表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

自分のことを魔王だと思い込んでいる中二病が、不良校のトップに最愛の妃(幼馴染)を傷つけられそうになったら。

掲載日:2026/07/27

 四月。ニューゲームが始まる刻。

 ある国の魔王とその妃は寄り添いながら、新たなる(みち)の開拓に勤しんでいた。

 とても仲睦(なかむつ)まじい朝の一幕である。いや仲睦まじいというより……なんか、初々しい?

 

「なんで伝わんないかなぁ。私はずっと、なんの説明もなく私の髪を変なことに使うなって言ってんの」

「なんども説明しただろ。魔王になるための儀式に必要だったって」

「だからそれ説明になってないじゃん。めんどいから魔王とかそういうのは置いとくんだけどさ、そもそもなんで私の髪が必要になんのさ」

「儀式には大切な人の一部を捧げなきゃいけなかったからな」

「大切な……ふぅん。それならそうと早く言ってくれたら……」


 魔王の名を明日良(あすら)という。昨日悪魔を()ぶ特別な儀式を行い、魔王となることに成功したらしい。少なくとも本人はそう主張している。世界はそれを中二病と呼ぶんだぜ。

 ちなみに今のところ国の領土は実家の一部屋のみとのこと。新たなる路の開拓もいいが、そろそろ片付けないと母親による領土侵犯が勃発しかねないぞ。気をつけて魔王様。


「して妃ヴァルニよ」

「その変な名前で呼ぶのもやめて」


 その横でふわりとした茶髪の毛先をくるくるしながら口をモニョモニョさせているのが妃のヴァルニ。ではなく未稀(みき)。明日良の幼馴染である。勝手に妃呼ばわりしてくる中二病患者に対してかなり刺々しい口調だが……


 ——「大切な人」ってなに、もう! そんなの言われたら許しちゃうじゃん。


 内心飛び跳ねている。チョロい幼馴染である。なんなら妃扱い自体もちょっと乗り気である。


「俺たちはどうして学校に向かっているんだ? 入学式は明日だろ?」


 そんな未稀の内情なんて知らない明日良は、当然の疑問をこぼした。何を隠そう、彼は今朝未稀に叩き起こされ、言われるがままに(おろ)したての制服に袖を通し、何の説明もなしに連れ歩かされているのである。そりゃ初々しいわけだ。なりたての魔王、なりたての妃、初めての制服、初めての登校。どこもかしこも初だらけ。ハツの食べすぎでキュン死しかねない。


「え、明日?」


 明日良の一言により、未稀の血はサーっと住処へ撤退していった。つぅ、と頬を汗が伝う。「幼馴染の家に行って起こすやつだ!」と内心ワクワクしていた、など言い訳にはならない。まさか日付を間違えていたとは。「入学初日から寝坊なんて馬鹿だなぁ」と思っていた自分に言ってあげたい。「馬鹿はあなた」と。


「え、えーと、うん! 下見! 下見したかったの! ほら、私たちが本来通う予定だった学校と違うわけじゃん? お兄ちゃんが前の学校でちょっとした有名人になっちゃったせいでさ。ほんといい迷惑だよ」


 ——ふぅ、咄嗟の言い訳にしては上出来かな。


 未稀は自分を褒める。なお「兄がやらかしたせい」と本人は言っているが、普通に学力が足りなかっただけである。自分のためにわざわざ学校のランクを下げてくれた幼馴染に感謝すべき立場なのだ。そして兄にも謝りなさい。


「まぁいいや。校門が開いてない、みたいなオチはやめてくれよ」


 しかし明日良は気にしない。ただ幼馴染と隣を歩くだけで満足しているからだ。それのどこが魔王なんだろう。

 入学式前ということに少しの懸念を抱えつつも、二人は新たなる路(通学路)の開拓を進めていった。



 幸いなことに、明日良の懸念は杞憂(きゆう)に終わった。校門は普通に開いていた。否、開いていたというより。


「壊れてないか?」

「ここで3年過ごすの? マジかぁ……」


 未稀の言は校門を見て出たものではない。目の前に(そび)える校舎、その大部分がペンキによる落書きで覆われていたのだ。どこぞのグラップラーが住んでいるのかというほどに、壁は罵詈雑言(ばりぞうごん)で埋め尽くされている。これなら明日良の杞憂の方がずいぶんとマシだったはずだ。少なくとも学校が学校として機能しているから。

