電話機と目玉焼き
プルルルルルルル……プルルルルルルル……ガチャ
『おはようございます〜。私メリーさガチャ……ツー……ツー……ツー』
今回で198回目となる、自称メリーさんからの電話だ。
毎朝律儀に午前6時に掛けてくる。お陰で最近は、目覚ましを使っていない。お役御免なので、この前のゴミの日に捨ててきた。
上京したときに母さんから貰ったものだが、別に形見という訳でもない。何の迷いもなく捨ててしまった。
プルルルルルルル……プルルルルルルル……
また掛かってきた。多分出なきゃ仕事から帰って来るまで鳴りっ放しだろう。隣の部屋のおばさんの迷惑になる。出なきゃいけない。
プルルルルルル……ガチャ
『あーー!!何でさっきは切ったんですか!!??せっかく私がもーにんぐこーるしてあげたのに!!』
モーニングコールの発音が、かなり怪しい。
「頼んでない。よく毎朝毎朝かけてきて……お前ヒマなのか?」
『はぅっ!!そんなことは……』
怯んだな。図星か。
『そ、そぉいえば、今回で私からの電話は、何回目になったでしょう!?』
無理な展開だ。そんなに俺と話したいのか。
だが残念だな。俺はお前と話している暇はない。おととい来やがれ。
「これで199回目か。ご苦労さん。どうせなら200回目突破の前に跡形もなく消えてくれないか?」
『ひ、ヒドイです!!こうなったら……覚悟してくださいよッ!!!』
ブツッ……ツー……ツー……ツー
切れた。さて、朝ご飯でも作るか。今日は目玉焼きとインスタント焼きそばだ。
そして、だ。
朝から俺の携帯は鳴りっ放しなのである。電源は切った。バッテリーも抜いた。なぜ着信する?
画面を見ると、そこには「めりーさん」という文字が表記されている。
アイツ、いつ俺の携帯に登録を……。
このままじゃ仕事に集中できない。しかも、午後からは取引先に出向かなきゃいけない。それまでにこれを、何とかしなければ。
仕方ない。これは出て、一発ガツンと言ってやるしかないな。
俺は部屋を出て、屋上へ向かった。
エレベーターを待っている暇はない。駆け足で階段を上る。
屋上についた。誰もいない。
俺は備え付けのベンチに座り、携帯を取った。
『はっはーーーー♪困ったでしょ?やめて欲しかったら謝ってくださいね♪』
携帯の向こうから、鼻歌が聞こえる。
「なんで俺が謝らなくちゃならん?」
理不尽だろ。どう考えても。
相手は鼻歌を歌い、俺の返答には答えない。
俺は無意識に貧乏ゆすりをしていた。
「おい、無視すんじゃねえ。俺が謝る理由は、一つもないぞ」
俺の声は、屋上に空しく響く。
時間だけが過ぎていく。貧乏ゆすりは、最初の時より大きくなっていた。
『うふふふふ……。困ってますね〜。私の怖さがわかりましたか?』
「はぁ?」
『だから〜、謝れば、許してあげますよ♪』
こいつは、俺の話を聞いていないのか?
「だから、俺が謝る必要はないだろ」
『なーにムキになっちゃてるんですか?まだまだ子供ですね♪』
ガタン。
俺は立ち上がった。もう限界だ。
「謝れば、もう二度と掛けて来ないか?」
俺の声は低かった。
『……え?』
一瞬間があって、聞こえてきた声はそれだけ。
「わかった。全て謝ろう。俺が悪かった。許せ」
『え、え?』
「だから、もう二度と掛けてくるな」
『そ、そんな!ちょっとまガチャ……ツー……ツー……ツー……』
ふぅ、と溜息をつき、そして屋上から出ようとした。
「ち、ちょっと待って下さい!!!」
「なっ!?」
ビックリした。俺の背後から聞こえてきた声の主、それは……
「初めまして……メリーです」
「へへ……。こんな初登場、本当はしたくなかったんですけどね……」
と言って、メリーは顔を俯ける。
彼女の漆黒の長いストレートヘアを、風が巻き上げた。白いワンピースに愛嬌のある顔が、可憐という言葉を連想させた。
「ごめんなさい……。最初はちょっとでも話してくれたのに、段々話してくれなくなったので……寂しくて……」
と擦れた声で言うと、顔を上げ、痛さを堪えるような笑みを浮かべた。
「私って、生前、お父さんからもお母さんからも、誰からも相手にしてもらえなくて……」
彼女は自分の平たい胸の上に、自らの手を当てた。
「辛くて、マンションから飛び降りて、死にました。たしか、14歳のときだったと思います……」
メリーは、最初のときより顔を俯かせた。前髪で表情は見えないが、想像はついた。
泣いている。
「死んで……で、何時の間にか、私はメリーになっていました」
