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ぼくの家の台所事情

作者: 霞シンイ

 ぼくのお母さんは、今日から出張で十日間うちに帰ってこない。少し寂しいけれど、でもぼくは大丈夫だ。もう小さな子どもじゃないし、それにお母さんは朝早くて夜遅いから留守番はいつものことだ。

 ぼくの家は所謂母子家庭というやつだ。お父さんは、ぼくがすごく小さな時に別れてしまったらしい。それからお母さんは、毎日鬼のように働いている。まあ、元から仕事が大好きな人だったというから、あんまりそれ自体は苦ではないみたいだけど。ぼくはついこの間、近所の小母さんが話しているのを聞いてしまったんだ。お母さんは本当なら、海外にもバリバリ行っちゃうすごい人らしい。今まではぼくの世話とかで、長期の仕事は貰わないようにしていたけど、そろそろ大丈夫だろうってことで、今回十日間のお仕事を引き受けたんだって。だから、ぼくはお母さんには自分の仕事を頑張ってほしくて、「ぼくのことは気にしないで、お仕事頑張ってね」って朝見送ったんだ。

 ぼくは学校が終わると、夕飯の材料をスーパーで適当に買ってから家に帰った。ぼくはお母さんが台所に立ったことは見たことがない。だから、我が家の冷蔵庫にはいつも飲み物くらいしか入ってないんだ。もちろん、十日分の生活費は貰っている。これでお弁当買って食べなさいって。でも、ぼくはいつもファミレスかお弁当だし、いい加減飽きが来ていたんだ。だから、近くのスーパーに行って、野菜とかお肉とかいろいろ買ってみた。ぼくも料理なんてしたこと無いけど、やればなんとかなるはずだ。

 材料を台所に置いて、ぼくは考えた。さて何を作ろう。今まで使われたことがあるのか分からない鍋やヤカンは、どれも新品のままピカピカでぼくの顔が映っている。ただ、炊飯器は埃を被っていたから、軽く水拭きしたけど。

 手始めに、まずはお米を洗って炊飯器にセットする。一応ぼくだって、お米は洗剤で洗っちゃいけないことぐらいわかるよ。

 それから試しにいろいろやってみたけど、何とかならずに結局おいしい夕ごはんは作れなかった。卵は上手く割れなくて食べるとじゃりじゃりいったし、お肉は真っ黒になった。機械に任せたはずのご飯は、何故かべちゃべちゃでお粥みたいだ。これならいつものコンビニ弁当の方が何倍もましだ。元々二人暮しには広すぎる2DKのマンションが、余計に広く感じる。寂しくないなんて言ったけど、広い部屋で食べるおいしくないご飯の所為で、ぼくは今とっても寂しい。


 夜中に、何かカチャカチャ物音がする。でもぼくは眠いからそのまま寝てしまった。

 

 朝起きると、なんだかいい匂いがした。眠い目を擦りながらダイニングに行くと、テーブルに美味しそうな朝ごはんが乗っていた。ぼくが昨日作ったべちゃべちゃのご飯じゃない。ふっくらと炊き上がった白いご飯と、お味噌汁、焼き魚にふわふわの玉子焼きだ。誰が作ったんだろう。お手伝いさんでも呼んでいたのかしら、と思ったけど、マンションに誰かが来た様子は無い。ぼくはお母さんの部屋とか、押入れとか、ソファーの下とかあちこち探してみたけれど、ぼく意外誰もこの家には居なかった。

 ちょっと怪しいけれど、おいしそうな匂いには勝てない。ぼくはテーブルに着いて、ご飯を一口。うん、とってもおいしい。お出汁がしっかり取れたお味噌汁はほっとする温かさだし、玉子焼きはほんのり甘くて自然とぼくは笑顔になる。そのままパクパクと箸を進めて全部食べた。レンジでチンするお弁当とは全然違う。ぼくは初めて食べる家庭の味に感動していた。


