悪事を働くと、地獄の使者がやってくる
悪事を働くと、地獄の使者がやってくる——
「あははっ! ごめんねぇ、未英。彼氏クンは、あたしのことが好きみたいよ」
「……そっか。お似合いの二人だから、私も嬉しいよ。上手く続くといいね」
「そんなの当然でしょ? それにしても、怒らないわけ? 悔しくないの? 何度も私に奪われてさ」
憐れむように声を萎める、ほの果は隠しきれない優越感に満たされているようだった。
(悔しくないんじゃない。呆れているんだよ、アンタに)
吐き出せば楽になる言葉が胸につかえて、思ってもいない言葉だけが飛び出していく。
「別に。相手の見る目がおかしかっただけだし。付き合ってる時から、ずっとほの果と付き合えばいいのにって、思うくらい私には勿体ない人だったし……、悔しくないよ」
「流石、未英! 私の親友ね!」
私の手を取って飛び跳ねるほの果に、貼り付けた笑みを浮かべ続ける。
本当は、元カレのことが好きだった。
会社でずっとほの果といる私を見ても、彼は私を選んでくれた。
飛びぬけてオシャレなほの果と違って、地味で暗い私を好きだと言ってくれた。
嘘でも、嬉しかった。
ずっと、人と比べられて生きてきた私に初めて出来た彼氏だったから。
(どうして、いつもこうなる。私が幸せを掴もうとする度、なんでほの果に取られるの? 私と違って、容姿も頭脳も優れているのに)
同期入社をした由木ほの果は、女優顔負けの容姿端麗。おまけに、仕事もできる。
いわゆる、バリキャリ。
でも、致命的な欠点がある。
他人が目立つことを絶対に許さない。
常に自分が一番じゃないと気が済まない、目立ちたがり屋。
誰かが賞賛されたり、注目の的になっていると、ズカズカと割って入っていくから、性格は最悪。
でも、誰も小言を吐けない。
憎らしいぐらい、仕事ができるから。
課長でも、社長でも、手が出せないほどに。
だから、こじんまりした会社の女王様で社員全員が、ほの果のいいなりになっている。
「阿田さん、可哀想……」
「また、彼氏を取られちゃったんだ……」
「でも、仕方ないよね。相手が、由木さんなんだし」
「ご愁傷様、としか言いようがないよな」
「私も、目を付けられないように気を張らないと」
「大丈夫でしょ? 由木さんは、未英ちゃんにしか目を付けてないみたいだし」
会社の廊下から聞こえるヒソヒソ話が、私を孤独にさせる。
ここでは、私の味方になってくれる人がいない。
誰も、ほの果を裁くことができない。
休憩室で、彼氏との日常を赤裸々に語るほの果に目を向けながら、ふと思う。
私は、いつまでこんな日を続けるのか——
逢魔が時の帰り道。
途方に暮れて足取りが酷く重たい。
何度ため息を吐いても、気が晴れない。
「最悪すぎでしょ……、元カレからもらったプレゼントを奪うってどういう神経してんのよ。なんなの、彼氏クンのものは私のものって——意味が分からない!」
耐え忍んできた怒りの片鱗を吐き出すと、業火が燃え上がっていく。
けれど、チラチラと向けられる視線に、ハッと気が付いて周囲に目を向ける。
怪訝そうな顔つきで見てくる通行人たちに、小さく頭を下げながら気を落ち着かせる。
(吐き出すのは、家に帰ってからって決めたのにね。外で吐き出すなんて……ひょっとして、限界値を超えちゃったのかな)
帰路を急ぎながらも、我が物顔でプレゼントを奪い去っていくほの果の顔と声が、頭から離れない。
脳裏に焼き付く度に、炎が心の内側を燃やしていく。
徐々に宵の空になっていく町中を、点滅する街灯が歪に道先を照らしている。
ごう、ごうと、吹き荒れる風が頬を撫でていく。
「あ……、そう言えば。悪事を働くと、地獄の使者がやってくるって、お母さんが言ってたっけ」
数年前に亡くなった母が、私が悪さを働く度に言っていた言葉。
きっと、怖がらせるために言っていた言葉だろうけど、不思議と今はそれを期待してしまう。
「もし、その言葉が本当なら……。ほの果をどうか地獄へ連れて行ってほしい」
祈ったところでどうにもならない。
叶えてくれるわけじゃない。
それでも——、誰にも裁けないほの果を裁いて欲しい。
そのためなら、なんでも……
「なら、お前の望み通りにしてやろうか」
「え……」
チカチカと点滅する街灯の下。
強風に煽られるようにゆらゆらと立ち上る影は、人の形を成す。
ひたひたと近づいてくるそれは、夜を纏うような異質で艶やかな鬼だった。
「由木ほの果を地獄へ連れて行って欲しい、そうだな?」
ずいっと、顔を寄せてきた鬼は目元に面をつけていた。
白檀のような香りが鼻腔を擽る。
口から覗く八重歯が、街灯に照らされてキラリと光る。
「あ……、えっ……と」
「ん? どうした? ああ、俺に慄いて声が出せないのか。可哀想だな、オマエ」
ペロッと舌なめずりをする鬼は、絵になるほどに美麗。
