く、私は女王としての勉強の日々を送っている。
並行して公務も行っているが、記憶が無くても出来るようなものばかりである。
本日は、王家の先祖とされている神を祭る神殿を見学に訪れた。
私は、目の前の神像を首を傾げて見上げる。
…猫だなぁ。黒猫。
もっと、強そうな獣を想像していたのだが…ライオンとか・トラとか・狼とか。
台座のプレートに『ネルケ神』と記されている。
そう言えば、言葉が解るのが不思議だが、言葉を覚える必要が無かったのはかなり助かっている。
何しろ、英語は苦手だったから。それ以外の外国語だって、苦手に決まっている。
それにしても、最近、大臣達が話しているのを耳にしたのだが、「女王様が記憶喪失になって良かった」とはどういう意味だろう?
イフィリアは、どんな女王だったんだ?
猫の鳴き声に視線を落とす。
オッドアイの猫が、餌が欲しいのか寄って来ていた。
「オッドアイの猫はネルケ神の眷族とされ、神殿に奉納されるのですよ」
教育係であるヨワルト夫人がそう説明する。
彼女も、「陛下が真面目に勉強するようになって嬉しい」と言っていた。
イフィリアは、勉強嫌いだったようだ。私も、勉強は嫌いだ。
「犬もいるのね」
「オッドアイの犬は別の神殿に奉納されるのですが、あれは、陛下の即位のお祝いにユミリア王国から贈られたものですから、王都に在るこの神殿に奉納したのです」
ユミリア王国は、古くからこのレクシア王国と親交を続けている国だそうだ。
国王の配偶者をあちらから迎えたり・こちらから送ったりする事もあるそうだが、不思議な事に、あちらではオッドアイは遺伝しないらしい。
ふと思ったのだが、あの血…イフィリアのものという可能性はないだろうか?
例えば、知らないだけで王族には特殊な力があり、致命傷をたちどころに治した…とか。
「ネルケ神は、何を司る神様なの?」
「安眠を司る神です」
安眠か…治癒能力は無さそうだ。
◇後野まもり・私室◇
「陛下、それは何ですか!」
私室に戻ると、何時も通り偉そうな態度の侍女カリナが私を指差した。
正確には、私が抱いているオッドアイの猫を。
この猫は泳ぐのが好きな品種らしい。尻尾が太いのが特徴だ。
「ネルケ神殿から帰ろうとしたら、ついて来たの。こういう場合、ネルケ神が眷族を使わしたと考えて、連れ帰って丁重に扱わなければならないんでしょう?」
「でも、私は、猫が嫌いなんです!」
「そう。で?」
私は首を傾げた。
私は女王で・この猫は神の使いで、カリナはただの侍女である。
「陛下だってお嫌いだったじゃありませんか! 何処かへやって下さい!」
神の使いを何処かへやれとは…カリナは異教徒なのだろうか?
私は女王の寝室へ、猫を抱いて移動する。
「陛下!」
「嫌なら、貴女が何処かへ行きなさい」
「っ!? …陛下、酷いです…記憶を失う前なら、もっと優しくしてくれたのに!」
怒りを露わに、カリナは私を睨んだ。
「記憶を失う前と同じくらい優しくされないと嫌なら、侍女を辞めれば良いわ。今の私は、優しくするなんて無理だから」
イフィリアが、カリナの何をそこまで気に入ったのかは知らないが、私は、心が狭い人間だ。こんな女に優しくしてやるつもりは無い。
「何も出来ない癖に! 私が辞めて困るのは陛下ですよ! 貴女なんかの侍女をしたい人間なんて、いないんですから!」
王に対して「貴方なんか」と言い放つ侍女は、世界広しと言えどもこいつぐらいだろう。
「何の騒ぎですか?」
リビングダイニングで待って貰っていた叔母が、騒ぎを聞き付けてやって来た。
「エルマリア様?!」
カリナの顔色が変わった。
彼女は、私以外の人間に対しては猫を被っているから、本性がばれたと思って青褪めたのだろう。
「カリナは、猫が嫌いなのだそうです」
「そう。なら、世話係を用意しなければね」
娘を亡くしたばかりの叔母は、喪服を身に着けている。
「大丈夫です! 必要ありません」
「猫は嫌いなのでしょう? 無理はしなくて良いのよ」
「無理だなんて…陛下は、私だけで充分だと仰っておりましたし、私はその期待に応えたいと…」
先程の会話…いや、暴言を聞かれていたら白々しい事この上無いが、叔母が怒っているようには見えない事から、聞かれていないと判断したのだろう。
「…イフィリアは、どう思うの?」
「そうですね。今の健気な発言を聞いて、カリナに優しくしてあげたいと思いましたので、世話係の手配をお願いします」
「陛下?!」
カリナは、嫌がるべきか・喜ぶべきかと複雑そうな表情だ。
「…では、猫の世話係は女性でお願いします。去年のような事があっては困りますから」
「去年、何かあったのですか?」
私は、カリナにではなく叔母に尋ねた。
「幼い頃から貴女の側近として護衛を務めていた二人が、貴女を手篭めにしようと計画していたのですよ。二人は処刑されました」
「処刑…未遂なのにですか?」
私は、随分厳しいと驚いた。
「そうですよ。大逆罪ですからね」
普通なら死刑にならない罪で死刑にしなければならないなんて…ああ、女王辞めたい!
