77 お嬢様、その後
2話連続投稿の、2話目です。
マリア嬢視点ですが、途中でマリア兄視点がちょこっと入ります。
ふぅ――
やっと『いままでを全否定される説教』から開放されて、シオン様のお屋敷を出た。見送りは断ったので、正面玄関から馬車止めまで歩く。いつもは大抵、玄関口まで馬車を呼んでもらってからお屋敷を出ていたから、なんだか不思議な感じがする。馬車止めまで歩いて行ったって知ったら、お兄様はびっくりするかも、と考えたら自然と笑ってしまった。
ふふふっ、と笑いながら歩いていると、馬車の横、影になっている部分に誰かが立っている。御者ではないわね、あの服・・・騎士?
「遅いですわよ。もう少し早く歩けませんの?」
「・・・グレイシア、どうしてここに?」
「迎えにきたのですわ、いけませんでした?」
「・・・いいえ」
「さ、帰りますわよ」
そう言って、私の手をとり馬車に乗り込むグレイシア。グレイシアの家は武門の子爵家で、わたくしの家は文門筆頭の侯爵家。わたくしたちは、まだ身分違いを意識できないほど幼かった頃に王宮で出会った。わざわざ騎士服で迎えに来てくれたのはきっと『警護中』という言い訳が出来るからだろう。表立って親しくすることは出来ないが、彼女は昔から私の手を引っ張ってくれる・・・わたくしは彼女を、友達だと思っている。
馬車が走り出す。振り返ると窓の外、どんどん離れていくシオン様のお屋敷が見える。大きなお屋敷、こんなに大きなお屋敷だったのね。
わたくしはもう、このお屋敷に来ることは無いんだろうと思うと、ほんの少しだけ、寂しくも思う。
「何も、聞かないんですの?」
馬車に乗ってから、グレイシアは何も話さない。なんとなく気まずくて、こちらから話しかける。
「何を聞いてほしいんですの?」
聞いてほしい?わたくし、聞いてほしいのかしら・・・?
「わたくし、振られてしまいましたわ」
ポツリとそう言うと、鼻で笑われた、失礼ですわね。
「わたくしなんか、8歳の頃からいつも振られていますわよ?」
グレイシアはクリス様がお好きだったんでしたっけ。・・・理解できませんわ、なぜクリス様?鬼のような人ですのに。
「ちょっと!あなたわたくしに対してもクリス様に対しても失礼よ!」
あら、声に出していたのかしら・・・。
「ごめんなさい。でも、わたくしクリス様が苦手なのだもの」
「・・・わたくしは、シオン様の方が苦手だわっ」
グレイシアはそう言ったきり黙ってしまった。人それぞれということだろう。だけど・・・騎士団に所属してるのにシオン様が苦手って、大丈夫なのかしら。
馬車はすぐに屋敷に着いてしまった。もう少しグレイシアと話したかったわたくしは、グレイシアを王宮まで送っていくことにした。わざと遠回りするように、御者に伝える。
再び馬車が動き出すと、グレイシアが声を潜めて聞いてきた。
「それで、あの女はなんか言ってた?」
「あの女・・・」
思わず唖然として繰り返してしまう。きっと、おそらくリィナさんの事だろうけれど、あの女って・・・
わたくしの様子を見て、誰のことかわからなかったのかと思ったのだろう、グレイシアが更に言う。
「あの女よ、召喚者の。負けたんでしょ?」
・・・なぜ負けたのを知っているのか。まあ、振られたって言ったからかもしれませんわね。
「・・・認められたければ仕事をしろ、といわれてしまいましたわ」
「そう・・・まあ、もっともね」
「わたくしに出来るお仕事、何かない?」
「騎士団には来ないでね」
行きませんわ、もう武術はこりごりですの。ハァ。
「グレイシアは、ずっと仕事をしていたのですよね。わたくしは、何もしていなかった」
グレイシアは14歳で騎士団に見習いとして入り、現在では第2騎士団に所属している。わたくしが将来の事から逃げ続けている間、“誰にも認めてもらえない”などと甘えている間に、しっかりと自分の居場所を作ったのだ。
「これから、何をしたらいいのかしら」
つい、溜息とともにそんなことを呟いてしまった。
「何でもいいんじゃない?」
ただの呟きだったのに、答えが返ってきた。思わずグレイシアを見つめる。
「なんでもいいのよ。『出来ること』と『やりたいこと』は別でしょ?まずは出来ることをやってみればいいじゃない。そして、やりたいことが見つかったら、やりたいことを仕事にするためにはどうしたらいいか、出来ることをやりながら考えればいいのですわっ・・・なんて顔してるんですの?」
