幕間 とある侯爵令嬢の事情
訳あり侯爵令嬢ナンシーの、『訳あり』の部分を少し。
マサキやサクラがリィナに謝りに行ったあとのお話。
最初はナンシー視点、後半リィナ視点になります。
「ナンシーさまぁー」
「ナンシーさまー、どちらにいらっしゃるんですかー」
王宮女官たちのイライラした声が聞こえるけど、無視!無視よ、無視無視!
私の評判が悪くなるのなんて別に今更だし。むしろ大声で悪口でも言っておいてくれると助かるのだけれど・・・さすがに王宮女官はそんなことしないかしらね。
陛下に子供の姿にされてからストレスがハンパない。・・・マジでハンパない。
なので、ちょくちょく脱走を試みている私。アンセム先生も言っていたし『我慢は身体にも心にも悪い』ってね。
そもそもなんで隠れているのかというと・・・
サクラ王女とマサキ殿下がお茶会から居なくなってしまい、アカリ王女、ユーリ様、ダリア様、そして私の4人でお茶会を続ける・・・というなんだかよく分からない展開になってしまった。
そしてもっと分からないのは・・・
「あの、ユーリ様?」
「ん?なんだいナンシー」
なぜ、私はユーリ様の膝の上に横座りさせられているのだろう。
「ほら、ベリーのゼリーだよ。はい、あーん」
「・・・いやいやいや」
「え?ベリーはイヤだった?じゃあこっちのオレンジのチーズケーキにする?」
ベリーは大好きです。そうじゃなくて、今の『いやいやいや』はツッコミだったんですけど、無視?
そして案の定、この場で唯一のもてなす対象であるアカリ様が引きつっていらっしゃる
そりゃあそうよね。さっきからどうやらこの王女様はユーリ様に秋波を送っていらっしゃる。少し前までシオン様狙いと言われていたこの王女様。どうやら公爵妃ではなく王妃を目指すことにしたようだ。
「・・・あの、ユーリ殿下、その子は?」
やや引きつりながらユーリ様に尋ねるアカリ王女。
「ナンシーですよ。かわいいでしょう?」
満面の笑みで“私を自慢”するユーリ殿下。
おかしい
この状況はおかしい!
「ユーリ様、あの、わたし、リィナの様子を」
「大丈夫だよ。リィナのところにはシオンもクリスも居るんだから。君は僕の側に居なさい、ね?」
私の顔を覗き込み、にーっこり笑ってそう言うユーリ様・・・怖いっ、黒いっ、怖いっっっ!
「お兄様、ナンシーが怯えておりますわ。少しはお控えになったら?」
「ダリアも抱っこしてほしいのかい?」
「・・・気の済むまでナンシーを抱っこしてて下さいませ」
救いの手か!と思ったダリア様に次の瞬間に見放される・・・ううっ、もうイヤ!
「ん?ナンシー?どうしたの?」
「っ・・・ぅ・・・ひっく」
秘儀『子供泣き』。いやー、子供になってから、なんだか枯れていた涙腺が復活したようなのよね。ちょっと悲しいことを思い出すと、ほーら、すぐに涙が出てくる。
「え!な、泣いてる!?どうした?どこか痛いの?」
案の定、大慌てのユーリ様。そしてユーリ様が慌てて私をソファーに戻した瞬間に――
タタタタタタタタッ
ガチャ
バタンッ
扉までダッシュ、自分の体が通るギリギリの幅にドアを開け、室内から一目散に逃げ出した。
お客様の前での無作法は、あとで幾らでも謝りますからっ
ああ、リィナの心労の原因が身にしみる。三十路女と知っている人に、子供扱いされるのがまさかこんなに居た堪れないとは・・・ハァ。
応接室から離れたところまで一気に走り、長い廊下をとぼとぼと歩いていた私の目に写ったのは、廊下の突き当たりから曲がってきた黒い軍服の二人の男。
「・・・居たぞ!」
「追え!逃がすなとのご命令だ!」
ヒィッ!
逃がすなって、なんて命令を近衛にしてるんですかユーリ様!?
・・・そして、冒頭のかくれんぼが始まったのだった。
しかし、ここ(主居棟から東翼にある騎士団へ抜ける為の受付で座っているお姉さんの足元)にいつまでも居ると、さすがに迷惑よね。
「・・・あ、あの、ナンシー様」
「ごめんねリディ」
「そ、そうではなくっ、あの!」
本当にリディには迷惑を掛けている。しかし、ここから出て見つかるとマズイ。非常にまずい。見つからないところ、見つからないところ・・・
「・・・そうだ!あそこに行けば見つからないかも!」
「ほぉーう。どこに行く気だ」
ピキ!
