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君を愛した嘘つきAI

人生の最大幸点が分かるとしたら?知ってしまった少女の終わりを辿る物語

人生の幸福度が分かるとして、もし自分の人生の最大幸福点を過ぎてしまっているとしたら?この先の人生で、今まで以上の幸福が存在しないとしたら?

貴方はどうしますか?

 エンディングテーマが流れ始めて一週間が経った。

よれた毛布にくるまって、床を抱きながら現実を認識し始める。部屋の隅に置かれた空っぽの冷蔵庫が、お腹を空かしたかのように唸っている。雨だれでぼやけて見える天気は晴れていて、それがどこか気に食わず瞼を閉じた。どこか遠くから蝉が鳴いていて、この一週間で夏が迎えに来たのだと分かる。

「俺の夏は死んだのに」

喉の奥から絞り出した言葉だったが、ほかの誰かが言ったみたいで、どこまでも不快だった。

瞼の裏には過ぎた情景が、テレビの早送りのように過ぎていく。止めようと思っても、止められない。戻ろうと思っても戻れない。かつての温もりを探るように、手を伸ばしたが、つかめたのは冷めた薄暗い空虚さだけだった。

冷房の効きすぎた部屋で、これ以上引きこもってはいられなかった。かれこれ一週間は人間的な活動をしていない。布団から這いずり出る。しばらく何も食べていなかった俺の下腹部は、自分でも驚くほど窪んでいて、少し気味が悪い。立ち上がり、キッチンで三日ぶりの水を飲み、顔を洗おうと洗面台に立ち向かう。鏡に映るのはまるでこの世のすべてを恨んでいるかのような、やるせなさを目に宿した男だった。やせこけた肌、ぼさぼさの髪、伸び切った髭、今なら浮浪者役に抜擢されてもおかしくないな、と鼻で笑う。全部がどこか他人事のように感じられた。どこから間違い始めたのだろうか。

 頭の中で流れ続ける音楽を、彼女の名残を、紛らわすように思考を泳がす。

 すべては彼女と出会ったときから始まった。


 祝うべき二十歳になった俺は、大学で日々の隙間をため息で埋めるように過ごしていた。もちろん、そんな人間に友人ができるなら、世界はもっと希望に溢れていただろう。しかし現実は、どこまでも無関心と懐疑心が広がっている。そんな中で幸運にも、前者としか縁がなかった俺の大学生活はどこまでも自由で、どこまでも鬱屈としていた。まわりが流行りのバンドや、サークルの話をする中、バイトに明け暮れる空気のような存在が俺だった。親の援助は受けられず、奨学金を借りて大学に通う。また、とある事情で大学のすぐ近くに下宿する他なかった。下宿代、生活費、これらを賄うには金が必要だったのだ。まあどうせ、それらの問題が解決したところで、友人と呼べる人間はいなかったろう。

 ある日、独りで食堂に行くのにも嫌気がさし、どこか遠くへ行きたくなった。その日は梅雨が明けたばかりで、暑さと湿気で自棄になっていたのかもしれない、普段なら家に帰る帰路を反対に向かった。誰もいないような。独りが当たり前のような場所を探して。

 電柱をたどって歩き、売地の猫に威嚇され、行き先もなく歩き回る。途中、火照った体に冷えた炭酸水を流し込みながら、自販機横の黄色いベンチで行き先を考える。

 歩き続けないと、現実が追い付いてきそうで、追い立てられるようにその場を後にした。

ようやくたどり着いた寂れた駅は、どこか揺らめいていて、暑さで頭がやられたのだと、赤色灯が俺に囁く。

行き先はどこでもいいから、次に来た電車に乗ろう。じゃないと家に帰ってしまう。

「たまには涼しい夏が来てくれよ」

そう一人で吐き捨てる。たとえ涼しい夏が来たところで、何も変わらないというのに。

自身の卑屈さに嫌気が差す。駅のすぐ近くの遮断機が

ホームのベンチで空を仰ぐ。

藍色の空を、霞んだ雲が飛ぶように流れ、飛行機雲が伸びていた。

いっそ海外に放浪でもしに行って見ようか、そんなバカげた考えを遮るかのように、反対側のホームから、はしゃぐ声が聞こえた。目をやると、黄色い帽子をかぶった小さなかいじゅうたちが、何やら集まっている。やけに元気な怪獣たちは、嬉しそうにお互いの植物の種を見せ合っていた。夏休みだろうか。彼らは夏の思い出を作るのだろうか。自分とは無関係だった世界を直視すると、惨めな気分になった。誰であろうとそうだろう。なりたくてこうなったわけじゃないさ。君たちもいつか、何かの拍子にこっち側に来るかもしれない。