ハッ!?いけない、口をあけて間抜けな顔をしていた気がしますわ。『出来ること』と『やりたいこと』は別・・・そんなこと、考えたことなかった。
「・・・グレイシアの『やりたいこと』は何?」
「わたくしは、近衛になりたいのですわ。まずは王妃様の近衛になって、少しずつ名声を得て、いつしか王太子殿下の覚えも目出度くなって王太子妃にと望まれることが最終目標ですわ!」
・・・無理だと思うけど。それにクリス様が好きなのに王妃になるのが最終目標って、何?
「グレイシア、あなた先程はクリス様が好きだといってたわよね」
「言いましたわ。ですが、結婚したいのは王太子殿下です。この国の貴族位の未婚女性はほとんどそうでしょう?」
たしかに、そうなのかも。わたくしは子供を生めないから王太子妃という選択が最初からなかったけれど、この国で一番の優良物件は確かにユーリ殿下ですわね・・・色々困った方ですけど、困った部分は一般にはあまり知られていませんし。
「最初から近衛に配属されることはありません。わたくしは現在は第二騎士団ですけれども、王都警護の第二騎士団で認められれば王宮警護の第一騎士団に推挙されるのです。第一騎士団で認められれば近衛に推挙されます。なので、わたくしは自分に出来ることを今は頑張るしかないのです。それにね、王太子様に見初められなくても、近衛でさえいれば王妃様や王太子妃様の警護という一生ものの宝と言うべき仕事が出来るではありませんか。知ってます?近衛を務めたことがある貴族女性は皆、国内のとても良い嫁ぎ先を紹介されているのですよ!」
それはそうかもしれない。近衛として王族の近くに居た者が他国に嫁すことは許されないだろう。必然的に同じ近衛を務める者や王宮に勤める者の中でも、高位貴族の男性に嫁がされることになるのでしょうね。
「それにもし、もしも嫁き遅れて独り身だったとしても、近衛なら独身でもどなたにも非難されませんし、王宮勤めが難しくなるほど年齢を重ねたら、それこそシオン様のお屋敷で雇っていただくことも出来るかもしれません。・・・まあ、条件のいい嫁ぎ先を探すのが、わたくしが父から課せられた役目なので、それは最終手段ですけれど。」
明るく、前向きな事を口にするグレイシア。
ああ、わたくしは本当に、何もしてこなかった。将来の事など何も考えてこなかったのね。
先程、リィナさんに言われた通り、シオン様の妻になるということを目標にして、なのにただそれだけで。
結局、シオン様の妻になれなかったわたくしには、何も残っていない。当然よね、何もしてこなかったのだから。
お父様のお仕事を手伝うことも、お兄様のお仕事を手伝うことも、屋敷の事も、わたくしは何も出来ない。
そこまで考えたら、情けなくて涙が出てきた。
「っ、ちょっと、なに泣いてるのよ」
「だって・・・っくっ・・・わたくし・・・っ」
「あー、もう!泣かなくてもいいじゃない!わたくし達はまだ若いし、あなたは特に時間がたっぷりあるでしょう?これから何でも出来るわよ」
「ヒック・・・っく、なんでも?」
「そうよ、まず何をしてみたいの?というか、あなたの好きな物って、なんだったかしら」
「すきなもの・・・」
「あなた、食べ物にも飲み物にも興味がなさそうだしね、本もあまり読まないでしょ、」
「幼い頃はずいぶん読んでいましたわ」
ただ恋愛小説が好きだったので『結婚してしあわせになりました』という話がつらくなってしまったので、次第に読まなくなってしまったのだけれど。あと、好きな物・・・そうだわ、
「グレイシア、わたくしお花が好きです」
「ああ!そうね、あなたのお屋敷は立派なお庭でしたわね」
「ええ、手入れは庭師に任せっぱなしですけれど。あとはお母様が生きていらした頃は、一緒にお菓子を作ったり・・・そうだわ、わたくし計算の間違い探しが好きでした」
「間違い探し?」
「ええ、お母様がたまにご覧になっている書類があってね、『間違い探しをしてみなさい』って渡してくれますの。買ったものの単価と数量が書かれていて……あら?」
あれって、屋敷の物品の購入明細?明細のチェックがお母様のお仕事だったのかしら?じゃあ今は誰がやってるのかしら・・・?
