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116. 向けられた刃

 だが――。


「いたぞーーッ! あの木の上だ!」


 叫び声が、静寂を切り裂いた。


 レオンはギリッと奥歯を噛みしめた。見つかった。ついに、見つかってしまった。


 次々と集まってくる騎士たちの視線が、一斉に木の上へと向けられる。殺気立った眼差し。数十の視線が、まるで無数の刃のように二人を貫いた。


「降りてきてください! シエル様! お迎えに参りました!」


 騎士の低く威圧的な声が響き渡る。その声には、有無を言わせぬ力があった。


 シエルの体が、びくりと震えた。


 レオンはシエルの肩をさらに強く抱きしめた。細い体が、小刻みに震えているのが分かる。


 まだだ。まだ諦めない。絶対に、シエルを渡すものか。



       ◇



 シエルは大きく息を吸い込むと、震える手で弓を構えた。


 矢筒から矢を取り出す。矢じりには、昏倒(スタン)効果のある小さな魔道具を装着していく。これなら殺さずに無力化できる。殺したくない。たとえ自分を捕らえに来た者であっても。


「私は……家へは帰りません!」


 シエルの凛とした声が響いた。


「近づくなら……撃ちます!」


 弓を引き絞る。


「もう逃げられませんよ? 大人しく降伏してください」


 騎士が叫ぶ。その声には、嘲りが混じっていた。子供に何ができる、と。


「降伏なんて……しないわ!」


 シエルは木に登ろうとした騎士に向けて、矢を放った。


 ヒュンッ――!


 青白い光が夜闘を切り裂く。矢は寸分の狂いもなく、騎士の首筋に吸い込まれた。


「グハァッ!」


 騎士の全身が痺れ、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


「撃ってきた! 散開しろ!」


 騎士たちが慌てて距離を取る。けれどシエルの目は冷静だった。


「狙いは、外さないわ……」


 ヒュンッ!


 次の矢は青い光の軌跡を描き、逃げようとした騎士の首筋に正確に命中した。


「ぐあっ……!?」


 騎士の体が痙攣し、全身から力が抜けて地面に倒れ込む。


「くそっ! 盾を構えろ!」


 別の騎士が盾を掲げる。金属製の大盾。これなら矢を防げるはずだった。


 けれどシエルの矢は、盾の隙間を縫うように飛んだ。まるで生き物のように軌道を変え、騎士の肩口に突き刺さる。


「がはっ……!」


 また一人、倒れる。


 ヒュン、ヒュン、ヒュン。


 次々と放たれる矢。それはまさに百発百中。まるで銀色の死神のように神がかった精度だった。


 騎士たちは次々とその場に崩れ落ちていく。


 けれどシエルの表情は険しかった。


 矢が、足りない。


 矢筒の中身がどんどん減っていく。指先が空を掻くたびに、残りの矢が一本、また一本と消えていく。この調子では、すぐに尽きてしまう。


 そして騎士たちも学習した。


 距離を取り、盾を重ね、完璧な防御陣形を組む。もう簡単には当たらない。


 樹上のシエルと地上の騎士たち――。


 睨み合いが続く。重く、張り詰めた沈黙。


 その時だった。


 騎士たちの列が、まるで海が割れるように左右に分かれた。


 一人の男が前に出てくる。


 蒼き獅子の紋章が刻まれた荘厳な外套。手には重厚な大剣――。


 その存在感は、圧倒的だった。


 レオンは息を呑む。


 あれが……団長……。


 シエルの体が、硬直した。


 弓を構えていた手が、力を失ったように下がっていく。顔から血の気が引き、唇が震えている。碧眼が大きく見開かれた――。


 それは深い悲しみだった。


 男は木の上を見上げ、静かに口を開いた。


「シエルお嬢様」


 その声は鋼のように硬質だった。感情を押し殺した平坦な響き。けれどその奥に、確かに何かが滲んでいた。悲しみ。苦悩。そして――断ち切れない想い。


「お遊びは、そこまでにしていただきたい」


 その言葉を聞いた瞬間、シエルの目から涙が溢れた。


「……ギルバート……先生……」


 その呟きは、あまりにも小さかった。風に溶けて消えてしまいそうなほど、儚い声。


 幼い頃から慕ってきた騎士。初めて木剣を握った日、手取り足取り教えてくれた師。転んで泣いた時、そっと頭を撫でてくれた人。「強くなれ」と、いつも優しく見守ってくれた人。


 その人が今、自分を捕らえるために立っている。


 あの頃と同じ顔。あの頃と同じ声。けれど今、その手には剣が握られている。自分に向けられた、冷たい刃。


 なぜ。どうして。先生が。


 シエルの心が、軋む音を立てて崩れていく。


 ギルバートは表情を変えずに続けた。


「さあ、お屋敷へお戻りください。公爵様がお待ちです」


 その言葉が、シエルの心を深く抉る。


 公爵様。父様。自分を「商品」として扱い、好色で高齢な王族に売り渡そうとした人。自分の人生を、自分の幸せを、何とも思わない人。


 あの家に戻れば、もう二度と自由はない。もう二度と、仲間たちに会えない。もう二度と――自分らしく生きることはできない。



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