握り締めている拳が、微かに震えていた。痛々しかった。抱きしめて、慰めてやりたかった。
「手には受話器が握られていて、それに耳を当てると、勝手にあなたのところに繋がってしまいました。何故だか、私にもわかりません……」
でも、と言い、彼女は顔を上げた。
その顔は予想通り、涙に濡れていた。でも、その顔で必死に笑った。
「あなたの声は、優しかった……。凄く凄く……温かかった……。ぶっきらぼうな感じがしたけど、私のこと、無視しないでくれて……それだけで、それだけで私は凄く、凄く嬉しかったです」
ごしごしと、彼女は涙を拭った。強く拭き過ぎたのか、頬が少し赤くなっていた。
その時だった。俺は彼女の体が一瞬、透けたように見えた。瞬きをすると、それはもう消えていた。
だが、確かに彼女は透けていたのだ。14歳の少女は、また話し出した。
「今、透けましたよね。メリーって、一度だけ、たった一度だけですけれども、相手の人の前に、姿を現すことができるんです。でも、それは最初で最後。10分すると消えてなくなり、私も同時に、どこかへ消えてしまうんです」
「んなバカな……」
口の中がカラカラだった。
彼女は俺の言葉を聞き、ふふ、と微笑んだ。
「実体化するには、一応条件が必要なんです。二つあるんですが、そのどちらかが満たされれば、実体化するんです。一つ目は、メリー自体の意思」
そして、と言って、メリーは息を吸った。
「二つ目は、もう二度と掛けてくるな、という言葉」
『わかった。全て謝ろう。俺が悪かった。許せ』
『え、え?』
『だから、もう二度と掛けてくるな』
俺は、俺はこの心のない一言で、メリーを実体化させる二つ目の条件をクリアしてしまったのだ。そのせいで彼女はもう……。
彼女の体が透け始めた。後ろのベンチや金網、そして変わらぬ街の風景が見えた。
「ちょっと待ってくれ!!!!」
俺は叫んだ。メリーが、ちょっと驚いた顔をする。
「何だ?お前は無理矢理実体化させられちまった上に、消えちまうのか!?俺のせいで!?」
自分でも、何と言っているかわからなかった。ただ、彼女……メリーに消えて欲しくないということ。その思いが自分の中にしっかりとある、それだけがわかることだった。
「どう、どうすれば消えない!?謝ればいいか!?土下座してもいい!!」
俺は必死に訊いた。でも彼女は、静かに微笑んでいた。そしてその目の端から、雫が零れ落ちた。
俺は、何も言えなくなった。
メリーは口を開いた。とても聞き取りにくい声だったが、俺には全部、はっきりと聞こえた。
「うれしいです……。やっぱり、いい人なんですね。私の、思った通りでした。優しくて、温かくて……でもぶっきらぼうで……。私の受話器が、あなたのところに繋がっていたのも、きっとあなたなら、私を救ってくれるって思った神様のお考えなんでしょうね」
俺は、首を横に振る。
「違う!!俺はお前を救えなかった……!!お前が辛いことたくさん抱えてるのに、全く気付けなかった……!!」
頬が冷たい。俺の目からも、涙が出ていたようだった。
メリーは、さっきよりもっと透けていた。床のコンクリートの色も見える。その姿のまま、彼女は俺に近づいてきた。
そして、俺に抱きついてきた。ふわりと。まるで羽根だった。
柔らかい香りがした。
「……私の本名は、久川瑛美といいます」
抱きついたまま、彼女は言った。俺の胸の辺りに収まる彼女に、俺はどう言葉を掛ければいいのだろう。
「あなたの……、名前は?」
「暁……白川暁だ」
「そう……いい名前……」
彼女は、もうほとんど見えなくなっていた。
俺は、彼女を強く抱きしめた。
「瑛美。辛かっただろ。苦しかっただろ。でも、もう心配しなくていいからな。お前は、もう自由だ。すべての拘束から、今、解放されたんだよ」
俺がそう言うと、彼女は顔を上げた。そして、笑った。
彼女は、消えた。
俺の、目覚し時計に起こされる日々が戻って来た。
毎日かかってくるモーニングコールも、それを無視するとかかってくる抗議の電話も、もうかかってこなくなった。
いつもの、変わらない日常。
目覚し時計は、母さんがくれたものを使っている。
確かに捨てたはずなのに、机の上に置いてあったのだ。その机には、電話機が置いてある。犯人はすぐわかった。
「さて、今日も目玉焼きと、インスタント焼きそばかな」
俺は簡易キッチンに向かい、フライパンとやかんを用意する。
7時になったら出勤だ、急がなければ。
完