漂う空気感がどこかズレていて、ミステリアスな雰囲気に思わず呑まれる。
今、ここにいるのが夢ではないと、吹き荒れる風が教えてくれる。
「あ、あなたは、何者なんですか?」
ようやくひねり出した言葉に、鬼は淡々と述べる。
「俺は、地獄の使者だ。丁度、悪事を働いている人間を探していたら、オマエの声が聞こえてな。それで語りかけただけさ」
「ほ、ほんとうに? 地獄の使者っているんですか?」
「ああ、いるとも。本来は、こうして表に出すことはしないが……まぁそんなことよりも。オマエはその女を地獄に連れて行って欲しんだろ?」
目の前にいるのが地獄の使者なら、下手のことは言えない気がする。
首を縦に振ると、鬼は満足げに笑う。
「人を地獄に送るには、オマエにはやってもらうことがある」
「やってもらうこと?」
「代償もなしに人を地獄には送れないからな。お前の魂を天国に送る代わりに、その女を地獄に送る。どうだ? 散々、搾取され続けてきたオマエには打ってつけの条件だろ?」
ずっと、付き纏われて嫌だった。
ずっと、そんな日々が続くのも耐えられない。
それなら、いっそのこと——地獄に突き落としてしまえばいい。
「いい条件ですね。乗ります、その条件に」
「おお! 見かけによらず、切るのが早いな。いいのか? つまり、オマエはその女を地獄に送るために、死ぬっていうわけだぜ」
「構いません。私はずっと、我慢してきました。言いたいことの半分も言えない。だったら、最期くらいは、自分のいいようにしたいだけです」
死んでもずっと一緒とか、ありえない。
奪われ続けてきたのだから、ほの果から生を奪っても許されるはず。
いいや、許してくれる。
ほの果が死んでも誰も悲しまないのだから。
「オマエの覚悟は分かった。だが、まだその時じゃない。俺が、その女の悪事を見てからが本番だ。それまで耐えておくんだな」
吹き飛ばされるような風に包まれて、思わず目を瞑る。
再び目を開けた視界に、鬼はいなかった。
点滅していた街灯は、何事もなかったように道を照らしている。
「夢、だった……?」
辺りに漂う白檀の香りが、現実世界であることを知らしめていた。
地獄の使者との邂逅から、一週間が経った頃。
私の周りで不可思議なことが起きていた。
「嘘……、またお金が減ってる」
財布を開けると、数枚入っていたお札が一枚もない。
それどころか、見覚えのないレシートが数十枚も入っている。
「な、なにこれ……」
高級バックのレシート、大量買いした服のレシート、家電のレシート。
買った覚えも、身に覚えないのばかり。
よく、レシートを見るとすべてがクレジットカード払い。
「まさか!」
財布の中身を全部出して探す。
「ない……ないっ! クレジットカードがない!」
お札とクレジットカードだけが、抜き取られた。
レシートを見れば、可笑しなことが起きた日に全て買われている。
「誰が、こんなことを……」
脳裏に浮かぶは、たった一人。
こんなことを大胆にやってのけるのは、私の周りには一人しかない。
「ほの果……、アイツがやったんだ!」
煮えくり返る怒りが心を燃やす。
居ても立っても居られなくて、部屋着のまま玄関を飛び出す。
「やっほー、未英! 家に来ちゃった!」
「……は? なんで、ここに?」
乱雑にドアを開けた先には、のほほんとしているほの果が立っていた。
まるで、タイミングを計ったような出で立ちに不信感が募る。
「あ、あんた……、私のお金とクレジットカードを盗んだ?」
おそるおそる、問いかける。
顎に手を当てて考えるほの果に、心のどこかで違って欲しいと願っている自分がいた。
彼氏を奪われて、散々な目にあっているのに私はほの果を見捨てることができない。
数少ない友達を疑いたくない。
怒りを向けたくない。
地獄に突き落としたい、覚悟はあるのに。
どうしても、良心に抑え込まれてしまう。
ふふっと笑ったほの果は、嘲笑うように呟いた。
「やぁっと、気がついたの? 未英は、本当に頭が悪いね。そう、私がお金とクレジットカードを盗んだの。だって、未英が悪いんだよ? また、粗悪品の彼氏を寄こしたから」
淀んだ目つきで凄むほの果に、カチッと頭のどこかでスイッチが入る。
「は……、意味わかんない。勝手に彼氏を奪ったくせに。勝手にやったくせに、何で私のせいになるの? お金を盗む動機になってないし、粗悪品だと決めつけるなら私から何もかも奪わないでよっ!」
今すぐにも掴みかかりたい気持ちを押さえて、言葉をぶつける。
「ほの果が勝手にやったことを、私の所為にしないでくれる? もう、いい加減にしてよっ……私は、あなたを輝かせる引き立て役じゃないんだよ!」
ずっと、心に押しとどめていた言葉を吐くと、胸がスカッとする。
でも、すぐに荒みはじめる。
「ひどい……、ほの果は全部未英の為にっ……うぅっ……」
