【7-3】 俺たちのライブ
このエピソードでは、ぜひみなさんのお好きな楽曲を再生しながら楽しんでいただければと思います。
なにが起きた?
当日に至るまで、情報管理から各人のコンディションまで。下準備は抜かりなく済ませたはずだ。なのになぜ、本番でくだらないミスをするなどという事象が起こった。アレは、なんだったんだ?
おかげで胆を冷やした。屈辱にもほんの一瞬、敗北する未来が脳裏をよぎった。あんな余計な懸念を抱いてしまうなんて、まさしく屈辱だけれど。
まあいいさ。勝てばいいんだ。
僕たちが標的にしているのはあくまで二年五組。この文化祭で一位に輝く必要はない。こんなチンケな栄光などに興味はない。
手下のカスどもが失態を晒したはしたけれど、僕の機転力が上手く働いたと思えば好都合だ。
僕らがどれだけミスをしようと、あの五組がそれを上回ることは決してない。牙も翼ももがれた彼らに、抗う術など一つも残っていないのだから。
そうさ、それこそが絶対の壁だ。君らがどれだけ抗おうと七組に勝てないただ一つの事実。
七組には僕がいる。弱者を蹂躙する絶対の強者、それが僕だ。
決まりきった結果だけれど、彼らが無意味にもがく様を見るのに悪い気はしない。決定した敗北を見届けてやろうじゃないか。
さあ、醜く踊れよ、弱き者ども――。
『続いて、二年五組の演劇「ブレーメンの音楽隊」です』
くらやみの中で幕が上がった。開ける視界と、差し込む照明。すべてが異界のものであるように感じられて、挙動のひとつひとつに緊張が走る。
ロバとニワトリ――滝田昴と赤塚朱音のコンビが登場し、掛け合いを見せる。二週間前はてんでダメダメな二人だったのに、今この場では自信に満ちた表情だ。
「なんか五組、理特とモメてたんだっけ?」「そうそう。だからどうなるかと思ったけど……」
「案外、悪くなくね?」
ステージから覗える反応は上々。逆境でハードルが下がっていたぶん、普通科生らの興味は得やすくなっている。
中盤までは難なく終えた。皆の緊張もほぐれている、劇自体は申し分ないだろう。だから、問題はここからだ。
急遽台本を変更して、ほぼ一夜漬けでの追い込み練習。かと思えば振り出しに戻るという目まぐるしい脚本の改変。誰がミスをしてもおかしくはない、ぶっつけ本番のステージ。
俺は深く呼吸をして、閉じた目を見開いた。
――問題? そんなもの、ない。
思えば常になにかに脅かされていて、いつだって油断ならない日々だった。けれどそのおかげで、逆に気を引き締めることができた。
もはや問題なんてない。あとは魅せるだけ。
本番はここからだ。
「――わ、なになに」
この脚本は、原作を改変している。
導入や結末が変わるわけではない。演出上の都合で、キャラクターの登場をとある場面に集約させたのだ。
物語の最序盤に登場する主人公はロバとニワトリ。二匹がブレーメンを目指す途中で立ち寄った家で泥棒を見つける。動物たちは泥棒を追い出すために一芝居打つ――そこで、暗転。
ホールは完全な闇に染まった。どよめいた客席には、すぐに静寂が訪れる。
そして再びステージが照らされる――と、そこには、さっきまでいなかった登場人物たちと、さっきまでそこにはなかった装置。
動物の被り物を被った彼らに、皆が一様に目を丸くした。
「おいあれ、北原がギター持ってんぞ。しかもドラムまであるし」「バンド? いいじゃんかっこいいじゃん!」「マジかよあいつら! やってるわー!」
サーチライトを浴びて佇む四人の存在に、客席はいっせいに注目する。
ざわつきとガヤが消えた数瞬の後。
――沈黙を破るように、ドラムスティックが打ち鳴らされた。
四拍子のカウントを合図に走り出したギターリフが、場内を駆け巡る。
『おおおぉーッ‼』
勢いよく奏でられたロック調が、音の弾丸となってステージから射出され、観客を撃ち抜いては跳弾し、また貫く。
轟音ともとれる歓声が炸裂した体育館の、その隅にて。
「……は?」
美浦悠馬の顔から、笑みが、消えた。
さっきまでの漫然とした余裕の代わりに美浦の脳を埋め尽くしていたのは、疑念。冴えわたる脳裏に、得体の知れない曇り気が根を張っている。
否。率直に言えば、自分たちの番が終わってからこの瞬間に至るまで、美浦はかすかな違和感に苛まれていた。
自らが率いる特進クラスの演劇の、想定外の失敗がもたらした違和感。自分を駆り出したその違和感の正体に、美浦は直面する。
――どうして。その線は潰したはずだ。
二年五組――演劇と謳い、その正体は楽器を用いたバンド演奏。ステージのパフォーマンスで観衆の好奇心を煽る狙いの、薄っぺらい演出。
立場的弱者が工夫を凝らしただけの奇策――それすらも向こうの雑兵を取り込んで断ち切ったはずなのに。
(神峰? アイツが裏で糸を引いていたとでも?)
