33. 僕たちの物語
城門が近づくにつれ、空気が変わっていった。
温度が下がったようにすら感じられる。
死の気配が、風に乗って漂ってくるのだ。
ゴゴゴゴゴ……。
遠雷のような地鳴りが、足元から伝わってくる。
それは、三万の魔物が大地を踏み砕く音だった。
無数の足が、地面を蹴っている。
無数の爪が、土を抉っている。
その振動が、こんな遠くにまで伝わってくるのだ。
グォォォォォ……。
理性を失った獣たちの咆哮が、死の風となって吹き寄せてくる。
肌がヒリヒリするような、不吉な風。
その風に乗って、血の匂いが漂ってくる。
門をくぐってくる避難民たちの顔は、みんな絶望に染まっていた。
血まみれの農夫が、虚ろな目で歩いてくる。
無傷で生き残ってしまった。
家族を失い、仲間を失い、それでも生き残ってしまった。
「村が……」
虚ろな声で、呟く。
「一瞬で、消えた……」
心が壊れかけ、その目には何も映っていなかった。
子供を抱いた母親が、涙を流しながら走ってくる。
その子供はぐったりとしていた。
「もうダメよ……この街も、すぐに出ないと……!」
悲鳴のような声。
その目には、狂気に近い恐怖が宿っていた。
老人が、杖にすがりながら歩いてくる。
一歩ごとに、膝が震えている。
でも、彼の目には、恐怖ではなく、諦めが浮かんでいた。
「二十年前と、同じだ……。また、全てが灰になる……」
呟く声は、枯れていた。
もう、これ以上逃げる気力も残っていない。
誰もが怯えていた。
この街もやがて魔物の胃袋に消えることを。
三万の魔物。
千の牙。
万の爪。
凄まじき暴力の津波が、全てを飲み込もうと迫っている。
普通なら足がすくみ、逃げ出すことしか考えない。
でも――。
レオンの翠色の瞳には、迷いがなかった。
むしろ、その輝きは増していく。
恐怖を超えた先にある、静かな覚悟の光。
「行くぞ」
城門をくぐりながら静かに、しかし雷鳴のような力強さで告げた。
振り返れば四人の仲間が、そこにいる。
エリナ、ミーシャ、ルナ、シエル。
全員の顔に、同じ覚悟が宿っている。
「僕たちの物語を、始めよう」
「行こう!」
エリナが、剣の柄をぎゅっと握りしめた。
その顔には、戦士の笑みが浮かんでいる。
五年間、復讐のために生きてきた。
でも今は違う。
仲間を守るため、街を守るために戦う。
その決意が、彼女を強くしていた。
「伝説を作るわよー!」
ルナが、杖を天に掲げた。
「やってやるんだから!」
シエルがぎゅっとこぶしを握り、碧眼を輝かせた。
「畜生たち、覚悟してなさい……うふふ」
三万の魔物を「畜生」呼ばわりする大胆さ。
でも、その瞳は期待に満ちていた。
とてつもない試練。でもこの仲間となら、新たな景色が見られるに違いない。
五人の足音が、石畳に響く。
逃げ惑う人々の流れに逆らって、死地へと向かう若者たち。
その姿は、小さかった。
装備はピカピカの新品で、まだ未使用だ。
経験も実績もない。
どこから見ても、ただのド素人冒険者だ。
でも――。
朝日の黄金の光の中で、五人は祝福されるように輝いていた。
避難民たちが、ふと足を止めた。
「あの子たち……」
誰かが、呟いた。
「まさか、砦へ向かうのか……?」
別の誰かが、驚きの声を上げる。
「正気か……?」
みんなが、振り返っていた。
逃げる足を止めて、五人の背中を見つめていた。
そして、静かに手を合わせた。
神に祈るように。
奇跡を願うように。
門番の老兵が、震える手を胸に当てた。
長年、この門を守ってきた男。
厳しい戦場へ数えきれないほどの冒険者を見送り、その多くが帰らなかった。
でも、こんな若者たちは初めてだった。
死地に向かうというのに、笑っている。
恐怖に怯えるどころか、輝いている。
「……ご武運を」
涙声だった。
老兵の目から、涙が零れ落ちる。
この若者たちが、帰ってくることを。
奇跡を起こしてくれることを。
心の底から、祈っていた。
◇
振り返りもせず、前だけを見て、ただ真っ直ぐに進んでいく五人。
その背中を見送る人々は、後にこう語り継いだ。
――
「あの朝、私たちは見たのよ」
美しい湖畔の公園のベンチで白髪の老婆が、膝の上の孫娘に語りかける。
皺だらけの顔に、懐かしそうな微笑みが浮かんでいた。
「五人の若者が、朝日に包まれていたの」
孫は、大きな目を見開いて聞いている。
この話を聞くのは、もう何度目だろう。
でも、何度聞いても飽きない。
おばあちゃんの目が、いつもキラキラ輝くから。
「死の大地へ向かうというのに、まるでお祭りにでも行くかのように笑っていたわ」
老婆の声が、少し震える。
「怖くないはずがないのに。死ぬかもしれないのに。それでも、笑っていたの」
老婆は、湖面を見つめた。
あの日と同じ朝日がキラキラと煌めいている。
孫が、首を傾げる。
「なんで笑ってたの?」
「女神様に導かれていた……のかしらね? おばあちゃんにも、分からないわ」
老婆の瞳に、あの日の光景が蘇る。
「彼らは、輝いていたの」
声が、震えた。
「まるで、光そのものになろうとしているかのように」
老婆は恍惚とした表情で、青空に向かって遥か高く屹立する純白の塔を見上げた。
――