ほの果はぽろぽろと幼稚に泣きはじめて、地面に染みを作っていく。
正論を言うと、泣き始める。
だから、誰も強く言えない。
そうやって泣き落としをするから、ほの果に逆らえる人がいない。
「泣いたってそれが事実じゃん。泣けば許されると思っているんでしょ? だってほの果は、可愛いから。我儘が通ると思ってるから、私に酷いことができるんだね」
いつもだったら、あわあわして泣き止ませることに必死になっていた。
でも、今は、どうでもいい。
いい年した大人が、泣いて許しを乞うだなんてくだらない。
そもそも、人のお金を盗っておきながら、謝罪しないこと自体がおかしい。
(ああ、馬鹿馬鹿しい。私は、何でこんな女に縋っていた? 期待したの? 友達だから、そんなことはしないって思って、馬鹿みたい)
冷え冷えとする気持ちで、ほの果を見つめると一つの影が立ち上っていく。
「由木ほの果だな。お前の悪事は見過ごせないな」
「ひぃっ!」
一週間前に見た鬼がほの果を見下ろしている。
仮面で目元が見えないのに、圧迫するような威圧感に思わず息を呑む。
「だ、だれよっ」
「俺は、地獄の使者。名を、焔責。お前の悪事を責め立てる者なり」
焔責は、私に顔を向けると八重歯を見せる。
「さあ、阿田未英。お前の魂を以ってして、由木ほの果を地獄へ送ってやろうじゃないか」
歩み寄ってきた焔責は、手を差し伸べる。
その奥では、ガタガタを震えているほの果が、助けを求めるように見つめている。
なんだか、ほの果が哀れに見えて思わず、一笑してしまう。
気を取り直すようにゆっくり息を吸って吐く。
「はい。どうか、その女を地獄へ送ってください」
焔責の手を掴んだ瞬間、聞き取れない言葉を乱暴に吐くほの果が滑稽に見えた。
「あい、わかった。徒花として散るがいい」
目の前に覆われた大きな焔責の手を見つめる。
怖くない、と言えば嘘になる。でも、私の心は静寂に満ちていた。
ふっ、とジェットコースターに乗ったような浮遊感に見舞われると、すぐに収まった。
重かった体が、空気みたいに軽くなっていて、どこにでも飛んでいけそうな感じがした。
ドサッと、何かが倒れる音がして目を向けると私が地面に倒れていた。
私の体を焔責が抱えていて、ほの果が青ざめた顔をしている。
(……幽体離脱ってやつか。本当に、私は、死んだんだね)
少し虚しい気持ちがやってくる。
ほの果に付き纏われなかったら、結婚とかできていたのかなって思う。
でも、ほの果がいなければできなかったことがある。
だから、見届けなくては。
悪人の最期を。
「さて、次はお前だ」
ほの果に目を向けた焔責の足元から、赤黒い炎が噴き出すと唸るような声が聞こえてきた。
地面から生えるように現れたのは、魂なき人間。
何かを求めるようにずるずると、ほの果に近づいていく。
「い、いや! 来ないで!」
手で払うけれど、逆にその手を掴まれてしまっている。
「離してよ!」
威勢だけは一人前のほの果に、焔責が腹を抱えて笑っている。
「この状況を未だに理解できないとは……くくっ、なんとも馬鹿な女だ」
「な、なによ! 何がおかしいの!」
「お前は、これからその死者たちとともに生きるんだ。そう——、地獄で。お前は悪事を働いた。阿田未英の恋人を奪い、金を抜き去っただけでなく使い込んだ。それを悪びれる姿は一度もなかった。お前は根っからの悪。悪は、裁かれなければな?」
ようやく状況を理解したのか、ほの果の表情がみるみる青白くなっていく。
「お前は、いい思いができたようだが……。そのせいで阿田未英は被害を受け続けてきた。それでもなお、あんたを思って我慢をしていたようだ。怒りの感情を解き放つのを。だが、それも今日で終わりだ。あんたが地獄に落ちれば、阿田未英は快く成仏できるだろうからな。そうだな?」
偶然か必然か、焔責が私に顔を向けているのが分かった。
首を縦に振ると、焔責も同じように首を縦に振った。
「話はこれくらいにして、由木ほの果。ようこそ——地獄へ」
かしこまったように礼をする焔責の向こう側には、赤黒い世界が広がっていた。ほの果を待ち構えていたように、頭に角を生やした人たちが腕組みをしている。
「あ……ああああっ!」
ほの果は、引きずられるように赤黒い世界に吸い込まれていった。
(あっけないな。でも、これで私は……やっと気楽に過ごせる)
嬉しい気持ち反面、やっぱりどこか浮かない。
自然と俯いてしまう視線に合わせるように焔責の声が聞こえた。
「阿田未英、これでお前は脅かされることはないだろう。お前は報われたのだ。安心して天国へ渡れ」
目を合わせてくれる焔責の声音は、どこか温かい。
ふと、安心してしまう声に耳を傾けながら、私は眠りにつくのだった。
地獄の使者は、私を救ってくれた。
その事実を忘れないようにしよう。
来世があるなら、今度は誰かを裁く自信を持とう。