――否。その可能性などないはずだ。生徒会が五組に肩入れするなど――あまつさえその手札は、こちらが切ったはずだ。
看過することのできない手刀な根回しで、生徒会すらも取り込んだ。二年五組が予定通りステージに立つことなど、万に一つもないはず――
――なーんて、思ってんだろうな、今頃。
たしかに俺たちは、直前のリハーサルで妨害を受け機材を破損し、挙句バンドそのものの停止にすら追い込まれた。これにはさしもの俺も焦った。
いやあ本当に焦ったぜ。なんせ、なかなか楽器を壊してくれないんだもんな。
別に壊すまでは行かなくてもよかったけど、早くちょっかいかけて俺たちに『バンドをできない』状態にして欲しかった。なにもないならそれはそれで良かったかもしれねえけど、せっかく準備をしたんだから、欲張りたくもなるもんだよな。
美浦が行動に移してくれた瞬間――条件が整ったとき、俺の計画は完成した。
今回の文化祭。実行委員が公開した規約には、こう書いてある。
『予算から購入した学内の備品として使用すること。個人保有の機材などの使用は原則禁止とする』
そう。個人が保有する機材は使っちゃいけない。
――なら、軽音部の楽器なら使っていいってことだよなあ?
学校側が明確に禁止事項として記しているのは、あくまで個人保有のものだけ。要するに劇に使う道具は買ったものしか使っちゃいけないなんて文言は、どこにもない。
そしてなにより、この学校自らが認めている項目がある。
生徒会会則第三章「専門委員会」第五節「部活動」第二九条。
『部活動において申請書類に記載された項目はすべて学校の備品として保管・管理される』
そして北原たち軽音部の楽器は、すべて申請済み。要するに、もともと予算の大半を占めていた音響機材を一から揃える必要はなくなったわけだ。むしろその逆――半額になったとはいえ予算の五万円をまるっきり衣装に割けた。おかげで俺たちの舞台は、見ての通りの絢爛ぶりよ。
誰かが耳にすれば怪訝に思うことだろう。規定違反すれすれの詭弁だと、前例がないから通っただけの『今回限り』に過ぎないと。
詭弁? 否。これは正々堂々、規則に則った戦い方だ。
なんせ生徒会が認めたんだからな。
だからこれは正攻法だ。有志のバンドが参加できなくても、こうして劇の中に取り入れちまえば、ライブが開ける。
それにな。この期に及んでそんなつまらねえこと、言わせねえよ。
これは文化祭だ。文化だぜ? 人類の歴史とともに発展し、我が国もその進化に貢献してきた音の芸術だ、文化祭で披露するにはもってこいじゃねえか。
そしてステージ上で繰り広げられている演目は、『ブレーメンの音楽隊』。テーマと印象から、ここまで楽器に結び付けられる劇は他にない。
おそらくは今ごろ、オーディエンスも興奮に駆られていることだろう……『そう来たか』と。
ボルテージは十二分に上がっている。細かい規律など、ロマンの前にはもはや意味など為しはしない。お堅い決まりごとなんて無粋なことは言わせない。
