【6-3】 本番前
「みんな、それぞれ準備はできたな」
時刻は十二時二〇分。
機材搬入を終えた倉庫端。五組の生徒が揃う、本番前最後のタイミング。俺たちは輪を作って決起集会を行っていた。
音頭を取るのは滝田昴だ。こういうとき、仲間の指揮を上げるのには最も適している。
「よーしみんな揃ったな。……分かってるとは思うけど、俺たちがこれからやるのはただの文化祭じゃない。これは戦だ、俺たちには負けるわけにはいかない相手がいる」
「ま、そうよね」「当たり前っしょ」「やるっきゃないよな」
「覚悟はいいな、お前ら。それじゃあ――」
滝田の号令に、みなが拳を突き上げる。
「委員長の仇を取るぞぉーッ!」
「「「おぉおおーー‼」」」
「ぐすん。私、やられたみたいになってる……」
大丈夫か、これ?
熱い結束の瞬間のはずなのに、無意識に委員長が輪のすみっこに追いやられてねえか? いやお前らの気概はよく分かるけど、ゲン担ぎにしてはちょっと不謹慎だ。
「みんな、ちょっといい?」
そんな委員長はきりっとした眼差しに切り替えて、おもむろに俺たちの顔を見渡した。
「私から伝えたいことがあるの」
改まって告げた委員長の言葉に、その場の誰もが意識を集中させる。
「私たちは直前で演目を変更せざるを得なくなった。事情が事情だけに、みんな納得してくれたけど、それでもやっぱり当初の演目への想いを割り切れていない子もいると思うの」
「そう、だな」
窮地を脱したとはいっても。周囲の空気感で、曖昧な自己完結で呑み込んだつもりではいても、自分たちがどうして追い詰められているのか、未だに事態を咀嚼できていない者が大半だろう。
「でも、今さらどうしたんだ?」
「……ここまで来たんだから、やるしかないよ」
「うん。今さらになった。だから言うか迷ったんだけれど。みんなにいっぱい迷惑をかけちゃったし、みんなの頑張りを裏切ることになるかもしれないけど。…………それでも。私はみんなの納得する文化祭を突くりたい。だから、ここで確認を取りたいと思う」
あやふやな言い回しは、言い淀んでいるのは、彼女自身が割り切れていないからだ。自分以外の不幸を己の非だと気負ってしまうある種の脆弱さと、そうなるに至った過去の出来事。
縛り付けるトラウマを、打ちひしがれた過去を、けれど今。今こそ乗り越える時が来たのだ。
桃園はとりは、深く深く、頭を下げた。
「『ブレーメンの音楽隊』を、やってくれませんか」
俺たちの、委員長。
クラスの頭が、今、クラスメイト全員の前で、頭を下げた。
「? なにを言っているんだ、桃園? もとより俺たちは、脚本を改稿したとはいえ、文化祭にはその劇で臨むはずだったろう」
「うん。だからその前。改稿する前の演劇をやりたいと思う」
「それって……」
「そう、はじめにみんなで決めた脚本。そこにバンドを組み合わせた、めちゃくちゃで素敵な台本よ。やっぱり私たちは、私たちらしく戦うべきじゃない?」
少し照れながら、委員長がはにかんでみせた。不器用なその笑顔に、彼らは目を丸くする。
「バンドって。予算は? ギターもなにもないんじゃ」
「――それが、なんとかなったんだよ。俺らの桃園はとりを舐めてもらっちゃあ困るぜ」
「天川。それってつまり、委員長がなんとかしてくれたってのか?」
クラスメイトの詰問に、俺は涼しげに頷いた。
「楽器はなんとか、用意できたわ。だから劇自体は問題なくできる、と思う」
「マジかよ!」
「さすがはとりちゃん! シゴデキ〜!」
バンドができる。ずっと練習してきた舞台が実現できる。降り注いだ果報に、みな歓喜の声を上げている。
けれど一つだけ。一つだけれど、人の数だけ抱いた心配が委員長にはあった。
それこそがクラスメイトへの裏切りになるのではないか――その懸念だけが彼女の瞳を曇らせていた。
「でも、きのう一日追い込んでくれたみんなの努力や、白鳥さんと花室さんがせっかく作ってくれた脚本は……」
「構わないわ」
即答したのは、意外にも花室冬歌だった。
自分で応えておきながら照れくさそうに腕を組む彼女の言葉は、けして気休めなどではない。
みんなで考え、悩みもがいた。その過程が無駄だったなんて言わせない。誰よりも努力を重ねてきた孤高の少女は、その価値を誰よりも知っている。
「わ、ワタシもです! 予定通りできるに越したことはないですし、その。むしろ逆にありがたい、というか……」
一生懸命に声を張る白鳥さん。
前のめりに訴える彼女の言葉を受けて、委員長の目尻に水滴が浮いた。
「で、でもさ。直前で変更するってのは……」
「なに言ってんだ北原。バンドなんて、お前が言い出しっぺだろ。目標、叶うんだぜ?」
「台本なら大丈夫さ。さんざんやったからなー。全員分のセリフ暗記してるぜ」
「みんな……」
潤う瞳を拭った委員長の顔色から、ついに曇りが晴れた。
雨のとばりを超え、澄みわたった碧空の下。
俺たちは、俺たちと彼女は、再び円を組む。
今度は、みんな一緒に。
「いくぞ、二年五組! 理特じゃない――全員ぶっ倒して優勝するぞ!」




