閑話8 美女と農地トレーニング
ラングの元いた世界には「高地トレーニング」というものがあった。
世界を舞台に活躍するマラソンランナーたちが、酸素の薄い高地で行う特別な鍛錬法だ。
そして今、異世界に転生したラングは――まさにそれによく似たトレーニングに取りかかろうとしていた。
場所は、もとは商会の空き地だった土地。
現在では、すっかり“農地”と呼べるほどに開拓された広大な菜園だ。
そう、これからラングが行うのは、その名も《農地トレーニング》。
農地の環境を活かした、独自の修行法である。
「ラングさん、魔法とは“イメージを具現化すること”……すなわち、想像を形にして外の世界へ表す力なのですわ! ですから、もっとこう――妄想を膨らませるのです!」
力説しながらナターシャは、ラングの背中にしなやかな腕を回し、その手でラングの腕を包み込んだ。
そして、そっと自分の魔力をラングの体へと流し込んでいく。
「ラングさん……分かりますか? 私の体内を巡る魔力が、あなたの中に入り込んでいるのが」
ラングは目を閉じ、自分の内側と対話するように集中を深める。
「はい……分かります。ナターシャさんの腕から、熱いものが僕の中に入ってきて……暴れてます。暴れまわってます!」
眉をひそめ、苦しげに言葉を絞り出す。
「それは、ラングさんの魔力が、私の魔力とまだ馴染んでいないからですわ。反発し合ってしまっているのです。
五感を研ぎ澄ませて……私の魔力を、感じてくださいまし」
ナターシャもまた、少しだけ息を詰めたように語る。
「はい……全身の感覚を研ぎ澄ませばいいんですね。集中しろ、集中しろ……五感を研ぎ澄ませ、五感を……」
ラングは意識をさらに内へと向け、感覚を研ぎ澄ませていく。
そして、その結果――
(当たってる。背中に、ナターシャさんの……柔らかいものが、当たってる!!)
はい、いつものパターンです。
(だ、ダメだ! 集中するのはそっちじゃない! あそこに血液を集中させてどうするんだ……俺ぇ!!)
ラングは、この日最大の“山”にぶつかった。
「ナターシャさん……大変申し訳ないのですが……もうちょっと離れたところから僕の腕を掴んでもらえませんか?
できれば、その、腕以外の……特に柔らかい部分が僕に触れない程度の距離で……お願いできますか?」
ものすごくバツの悪そうな表情で、ラングは懇願する。
「えっ? それはどういう――あっ……ふふっ、なるほど。
そういうことでしたのね。失礼いたしました、少々“集中”させ過ぎてしまったようですわ。では、少し距離を取りますわね」
ナターシャはくすりと笑い、わずかに身体を離した。
こうしてラングは、危機的状況をなんとか脱出。
再び内面に意識を集中できるようになった。
ナターシャから流れ込む魔力に同調するように、自分の魔力を体内に循環させていく。
彼女の魔力の流れを感じ、その波に自分の魔力を重ねるように──
やがて、感覚の“コツ”を掴んだのか、ラングの魔力はナターシャのリズムに乗って、体内をスムーズに巡るようになった。
「やりました! ナターシャさんの魔力の流れと、僕の魔力を同調させることができました!」
こうして、ナターシャ先生による魔法教室は次の段階へと進んだ。
「では次に、頭の中で描いたイメージを、循環させた魔力と共に体外へ放出させてみましょう。
最初は“指先から飛び出す”ように、強くイメージしてくださいまし。
できれば、そのイメージを一言で表す“言葉”と一緒にすれば、具現化しやすくなるでしょう」
ナターシャは、いかにも教師らしく眼鏡のブリッジを押し上げながら助言する。
「よし……ナターシャ先生みたいに風魔法で……! ――エアカッター!」
ラングは、先日の戦闘でナターシャが見せた風の刃を思い浮かべながら、勢いよく叫んだ。
だが、事はそう簡単にはいかなかった。
指先からは何も出なかったのだ。
ここで、その日はタイムアップとなった。
「ラングさん、申し訳ありません。この後“副業”がございますので、続きはまた明日にいたしましょう!」
ナターシャはそう言い残し、颯爽と去っていった。
(副業? 秘書って本業じゃなかったのか……?)
