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119. 臣従の礼

(え?)


 ギルバートが驚愕に目を見開いた時には、もう遅かった。空に消えたはずの第三の矢が、魔法操作によりブーメランのような軌道を描いて彼の頭上から迫っていたのだ。それは天才だけが放てる神業の一射。計算し尽くされた軌道。風を読み、魔力で制御し、完璧なタイミングで狙いを定める。


 ガッ!


 硬質な音と共に、ギルバートの首筋でスタン魔法の矢じりが炸裂した。青白い光が(ほとばし)り、全身に電撃が走る。ギルバートの体が硬直し、そのまま膝をつく。


 大剣が地面に落ち、カランという音を立てた。


 沈黙――。


 誰も言葉を発しない。ただ、信じられないという表情で、その光景を見つめている。王国最強の剣士が、一人の少女に敗れた。その事実が、まだ理解できない。


「ボクの、勝ちです。先生」


 静かに勝ちを宣言するシエル。


 その横顔は、家を飛び出したか弱い令嬢ではなく、運命を自らの手で掴み取った、一人の誇り高き戦士の顔をしていた。


 弓を下ろし、ゆっくりとギルバートの元へ歩いていく――。


 ギルバートはゆっくりと顔を上げた。その表情には驚きと、そして敬意が浮かんでいる。彼はしびれる身体をやっとの思いで動かし、その場に深く片膝をついた。それは敗者の降伏ではない。忠誠を誓うべき真の主君を見出した騎士の、心からの臣従の礼だった。


「シエルお嬢様……いえ、シエル様。その強さ、その気高き魂に、このギルバート、心より敬服いたします」


 その瞳には、敗北の悔しさではなく、安堵と微かな希望の光が宿っていた。


「先生……」


貴女(あなた)様はもはや、あの日の幼い令嬢ではない。立派な、一人の戦士にございます」


 ギルバートの声が、悲痛な響きを帯びる。その顔が苦悩に歪む。


「だからこそ、お願い申し上げます! どうか我々を、そして貴方様の父君、アウグスト公爵をお救いください!」


「父様を……救う?」


 シエルの目が見開かれた。その言葉の意味がすぐには理解できない。


「お聞きください、シエル様。そして『アルカナ』の皆様も」


 ギルバートが顔を上げ、レオンたちを見た。その目には必死の色が浮かんでいる。


「数ヶ月前、公爵様は政敵との会談の帰路、何者かに襲われました。その時、公爵様の体に……何かが埋め込まれたようなのです」


「何かが、埋め込まれた?」


 レオンが前に出た。その表情が険しくなる。


「ええ。以来、公爵様の言動は冷酷非情なものへと変貌しました。まるで何者かに操られているかのように」


 ギルバートの声が震える。


「厳しくもその裏には愛があった公爵様が、家臣を虫けらのように扱うようになり、娘であるシエル様を通常あり得ない形での政略結婚の道具として扱うようになった。あれは公爵様ではない。何か別の意思が、公爵様の体を使っているのです!」


 その告白に、全員が息を呑んだ。ミーシャが前に出る。


「その『何か』とは……寄生体、ですか?」


「き、寄生体……?」


 ギルバートがミーシャを見た。ミーシャは静かに頷く。


「私たちも先日遭遇しました。ゴブリンロードの体内に巣食っていた、禍々しい核を」


 その言葉に、ギルバートの顔が青ざめた。


「そ、そんなものが……。では、やはり公爵様も……」


「恐らく」


 ミーシャの表情が険しくなる。


「やはり操られていた……くっ!」


 ギルバートは自らの無力さに顔を歪ませる。


「公爵様は厳しい態度を取りつつも、貴女(あなた)様を誰よりも深く愛しておられました。あんな縁談を、あの方が望むはずがない!」


 その声が悲痛に響く。


「私は気づいていながら、何もできなかった。アステリア家への忠誠という名の鎖に縛られ、偽りの主君に剣を捧げることしか……!」


 ギルバートの目から、涙が溢れた。王国最強の騎士が人前で涙を流す。その姿に、周囲の騎士たちも表情を歪ませる。


 レオンもまた唇をかむ。ゴブリンの寄生体、自分のスキルを奪った呪い、そしてシエルの父を操る何者か。すべてが、同じ敵の仕業ではないのか――?


 衝撃の事実に、シエルは言葉を失う。憎んでいた父は、実は被害者だった。戦うべき相手は父ではなく、その体に巣食う正体不明の悪意。シエルの個人的な逃亡劇は今この瞬間、巨大な陰謀に立ち向かう壮絶な戦いの序章へと姿を変えた。


 シエルの目から涙が溢れる。けれどそれは悲しみの涙ではない。決意の涙だった。彼女は震える手で、膝をつくギルバートにそっと手を差し伸べた。


「顔を上げてください、先生」


 その声は強かった。


「父様を、ボクたちの家を、必ず取り戻します」


 ギルバートがシエルの手を取り、立ち上がる。その目には希望の光が宿っていた。


「シエル様……」


「でも、ボク一人じゃできない」


 シエルは仲間たちを振り返った。


「みんな……力を貸して」


 その言葉に、レオンが笑顔で答えた。


「当たり前だろう。俺たちは家族だ」


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