「ウィ・・・ル」
「リディ、そいつを渡してもらおうか」
「はい!ウィリアム様!」
元気にお返事したリディに両脇を持たれて“ブラーン”と差し出される私。
ウィルに見つかったのなら仕方ない。リディはウチの侯爵家の一門である男爵家の娘さん。私の『お願い、匿って』というお願いを聞いたのだから、ウィルの『そいつを渡せ』も聞かざるを得ないだろう。
大人しくウィルに抱っこされて連行される私を、リディが心配そうに見ているので「ありがとね、リディ」と手を振って安心させてあげた。・・・また宜しくね~。
さて。
「なんでウィルが来たの?」
今日は、クリスさんが私達の側に居るから、ウィルは陛下の護衛についているはずだけど。
「お前なぁ・・・お前があの部屋から逃げたから、俺まで駆りだされたんだよ」
「・・・ごめん」
「ハヤテ殿下方と一緒に茶国の関係者も王宮に出入りしてるんだ。あまりうろうろするなよ?」
そっか。あの部屋は警備がしっかりしてたから、別にクリスさんが部屋から出ても問題ないけど、私が一人でふらふらするのは問題があるってことなのね。殿下方の来訪の目的が分からないから、みんなピリピリしてる・・・。
「それで、どこに行きたいんだ?」
「・・・連れてってくれるの?」
「ユーリ殿下の所が嫌なんだろ?」
うん。
ストレス溜まるから。
「お見舞いに行く」
「・・・そうか。そうだな、あそこならお前一人でも安全だ」
そう言って、私を抱えたまま医療棟に向かって歩き出すウィル。
そろそろ降ろしてほしい。え?脱走するからダメ?はーい。・・・はぁ、ストレス。
医療棟に着くとウィルは私を降ろして「中庭に居る」と言って去っていった。たぶん、帰るまで待っててくれるのだろう。
「アンセムせんせっ」
すっかり顔見知りの老医師は、私の顔を見るとニコっと笑ってくれた。
「やぁ。どうしましたか?」
「お見舞いに来ました」
私がそう言うと、先生は腰に下げた鍵束から、1本の鍵を渡してくれる。
「ごゆっくり」
そう言って頭を撫でてくれる先生・・・だから、こういう所でストレスが蓄積・・・もういや。
鍵を受け取った私は、医療棟の奥まった場所にある、とある1室に向かう。医師や看護師でさえ限られた人間しか入ることの出来ないこの部屋の鍵は、アンセム先生と陛下のみが保管している。
鍵穴に先程借りた鍵を差し込み、ドアを開けた。
ベッドと、椅子が2つと、医療機器のみが置いてある部屋で、ベッドの上の住人は点滴といくつかの医療機器につながれている。
「お兄様、ひさしぶり」
目を覚ますことの無い人に、私はそっとつぶやいた。
兄はもう、10年以上ここで治療を受けている。10年以上意識が戻らなかった兄が、ここ数年、ほんのわずかな時間、意識が覚醒するらしい。
らしい、というのは、意識が覚醒している時に、まだ会えていないからだ。
しかし、今のところ意識が戻るのは月に1度か2度、ほんの何分かだけ。その時間の為に24時間体勢でここに人をつめているわけにもいかないので、電極を沢山付けられ、監視カメラで医師が見守っている。
アンセム先生は、つい2ヶ月ほど前に一言二言、言葉を交わせたそうだ。・・・うらやましい。
寝たきりのままだが、体を動かせるように少しずつ訓練をしているらしい。医師や看護師が数人がかりでマッサージやストレッチをしているのだろうか。前よりも顔色が良い気がするのは、その所為?
