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83. 無慈悲な生理現象

(くっ、言いくるめられたな……)


 レオンはキュッと口をむすんだ。


「こういうの困るんだよ……」


「いや……なの?」


 シエルが小首をかしげながら、レオンの顔を覗き込んでくる。


 その碧眼が、不安そうに揺れていた。


 男装を解いた彼女は、驚くほど可憐で――思わず守ってあげたくなるような儚さを漂わせている。


 銀色の髪が湯気に濡れて、頬に張り付いている様子が、なんとも(なま)めかしい。


「あ、いや、心配してくれるのはありがたいんだけど、ちょっと、刺激が強すぎる……よね?」


 レオンは必死に理性を保とうとする。


 視線をどこに向ければいいのか分からない。


「別に嫌ならいつだって逃げられるし? ほら」


 ルナは無邪気な表情で、ドアを指差しながら言う。


 その緋色の瞳には、悪気など微塵もない。純粋に、レオンを励まそうとしているだけなのだ。


 しかし、レオンの身体にはすでに生理現象が起こっており、とてもじゃないが立ち上がって外に出られるような――いや、絶対に立ち上がってはいけない状態になっていた。


(まずい……まずいぞこれは……!)


 レオンは前かがみになって、顔を真っ赤に染める。


 膝を抱えて、できるだけ体を小さく丸めた。


「に、逃げは……しないよ……」


 声が、上ずった。


「さて、背中流して差し上げますわ。ほら、上がって?」


 ミーシャが悪戯っぽい笑みを浮かべながら、レオンの腕を引っ張る。


 その柔らかな手の感触に、レオンの心臓はさらに早鐘を打った。


 ミーシャの指が、まるで羽のように優しく腕に絡みつく。


「やっ、やめて!」


 レオンは慌てて腕を振り切る。


「まだ入ったばかりなの! 放っておいて! 頼むから!」


 そう叫ぶと、レオンは必死に向こうを向いた。


 窓の外の夕焼け空を、まるで命綱のように見つめる。


(静まれ、静まれ、静まれ……! えーと、何か悩んでたよな? そ、そうだよ! スキルのこと! そうだ、失ったスキルのことを……)


 しかし、スキルを失った絶望を思い出そうとしても、目の前の刺激的すぎる状況がそれを上回ってしまう。

 背中にミーシャの視線を感じる。横からはエリナの吐息が聞こえる。ルナとシエルの視線もビシビシと感じる。


 四方八方から、甘い香りと柔らかな気配に包囲されていた。


(なんでだよぉ……)


 レオンの心の中で、虚しい叫びが木霊した。


「じゃあ、少し待っててあげますわ」


 ミーシャが優雅に微笑む。


「なら、私も入ろ!」

「そーれ!」

「きゃははは!」


 バシャバシャと盛大な水音を立てながら、残りの三人も次々と湯船に飛び込んでくる。


「おわぁ!」


 お湯が大きく波打ち、レオンの体に柔らかな感触がいくつも触れては離れていく。


 少女たちの甘い香りが、湯気に混じって鼻をくすぐる。


 花の香り。果実の香り。甘酸っぱい香り。


 四人四様の、女の子特有の甘い匂いが、レオンの嗅覚を蹂躙(じゅうりん)していく。


 身体の反応は静まるどころか高まるばかり。


 こんなのを見られたらすべてが終わってしまう――。


 レオンはキュッと唇を結び、泣きそうな顔をして膝を抱えた。 


(神様……どうか、この試練を乗り越える力を……!)


 彼にとって、かつて三万の魔物と戦ったスタンピードの時よりも、今この瞬間の方がよほど過酷な戦場だった。



       ◇



 そんなレオンの必死の戦いなど気が付きもせず、少女たちは少女たちで、楽しそうにお喋りを始めた。


「あらぁ……ミーシャの肌、すっごく綺麗……」


 エリナがうっとりとした表情で、ミーシャの二の腕をそっと撫でる。


 普段は剣一筋で、女性らしさとは無縁に見えるエリナだが、やはり年頃の少女。美容への関心は人一倍強いのだろう。


「あら、お手入れの秘訣を教えて差し上げましょうか? 毎晩、ハーブオイルで丁寧にマッサージをするんですの。特に、(ひじ)や膝は念入りに……」


 ミーシャが得意げに微笑む。


 その白い肌は、確かに陶器のように滑らかで、一点の曇りもなかった。


「ハーブオイル!? いつの間に? 私たち、あんなに貧乏だったのに……」


 エリナが目を丸くする。


 確かに、アルカナを結成したばかりの頃は、宿代を払うのも精一杯だったはずだ。


「ふふっ、ハーブなんてその辺の草でいいんですのよ。カモミールとかローズマリーとか、道端に生えてるでしょ? それを摘んで、オリーブ油に漬け込むだけ。お金なんてかかりませんわ」


「そんなのでいいの?!」


 エリナの目が輝く。


 復讐のことしか考えてこなかった彼女にとって、こういう女の子らしい話題は新鮮なのだろう。


「私も教えて! あのね、最近ちょっと肌が荒れちゃって……」


 ルナが身を乗り出す――その瞬間。


 つるん。


 足を滑らせて。


 バシャーン!


 と、盛大な水しぶきを上げた。


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