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90. 胸の奥の炎

 シエルはレオンの力なく膝に置かれた手を見つめた。その手が微かに震えているのに気づいて、キュッと口を結ぶ。そして、その震えを止めるように両手でそっと包み込んだ――。


 まるで騎士が王に忠誠を誓うかのように、決して離さないという意志を込めて。


「ボクはいつも、いつまでも――レオンのそばにいるよ?」


 碧眼が真っ直ぐにレオンを見つめる。その瞳には迷いも不安もなく、ただ純粋な想いだけが宿っていた。核心を突く言葉にレオンの肩が微かに揺れ、喉の奥が熱くなる。レオンはそっと両手でシエルの手を包み返した。小さな、けれど温かな手。その温もりが、凍てついた心に染み渡っていくようだった。


「あらあら、お二人とも抜け駆けですわね」


 軽やかな声と共にミーシャが姿を現した。金髪を下ろした彼女は、普段の聖女然とした雰囲気とは少し違って、どこか艶やかな色気を漂わせている。


 悪戯っぽく微笑んだミーシャは、レオンの足元に優雅に座り込み、彼の太ももにふわりと頭を乗せた。まるでそこが自分だけのために用意された玉座であるかのように、当然の権利として。


 目を閉じ、彼女は囁く。


「絶望のどん底で『未来は明るい』って教えてくれたのは、あなたでしたわ」


 空色の瞳が薄く開かれ、その奥に深い慈愛の光が宿っている。普段は腹黒で計算高いミーシャだが、今この瞬間だけは計算抜きに真っすぐにレオンを想っていた。


「『禍福は糾える縄の如し』――今は明かりが見えなくても、みんなで力を合わせれば必ず明るい未来につながりますわ。あなたがそう教えてくださったのですもの」


 彼女の手がレオンの太ももを優しく撫でる。それは官能的な仕草でありながら、まるで聖職者が穢れを祓うかのような神聖ささえ感じさせた。


 三者三様の励まし、温かな体温から伝わってくる優しさ――それらがレオンの中で凝り固まっていた不安を、少しずつ、少しずつほぐしていく。


(そうだ……)


 レオンの心に一筋の光が差し込んだ。


(自分一人で何とかしようとしていた……)


 それが間違いだったのだ。無力な自分は何もできない、みんなを守れない、また大切な人を失ってしまう――そう思い込んでいた。でも違う。彼女たちとチームで解決していけばいいのだ。


 エリナには圧倒的な剣技がある。ミーシャには大賢者の知恵がある。ルナには龍殺しの魔力がある。シエルには神弓の才能がある。だから自分はみんなの力を一つにする心の拠り所になればいい。


 スキルがなくたって心の柱にはなれる。胸を張ってにこやかにみんなを元気づけ、みんなから相談をしてもらえる存在になればいい。それがリーダーとしての自分の役割なのだ。


 そして、いつかスキルを直す方法を見つければいい――。


 レオンは深く息を吸い込んだ。


「ありがとう……」


 声に力を込める。


「もう大丈夫。アルカナの未来は明るい!」


 力強くそう言うと、レオンはキュッと口を結んだ。翠色の瞳に再び光が宿り、かつての頼もしさが戻ってくる。


 少女たちはもう何も言わなかった。ただ微笑んで彼に寄り添う。ルナは彼の腕にしがみついてその温もりで彼を包み、シエルは彼の手を両手で温めて決して離さないという意志を示し、ミーシャは彼の鼓動に耳を澄ましてその命の音を確かめる。


 その温もりと安心感に包まれ、レオンの意識は静かに、深く、穏やかな眠りへと落ちていった。彼を守るように少女たちもまた寄り添ったまま静かな寝息を立て始める。


 炎が静かに揺れている。時おりパチ、パチと薪がはぜる音がして、四人の寝息が重なり合う。暖炉の温かな光の中で一人の少年と三人の少女が寄り添って眠っている姿は、まるでどんな嵐が来ても決して離れないという誓いを立てているかのようだった。



       ◇



 パタ、パタ、パタ――最後にもう一人の足音が廊下に響く。


 黒髪を解いたままパジャマ姿のエリナがリビングの入口に現れた。レオンの気配がしないことに気づいて心配になり、探しに来たのだ。そして――その光景を目にした。


 暖炉の炎に照らされたソファで、レオンを中心に幸せそうに寄り添って眠る三人の少女たち。四人の顔には穏やかな安らぎの表情が浮かんでいて、それはまるで一枚の絵画のように美しい光景だった。炎の明かりに揺れる寄り添う四人の姿は、この世界で最も幸福な瞬間を切り取ったかのようで――。


 けれど、その美しさとは裏腹に、エリナの胸には複雑な感情が湧き上がった。


(私の……居場所は?)


 疎外感。自分だけがその輪の外にいるような、自分だけがレオンから遠いような感覚。そしてチリチリと胸を焼く感覚――嫉妬の炎が心の奥底で灯った。


(みんな……ずるい……)


 レオンに一番近いのは自分のはずだった。ツンケンしていた自分を優しい目でほほ笑み、包んでくれたレオン。


 なのに今、レオンの温もりを独占しているのは他の三人だった。


 エリナの拳がギュッと握られる。けれど次の瞬間、彼女は小さく首を振った。


(……違う。こんなこと、考えちゃ駄目……)


 みんな仲間だ。レオンを想う気持ちはきっと同じ。自分だけが特別だなんて、そんなこと思ってはいけないのだ――。


 でも、でも、胸の奥の炎は消えてくれない。


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