「最近来れなくてごめんなさい。実は陛下に10才にされちゃってね、」
私は、眠ったままの兄に、できるだけ話しかけるようにしている。たまに意識が覚醒するということは、目を瞑っていても聞こえているかもしれないという淡い希望があるからだ。
兄にはこれまでも何でも話してきた。
仕事の事
同僚の事
王宮の事
殿下方の事
リィナの事
そして、従兄弟の事
ユーリ様から逃げてきたという話をしたところで、扉の向こうに人の気配がした。
ゆっくりとドアが開かれると、そこに居たのは・・・
「・・・ハヤテ様」
「やぁ、やっぱり君か。」
ハヤテ殿下はそう言いながら部屋に入ってきた。「はいこれ、お見舞い」と花束を渡される。ハヤテ殿下は兄の友人だ。そして、ウチの侯爵家の事情を知る人でもある。子供の姿になってる理由を聞かれたが・・・私にもよくわかりません、陛下の気まぐれですとしか。はい。
そしてハヤテ殿下の後ろからヒョッこりと顔を出したのは・・・
「リィナ!?」
なんでリィナがここに?
「陛下が・・・ハヤテ殿下に付いて行ったらナンシーに会えるっていうから」
「そう。・・・リィナ、紹介するわね。」
陛下がリィナを寄越したってことは、説明しろってことだろう。召喚者のリィナなら、この国の事情にもウチの事情にも巻き込まなくて済むから。
・・・全部は話せないけど、リィナは友達だから。
だから、話してもいいよね、お兄様?
「彼は『ウィリアム』。私の兄よ」
ハヤテ殿下は、『今日は顔を見に来ただけだから』といって早々に帰っていった。
私は、リィナにポツリポツリと、事情を話した。
「ウィルが従兄だって前に話したでしょ?」
兄が寝たきりだから、従兄弟が兄の身代わりをしているのだという事。
事情を知っているのは、王族と侯爵家以上の当主と継嗣たちだけという事。
兄が寝たきりになった原因は、私の父であること。
その父は・・・もう、死んでいること。
「ウィルというのは、もともと兄の愛称。自分の名前を捨てて、兄のフリをしてくれているの」
ウチは武門の筆頭侯爵家。兄が寝たきりである以上、女である私が爵位を継いでも軍部を纏められるか分からない。でも、直系である私と兄が生きている限り、従兄弟である彼が爵位を継ぐには陛下の許可が必要になる。が、陛下はこの件に関しては厳しい。許可を出さないことで侯爵家の力を押さえつけることが出来るからだ。陛下が許可を出さないというのなら、兄が爵位を継ぐしかない。だから彼は『ウィリアム』を名乗り、私の兄になっている。・・・兄が目覚めるその時まで。
そこまで言ったところで、リィナにぎゅっと抱きつかれた。
「ウィルさんは、ナンシーの為に頑張ってるんだね」そう言って、頭を撫でられる。
不思議と、頭を撫でられてもストレスを感じなかった。リィナが慰めてくれているんだというのが分かったから。
涙が止まらないのは、いま子供になってるからよ・・・たぶん。
決してウィルの努力を認めてくれたのが嬉しかったからじゃないんだから。
泣いてしまったのが恥ずかしくて、ハヤテ殿下にもらった花束を活ける為に花瓶を探しに行くという名目で病室を出た。
だから私は、そのあと目を覚ました兄とリィナが話をしていたなんて、ずっとあとになるまで知らなかった。
****************
「・・・やあ」
ナンシーさんが出て行った病室。
ベッドの上の人が、首だけこちらを向いて、かすれた、小さな声で挨拶をしてきた。
「えっ、えっ、ええっっ!!」
アワアワして、えっ、どっ、どうしよう!?とかナンシーを呼びに!とかキョロキョロしていたら、フフッと鼻で笑われた。
「呼びに行かなくていいよ。・・・どうせすぐに意識がなくなるから」
「えっ、あっ」
「リィナちゃんだよね、あの子からよく聞いているよ。あの子と仲良くしてくれてありがとう」
「は・・・い。あの、起きていらっしゃったんですか?」
「うーん、時々意識が浮上するんだよね。ハヤテ様が来たあたりから、会話が聞こえ始めたんだけど、どうしても目も口も開けられなくて・・・中々会いたい人には会えないものだよね」
「・・・すみません私なんかで。」
「フフッ・・・君のせいじゃないし、気にしないで」
そう言って少し表情が緩むと、ナンシーさんに似ている・・・兄妹だもんね、そりゃそうか。
「あんまり起きていられないからさ、伝言を頼んでもいいかい?」