 この学校は……機能していると言えるのだろうか。あまりにも風紀が乱れすぎている。いやここまで乱れると風紀ではなくタツマ紀と言った方がいい。

 未稀は頭を抱えるほかなかった。自分の通う学校のレベルからして、窓ガラスが割れているくらいまではまだ想像がついていた。だが現実はそれを遥かに超える惨状。

 しかしそんな彼女の横であの男は……


「カッケぇ……」

「は?」

「なんか、呪いの廃校みたいだ」

「何言ってんの?」

「こほん、ヴァルニよ。この良さがわからぬというのか? 壁一面の怨嗟(えんさ)の呪文。負のオーラが溢れ出ているではないか。この呪いの力は必ず魔王の糧になるだろう。我の城に相応しい」


 目を輝かせていた。しかも、なんか変なモードに入りやがった。

 明日良の目に映る校舎は、校舎ではない。RPGにて勇者を待ち構える魔王城なのである。自認が魔王である彼にとって、負のオーラを撒き散らすタツマ紀な校舎は理想的な根城に映っているのだった。

 ……彼の中二病フィルターは、手遅れなほど黒く(よど)んでいるようだ。


 未稀はさらに頭を抱えた。深ぁく抱えた。それはもう前転しそうなくらい。

 とはいえ後悔は先に立たず。好転の鍵となるのは後転ではなく前転なのである。

 少しでも綺麗な場所を探そうと、未稀は校舎の外周をぐるりと探索しはじめた。明日良もそれに続くが、彼の目は校舎の落書きをなぞり続けていた。


「あれ、なんかここだけ綺麗じゃない?」


 校舎の壁からひょこ、と顔を出した未稀は額に手を(かざ)し、目を凝らす。未稀の言葉に明日良も校舎から視線を外した。彼女が見つけたのは、校舎から少し離れたガレージのような建物。壁自体はいくらか落書きもあるのだが、周りの地面は太陽に反射してピカピカと瞬いていた。


「てか、誰かいない?」

「上級生か? 学校もないのに登校とはなかなかな優等生だ」


 件の建物に向かいながら感心感心、と首をコクコクする明日良。何様なのかとツッコミたくなるが、そもそもこいつの自認は魔王様か。しかし明日良のこの感心はすぐに裏切られることとなった。


 ガレージから、のそりと熊が這い出てきた。


「見ない顔だな。新入生か? 入学式は明日だが」


 こちらへ歩み寄りながら、熊はそう呟いた。

 毛むくじゃらの、2mはありそうな体躯(たいく)。腕には黒い紋様が刻印されている。

 どうやら熊ではなく人間のようだ。その鋭い眼光が二人の目を眩ませ、獣を錯覚させたのだった。


 彼の名は大馬或地(おおばあるじ)。校内の廃ガレージに住み着いた、不良を束ねる首領(ドン)

 この学校の、現在の魔王である。


 彼は屋外にいた数人に対し、ガレージに戻るよう手で示した。


 ——待ってもう無理。なにあの化け物! いや先輩に化け物とか言っちゃいけないんだけど、だって怖いんだもん。なんかタトゥーしてるし! ねぇ明日良どうしよ! 私たちここで死ぬのかな!


 自らの死期を悟った未稀はそっと明日良の方に目配せを送った。


 ——こいつ、この状況でワクワクしてないよね? 流石にね?

 