「まあ、あとは屋敷に帰って、家族に相談しなさいな。じゃあね、送ってくださってありがとう」
気づいたら、馬車は王宮に着いていた。降りようとするグレイシアにあわてて声をかける。
「わたくしこそ、今日は来てくれて本当にありがとう。」
一人で帰っていたら、きっと前向きな考えなど全く思いつかなかった。本当に、来てくれてよかった。
感謝してもし足りない、と思ってグレイシアを見ていると、何か考えている様子。そして、馬車を降りずにわたくしに向き直って、真剣な表情で話し始めた。
「ねぇ、どうしてわたくしが、迎えに来ていたと思う?」
屋敷に戻ったわたくしは、お父様の書斎に駆け込んだ。「お嬢様、走ってはいけません」と元乳母の侍女に怒られながら。
「お父様、わたくしシオン様に振られてきましたの!」
ドアを勢い良く開けてそう言い切ったわたくしに、書斎の中に居たお父様と執事長とお兄様が驚いた顔でわたくしを見る・・・あら、お兄様もこちらにいらしたのですね。
「そうか、それでいいんだね?」
お父様が落ち着いた声でそうおっしゃるので、わたくしもお父様の目を見てしっかりと頷いた。
「そうか」
お父様は穏やかなお顔で、そう呟いただけだった。
リィナさんが言っていた通りなら、お父様はわたくしがシオン様の妻になることを望んではいなかったということで・・・いえ、今はそれを考えるのではなく!
「お父様、お兄様。何かわたくしに出来るお仕事がないか、一緒に考えていただけませんか!」
胸がドキドキして、声が震えてしまったけど、大きな声でわたくしはそう言った。
その時のみんなの顔を、わたくしは一生忘れないだろう。
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「『お父様、お兄様。何かわたくしに出来るお仕事がないか、一緒に考えていただけませんか!』って真っ赤な顔して、泣きそうな顔で、声なんか震えてるのに、ちゃんと最後まで自分の希望を言い切ったんだよ、あの子。もう私も父上も感激してしまってね、泣き笑いのひどい顔だったよ」
「・・・お前、なにそれ、のろけ?」
「妹の成長を喜んでいる兄・・・のつもりだけど?」
「うぜぇ」
「ひどいなウィル。クリスなら分かるよね?」
「とにかく、もうウチに関わらないでもらいたいな」
「うん。それは大丈夫だよ、シオン様にもリィナさんにも、本当に迷惑をかけたね」
ここは、王宮のクリスの執務室。マリアの件の謝罪と報告に来たのだけれど、ウィルも居たので思いがけず3人で話が出来た。
同い年の私達は、昔はよくこんな風に集まって話をしていたのだけれど、私が騎士団から離れてからは、顔を合わせるのは会議の時くらいになってしまっている。
文門の筆頭侯爵家の後を継ぐ私は、武門であるこの2人とは進むべき道が異なってしまった。でも、あの頃、騎士団で過ごしたことは間違いなく人生の糧になっている。
「クリス、リィナさんに何かお詫びがしたいんだけど」
「いらん」
「・・・じゃあせめて、直接おわびを言わせてくれないか」
「嫌だ」
不機嫌そうに顔をしかめているクリス。嫌って・・・
ウィルを見ると、腹を抱えて笑っている。これは一体?
