【6-5】 ○○○○の告白
「……美浦に賭けたんだ」
北原の独白が、暗闇の中に浸っていく。
「俺さ、仲いいやつらと軽音サークルやってんだよ。部活じゃなくてサークル」
うちの高校は部活動以外にも、課外活動としてサークルが存在する。
名目上は同好会。趣向はさまざまで、たいていは部活動ほど力を入れずとも友達と遊び感覚で参加するコミュニティだ。違うのは、部活動と違って学校からの内申点は評価されないこと。
「うちの軽音部は人数が多くてよ。おまけに特進の三年生とかもいるから、俺たち普通科じゃまともに練習すらさせてくれねえんだ。なによりあの空気が気に食わねえ。軽音だバンドだ言っておきながら、関係ないやつらを連れ込んで部室でバカ騒ぎしていやがるんだ。だから俺たちは、仲のいい奴らでバンドを組むことにした。学校にも申請して、同好会として活動してたんだ」
そういう経緯で立ち上がるサークルも少なくない。特にバンドなんかはとりわけ数が多い。
同じクラスの田宮もたしか、コミュニティは違えど似たようなバンドサークルに属していた気がする。
「同好会っていうのは部活より待遇悪くてよ。部費なんて出ないし、校内でライブをすることもロクにできやしない。そりゃあ、正式な部が優先されるし、おまけに俺たちは普通科だ。特進が出るなって言えば、それに逆らえないんだ。笑わせるよな。まともに練習なんてせずに遊んでばっかのあいつらが、ただ音楽のことだけ考えて練習してる俺たちより優遇されてる」
「……まあ、そうだな。ウチじゃ特進の言うことは絶対だ」
「そんなの理不尽じゃないか。――俺は知ってる、あんな奴らより俺の仲間の方がずっと上手いってこと。自分たちが誰よりも練習してきて、ずっと長く楽器に触れてきたことを。だからなんでもいい、ステージに立つ機会さえあれば、俺たちの実力を証明できる……そう考えてた。
そんな時さ。あいつは俺に近づいてきたんだ。天川もいたよな――初めて理特と勝負することになった日。委員長が七組のやつらとぶつかった時だ」
すべての始まり。美浦が俺たちに――桃園はとりに執着を見せたあの時、北原も俺たちと共に歩いていた。
「あの日の放課後、俺は美浦と会ってたんだ。あいつが俺たちの練習してる教室に来てよ。取引をしようだなんて言いだしたんだ」
あの瞬間、美浦は北原に目を付けたのか。
妥当だ。標的として狙うのではなく内通者として利用するためなら、あの中なら北原が適任だったろう。なんとも皮肉的な評価だけれど。
「取引の内容はこうだ――『五組の演劇に関する情報を逐一リークする代わりに、次の生徒会選挙で美浦が当選した場合、任期中に俺たちのバンドをあらゆるステージ企画で優先する』。取引なんて言うけど、実際のところはあいつの執行権に無理やり従わされただけさ。でもぶっちゃけ、俺はそれでいいと思っちまった」
自嘲気味に笑って、北原は己の腹づもりを吐露した。
やはり生徒会選挙の話が上がってくるか――十月の初旬に行われる選挙に、美浦は出馬するつもりでいるらしい。『強者』という立場にこだわる美浦のことだ。現会長の神峰集に向ける眼差しからも、その意志は読み取れた。
「俺たち二年じゃあ、美浦は最有力候補だ。桜川さんや会長の弟といい勝負になる――少なくとも副会長以上は確実だ。そんなあいつが、来年以降俺たちのサークルを優遇すると約束した。それがたとえ不確定でも、今よりははるかにマシだーーそう考えたんだよ。どんなに薄くても、少しでも望みがある方に向かう。それだって、夢に向かって努力するってことだろ?」
なるほど。すべて理解した。
五組が防ぐことのできなかった北原宏介の裏切り、それを企てた謀略の真相。その裏には、北原の悩みが色濃く刻まれていたという。
裏切りは見えても、その心の中までは覗けない。美浦悠馬は、この北原を一目見ただけでそこまで見抜きその提案をしたのだ。
北原の抱える悩みを解決しつつ、自分の野望を確実なモノにする。そこまで持って行く才覚や実権もさることながら、敵兵を魅了し取り込むカリスマがあの男の最大の武器。
「最低だろ? 俺は自分の夢のために、お前らを売ったんだ」