 このデジャヴは気のせいだと念じながら。

 視線を感じ取った明日良は、未稀を(かば)うようにサッと前に立つ。その目はどこか挑発的だった。


「俺は明日良。魔王だ」

「コラ!」


 未稀は幼馴染を呪った。


 不良に対して目を輝かせてはいなかったものの、明日良はまだ魔王モードだったらしい。


「そしてこっちは我が妃ヴァルニ」

「誰よその女」

「またの名を未稀」

「そっちが真名(まな)なんですが」


 あまりに場違いな幼馴染の姿に、未稀の中に根付いていた恐怖心もどこかへ飛んでいってしまった。巨漢な先輩の目の前で夫婦漫談ができるほどに。


「魔王? ずいぶん大きく出たな一年坊。ピカピカの制服なんか着て。夢は学校の征服か?」


 ぶっ飛んだ自己紹介を済ませた明日良に対し、或地はガハハと声を上げる。しかし、その目は笑っていなかった。


「気にいらねぇな」


 彼はつまらなそうに吐き捨てた。


「まぁいい、とりあえずお前には儀式をしてやる。この学校に入学した証を、刻んでやるよ」

「儀式……だと……⁉︎」


 未稀のデジャヴは時間差で的中することとなった。明日良の目がキラキラと瞬き出したのである。


 ——儀式! それをして初めてこの学校の一員だと認められる、ということか! 儀式、うん!カッコいい響きだな。なるほど、つまり腕の刻印もそういう目的だったということか。さては先輩、同族だな?


 明日良の脳内は儀式という言葉で埋め尽くされてしまった。もう明日良の目には熊のような巨体など映っていない。中二病フィルター越しの熊はただの同好の士でしかないのだ。


「一年坊、あそこの壁に手ついて背中向けろ」

「ああ、分かった! こうすればいいのか?」


 明日良は或地の言葉を疑うことなく、素直に従う。自分を守っていた壁があっけなく崩れ去った未稀は、おずおずと明日良について行くほかなかった。心の中で喚き散らかしながら。


 ——これ絶対ヤバいやつじゃん! なんでホイホイ従っちゃうわけ? 何が起きても知らないからね!


 ……案の定というか、なんというか。或地はポケットの煙草(タバコ)に火をつけながら明日良の制服を捲った。


「生意気な一年坊に、ヤキを入れてやるよ」


 或地はそう言うと、明日良の背中に煙草の火を押し付ける。


 ……ジュ、という音がした。


 儀式。それは、明日良の背中に火傷を刻むことだった。

 

 根性焼き。平和に生きてきた未稀にとってあまりに衝撃的な光景。先程飛んでいったはずの未稀の恐怖心も再び這い戻ってきていた。逃げようにも、動けない。助けようにも、動けない。叫ぼうにも、声が出ない。


 だが、そんな未稀とは対照的に、明日良はケロッとしていた。まるで火傷などしていないかのように。


「で、次はどうするんだ?」

「お前、どうなってんだ」


 或地が明日良についた(すす)を乱暴に払い落とす。そうして出てきたのは、すこし黒ずんだだけの、傷一つない綺麗な背中だった。

 明日良の背中は、赤くなってすらいなかった。

 

 火傷していないかのよう、ではなく実際に火傷していなかったのである。先程未稀は或地を化け物と呼んでいたが、化け物はもっと身近にいたようだ。


「魔王である我の身体は丈夫なのでな。煙草の火なぞくすぐったいだけだ」

「んな馬鹿なことあるわけないだろ」


 あまりに無茶苦茶な理屈。しかし、明日良はそれを実際に体現してしまっている。

 なおも信じられない或地は次々にタバコに火をつけ、明日良の背中に押しつけていった。

 強く押しつけたり、できるだけ長く押しつけたり。試行錯誤を繰り返すも、その成果はただ明日良の背中をちょっと黒くするだけであった。果てにはライターでの直炙(じかあぶ)りも試した。明日良が言うには、それが一番気持ちよかったらしい。或地はそれが一番気持ち悪かった。