「は、はい!ナンシーさんにですか?」
「ううん、あの子にはいいよ。・・・君の知ってる“ウィル”に伝えてほしいんだ」
そう言って、お兄さんにウィルさんへの伝言をいくつか頼まれた。
「じゃあ、頼んだよ」
「はい。・・・あの、ナンシーさんには?」
「うーん。あの子には伝言しない」
「なんでですか?」
「僕が伝言を残したら、あの子は弱くなるよ。だからむしろ、いま君が僕と話しをしたことを内緒にしておいてくれるかい?」
お兄さんのいう事もなんとなく理解できる。お兄さんのこの伝言を聞いたら、気が緩んでしまうから、なのかな。
「わかりました。ウィルさんにだけ伝えます」
「ありがとう。また来てね」
「はい・・・ええっと、お見舞いに来ます」
私がそう言うと、お兄さんはこちらを向いていた首を戻し、また目を瞑った。
しばらくして、ナンシーさんが戻ってきた。もうしばらくお兄さんのところに居ると言うので、私は中庭にいるらしいウィルさんのところに行く。
ウィルさんは、中庭にあるベンチで、噴水を眺めていた。
この医療棟の中庭は、医療棟で治療中の患者さんが自然と触れ合えるようになっているらしく中々すばらしい。
「ウィルさん」
後ろから声を掛けると、ウィルさんはふりかえる
「リィナちゃん?どうした?診察?」
「いいえ、ハヤテ殿下に連れられて、あの・・・お見舞いに。」
「・・・そうか。」
そう言ったウィルさんは、また噴水を見つめた
私は、ウィルさんの隣に移動し、一緒のベンチに腰掛ける。
「・・・聞いた?」
何を、とかそんなことを聞いたりはしない。「はい」と一言だけ答えると、「そっか」と小さな声で呟かれた。
「ウィルさん」
「ん?」
「ウィルさんに伝言があるんです」
「伝言?」
「はい。『もう少しだけ頼めるかな。たぶんそんなには待たせないから』だそうです」
ウィルさんは私の伝言を聞くと目を大きく見開きました。そして震える声で聞いてきます。
「話した、のか?あいつと?」
「はい。ナンシーさんには内緒にしてくれって言われましたけど」
「・・・『もう少しだけ』って?」
「はい。小さな声でかすれていましたけど、しっかり言ってましたよ」
「そっか」
「はい」
しばらく顔を伏せていたウィルさんでしたが、やがて、大きく深呼吸しました。
「じゃあもう少しだけ、しっかり頑張らないとな」
そう言って空を見上げたウィルさんは、なんだか晴れ晴れとした優しい笑顔で。
ああ、そうか。ウィルさんはお従兄さんが戻ってくる場所を守っているんだ、と思った。
「ねぇ、ウィルさん」
「なに?」
「『ウィル』っていうのは本当はウィリアムさんの愛称なんでしょ?・・・本当の名前、聞いてもいい?」
「・・・聞いても面白くはないぞ。俺は『ウィルフレッド』だよ」
「ウィルフレッド・・・え、じゃあ結局愛称は『ウィル』さんなの?それとも『フレッド』さん?」
「いや、俺は『フィル』。あいつらの父親がフレデリックって名で『フレッド』だったから」
ウィルさん、フィルさん、フィル、ウィル・・・
「間違えて呼んでも気づかれなさそうですね」
「まぁ、俺もウィルってよばれ始めても違和感はなかったからな。名前の一部だし。」
ウィリアムってよばれると、流石に違和感あったけどなー、でももう10年も呼ばれてるからなーと呟きながら「本名は他言無用」を念押しされました。もちろんです。お口チャックです!
「そうそう、あと『たまには見舞いに来い』だって」
「おい、あいつ本当に意識か無いのか?サボって寝てるだけじゃないのか?」
うーん、どうだろうねぇ。
でもねウィルさん。お兄さんはウィルさんには『迷惑を掛けたから、幸せになってほしい』らしいですよ、とは言わないでおいた。だって、言っちゃダメって言われたしね。
しばらくすると、すっかり泣き止んだナンシーさんがやって来た。
「さぁリィナ!晩餐会の準備に行くわよ!」
元気一杯のナンシーさんと、後ろからついてくるウィルさんと一緒に、晩餐会の準備に出かけた。
ナンシーがお嫁に行けるのは“もう少しだけ”先になりそうです。
ナンシーも子供にされて相当ストレス溜まってます。でもお兄さんに愚痴を言いまくって、ウィルにも我侭を言いまくって発散している模様。
ナンシー「もー!いいかげん起きてよ!お兄様!(ペシペシペシ、ガクガク)」
ウィリアム「・・・(妹よ、あんまり揺すられると酔いそうなのだが)」




