【5-3】 革命前夜
そして、五限目。
木、金曜の二日間は、文化祭の直前になるため午後の授業が事前準備に置き変わる。
本来なら木曜は製作物の総仕上げにあてるのがセオリーだが、俺たちはそれ以前にやらねばいけないことがある。
順調とはいかずとも、企画段階から案を出し合って進めた演劇。リハーサルまでおよそ完璧に終えて、夢半ばにぶち壊されてしまった物語を作り直す行程が必要だ。
「みんな揃ったわね。それじゃあ、始めるわ」
俺が前日に使用許可を申請しておいた会議室には、数名の五組生徒がそれぞれ腰かけている。
必要以上に混乱させないよう、委員長が声を掛けたやつらだけを集めて緊急会議を行うことにしたのだ。残りのメンバーは教室で制作作業。
列席しているのは、議長の桃園はとりから時計回りに滝田昴、花室冬歌、俺、北原宏介、赤塚朱音、都和愛華、白鳥結衣。主にクラスで目立つ、もしくはこの文化祭でなにかしらの指揮役を担う人物。空気に干渉する発言権を有する者たちだ。
「まず最初に、今後の方針を決定していきたいと思います。本番まで残り一日しかないけど、できる限りのことをしたい」
みなの表情は固い。無理もない、気を張って革新的なアイデアをひねり出そうとしても、思いつかないときはどうやったって思いつかないもんだ。
「方針たってさー。今からなんか作んのってムズくない? ……ぶっちゃけうち、もうそんな体力残ってないんよね」
えっへへ……ときまりが悪そうにはにかむ都和。こいつの言うことはもっともだし、おそらく他のみんなへの負担も配慮したうえでの発言だ。
「そうね……都和さんの言う通りだわ。それでも、現状を嘆いていてもなにも始まらない。今の脚本で、バンド演奏のパートを別に埋め合わせて、削れるところや逆に追加するべきシーンを詰めていって、衣装やセットはそのままに演技一本で勝負しようと思うの」
「じゃあなんだ、このまま内容は変えないってことか?」
「大筋はね。最大の魅せ場がなくなっちゃうのはやっぱり悔しいけど、私たちに今できる精一杯のことだと思うから」
北原の問いかけに答える委員長の顔つきは、すっかり覚悟が決まった風で、どこか憑き物が落ちた風である。陰りの差した会議の雰囲気の中で、それは際立って見える。
「つーかさ、なんかいいんちょ、雰囲気変わった?」
「え? そ、そうかな」
「うん。なんかスッキリした感じ。今の方が、うちは好きかも」
「すっ……、なに言ってるの。ほら、本題に入るわよ」
「わ、私は賛成です」
今度は白鳥さんが弱々しく躍り出た。
「白鳥さん……」
「私、好きなんです。『ブレーメンの音楽隊』……最初に天川くんが言ってくれたように、このお話は、差別や悪意に屈しない、強い動物たちの物語で。これまでの私たちを映し出しているみたいで……すみません、うまく言えないんですけど……!」
精一杯に心中を叫ぶ白鳥さんを、みな静かに見守る。
いつも控えめで決して明るい性格とは言えない女の子だけれど、こうして今、俺たちのことを強く想っている。
振り絞ったような声はぎこちないながらも、それゆえに彼女の本気が伝わってきた。
「まあ、俺も反対するつもりはねーな。ぶっちゃけ今から役変えてもセリフ覚えらんねーし」
「うちもー。や、せっかく衣装作ったんだしさ、着ないのもったいないしさ」
「うん、俺もそれでいいと思う」
「北原のギターの超絶技法を見れないのは残念だけどなー」
「そう思うのなら残念そうな顔をしろよな。嬉しそうにしてんじゃねえ」
ムードメーカーよりの三人が続いて同調する。
コントじみたテンポのよさで会話をする三人から視線を移すと、委員長と目が合った。
「俺も、もちろん賛成だ」
薄く笑いかけてやって、彼女が安堵するのを見届ける。
「あたしもさんせーい! 昴をジャンプ台にして飛ぶの楽しいし!」
「うん。アレは俺じゃなきゃケガするから他のやつにやらせるわけにいかないなー」
朱音も賛成。滝田にはロイター板役という栄誉を引き続きこなしてもらおう。
そして、残るは……。
「花室さん。……どうかな」
「……ごめんなさい。今までの状況を整理していたから、結論を出せずにいたわ」
いいや。まだだ。こいつはまだ、賛成も反対もするつもりはない。
俺が直感した通り、全員の視線を受けた花室は一呼吸ついて瞬いた。