「リィナちゃんはね、今回の件で本当に怒っちゃってね、くくくっ」
「黙れウィル」
「今、ちょっとした引きこもり状態らしいよ。”もう公爵邸から出ない”って言って、メイド仕事に励んでいるらしい。ちょっとした対人アレルギーだよな、あれ。」
「もともとメイドとして召喚しているから、何もおかしな事はない」
「だからリィナちゃんに手伝わせてた、シオン様の騎士団の仕事が滞るようになっちゃったらしくてね」
「うるさいぞウィル」
「結局クリスがその穴埋めをすることになって・・・っ、あっぶねぇな!フォーク投げるな!」
「・・・ああすまん、つい手が滑った」
「相変わらず仲が良いね二人とも・・・そうか、優秀な子だって聞いていたけど、事務仕事が出来る子だったんだね」
「速いし正確だし、便利な子だよなー」
「もう二度とお前の仕事を手伝わせる気は無いからな」
「・・・ねぇクリス。どうしても頼みがあるんだけど」
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あれから、2ヶ月が過ぎた。
お兄様に連れられて王宮に来た。久しぶりの王宮、わたくしを見た貴族達の陰口や令嬢達の嘲笑が聞こえる。捨てられた伽役なんてそんなものよね。
「気にするんじゃないよ、マリア」
「ええ、大丈夫よ。お兄様」
どちらかというと、お兄様の気遣いの方が居た堪れないのだけど・・・。
わたくし思い出しましたもの。シオン様の伽役の話を持ってきたのはお父様ではなく叔父様だった。お父様とお兄様は最後まで反対されていた。そう、反対されていたのに、子供を生めないということに絶望していたわたくしは、叔父様の“お父様の役に立てる”という言葉に縋ってしまったのだったと。バカな事をしましたわ、本当に。
「お兄様、どちらに行かれますの?」
この先には、執務室しかないと思うのですが・・・と聞くと、お兄様は言った。
「うん、執務室に行くんだよ」
「やぁクリス。今日はありがとう」
「礼ならシオンに言え。・・・マリア、どうした?入りなさい」
・・・入りなさいってここに?だってここ、シオン様の執務室ですわよね!?
戸惑っていると、お兄様に手を引かれ、よろける様にして部屋の中に入ってしまった。後ろでドアが閉まる音がする。
「彼女は中かな?」
「ああ、いま最後の追い込み中だから、静かにな」
なんの話をしているんですの?
「ほら、行こうマリア」
お兄様に促されるまま、前室から執務室のに入る。ドアを開ける時でさえ、音を立てないようにそっと空けて・・・一体、何が?
室内の、一番大きなデスクにシオン様、その横のやや小ぶりのデスクには、リィナさんが居た。見るからにお仕事中。お邪魔じゃないのかしら?
部屋中に・・・というのは大げさだけれども、空いている机やワゴンになど、すごく沢山の書類の束が置いてある。いえ、積んである。
クリス様は、手前の机に積んであった書類を無造作に取り、中をパラパラと確認した後、お兄様に渡した。
「・・・これを、彼女一人で?」
眉間に皺を寄せてそうつぶやくお兄様。なんですの、それ。
覗き込んだわたくしは驚いた。そこにはびっしりと数字が書き込まれていたのだ。なんですの、この書類。
「騎士団の決算書ですよ。公表するものなので、あなた方が見ても大丈夫ですよ」
「まさか、この部屋にある書類、全部・・・」
「そう。もともと私とシオンでやっていたんですけどね。リィナが来てから手伝って貰ってます。彼女は日本では銀行員でしてね、数字には強いんですよ」
数字には強いって言ったって、この書類の量を?