 学校の給食の時間、ぼくはちょっと困っていた。ぼくのランドセルにはお弁当箱が入っている。

 ぼくが学校に行こうとしたら、台所にお弁当箱がぽつんと置いてあるのが見えたんだ。遠足の時用にと買った青い弁当箱は、結局一度もおかずを詰めることなく仕舞われていた筈だ。それなのに、その未開封だったお弁当箱にはタコウィンナーや、プチトマト、アスパラのベーコン巻きとかがぎゅっと詰まっている。これを作った人は学校で給食が出るって知らなかったんだろうか。ぼくは迷った挙句、そのお弁当をランドセルに入れて学校に持ってきた。せっかく作ってくれたんだもの。置いていくのは可哀想だ。

「なんでお前弁当なんて持ってきてんの?」

「ほんとだー。お母さん遠足と間違えたの?」

 ぼくが机にお弁当箱を出すと、隣の子が面白そうに覗いてきた。話が聞こえたのか担任の先生まで笑っている。いつの間にかクラスの皆が、ぼくのお弁当を見て笑っていた。ぼくは恥ずかしかったけど、結局お弁当の方を食べた。朝ごはんと同じでとってもおいしかった。恥ずかしかったけど。


 今日は皆とは遊ばないで、そのまま家に帰った。もしかしたら、ご飯を作ってくれた人が来てるかもしれないからだ。もし会ったら、おいしかったです。でもお弁当はいらないですってちゃんと言わなきゃ。ランドセルの中から鍵を出して家に入ると、部屋は薄暗くて静かだった。いつもと同じ、誰もいないぼくの家。がっかりしながら靴を脱ぐと、廊下には甘い匂いが漂っている。えっと思ってダイニングへ行くと、テーブルには黄色いホットケーキが乗っていた。そういえば、昨日ホットケーキミックスも買ったっけ。手を洗ってから、フォークで切ってホットケーキを口に入れる。まだ作りたてみたいにほかほかと温かい。ハチミツが無いからバターしか乗っかってないけど、それでもおいしい。食べ終わるとぼくは笑顔で「ご馳走さまでしたー」と言っていた。せめてお皿くらいは洗っておこうと、シンクに水を張ってお皿をつけておく。ついでなのでお弁当箱も一緒に洗ってしまおう。ぼくはランドセルから空っぽのお弁当箱を出してきて、それも一緒にスポンジで洗った。

「今日はもう来ないのかな。お弁当はいらないって伝えたいんだけど……」

 ゴシゴシと泡立てながらぼくはそう口にした。一人で居ると独り言って多くなるんだよね。キュッと音がしたのに満足して、ぼくは水切りにお皿とお弁当箱を置いた。


 それから三日経っても、ぼくにご飯を作ってくれる人が誰なのかわからなかった。朝起きると必ず朝食が用意されていて、帰ったらおやつがある。そして、ぼくが買い物や遊びに行ってる間に夕飯が出来ていた。不思議なことに、お弁当は最初の一日目だけで、次の日からは何故か用意されなくなっていた。お弁当はいらないって誰かから聞いたんだろうか。あと、食事は全部ぼくが買ってきて、冷蔵庫に入れた材料だけで作っているみたいだ。買い物を忘れると、冷蔵庫のなけなしの食材で頑張りました、というような食事が出てくる。だから、ぼくは毎日買い物に行くようにしていた。

 だけど、今日は突き止めたい。誰がぼくにご飯を作ってくれているのか。ぼくが居ない時を狙って作っているなんて怪しすぎる。正体を見せない理由も、何故ぼくにご飯を作ってくれるのかも、ぼくは知りたかった。

 学校から帰ると、今日もいつものようにおやつが用意されている。今日はカップケーキだった。入っている赤いのはたぶん苺だ。甘酸っぱさと優しい甘さがぴったり合う。「ご馳走さまー」とぼくは言うと、遊びに行く振りをして一旦外に出た。その後、玄関の隣にあるぼくの部屋の窓から、こっそり中に忍び込む。これで大丈夫なはずだ。

 ぼくは待った。じっと身を潜めて、誰かが玄関の鍵を開けて中に入るのをひたすら待った。けれども、誰かが入ってくる様子は無い。気付かれてしまったかもと気落ちしていると、台所でカチャカチャと物音がする。ぼくは驚いてしばらく動けなかった。だって、どこから入ったんだ。ここは五階だからベランダからなんて入れっこないのに。