 2箱目の煙草を使い切った或地は、お手上げとばかりに箱を放り投げる。地面には吸い殻——吸ってはいないが——の山が聳え立っていた。


 煙草を押し付けた側が苦悶の表情を浮かべる異質な空間。しかしその空間は、次に発された一言によって一変した。


「もういい。そこの女、次はお前だ」


 未稀への、根性焼き宣言。


 或地の目は後ろで縮こまっている未稀の方に移動した。

 後退る未稀の喉から、ひゅうという音が漏れる。


「あのバケモンじゃ話になんねぇ。お前、そこの壁に手ついて背中向けろ」


 仔鹿のように足をガクガクとさせながら、未稀は壁の方へと向かっていった。いくら進んでも進んだ気がしない。実際、震える足でまともに進めてはいなかった。


「おせぇな。はよしろや」


 或地が未稀の腕を乱暴に掴み、引っ張る。未稀は腕の痛みすら感じなくなっていた。


 ——もう、だめかも。


 未稀の足には恐怖が蜷局(とぐろ)を巻いていた。もはや彼女はただ或地の命令を遂行するマシーンであった。


「俺への儀式は終わりか?」


 そんな折、未稀の耳に声が届いた。未稀のぼやけた視界に、煤で薄汚れた背中が映り込む。


「俺への火炙りは儀式として通用するかもしれないが、ヴァルニは普通の子だ。話が違う」


 或地と未稀の間には、魔王が、立っていた。


 或地が押し付けた煙草の火は、明日良の背中ではなく心に火を灯していた。


 それを見た或地は、ニィ、と口を歪める。


「儀式は儀式だ。上下関係をハッキリさせるためのな」

「なるほど。お前、ただのヤンキーだったんだな」


 儀式、という言葉の真意を理解した明日良は、低い声でそう呟く。彼の目に映った巨体はもう中二病仲間ではない。自分の妃を、大切な幼馴染を傷つけるゴミだ。

 彼の中二病サングラスは、ようやく払い落とされた。


「ただの? いや、俺はこの学校を束ねるトップ、大馬或地だ」

「いや、お前はトップじゃない。実際、俺にヤキを入れられてないだろ?」


 明日良は或地にそう告げる。或地は後輩にヤキを入れることで上下関係をハッキリさせる。その理屈でいくと、或地が明日良の上だとは言えない。しかし……


「よく吠えるヤツだ。わかった、しっかりと上下関係を叩き込んでやるよ」


 ヤンキーにはもっと分かりやすい、優劣の決め方がある。


「タイマンだ、一年坊」



 魔王戦の火蓋が、切られた。



 或地は既に未稀の腕を離していた。明日良に腕を掴まれたまま、その背後に入り込む。後ろから「ひゃん」とかいう情けない声が聞こえた気がしたが、気にしない。

 対して明日良は目の前にいたはずの男に殴りかかっていたため、そのまま前につんのめった。

 

 ギュイン、と明日良の視界が(まわ)った。


 或地は前につんのめった明日良の力をそのまま逃す気はなかった。掴まれた腕を軸に、明日良を地面に叩き落とす。


 そこでようやく明日良は腕を離した。しかしそれは、或地による腕のロックが完了したことを示すのみだった。


 或地は片方の足で明日良の背中を踏み、もう片方の足を支えにしながら彼の腕を逆方向に曲げていく。


 ……しかし、曲がらない。


「うっそだろおい」


 ありったけの力を込めるために両の足で踏ん張ろうとしたその時。或地の足が離れた一瞬の隙に明日良は起き上がった。

 

「言っただろ。丈夫だって」


 明日良はニッと笑い、腕をブンブン振るう。

 

「これじゃ折れない、か」


 ジンジンする腕を慣らしながら、或地はそう呟く。仕掛けた側がダメージを受けるのはどういう了見だ、と恨めしげに明日良を見つめる。その瞳孔は一点に吸い寄せられるかのように収縮していた。


「こっちのターンだ」


 明日良はそう言うと、思いっきり地面を蹴った。

 或地はそれを横薙ぎに跳ね除ける。

 跳ね除ける、はずだった。しかしその手は、鈍い音を立てるのみだった。


 或地の腕にまたもジーンと痛みが走る。間違って壁でもチョップしちゃったのかと手の先を見やると、なるほど確かにそこにはヒビ割れた壁があった。


 ……そう、明日良の肉壁が。


「こっちのターンだっての」


 勝手に自滅していく敵を前に、明日良は調子に乗った。

 乗ってしまった。


 なんか楽しくなってきた明日良は、そのまま或地に殴りかかる。

 しかし今度は、明日良が困惑する番となった。


「当たらなければどうってことはない」

 

 当たらない。ただの一度も。


 別に明日良の拳が遅いというわけではない。むしろ彼の拳は速い。音ゲーの高難度かと思ってゲーマーが見物しに集まりそうなくらい速い。ただ、或地がそれを超えて速すぎるのだ。