ナターシャの言動にいちいちツッコんでいたら、身がもたない。
ラングは気持ちを切り替え、仕事の合間を縫って、魔法の訓練を地道に続けていった。
――そして、数日が経ったある日。
ラングに明らかな変化が現れる。
「ラングさん、もっと強く思い描くのですわ! あんな事やこんな事、これまで積み重ねてきた“たくましすぎる妄想力”を、今こそ解き放つのですわ!」
その言葉が直接のきっかけになったわけではない。
だが、ラングの指先に、確かに魔力が宿り始めていた。
そしてついに――
「万物を切り裂け! エアカッター!!」
ラングの指先から、ひと筋の風が迸り、目の前の雑草を鋭く切り裂いた。
「やった! やりました! とうとう俺、やり遂げたんです!」
ラングは感極まり、目尻に涙を滲ませながら声を上げた。
「よくできましたわ! これであなたも立派な魔法使いです。さあ、私の胸に飛び込んでくるのですわ!」
ナターシャは両腕を広げ、まるでドラマのラストシーンのように待ち構える。
「え〜……それは遠慮させていただきます。
とにかく、ナターシャ先生のおかげで、魔法が使えるようになりました。本当に、ありがとうございました!」
「もぅ〜、ラングさんのいけず〜〜っ。そこはノリで“子弟の熱い抱擁”の場面ではありませんか!」
ぷくーっと頬をふくらませる、ちょっぴり残念なナターシャ先生なのであった。
その日以降もラングは地道に魔法の特訓を続けた。
「エアカッター! ハァハァエアカッター……」
気付けばカイエイン商会の空き地の雑草は全て刈り取られていた。
こうして、農地トレーニングと言う名の草刈り作業が成功裡に幕を閉じた。
後日、自分達の仕事を奪われたバイオレンスチキから、食料を奪われたという事実も含め、猛抗議を受ける事となったのだが(エマルシアがボスチキに泣きつかれたとこぼしていた)……今はおいておこう。
それ以上に、
ラングには、思いもよらぬ副産物が待ち受けていたのである。
【新たなスキル効果が発現しました】
≪流≫――魔力の流れを整え、スムーズな制御を可能にする。魔法発動スピード上昇。
≪感≫――感覚を研ぎ澄まし、魔力の反応を敏感に察知できる。気配察知能力上昇。
≪集≫――集中力が上がり、長時間の作業や魔法行使に有利。習得・成長能力・魔法威力上昇。
≪習≫――経験から素早く学び、技術の習得が早くなる。習得・成長能力上昇。
≪刈≫――刈り取る動作に力が漲る。切断力上昇。
≪循≫――魔力の循環効率が改善され、消費を抑える。
≪魔≫――魔力に慣れ親しむ素質を高める。魔法効果上昇。
≪妄≫――妄想力が高まり、イメージを具現化しやすくなる。魔法習得率上昇。
獲得シーツ
≪学び屋≫ ≪草刈り上手≫ ≪農地トレーナー≫ ≪血気盛ん≫ ≪イケず男≫ ≪見習い魔法使い≫
まさに大収穫と呼べるような成果となったのだが、ラングには色々思うところがあった。
ま、スキル効果は良しとしよう。
だがなんだ?学び屋って?バイクや車を物凄いスピードで走らせる人達の親戚か?
草刈り上手だって? そんなのあったって限定的すぎるでしょ?何の役に立つってんだ!
農地トレーナー……は? 農地での特訓のプロって事?
血気盛んってなんじゃい! あそこに血が溜まるいけないオイラをディスってんのか?
イケず男? もう知らん!
まともなのは≪見習い魔法使い≫だけだっちゅ~~の!
もうなんだか頭がクラクラしてきた……
ステータスウィンドウを眺めながら頭を抱えるラングであった。