 ぼくはそうっと台所へ近づいて耳をそばだてた。冷蔵庫がバタンと閉まる音や、何かをかき混ぜるような音が引っ切り無しに聞こえてくる。それから、トントンと規則正しい包丁の音も。ぼくは好奇心に負けて、こっそりと台所を覗いてみた。すると、ビックリするような光景が台所で繰り広げられていた。

 台所には誰もいない。なのに包丁はひとりでに野菜を切っていて、お鍋がぐつぐつと煮えている。時折冷蔵庫が勝手に開いて、中から食材が飛び出してはシンクへ直行した。しかも、耳を澄ませばとても小さな声が台所から聞こえてくる。

「ちょっと、もう少し静かにかき混ぜてくれよ。君の体が当たって痛いよ」

「あの子人参苦手みたいだよ。もっと細かく切ったら?」

「おい。俺の上に生肉載せた後は、一度洗ってくれって言っただろうが」

 喧喧と台所の道具たちがお喋りをしている。お鍋が、包丁が、まな板が。皆話しながら料理を作っていた。ぼくは見てはいけないものを見てしまった気がしたけれど、目を離すことができなかった。道具たちはどうやらカレーを作っているらしい。

「ねえ、硬めがいい? それとも柔らかめ?」

 パカパカと炊飯器が蓋を開閉させて質問している。それにしゃもじが「カレーだもの。硬めになさいよ」と答えていた。うん、ぼくもそう思う。すると、引き出しががばっと開いて、ひゅーとおろし金が鍋の上に飛んでいった。「早く早く」と急かしている。それに包丁が、

「もうちょっと待って」

と、するするとリンゴの皮を剥いていた。すごい、夢みたいだ。ぼくはそのままカレーが出来上がるのを陰からずっと見ていた。


 それから、ぼくは見つからないように、こっそり台所を覗くのが楽しみになった。道具たちの会話はとっても面白い。それに、見ているだけで料理の勉強にもなった。彼らはどんな食材も一流シェフのように料理してしまう。食材の切り方とか、焼加減とか、こうこうするとおいしくなる、というのをとても良く知っている。ぼくはそれをこっそりと見て、なるほどと頭に入れるのだ。反対に道具たちもぼくのことを良く見て、聞いているようだった。ぼくが夕食の時に、「明日はハンバーグがいいなぁ」と大きな独り言を言うと、真夜中の台所では「明日はハンバーグがいいんですって」と道具たちの話し合いが始まる。その時に「でも玉ねぎが足りないよ」とか食材の注文があるので、ぼくはそれを学校帰りに忘れずに買って帰る。すると、おいしいハンバーグが食卓に並ぶのだ。


 十日が経って、お母さんが帰ってきた。お帰りなさいというと、「ただいま、ご飯ちゃんと食べてた?」と聞いてくる。ぼくはうん、と頷いて「とってもおいしいご飯食べたよ!」とお母さんに言った。お母さんは首をひねっていたけど、これはぼくだけの内緒だ。ふふふ、と笑ってちらりと台所を見る。お母さんは台所に入らないから、冷蔵庫の中に食材がたくさん詰まっているのを知らない。お皿やフライパンが洗われて、乾かしてあるのも気がつかない。でも、ぼくはそれでもいいんだ。だって、料理がちょっとだけ分かったもの。今度はぼくがご飯を作ってお母さんを驚かせてあげるんだ。とりあえず、明日の朝はがんばって早起きしなくちゃ。


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― 新着の感想 ―
[一言] けなげな主人公のところに訪れたちょっとした幸運がとてもユーモラスに描かれていて、楽しませていただきました。 ありがとうございます。
[良い点] 可愛いです。 少年にご飯を作ってあげる台所用品達……なんだか和みます。すごく良い。 思わずにっこりしてしまいました。 [一言] 初めまして、黄葉と申します。 読ませていただきました。 仕…
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