 大馬或地はスピードタイプのデブだった。


 彼の喧嘩のスタイルは単純。相手より先に動き、強力な一撃を叩き込む。ただでさえ重い拳に速度というバフがかかるため、大抵の相手は一撃で沈む。彼の現在の地位もそれで築いてきたものだ。今回は、ただ相手が悪かった。


 ——(らち)が明かねぇ。


 二人の思考が、揃った。


 拳を振りながら、明日良は考える。もしかしなくても俺の拳リズムカルすぎるな、と。


 彼のその予想は当たっている。

 明日良の拳は、どこまでも一定だった。彼は喧嘩の経験がない。それもそのはず、魔王としての人生を歩みはじめたのはつい昨日なのだ。そのため、恵まれたフィジカルに任せてただがむしゃらに拳を振るしかなかった。


 いち、に、いち、に、と振るわれるそれを、或地はひょいひょいと避ける。


 避けながら、或地は考える。このまま避け続けても何も変わらない。しかし自分から仕掛けようとすると、馬鹿みたいに固い彼の肉体によって逆に自分がダメージを受ける。或地は周りを見渡した。彼の目がある一点を捉えたとき、その瞳孔はもう見えないくらい圧縮されていた。


 明日良は拳のテンポを変拍子に変えてみた。

 いちに、さんし、いち、にさん、し。

 その効果はすぐに出だした。右手が左脇を掠め、左手が右脇を抉る。明日良は戦いの中で成長するタイプだった。魔王というより主人公のようだ。


「そうきたか。だがな」 


 突如、リズムが途切れる。


「捕まえた」


 そんな主人公の両腕は、或地によって捕縛(ほばく)されていた。


 或地はそのまま明日良をガレージ付近の空き地へと放り投げる。

 明日良は綺麗な弧を描き、尻餅をついた。と思ったら、ツツー、と尻を滑らせていった。

 

「さっきまでその辺りを掃除させてたんだ。よく滑るだろ?」


 そう言いながら或地は明日良の元へスケートのようにスライドしてきた。

 そして明日良が立ち上がるよりも速く、その左腕をまた掴む。

 

 今度はスピン。或地自身を軸とし、明日良を振り回す。その様はまるでタツマキだった。


「うおりゃあああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」


 タツマキと化した或地が向かったのは、(そび)え立つ一本のポール。


 その中心目がけ、明日良の腕を叩きつける。

 目の前のポールは、ぐわんと揺れ、音を立てて曲がっていく。そして耐えきれず、鈍い音と共に折れて倒れてしまった。


 明日良は左腕を庇いながら、立ち上がった。その腕は一部青黒く濁っていた。


「さすがに折れたろ」


 或地の瞳孔はなおも明日良一点のみを捉える。


「いいや、まだだ」


 明日良の心の灯火は、まだ消えていない。

 残された右腕で或地に殴りかかる。

 しかし、或地はそれを避けようともしなかった。そして、(かゆ)くもなさそうに首をすくめる。事実、明日良の拳は宙を掠めだだけで終わった。

 片腕、滑る地面。様々なデバフは明日良の拳を鈍らせていた。


「踏み込めないだろ。こういうとこではな、こう戦うんだよ」


 或地は明日良の顔面を鷲掴(わしづか)む。そのまま地面に叩きつけた。

 掴んだ頭を少し持ち上げ、もう一度地面に叩きつける。何度も、何度も。


 自分の拳で殴るのが無理なら、別のものに殴らせればいい。

 それが、或地が辿り着いた答えだった。


「いい加減頭冷やせよ」


「頭を冷やすのはあんたよ!」

 

