第一話:目が覚めたら女王様でした
2023.07.25 誤字を訂正。
◇後野まもり・目覚め◇
そろそろ起きようかと目を開けたら、目の前に顔があった。
驚いたのでとっさに殴ってしまったが、私は悪くないだろう。多分。
知らない女だった。
不法侵入者かと思ったが、ここが私の家ではないと気付く。
友達の家でもなければ・親戚の家でもない。病院でもないし、ホテルでもないだろう。…いや、ホテルかもしれない。こんな豪華な部屋に泊った覚えも無ければ、そんな金も無いが。
「何をなさるんですか、陛下!」
私に殴られた女が、恨みがましくそう怒鳴った。
『陛下』?
こいつは何を言っているんだ? 殴ったのは私だし・私は『陛下』と呼ばれる身分ではないのに。
そこで、私の髪が腰に届くぐらいの長さである事に気付いた。
ここまで伸ばした事は、未だ嘗て無い。
「何時ものように陛下を起こそうとしただけなのに、どうして、殴られなければならないのですか!」
そう言い詰め寄る彼女は、どう見てもメイドか何かにしか見えないが、『陛下』と呼ばれる身分の人にこんな口をきいて良いのだろうか?
「私は『陛下』じゃありません」
「何を仰っているんですか! もう良いです! 早く着替えて下さい!」
女は怒りながら、私を押し退ける様にしてベッドに近付いた。
私は室内に姿見が在るのを見付け、自身の姿を映してみた。
そこには、私とは似ても似つかない美少女がいた。10代前半だろうか?
黒髪ストレートロングヘアで、右目が金・左目が銀のオッドアイである。
…うん。夢だな、これ。
あの女を殴った感触はリアルだったけれど・殴った拳も痛いけれど、夢でなければ何なのだ。
視界の端で、シーツを運ぶ女がドアを開けた。
「ヒイッ!」
女が悲鳴を上げたので振り返ると、シーツを落として扉の向こうを凝視していた。
近付いて恐る恐る覗き込むと、バスタブが血で真っ赤に染まっていた。
◇後野まもり・名前◇
事件発覚の後、夢だと思っていたからか冷静に廊下へ続く扉を探した。
これは、ウォークインクローゼット…あ、あれか。
そう思って扉を開けると、別の寝室だった。
私が寝ていた部屋と違ってシンプルだ。ベッドは一台ではないが、使われているのは一台だけらしい。
もしかして、あの女の寝室だろうか?
扉を見付けて開けると、リビングダイニング。更に開けると、応接間。その向こうが、漸く廊下だった。
扉の両脇には、槍を手にした男達がいた。…衛兵ですね。
「バスタブが、血塗れなんですけど」
「血塗れ?! 陛下、お怪我は?!」
「私は大丈夫です」
『陛下』ではないと否定しようかと思ったが、この夢の世界ではそうなのだろうから止めた。
「侵入者が隠れているかもしれませんので、陛下は私室以外でお待ちください」
そう言うと、衛兵の一人は確認に向かった。
「陛下、おはようございます。どうされました?」
その声に振り返ると、左手から恰幅の良い中年男性が数名やって来ていた。
「バスタブが、何者かの血で血塗れで」
「何と! それは一大事!」
「カリナは何をしていたのだ!」
「カリナ?」
誰の事だろう? あの女の名前だろうか?