◇女王の恋人・深夜◇
その夜遅く、一人の男が女王の寝室に足を踏み入れた。
彼はイフィリアの恋人だった。
イフィリアが記憶を失ったので我慢していたが、堪え切れずに行動に出たのだった。
記憶の無い彼女は拒むだろう。しかし、身体は覚えている筈だ。直ぐに大人しく自分を受け入れるだろう。
男は自分に都合が良いように考えて、ベッドへ近付く。
その時、上から何かが落ちて着て、男の頭で跳ねて床に落ちた。
正確には、天蓋から飛び降りた猫が、男の頭をクッションにして床に降り立ったのだ。
猫だと気付いた男は怒り、ナイフを取り出し猫に飛びかかったが、あっさり避けられた。
「誰?!」
目を覚ましたイフィリアが、男に気付いて声を上げた。
男は逃げる事を選んだ。
◇後野まもり・深夜◇
猫の威嚇の鳴き声に目を覚ますと、何者かがいる事に気付いた。
護身用に枕元に置いておいた石を入れた巾着を手に、声をかける。
因みに、何故ナイフではなく石なのかと言えば、ナイフを人に対して使う事に抵抗があるからだ。
それに、一見ただの巾着ならば油断するだろう。
石なら抵抗が無いのかと問われれば、刃物よりは無いと答える。
「誰?!」
何者かは逃げる事を選んでくれた。
勝てるとは思っていなかったので、安堵する。
ランプに火を灯し、恐る恐る隣の寝室へ入る。
カリナは布団に包まっていた。
私は、リビングダイニングに移動する。
「陛下! どうかしたんですか?」
カリナが起きて追って来た。
「侵入者が居たの」
「ええ!? 私が行きます! 陛下はここに居て下さい!」
隠れているかもしれないとは思わないのか?
私はカリナの後を追う。猫もついて来ていた。
衛兵は無事だった。
隠し扉の捜索は、前回の『バスタブ血塗れ事件』の際に行われている。
もしもの時用の隠し通路は無いのか、発見されなかった。
と言う事は、前回と同じく、衛兵かカリナが怪しいと言う事になる。
「陛下! 衛兵達が犯人ですよ、きっと!」
カリナは私の心配をする事無く、衛兵達を犯人と決め付けて私の同意を得ようとする。
「証拠は無いわ」
「でも、あいつ等以外に居ませんよ!」
「そう? 貴女と言う可能性もあるけれど」
「私を疑っているんですか! 私は女ですよ?!」
疑われたカリナは、怒りの形相で怒鳴った。
私の腕に抱かれた猫が、カリナを威嚇する。
「犯人の性別は判らないんだから、女とか関係無いでしょう?」
「そ、そうですね…でも…私を疑うなんて酷いです! 陛下の味方は私だけなんですよ!」
カリナは、疑いを晴らそうと必死だ。
「そう。でも、貴女一人じゃ私を守れないと判ったから、室内に護衛を置くわ」
「そんな…男なんて信用してはいけません!」
レクシア王国の軍人は、男性のみなのだそうだ。
「どうしてもと仰るなら、私の弟を…」
「腕は立つの?」
「…近衛軍に所属しています」
肯定しないと言う事は、近衛兵は顔で選ばれるのだろうか? それとも、近衛兵は腕の立つ者ばかりなのだろうか?