 そんな折、明日良の耳に声が届いた。

 何事かと振り向いた或地は、血相を変えて声の主の方へ駆けていった。


 魔王の妃が、ホースを構えていた。



 時間は少し戻る。

 或地への恐怖に怯えていた未稀は、唐突な幼馴染の割り込みに放心していた。

 さっきまで嬉々として受け入れていたのに、大切な人に標的が変わるやいなや目の色が変わった幼馴染。絶望の淵から手を掴んで、引き上げてくれた幼馴染。


 ——かっっっっっっっっこよ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎


 ……それはもう、キュンキュンしていた。

 涙で歪んでいた視界はもう幼馴染の(すす)けた背中しか映らない。ぐわんぐわんと音を鳴らしていた耳は幼馴染のいつもより低めなイケボしか通さない。

 未稀の世界には、明日良しかいなくなっていた。

 或地の恐ろしさどころか或地の存在すら忘れる勢いである。恋は盲目とはよく言ったものだ。好きの気持ちは他が入り込む隙を与えない。


 そんな時、目の前に無理やり飛び込んできた岩のような巨体。あまりに唐突だったもので、未稀の口からは「ひゃん」という情けない声が漏れた。


 薮から出た蛇に飛び上がった未稀の思考は、急に現実に引き戻された。


 ——え、なんか喧嘩始まってる?


 流れからして至極当たり前なのだが、状況を飲み込むのに未稀はずいぶんな時間を要した。さっきまでの幸せ空間とあまりに乖離(かいり)した現実を直視できなかったのである。恋は盲目以下略。


 すっかり目の曇った彼女が「パンチしてる明日良カッコいいなぁ」とか思っていたら、急に戦局が一変した。

 

 さっきまで何をされても無傷だった明日良が、傷を負った。

 未稀は焦燥した。自分がわけわからん思考にトリップしているうちに、明日良が傷つけられてしまった。


 ——どうしよう。明日良が。私の、明日良が。


 ここでようやく未稀の酔いが冷めた。怖がりな彼が、自分のためにあんな大きい先輩と戦ってくれている。


 明日良は昔からよくイジメられる子だった。いい反応を見せるくせに、あまり反抗しないから。その度に未稀は彼を助け、叱責した。なんで反抗しないのか、助けを呼ばないのかと。

 彼は言った。「他の人が傷付かずに済むならそれが一番」だと。でも未稀は知っている。彼は反抗すること自体が怖いのだ。


 ある日、たった一度だけ、いじめの標的が未稀にまで向いた。そこで初めて彼は変わった。知り合いのおじさんに稽古を付けてもらい、どんどん(たくま)しい肉体を育てていった。でも心根は変わらなくて。「いじめの標的」が「丈夫な標的」になっただけだった。

 

 そして昨日、彼は「魔王になった」と言った。魔王になった彼に、怖いものはない。未稀は今日初めて、「反抗する幼馴染」を見た。


 未稀だけは知っている。本当は怖がりな彼を。誰かが支えないと、いまにも折れそうな彼を。


 助けなきゃ。未稀は焦る。そうこうしているうちにも或地はどんどんヒートアップしている。

 未稀は周りを見渡す。戦いに混ざるなんてできない。でも何か、何かはやれるはず。


 ——これだ。


 未稀の視線の先に、一本のホース。或地はあまりにも丈夫な明日良に対して明らかに正気を失っていた。水をかけて、リセットしてやろう。


「いい加減頭冷やせよ」

「頭を冷やすのはあんたよ!」


 未稀はホースを構え、そう叫んだ。そして、ノズルを(ひね)る。

 ものすごいスピードで或地がこちらに向かってくる。でも幼馴染がこんなに頑張ってるんだ、私だって怖がってちゃだめだよね、と未稀は自分に言い聞かせる。


「おい、それは——」


 ドポッ。


 或地がそれを言い終わらぬうちに、ホースは勢いよく黒い液体を噴射しはじめた。


 ……ん?

 黒い液体?


「ガソリンだ! 早く止めろ!」


 未稀が構えたホースが蓄えていたものは、水ではなかった。

 この学校に以前自動車科があった名残か、とち狂った誰かの提案か。ガレージの横にはガソリンの出るホースが整備されていた。

 ようやく未稀の元へ辿り着いた或地は未稀を押さえつけ、ノズルを絞る。


 そして不幸なことに、ホースの先が捉えたのは或地ではなかった。


「くっせ。何だこれ」


 明日良の体は、未稀と或地の押し合いによって暴れ回ったホースにより、ガソリンでベチャベチャになっていた。

 滑る地面、内出血した腕に加え、ガソリン。踏んだり蹴ったりである。なんなら実際に踏まれてもいる。


 明日良は液体の出所に目を向けた。そこには首元を掴まれた未稀と激昂(げっこう)する或地がいた。


「せっかく綺麗にさせてたのに、汚しやがって」

「離して! ガソリンとか知らないし! 先に言ってよ!」


 未稀は或地の手から脱出しようとモガモガしていた。手足をバタバタさせたり、腕に噛み付いたり、忙しい。明日良は、或地に付いた歯形を見てちょっと羨ましいなと思うなどした。


