68 リスクと信頼
後半、シオン視点に変わります。
“リスクマネジメント”とは、これから起きるかもしれない危険に対して事前に対応しておくこと。
“危機管理”とは、既に起きた事故や事件に対して受けるダメージをなるべく減らすこと。
「じゃあ、お腹が空くだろうから事前にお弁当を用意しておくのが『リスク管理』、お腹が空いてからあわててお店に入るのが『危機管理』?」
まあ、それもそうですかね。
「じゃあ、お客様がいつ来てもいいように掃除をしておくのが『リスク管理』、お客様が来てからあわてて片付けるのが『危機管理』?」
んー?あわてて片付けるというのは、ダメージかしら?なんか違うような気も?
「じゃあ、戦争が起こる前に騎士団を強化しておくのが「リスク管理」で、戦争が起こってから騎士団を強化するのが『危機管理』か?」
それは・・・どうでしょう。戦争が起こってから鍛えるのでは後の祭りのような気がしますけれども?
「・・・起こってしまった事の、被害を少なくすることが危機管理ですね。雨が降ってきたから傘を買うのは危機管理、折りたたみ傘を鞄に入れておくのがリスク管理です。」
「なるほど、これ以上雨に濡れない為の行動ではなく最初から濡れない為の準備、か。そうすると戦争が起こらないように外交に力を入れておくのが『リスク管理』で、戦争による被害を軽減する為の施策が『危機管理』か。」
「・・・戦争をしない国に生まれた私には、戦争に関するリスク管理も危機管理も、能力はございません。すみません。」
うーん、戦争の話になると話しが大きすぎるのでリスク管理という考え方でいいのかどうかわかりかねますが・・・。旦那様は騎士団の責任者ですから、どうしても自分の仕事と結びつけてしまうんでしょうね。
ここは、旦那様の執務室に隣接している応接室です。
現在、旦那様、ナンシー、アリッサに、リスクマネジメントについての説明中。
なんでナンシーとアリッサも一緒に居るのかというと、アリッサはお嫁に行く前に勉強しておきたいとのこと。ナンシーは・・・付き添い?
「じゃあ去年の件は~、リィナが拉致されてから救出を迅速にするのが『危機管理』だとしたら、そもそも拉致されないように『リスク管理』しておけばよかったってことかな?」
「そうですっ、アリッサちゃん!」
「つまり、今回の舞踏会だと、リスク管理を怠っていたから、リィナの“あんな噂”を流してまで被害が少なくなるように尽力しなきゃならなくなったって事ね?」
「そうっ、その通りですナンシー!」
二人とも、すばらしいっ!
旦那様を横目でチラッと見たら・・・顔が引きつってました。こんな表情の旦那様は珍しいですね。アリッサとナンシーもノリノリで旦那様をイジってますね、ぷぷっ。
「ねぇリィナー、そうすると、そのリスク管理はどう進めればいいの?」
アリッサはメモまでとって、勉強する気満々です。未来の伯爵夫人ですものね。
でも私、コンサルタントではないので、自分のやっていた事を教えるくらいしかできないのですけどね。
「まず、リスクの洗い出しをします。仕事ひとつひとつに対して、どんなリスクがあるかを全てあげてみるんです」
「ひとつひとつに対して!?とんでもない量になるじゃない!」
「そうですよ、とんでもない量です。ですので私の勤め先では、管理者がリスクを洗い出すのではなく、実際の業務を実施する担当者がリスクの洗い出しと対策を上げて、評価をしていました。」
「なるほどー、実際に仕事をしてる人間は、何がリスクなのかを知っているしね」
「はい。ですがこの方法にも担当者がそれに取り掛かる時間を取られるという欠点はありますけどね。とりあえず、何か一つ仕事を選んで、リスクをいくつか上げてみましょうか」
【仕事内容】執務室の掃除
《考えられるリスク》
書類の紛失
書類の汚損
機密内容の漏洩
個人情報の漏洩
「掃除に関してはこんなものですかね、厨房だったら怪我もリスクになりそうですが。それから、どれがリスクが一番高いかと、どうすればそのリスクを軽減できるかを考えます。まずはどうすればそのリスクが無くなるかを考えてみましょうか。」
「紛失は・・・書類に触らない、とか?」
「それよりも、書類を出しっぱなしにしない、というほうが良いでしょうね。掃除中に書類を汚損する可能性があるのは、机の水拭きをする時とかですかね?」
「それはもう注意するしかないわよねぇ。機密内容と情報の漏洩は?」
「職務上知りえた情報を漏洩しないように使用人に徹底させるとか?」
「そうですね。定期的に情報セキュリティーについての勉強会などで教育をするとか。あとは、機密情報を使用人の目に付くところに置かない。部屋に入室できる人間を制限するとか。」
「なるほどねぇ。もういっそ監視カメラでもつけてもらいたくなるわねぇ」
ナンシーが笑いながらそういいます。やましい事がないからこその発言ですね、同感です。
「もともとこの屋敷に入れる人間は限られてるし、執務室に入れる人間は更に限られている。使用人は雇用時に身元を調べてあるし、誓約書も書かせている。それでもリスクがあることを前提にするなら、リィナが言っていたように書類を出しっぱなしにしないことが一番の改善点だろうな」