俺に語りかけるようで、しかし北原は自分自身と対話している風だった。
「別に、なんとも思わねえけど」
「……なんだよ、憐れんでるのか」
「や、本音だよ。自分のために、ってのは俺も同じだからな」
願いは聞き届けた。
北原宏介が自分たちの夢のために葛藤し、苦渋の果てに背信に踏み入ったこと。その覚悟も。
そんなこと、どうでもいい。
他人がなにを願おうが知ったことはない。俺は俺の目的のために他人を動かす。その先でそいつが理想を実現しようが勝手だが、俺にとって大事なのはその理想でそいつがどう動くか、それだけ。
そして北原宏介――こいつは簡単に動かせそうだ。夢を追う単純なバカは雑兵として扱いやすい。
チェックメイトにはこいつを使う。ポーンもクイーンもすべて捨てる。重要なのは最後に勝つことだから。
「確かに俺は、五組を勝たせるためにいろいろ画策してきた。奇想天外な戦略を練ったり、こうして内通者を探り当てたりもした。でもな、そんなのはただの通過点でしかないんだ」
俺は北原に詰め寄った。
呆然とする北原に、しっかりと言い聞かせる。
「俺の最終目標は文化祭で理特に勝つことじゃない。満足いく演劇をやり遂げることでも、クラスで同じ思い出を共有することでもない。…………なあ北原。お前は美浦が生徒会として権力を得ることに賭けて、あいつについたんだよな」
「っそうだよ。なにを言われても変わらない。今さら引き返すことなんてできないしな」
「なら、それは徒労に終わるぞ」
あっさりと。
目の前の少年の縋りついた希望を、かくもあっさりと打ち砕いた。
「美浦は生徒会長にはなれない」
「は……」
断言した。
「断言する。あいつは十月の選挙で、一度生徒会長の座に着く。だがそれは一時的なものだ。生徒会長になった美浦は、やがてその肩書きを剥奪される」
「なに言ってんだよ、天川。そんな妄想を信じるやつが――いや、気休めにしたって下手くそすぎるぞ。そんなので俺が今さら引き返すと」
「いいや、確定した未来だ」
自らの選択を全否定する言葉から、信じがたい想定を脳裏から引き剥がそうとする北原を、しかし俺は逃がさない。そのレールから外れることを許さない。
妄想なんかじゃない。これから実現する筋書き通りの展開だ。定められた脚本のように、事態は一つの結末へ収束していくだろう。
そして、もはや誰もその未来に抗うことはかなわない。
なぜなら。
「俺がそうするからだ」
「……付き合ってられないぞ。なにを言ったって俺はあいつとの契約を破れない」
「説得力なら十分にあるはずだ。美浦の画策した決して看破されることのないお前の暗躍、委員長や花室ですら辿り着けなかった真実を、俺は解き明かした」
明らかにした。
「あえて言うぞ。この学園において、俺が美浦や花室に負けることは万に一つもない」
まともに勝負をすればの話だけどな。
俺が述べると、北原は言葉を詰まらせたように逡巡した。
「じ、じゃあ。この文化祭も、五組が勝つってのか」
「ん? まあ、そっか。絶対に美浦に正体は割らせねえけど、桃園はとりを操作している以上は間接的に俺と美浦の騙し合いと言えなくもないし。そうだな、いい機会だし証明してやるよ」
「どうやって……」
「教えるわけねえだろ。でもそうだな……、アンパッサンって知ってるか」
俺は北原に向き直る。
唐突に投げられた馴染みのない単語に、北原は目を丸くした。
「チェスの戦術の一つなんだけどな。ポーン同士のやり取りで、相手の意識外から奇襲を仕掛けるっつー戦略なんだが、例えるならそんな感じだ。そしてその一手は、もう打ってある」
刹那に過ぎた静寂で、生唾を呑む音だけが響く。
たぶん。この時点で北原は、言い表しようのない感情に支配されていた。
絶対の支配力で自分を縛り付けていた美浦悠馬の鎖を断ち切った――否。腐敗させ溶解させるような――気味の悪い茨に浸食された感覚に、手足の指先まで呑み込まれていた。
「とはいっても、今んとこ確実な物証はない。だから見せてやる。お前を美浦から解放してやるさ」
「……解放?」
俺は不敵に頷いた。
「手始めに、お前の夢を叶えてやる」