 或地は黒いベール(ガソリン)(まと)った明日良をチラリと見て、未稀を嘲笑う。


「あれを見ろ。実力もない雑魚が男の勝負に割って入ってもただの足手纏(あしでまと)いなんだよ」


 貼り付けた笑みを絶やさぬまま、


「さて、どうしてもらおうか」


 或地は未稀の両頬を握りながら呟く。


「お前、結構可愛い顔してんな」


 その一言が耳に入った時、明日良の頭には一つの嫌な妄想が過った。未稀が志望校を変えると言い出した時の、嫌な妄想。

 不良に(たぶら)かされ、()ちてしまう未稀。または、不良にサンドバッグにされ、可愛らしい顔を傷で歪める未稀。想定していた最悪の結末たちが、明日良の脳内で一気に上映されはじめた。

 その未来を防ぎたいから、志望校を変えた。未稀を守りたいから、悪魔にだって(すが)った。

 でも、結局自分には何も出来ない。何も変えられないんだ。


「明日良ぁぁ!」


 そんな明日良に対し、未稀は叫ぶ。


「明日良は魔王なんでしょ! こんなところで終わっていいの!」


 明日良の妄想に、未稀が割って入る。


 そうだ、自分は魔王なんだ、簡単なことじゃないか。どうしてこんなネガティブなことを考えていたんだ、と明日良は頭を振った。


「そうだな。俺は魔王アスラだ。魔王が、ただのガキに怯むわけがない」

「お前のがガキだろうが」


 そうして、或地を睥睨(へいげい)する。或地のヤジは、明日良には聞こえない。


「おいお前、俺の嫁に手を出したんだ。覚悟はできてんだろうな」

「その状態で何ができる」


 なおも嘲笑(あざわら)う或地に対して、ではなく未稀に対して、明日良は答える。


「いいかヴァルニ、お前は足手纏いなんかじゃない。最高の仕事をしてくれた」


 そう言うやいなや、明日良は足元に散らばっていた吸い殻を踏みつけた。



 そして、明日良の全身は炎に包まれた。



 ガレージの壁近くに飛ばされた明日良。その足元には、先ほど自分に押し付けられた吸い殻たちが山を成していた。

 そして明日良の体中にこびりつく、可燃性の液体(ガソリン)。明日良が吸い殻を踏みつけることで、吸い殻たちに(くすぶ)っていた火の粉は、一斉に爆ぜた。そして明日良の全身に、炎を纏わせる。