一体、どれくらいの集中力が必要なのだろう。
「今は、確認作業ですね。シオンの作った書類をリィナが確認して、リィナが作った書類をシオンが確認してます。まぁ、お茶でも淹れますから、座ってみててください」
クリス様はそう言うと、わたくしとお兄様にソファーを勧めた。
「お兄様、あの・・・これは一体?」
「うん、マリアが私の仕事を手伝ってくれるようになったからね。この国で一番仕事が出来るといわれているシオン様の仕事ぶりを見てみたら、勉強になるかと思って」
「この国で一番・・・」
「そうだよ。シオン様は昔から優秀すぎて、同じペースで仕事が出来る補佐が見つからなかったんだ。見かねた王様が、クリスを付けたって訳。でも最近はリィナさんと仕事してるって話だったから、私も一度見てみたかったんだけど・・・これは、思った以上だね。見てごらん、この書類、手直しが全然無い。」
そう言って見せられた書類は、確かに書き直しの跡は無く・・・その時、リィナさんの声が聞こえた。
「旦那様、これ違ってます」
「ああ、すまない」
リィナさんが手元の書類をシオン様に渡す。付箋が何枚もついているのがちらっと見えた。
「騎士団の決算書はね、改ざん防止の為に束ごとに同じ筆者でないといけないことになっているんだ。」
「それで、シオン様に渡しているのですね」
「旦那様、この束も」
「ああ」
「こっちは3箇所です」
「うん」
「これ、表紙汚れてますけど」
「クリス、表紙!」
「あー、それは私がやりますよ、リィナ」
リィナさんから書類を預かったクリス様は、ペンと白紙の表紙を持ってこちらに来た。
「表紙は筆者が違くてもいいんですの?」
「ええ、数字を書き入れたりはしませんからね。」
クリス様はそう言って、すばやく書き込んだ新しい表紙に差し替える。
「そろそろ、終わる頃だと思いますよ」
「クリス、リィナさんは書き間違いをしないのかい?さっきからシオン様が書類を渡すところを見ていないけど」
「まさか、間違える時ももちろんありますよ。人間ですから、完璧になんて出来ません」
「んんー、終わったー。あ、旦那様、これで最後です。5箇所」
「・・・」
大きく伸びをして、最後の書類をシオン様に返すリィナさん。くびを左右にまげてストレッチをしている・・・あっ。
「あれ?お客様・・・っ、マリアさんっ」
「ご無沙汰しております、リィナさん。」
立ち上がって礼をすると、リィナさんも立ち上がってお辞儀してくれた。
「えっと・・・そちらは?」
「失礼。レイモンド・リーデルと申します。マリアの兄です。お目にかかれて光栄です、レディ」
「え、えっと、はじめまして。シオン様の召喚者で、リィナと申します。」
「ええ、お噂はかねがね。妹がご迷惑をおかけいたしました。もっと早くお詫びをしたかったのですが、クリスが許してくれなくて」
「え?そうなんですか?あー、でも私ついこの前まで引きこもってたから・・・かな」
「その原因がマリアなんですよね、本当に申し訳ありません」
「いやいや違いますよ、私が不信感を抱いたのは旦那様とクリスさんにですから!」
シーン・・・とした室内。寒い、というのはこういう事を言うのね、と冷静に考えている自分がいる。
「・・・そうそう、お詫びの品と言ってはなんですが」
お兄様は空気を変えようと持参したバスケットをリィナさんに差し出す。
「マールがお好きと聞いたので・・・これは私どもの領地の特産品です」
「え、マール?・・・デカッ!ええっ!?大きくないですか!?これ!?」
「ええ、品種改良したものなんですよ。大きいからといって大味だったりはしませんから。ただ、大きい分輸送コストがかかるのと、痛みやすいので、王都で手に入ることはほとんどないんです。」
「クリスさんマール!マール貰いました!」
「よかったですね、食べますか?剥いてあげましょう」
「ああ、剥くのにも少しコツがあって・・・マリア、お前が剥いてみせてあげなさい」
「はいお兄様」
わくわくしているリィナさんの前で、ナイフを借りてマールを剥いていく。大きい分、水分が多くて形が崩れやすいため、少しコツがいるのだ。
お皿に盛って差し出すと、クリスさんがフォークで刺してリィナさんに差し出す。それを口に入れたリィナさんは「おいしーい」と言って、ニコニコ笑っている。
ああ、こんなに可愛らしい人だったのね。わたくし、勝手に敵視して、その後お説教されて・・・勝手に怖い人だと思っていましたわ。
マールを頬張るリィナさんをニコニコと見ていたクリス様が、ふと顔を上げて言った。
「シオン、早く終わらせないと、全部リィナに食べられてしまいますよ」
「えっ!じゃあ頑張って食べなきゃ!」
「っ!!お前、全部食べる気か!?」
え?今のやり取りって?つまり?