肝心の演奏は、それはもう絶好調だ。
イントロから続くギターリフも悪くない。北原宏介が長年ひとりで磨き上げた技量だ、努力の賜物だ。普通科も特進も関係ねえ、お前の実力を見せつけてやれ。
「おい――めっちゃ上手くねぇ⁉」
ドラムフィルが軽快に走る。180BPMの速いテンポ、1秒間に3打という技巧を、必死の練習でものにしていた。音の塊として放出される振動が物語終盤の緊迫感を演出している。
そして、バンドを支える要。すべての基盤となるリズム帯――。
重低音が爆裂した。
「やばいベース、気持ちよすぎんだけど!」
「誰だ、あれ? 顔が見えな……」
ライブでの音響は、CDや動画で聴くそれとはわけが違う。とりわけロックバンドともなれば楽器の音を前面に押し出し、すぐ近くにいる人間の体に直接響く。
そんでもって、ソレがこういう場ではめちゃくちゃ盛り上がるんだよ。
だから、ベースには予めえっぐい『歪み』を作ってある。けして主張することはなく、けれど確かに存在する音の芯が、聴く者の心を貫いて放さない。
完璧だ……Bメロまでで実力は充分に伝わった。あとはひと絞りの、勇気だけ。
「いいぞー! 滝田っ!」
「……どうした飯田、やけにノリノリじゃねえか?」
「粟野! そういうお前は声が出てないんじゃないか? 天川に頼まれてただろ、『なるべく盛り上げてくれ』って!」
「お、おう……! それってサクラってことだよな……」
客席の温まりも上々。普通科連中はノってくれてるし、特進の集まりにも徐々に熱気が生じている。二年六組を中心にした爆心地は次第に広がっていき、あっという間に空気を呑み込んだ。
声を上げることは簡単ではない。日常で自発的に大声を張るような状況など限られているし、こういう場に不慣れで遠慮がちな人間にとっては、無意識に抑制してしまうものなのだ。
だが今はどうだ。非日常体験によりマヒした感覚、分泌されたアドレナリン、周りの誰かがその快感に従っている。空気にノるには十分な理由が整えられている。
誰かじゃない、主役は自分なんだ。
さあ――ついてこいよ、海南!
「「「おォおおおっ――ッ‼」」」
熱狂が爆発した。
すべての拍子が揃った刹那、会場が完全に一体となって揺れる。パイプ椅子などもはや蹴り飛ばされ、小刻みに身を弾ませる全校生徒の様子が、ステージからは大きな波のように見えた。
「やれ五組! もっとだもっとォー‼」
怒号みたいな声援を受けながら、二年五組の音楽隊はロックを奏で続ける。
単調、だけど繊細で力強いキーボードを叩くのは桃園はとり。
感情を色濃くのぞかせる演奏。それは彼女の過去、後悔と恐怖を乗り越えんと綴られる、ひたむきな優しさを写し出す旋律だった。
(委員長まで……なんで、こいつらはこんなにっ)
紅いストラトキャスターを撫でる北原は、いつもなら流れる汗だって気にならないのに、今はひどく集中が散ってしまう焦燥感に苛立ちを募らせてしまっていた。
「あっ――」
外した。
音を外した。弾く弦がズレた――この俺が――――?