「何やってんだ……それじゃ自分が火傷するだけだろ」


 目の前で繰り広げられる珍事に、或地は硬直してしまった。


「我は魔王である。炎なぞくすぐったいだけだ」


 明日良は燃え盛るその身を一歩一歩と或地に近づけていく。或地はここで初めて身の危険を感じた。しかし、逃げようにも、動けない。或地の腕は既に未稀を手放していた。


「捕まえた」


 明日良が右腕で或地の首を掴む。


「それでどうする? もう片方の手は折れているだろうに。俺を焼き殺すか?」


 目の前まで迫る火だるまに耐えながら、或地は必死に言葉を紡ぐ。


「いいや。これでようやく『踏み込める』ようになったからな」


 明日良の炎によって、地面を覆っていた洗剤たちは蒸発してしまっていた。


「それに、魔王の体は丈夫なんだ。だから」


 明日良は深く息を吸い込んだ。熱気が体内を巡る。しかしそれ以上に、心の灯火は燃え盛っていた。


「こうする」


 思いっきり引いた明日良の左手は、或地の鳩尾(みぞおち)深くに繰り出された。


 鈍い音が、響いた。


 そして、或地は意識を手放した。


「これでやっと腕が折れた」



「このバカ!」

「おわぁっ!」


 やり切った顔をしていた明日良の頭に、今度こそホースの水がかかった。


「もう、バカバカ! なんであんな無茶するの!」


 未稀は明日良の胸板をポカポカと叩く。もちろん明日良にとってそれはなんの痛みもしないが、なぜか今日一番響いた打撃となった。


「ありがとな、ヴァルニ」

「ヴァルニちゃうわ」


 未稀は明日良をじと、と見つめる。


「今日はヴァルニに助けられた」

「だからヴァルニじゃ……まぁいいか。まったく、なんで入学式前日に問題起こすかなぁ。うっわ、腕折れてんじゃん」

「夫婦の初めての共同作業、だったな」

「うっさい。ほら、病院行くよ」


 未稀は明日良の左脇を抱え、近くの病院に向かった。

 仲睦まじい夫婦であった。


 なお或地はというと、ガレージ内で縮こまっていた子分たちの手により無事病院に運ばれた。



 そして次の日。魔王と妃は正式に学校への入学を果たした。ちなみに明日良は今朝「普段は気弱だけど裏で学校を支配している、みたいなキャラで行きたい」と話していた。今日も絶好調である。


 落書きだらけのボロボロな体育館で入学式を終え、クラスでの自己紹介の時間となった。クラスの中もまぁひどいもんで、エンドのE組がお嬢様学校に見える有様であった。

 自己紹介内容も、自分のバックには誰々がいる、やら10対1の喧嘩で勝った、やらいかにもな文言ばかり。

 そしていよいよ明日良の番が回ってきた。しかし、そんな彼の頭を巡るのはここまで散々聞かされたクラスメイトたちの小物すぎる発言の数々。彼はすっかり痺れを切らしていた。その結果、しっかり()っていた台本の全てが頭から抜け落ち、思ったままのセリフが口をついて出てきた。

 

 「このクラスには脳みそが筋肉でできたお子ちゃましかいないのか? 僕……いや、俺の理想には程遠いね。これなら小学校に入学した方がまだマシだ。俺は君らとはステージが違うからつるむつもりはない。嫌ならこの俺『魔王アスラ』の玉座まで這い上がってこいよ。そういうことだから、よろしく」


 ……やっぱり絶好調である。

 未稀は目を丸くした。


 ——さっきまで気弱なスタイルで行くって言ってたよね!? どした!?

 

 しかも、これを左腕にギプスをしながら言い放つときた。


「包帯じゃなくてギプスの中二病とか」

「制服もボロボロだし。お下がり?」

「中二病イタすぎ。パシリ決まったな」

「或地さんにヤキ入れてもらえよ」


 そらそうである。焼け焦げた制服を着た、片腕を負傷している人の言葉ではない。

 明日良は早速クラスメイト全員を敵に回していた。実に魔王らしいことだ。見た目以外。

 未稀は昨日ぶりに頭を抱えた。


 抱えたが、こう自己紹介をするほかない。

 自分の自己紹介の番で、未稀はプルプルと震えながらこう宣言した。


 なぜなら――


「こいつ……の……幼馴染です……」


 明日良(魔王)を支えるのは、いつだって未稀()なのだから。



「或地さん今日学校来てないってよ!」

「サボってるとかじゃなく?」


 クラスメイトは、誰も知らない。


「療養中らしい、新入生に返り討ちにされたとかで」

「はぁ、なんだそれ。とんでもないルーキーが入学したってのか」


 もうすぐ、クラスメイト全員が、この男に片腕でボコボコにされるなんて。

 そして、とある魔王の領土に、一つの学校が加わることになるなんて。


 誰も、知らない。






 幼馴染、好きだ。いないけど。


 面白ければ評価や感想をいただけると、それが次に書く「重い愛の想いあい」の燃料となります!


 ちなみに明日から連載作『彼女が寝取られる夢を見たので、阻止するために全力でイチャイチャします。』の更新を再開します(作者名から飛んでください)。5年止まっていた作品なんですが、昔はジャンル別週間5位まで読んでいただけました。そちらもよしなに。重い愛です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
応援できればと思い来ました(^ ^) 中二病の魔王設定とヤンキー校の抗争が噛み合う構成が巧みで感心しました。根性焼きが効かない主人公、ガソリンと吸い殻の伏線回収が痛快です。私も中二病作品を書きますが、…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