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36. 賽は投げられた

 レオンは静かに胸に手を当て、古の騎士のような優雅さで一礼する。


「後悔はさせません」


 そして、震える老将の手を、若き両手でしっかりと包み込んだ。


 温かい。確かな意志の温もりがガルバンの心に響く。


 レオンが顔を上げ、にっこりと微笑む。それは狂人の笑みではない。未来を見通した者だけが浮かべる、揺るぎない確信の笑顔――――。


 ガルバンは大きくうなずくと、素早くバルコニーに飛び出した。


 ガランガラン! ガランガラン!


 集合の鐘を大きく打ち鳴らす。


 中庭に兵士たちが集まってくるが――その顔は死人のように青白く、瞳には生気がない。槍を杖代わりにして、やっと立っている者もいる。


 覇気を失った三百の魂が、処刑を待つ囚人のように、そこに立ち尽くしていた。


 ガルバンが声を張り上げる。


 五十年の戦歴で鍛え上げられた、戦場に響き渡る声。


「聞け、諸君!」


 三百の兵士が、顔を上げる。


 死人のような目。


「我が軍に――」


 ガルバンは、一呼吸置いた。


 劇的な間。


 全員の注目が、完全に彼に集まる。


「【神】が味方した!」


 ざわめきが、波のように広がった。


 兵士たちは、ポカンと口を開けている。


 何を言い出したのか。


 司令官は、ついに狂ったのか。


 そんな困惑が、中庭を満たしていた。


 ガルバンはミーシャに目配せする。


 ミーシャは内心でニヤリと笑う。


(うふふ、出番ですわね)


 ミーシャは金髪をキラキラと夕日に輝かせながら、優雅な足取りで前に出た。


 白い僧衣が、風もないのにふわりと揺れる。


「皆さま!」


 その声は、まるで天上から響いてくるかのように澄んでいた。


「神は、我々に勝利を約束してくださいました!」


 瞬間――。


 ぶわぁぁぁぁ!


 黄金の神聖力が、太陽が降臨したかのように爆発的に解放された。


 眩い光が、中庭を包み込む。


 兵士たちは、思わず目を細めた。


 でも、その神々しさに目を逸らすことはできなかった。


「おぉぉぉ……!」

「ま、まさか……」

「す、凄い……聖女様だ……!」


 兵士たちの死んだ瞳に、光が宿り始める。


 それは、小さな火種だった。


 消えかけていた命の炎が、再び燃え始めている。


 ミーシャは、完璧な聖女の微笑みを浮かべた。


 慈愛に満ちた、聖母のような表情。


 誰も、それが演技だとは気づかない。


 ミーシャは右手を高々と掲げる。


「明朝、偉大なる神の炎によって――魔物たちは、全て灰と化すでしょう!」


 うぉぉぉぉぉ!


 歓声が、希望の雄叫びが、中庭を震わせた。


 それは、死刑囚に与えられた恩赦のようだった。


 絶望の淵に差し込む一筋の光に、全員が手を伸ばしている。


 ブラッドが前に出て、豪快に拳を天に突き上げた。


「おい! お前らラッキーだな! 神の御業をこの目で見られるなんて、一生に一度あるかないかだぜ!」


「そ、そうだ!」

「奇跡が見られる!」

「俺たちは選ばれたんだ!」


 死を待っていた兵士たちが、まるで祭りの前夜のように騒ぎ始める。


 ガルバンはミーシャの効果に驚きながらも安堵の息を漏らす。気持ちで負けてたら、どんな策も無意味なのだ。


「後ほど、神の力を最大限に活かす作戦を伝える! 各自、全力で遂行せよ!」


 ガルバンはそう叫ぶと大きくこぶしを突き出す。


「イェッサー!」

「イェッサー!」

「イェッサー!」


 三百の敬礼が、力強く揃った。


「我々は神とともにある!!」


「おぉぉぉぉ!」


 地響きのような雄たけび。もう、死人の眼ではない。戦士の眼だ。



 空は、不気味に赤く染まり始めていた。


 魔物の群れが巻き上げる土煙が、夕日を血の色に変えている。


 そんな死の砦に、小さな灯が宿った。


 それは崖っぷちで灯った狂気という名の希望。


 五人の若者が運んできた、最後の光――――。


 エリナが剣の柄を握る。「いよいよ、本番ね」


 ルナが震えながらも杖を抱く。「で、できるよね?」


 シエルが深呼吸する。「大丈夫、レオンを信じよう」


 ミーシャが眉をひそめながら本音を漏らす。「うふふ、面白い賭けですわね」


 レオンはそんな四人を静かに見つめる。


 【運命鑑定】が示す未来は、確かにある。


 でも、それを掴むためには――。


(僕たち全員が、限界を超えなければならないだろう)


 レオンはキュッと口を結んだ。


 向こうの稜線が、完全に黒く染まる。


 明日の朝、この砦は蹂躙されているか。


 それとも、伝説となっているか――――。


 賽は、投げられた。


 もう、後戻りはできない。



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