「陛下?」
「…私、どうやら、記憶喪失のようです」
これからずっと誤魔化し続けるのは難しいと思った私は、思い切ってそう口にした。
直ぐに医者が呼ばれ、別室で問診を受けた。
自分の名前すら覚えていないと言ったが、病院で詳しい診察をとは言われなかったので、恐らくこの世界の医学はそれほど発達していないのだろう。
という事は、あの血がどんな人間のものなのか、血液型すら調べられないのかもしれない。
記憶喪失と言うのが嘘ではないと信じられたのか、城に親族が集められる事となった。
遅くなった朝食を摂りながら待つ。
先程やって来た男達は大臣で、この国では、国王は大臣と朝食を共にするらしい。
彼等の自己紹介を聞くが、覚えられる気がしない。元々、外国人の名を覚えるのは苦手なのだ。
最も、これだけは覚えなければならない。
イフィリア・ルクセント。
この国レクシアの女王の名であり、現在の私の名前である。
◇後野まもり・親族集結◇
暫くして集まったのは、先代国王の弟ウダライン・ラハルトとその妻、先代国王の妹エルマリア・リフォルトとその夫、先々代国王の妹夫妻とその息子夫妻である。従兄弟達は連れて来られていない。
「記憶喪失と聞いたけれど、本当なの?」
大叔母が信じられない様子で尋ねて来た。
「はい。名前も国名も思い出せませんでしたし」
「そう。…バスタブの血と関係があるのかしら?」
「侍医は、それを見たショックが原因ではないかと言っていました」
それにしても、親族全員――勿論、配偶者を除く――オッドアイとは…。
「…一体、どうやって侵入したのでしょう?」
ラハルト夫人の言葉に考え込む。
私室の入り口は衛兵が見張っている。
夜勤を担当したのは、私が会った衛兵とは別の人間らしいが、彼等が共犯でない限り入り口から入る事は出来ない。強行突破はされていないのだから。
窓から入るとしたら、屋上からロープを垂らして降りるしかないだろう。梯子は届かないし、登れるような凹凸も無いらしい。
そうすると、カリナ――あの女だ。女王の侍女だが、今ここにはいない――が共犯でなければならない。鍵を開けなければならないからだ。しかし、彼女が共犯であれば、バスタブの血を流さなかった理由が分からない。
また、死体は何所へ消えたのか?
落下した痕跡は見つからなかったらしいし、屋上へ持ち上げるのも無理ではないだろうか? 可能だったとしても、そこから何所へどうやって運ぶのか? 城内の至る所に衛兵が居ると言うのに。
「でも、記憶を失った所為か、何時もと違って…落ち着いているようですね、イフィリア」
大叔母がそう感想を漏らした。
イフィリアは、私と違って明るい性格だったのだろうか?
「本当に、言葉遣いも…丁寧になりましたし」
ラハルト夫人が同意する。
…一体、どんな話し方だったんだろう?
「服装も、何時もと違うね」
従兄弟叔父の言葉に、クローゼットの衣服を思い出す。
リボンたっぷり・フリルたっぷりな服が殆どだった。
私はシンプルな服が好みなので、その中で一番装飾が少ない物を探すのは大変だった。
「でも、それ喪服よ。兄さんの葬式の時に着た物よね?」
リフォルト夫人の言葉に、やはり喪服だったかと得心した。
「ああ。道理で見覚えがあると…何処の誰とも知れない被害者の為に着たのかい?」
「いいえ。他の服はちょっと派手に思えて…」
「良い事ですね。あれは、貴女の年には合わないと思っていましたから」
大叔母がそう言うが、10代前半なら合うと思うけれど…。
「そう言えば、まだ年を教えていなかったな」
叔父がその事に気付いて教えてくれた。
「イフィリア。お前は、今年で20歳なのだよ」
「20歳?!」
あの顔で?!
◇後野まもり・オッドアイ◇
「そう言えば、この目は遺伝なのですね」
「そう。見ての通り。ルクセント王家は、神の子孫と言われている。その証拠がこの目だと」
叔父は説明すると、にやりと笑った。
「お陰で、お前を偽物と疑わずに済む」
済みません、偽物です。
全く、夢なのか・取り憑いているのか・転生して前世の記憶が蘇ったのか、はっきりして欲しい。
しかし、教えてくれる人がいる訳が無い。
「何か、特殊な能力があるのですか?」
「…あれば良かったかもしれんな」
無いのかー…まあ、普通そうだよね。ちょっと、がっかり。
「ところで、その神様はどんな神様なのですか?」
この質問には、叔母が答えた。
「オッドアイで、黒い毛並みだそうですよ」
まさかの獣型?!