瞬間。まっしろになる視界。サビ前のパートで緩急がつく僅かな間――たった一度でも致命的なミスだ――熱気が、ここで途切れるんじゃないか。
しかし、その程度で覚めるような熱狂ではない。
「…………おいおい」
「すげーぞあのベース……いったい誰なんだ」
たしかに生徒たちの声は収まった。けれどそれは、些細なミスに気付いて興冷めしたわけなんかじゃない。
見蕩れているのだ。意図せず創り出された、ベースの独壇場に。
言っただろ、それは楽曲を支える根幹。轟き響く音の芯なんだ。
他の誰かがミスをしようと、そんなミスすらも音色に調律るのが、ベースなんだ。
会場内の熱狂と共に速さを増すドラムフィル。それに呼応して、弦を弾く指も加速する。
子気味欲よく音の泡が弾ける。親指で下げ、人差し指で引く。その奏法は誰もが知る――
「高速スラップ……!」
(どうして……)
「おい、やっぱやべえよあのベース!」
「ベースだけじゃない。ドラムもリズム崩さないのすごいし、キーボード上手すぎだろ!」「ギターも頑張れよ!」
(勘違いすんなよ、凡人が! 俺は、俺は――)
「がんばれー!」「普通に上手いぞ!」「北原―!」
歓声の中、雑音を遮断するフィルターを通り抜けるように、それだけが耳に突き刺さる。
弦を弾く、覆面からの声。
「どうした、そんなもんか?」
「――! くっ、そぉオおお‼」
再びサビに入る。
人の掌が作る波が流れ出した。サーチライトが目まぐるしく泳ぎ、夜空のような暗闇を光の軌跡が奔る。
この演出を完成させられるとしたら、あとはお前だけだ、北原。
――――キュィイン。ギアを上げるような高音が雷鳴のように駆け、重低音にギターが共鳴した。
チョーキング! やっぱすげえよ、お前!
「音楽だけなら、負けねえんだよ!」
楽曲は佳境に入る。
悠然と流れるCメロの後ろで、背景として飛び回るのは動物たちのアクションだ。
「いっくよー、昴!」
「おーう! ばっちこい、朱音!」
赤塚朱音が軽快な身のこなしでステージ上を翔ける。一年五組――霞ヶ浦千束が魅せたのと同じように、バレー部の戦略級選手がその運動神経を存分に振るっていた。
そこに難なく対応するのは滝田昴。運動のできるイケメンなら、うちにもいるんだよ。
間奏を抜け、いよいよラスサビに入る。そのつなぎ目の刹那ともとれる静寂で――
『彼女』は、降臨した。
「…………やば」
そこに現れたのは、わが校が誇る二大巨頭、その一角を為す『高嶺の花』。
初雪のような純白の繊維の――控えめで厳かな装飾を身に纏ったドレス姿の麗人――本来のストーリーには存在しないはずの、しかしこのめちゃくちゃな舞台においては整合性すら伴って歩み出ずる、ブレーメンの歌姫。
我がクラスの最高戦力にもかかわらず――であるからこそ、彼女をこの大一番で、一分に満たない出番で起用した。けれどその数十秒が、観る者にとっては忘れられない瞬間となる。
花室冬歌の登場で、場内の意識は完全に『ブレーメンの音楽隊』へと染められた。
ミュージカルの形相を為した、ワンマンライブ。
花室の涼やかで強かな声が反射して、ホールに響きわたる。
動物たちが、盗賊が、草木が、物語がその存在を主張するように踊りだす。放課後の教室でこれでもかと積み重ねたダンス練習。指先が本能で踊るようにステップを刻み続ける。
努力の結晶。ひとえに彼ら彼女らが向き合った想いへの報いだ。
見てろや、エリートども。
これが弱者の勝ち方だ。
ラスサビ。転調を繰り返すコード進行は生音に乗って反響し、その場の誰しもが神経を振るわせる。
会場は怒号に満ちた振動に揺れる。心に打ち込まれるビートを体に吐き出し、音色に呼応するアリーナと情熱的で正確無比なリズムを刻むステージとがせめぎ合う。
「かっけえー!」「いいぞ滝田ぁ!」
Ⅳ→Ⅴ→Ⅵからドミナント寄りに流れ、余韻を残すアウトロが弾けた。
パフォーマンスが終わり、演劇も終わる。
エピローグは白鳥さんと花室の手がけたラストで締め、感傷的な引きとともに暗転していく。
そして。
そして、俺たちの演目が幕を閉じた。
「Fu~‼」「花室さああん! 綺麗だったあああ!」「はとりちゃーん!」
「もっと聴かせろォっ‼」
アンコールの掛け声が鳴りやまない。いや、それはさすがにねえだろ……。
なにはともあれ。俺たちは持てる力を出し切った。
やれることは全てやって、間違いなく成功したんだ。あとは結果を待つのみってとこだな。
*
そして、明くる月。
彼ら彼女らに、大事件が巻き起こった。