シオン様にはあげないって、そういう事?
「っく、ははは」
「ふ、ふふふっ」
笑い出したお兄様につられて、私も笑ってしまった。シオン様までからかってしまうなんて、ああこの人には敵わないはずだ、と納得できた。
「マリアは今、領地の経理を勉強しているんですよ。この2ヶ月で王都の屋敷の経理が出来るようになりましてね」
「すごいね、たった2ヶ月で?」
「母が生前に、遊びの中に経理を取り入れてくれていたんです。わたくし、それをすっかり忘れていて・・・思い出してから、お兄様に頼んで、きちんと教えていただいて」
「それでもすごいよ。すごいことですよね?クリスさん」
「ええ。頑張ってるんですね」
「・・・ありがとうございます。でも、まだまだですわ。今日のリィナさんの仕事を見ていたら、わたくしなど・・・」
「リィナはちょっと特殊ですからね」「ひどっ!ひどいですクリスさん!」
「リィナさんは、何か書類作成のコツでもあるんですか?」
ちょっと落ち込みそうだったわたくしを気遣ってか、お兄様がリィナさんに質問する。
「コツですか?・・・んー、間違えないようにすること、ですかね」
「は?」
「だって間違えると2度手間じゃないですか。だから書く前には2回確認してます」
「「2回!?」」
「うん。そうですよ」
「書類作成のスピードが速いからこそ、2度確認してもあの速さで仕事が出来るんですよ。だからマリアはリィナを見習うよりも前に、まず書類に慣れるのが先ですよ」
「そうだね、初心者はまずたくさん量をこなすのが先。もちろん、丁寧にね。何度も繰り返しやることによって、自分なりのコツが出来てくるし、そうするとスピードも上がってくるのよ、頑張って。」
リィナさんはそう言って、きれいに笑った。
その後、シオン様のお仕事が丁度終わったタイミングでリィナさんとクリス様がお帰りになるということで、、わたくしとお兄様も帰ることにした。
帰り際、シオン様に声をかけられた。
「マリア、頑張れそうか?」
「・・・はい。」
この“頑張れそう”には色々な意味があるのだろう、仕事も、人生も。だから私は・・・
「あの日、グレイシアを呼んでいて下さったのは、シオン様、ですよね?」
グレイシアは“クリス様に呼ばれた”と言っていたが、クリス様が呼んだということは、シオン様が呼んだということなのだから。だから、わたくしは・・・
「ご心配をおかけいたしました。わたくし頑張りますわ、まずは自分に出来ることを。」
「そうか」
シオン様はそう言って笑って下さった。わたくしも、ちゃんと笑えているかしら?
「元気で」
「シオン様も」
小春日和の、暖かな日差しが降り注ぐ日に、わたくしはシオン様と、そんなふうに穏やかにお別れをした。
マリア嬢はこの後、リィナを心の中で“お姉さま”と慕うようになります。