心の中で誰かが、大人気もなくそうつぶやいた。

 ある日から、人の目を見て話せなくなった。次第に人の視線を恐怖するようになり、周りの人間は皆、自分を見て笑いものにしているのだと錯覚した。もしかしたら錯覚ではなかったかもしれないが、きっと誰かがそれは錯覚だと言ってくれても、俺はその誰かを疑うような人間だったのだ。そういう人間だったのだ。

大学に入ってからはより一層、錯覚がひどくなり、ついには人込みの真ん中で倒れてしまった。

 一瞬の出来事だった。女子高生の笑い声は嘲笑となり、糊のきいたスーツを身にまとったサラリーマンの視線はまるで、酷く俺を憐れむように感じた。普段は聞こえないふり、見えないふりしていた錯覚が突然、今まで以上のノイズを孕んで襲い掛かってきた。実際は誰も俺には関心すら持っていないことを、俺はどこかで知っている。けれども、大事なのは俺の認識で、歪んだしまったそれは、簡単には治らず、日に日にひしゃげて、自己の精神を容赦なく蝕んだ。

錯覚のきっかけは簡単なことだった。長靴を履き、みんなと並んで登校していた俺は、初恋をした。一瞬で魅了され、呼吸することも忘れ、一秒でも長く目に留めたかった。

それは何よりも美しかった。

それはどんなものよりも清純で、俺は童心ながら彼女の隣に居たいと強く願った。

それが間違いだらけの人生の中でも、最も愚かな願いだと知らなかったのだ。


 気づけば終点だった。いつの間に電車に乗ったのか、曖昧で、しかし潮の匂いでどうでもよくなった。

 やけに新しい駅だったが、人の気配はほとんどせず、改札の駅員が億劫そうに礼をする。それが、どこか俺には心地が良かった。

 駅を出て目の前の真っ白な砂浜を踏みしめる。砂に靴が沈み込み、少し砂が入ってきた。

シーズン前の海の家は、出番を今か今かと待っているように見えた。 

 流れ着いた海藻は色とりどりで、白く泡立った波が押し寄せる。

夏の先取りをしている気分だ。夏なんて普段は、部屋に籠るか、日銭を稼ぎに行くかで、海なんて久しぶりだった。子供の頃、父はよく俺を海に連れて行ってくれた。寡黙だった父は、あまり感情表現をしなかった。だけど海に行くときは、どこか嬉しそうだったのを覚えている。

 ふらふらと過去の追想に自我を揺らしながら砂浜を歩いていると、防波堤に辿り着いた。防波堤はかなり大きく、先の方まで行くのに、一体どのくらい時間がかかるか分からなかった。見た限り、人はいなくて、防波堤の大部分をカモメが占領しているようだった。

 そんな防波堤の先で、誰かが俺を待っている気がした。こんな俺を呼んでくれている気がした。もちろんそれは暑さが見せる幻想で、それでもいいよと、つぶやいた。

 カモメを散らしながら歩き続ける。前を向く余裕はなくなって、視界の端に写る、釣り人が捨てていったであろう魚の死骸を数えて歩いた。

 十五匹目の、潰れて乾燥した魚の死骸がゴールだった。

 予想とは裏腹に、防波堤にはヒトがいた。

 海色のワンピースを着ていて、砂浜からは、空の色と同化して見えていなかったのだ。

彼女は俺が知る誰よりも、海色のワンピースが似合ったし、麦わら帽子は彼女の黒い長髪の美しさを際立たせていた。しかし。それらとは裏腹に病弱そうな白い肌を宿した横顔は、どこか艶やかさを放っていた。目を奪われる。この感覚は危ない。知っている。

彼女が俺に気づき振り返る。一見、高校生と言われても納得するような、どこかあどけなさを残した顔立ちだった。

そうして俺は彼女、ユキと出会ったのだった。

彼女はすぐに、俺に何かを差し出した。携帯ゲーム機だった。何となく、伝わった。彼女は俺と同類なのだと。それは半分当たっていて、しかしもう半分は大外れだった。

その日は、とあるゲームをクリアした。最後のエンドロール、主人公の女の子は、片思いの相手を刺して心中するという、なんとも後味の悪いゲームだった。

彼女は愉快そうにそれを見てほほ笑んだ。夕日に照らされたその笑顔は、孤独を溶かすのには十分だった。

彼女はどこまでも夏だった。


その一年後、彼女は自殺した。



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