「・・・リスク管理を始めると、まず最初に“人を疑ってかかる”という壁にぶつかります。どういうリスクがあるかという事を考え始めると、人的ミスがどうしても出てきますから」
「そうねぇ。うっかりミスもだけど、悪意を持ってる人が居るかもしれないと疑うのは、お互いにつらいわよねぇ」
ナンシーさんがしみじみと呟き、アリッサちゃんが頷いてます。
「ミスは誰にでもあるものとして考えるべきでしょうね。ミス以外の悪意を未然に防ぐことも重要です。書類を出しっぱなしにしないという事は、『使用人による紛失や盗難を防ぐため』と同時に『使用人に紛失や盗難をさせないため』でもあるんですよ。」
例えばカフェやレストランで2人掛けの席に1人で案内されて、向かい側の空いている椅子に財布の入った鞄を置いていたとして。
お店が混雑してきて荷物を置いている椅子の側を人が行きかうようになってきて。
その人たちが手を伸ばしたら、鞄を掴んで走り去れる状況だったとして。
その状況を見てから鞄を自分の膝元へ抱える行為は、店内に居る人を疑っていると思われてもしょうがないけど、考え方を変えれば、犯罪者を出さないための行為だとも言えるのです。“魔がさす”や“出来心”という言葉があるくらい、人間は誘惑に弱い生き物なのだから。
とりあえず、今日のお勉強はここまでです。
リスク管理は洗い出したリスクの影響度を出して、改善点を挙げて、実践していくのですが・・・様子を見る限り、そこまで教えなくても大丈夫そうですよ。旦那様はもちろん、ナンシーやアリッサもよく理解されてるみたいですよ。これが貴族(管理職)と一般人(非管理職)の違いなんでしょうかね。
しばらく仕事のリスクについての話をしていたら、クリスさんがいらっしゃいました。
私とナンシーとアリッサはクリスさんと入れ違いに退出して、いつもの掃除に向かいました。
こんな感じで、よかったんでしょうかねぇ?・・・。
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“リィナから、リスク管理の話を聞くように”とクリスに言われたのは、今朝。
ナンシーとアリッサも同席するという話だったので、その二人に聞かせるのがメインなんだろうとばかり思っていたのだが・・・
『これから起きるかもしれない危険に対して事前に対応しておくこと』
リィナの言ったその一言で、妙に胸がざわざわした。
危機管理については、王族として生まれ、施政者としての教育を受けている私達には当たり前のように身についている。人災・天災を問わず、起こったことの対応をするのが王族の仕事のようなものだからだ。
ただ、リィナの語ったリスク管理については、人任せだった・・・気がする。
問題を起こしそうな騎士団員が居ることを知っていても、実際に問題が起こるまでは動かなかった。だから、リィナとナンシーは酒に睡眠薬を盛られた。まあ、あの時リィナは飲まなかったが。
会議の時もだ。相手が強行手段に出るかもしれない可能性もあったのに、リィナには伏せたまま囮のように使った。結果、リィナは拉致監禁、私とクリスは陛下からの叱責と一時的な王族権限の停止を受けた。助けに行くための騎士団員を用意する前に、相手の行動と手段をきちんと調査しておくべきだったのだ。
舞踏会もそう。あんな行動をしたらマズいことは誰よりも自分が知っている。
・・・そうか、ダリアの侍女の帰還の時、ユーリは。
帰還したら死んでしまうと分かっていたから、だからあんなに必死に陛下に訴えていたんだ。
私は、彼女が死なないように手をつくすのではなく、死んだ後にどうやってリィナを慰めればいいのかという事にばかり頭がいっていた。
「信頼されてなくて、当然だな。リィナから見たらよほど不甲斐なく見えるだろうな。」
思わず自嘲気味につぶやいたら、しっかりクリスに聞かれていた。
「これから注意できればいいんじゃないか?」
「そうだな」
「それに、リスク管理は重要だが、リスクを恐れていては何も出来なくなる。王族としては致命的だ」
クリスの言うことも、もっともなのだ。
国を動かすというのは、常にリスクが伴う。リスクを恐れていては何も出来なくなる。
騎士団を任されている私は、他国の侵略というリスクに対応しなければならない。
そして、もし戦争になって、そして敗戦したら『起こってしまったことの被害を少なくする』為には、
私達王族の首で、国民を守る算段をとらなければならない。死ななくてもいい方法を事前に考えておくなんて、無理な話だ。
「そう悲観するなシオン。国政のリスク管理は陛下とユーリ、騎士団員は騎士団長に任せておけ。お前は、自分の手の届く範囲のリスク管理をすればいい」
私の思考が暗くなったことに気づいたクリスが、そう声を掛けてくる。
「手の届く範囲か」
それなら、出来るかもしれない。
この屋敷と、領地と、クリスと。
あとは俺の召喚者、リィナと。
リィナの行なっていたリスク管理はCSR(コントロール セルフ アセスメント)です。さわりの部分だけを書いてますが、実際はもう少し細かいかも。