「こうして会議が開かれている理由――原因となった機密情報の流出や、私たち五組側のモチベーション、その他の要素を加味して考えたのだけれど。私はプロットから練り直した方が良いと思う」
「それって、つまり」
「反対てコト?」
「……今のプロットに沿った劇で進めるということに対しては、そうね。頷くことはできないわ」
花室はよそよそしく頷いた。
「あたしはこのままでもいいと思うよ? みんなも分かりやすいと思うし」
「それでは彼らの思う壺ではないのかしら。むしろこの状況を切り抜けるアイデアをもとにプロットを組み直して、全く別の劇を作り出せばいい話でしょう」
こいつの言っていることは暴論ではない。少なくとも、花室冬歌――この超高校級の才女が唱える分には、その暴論は理論として成立する。
だがそれは、花室冬歌ひとりにのみ適応される論理だ。常軌を逸した才能を秘める彼女、あるいは彼女すら凌ぐような偶像的存在にしか叶えられないような理想論。
「それは、一日でできるの?」
「不可能とは思わないわ。全員が余力を振り絞って取り掛かれば、間に合わないようなタスクではない」
「んぅ。あたしは元気いっぱいだけど、みんなはどうだろ。あいかちゃんも疲れたつってたしね」
「まねー……。しょうみキツい、かも」
「衣装や振り付けは流用できるでしょう。私が言っているのはあくまで劇の構成、シナリオという側面のこと。セリフは変わっても、体力的な負担は極力軽減できる見込みでいるわ」
控えめながらに討論を重ねる少女たちは、互いに他者を気遣ったうえで意見を出し合っている。ゆえにこそ、その光景は見ていて心が痛む。
この高嶺の花は本気で言っているのだ。本気でアイデアをひねり出して本気でシナリオを創りあげて本気で身に沁み込ませれば一日で演劇ができると、本気で思っているのだ。
いわばそれは力技。理論上はできるなんていう根性論ともいえる。
無論そんな理論は一般人には通用しない。彼女以外の人間は悩ましげに表情を曇らせている。
ならば、俺が出るしかないだろう。
「花室、それはお前にしかできないことだ。力でねじ伏せるなんてやり方は、力のある人間にしか選べない手段だ」
「甘えた思考ね。抗うことを放棄して諦めることが力を持たない人間の特権だとでも言うの?」
彼女の反発も予想のうちだ。
「なにもそのやり方を否定しているわけじゃない。むしろ推奨だ。だけど今この状況じゃ、お前のやり方についていける人間は限られてくる。……他人ってのは、お前が思っている以上にずっと弱っちいぞ」
花室の考えを否定する権利は俺にはない。こいつはいつだって自分に甘えることなく研鑽を積んできた努力家であり、強者としての思考も努力の果てに身に付いたものだろう。
花室冬歌の一歩は、他の誰かよりも速くて大きい。だから誰かと並んで歩こうとしても追い越してしまう。誰かに歩み寄ろうとしてもすれ違ってしまう。
けれど、歩調を合わせて立ち止まることは、彼女にとって許されざる怠慢だ。
「考えてもみろ。もしも桜川ひたちが同じ状況に立たされたとして、他のクラスより劣った見栄えのステージでみすぼらしい劇をやることになったとしても。それでも、たぶんあいつは勝つぞ」
ならばどうすれば彼女を言いくるめることができるか。
生憎と、こればっかりは努力の必要がない。
「ハンデとか環境とか関係ない。あいつは一人で他の全に勝てる。なら、お前にできないはずがないだろ?」
「さっきから的を射ない話ばかりね。なにが言いたいのかしら」
花室冬歌が顔をしかめた。当然だ、彼女にとって禁句の名前を出されて、挙句自分よりうまくやると比較されたのだから。
けして温厚とは言えない顔つきと言葉に圧されることなく、俺は告げる。
「プロットは変えない。――単刀直入に言う、俺たちに協力してくれ。ブレーメンの音楽隊の舞台装置として、『高嶺の花』の力で票数集めに加担してほしい」
「随分なものぐさではないかしら。天川くん、私があなたの言いなりになって、私にひとつでもメリットがあるというの?」
俺は告げる。一言告げる。
「桜川ひたちに勝てる」
たった一言、それだけ告げた。
たぶん、この場の誰も花室の真意を察していない。この高嶺の花が目標と見据えているのは七組ではなく桜川ひたちだ。
あるいは美浦なら――人の本質を見抜く洞察力を持つあいつなら、そこまで至れるかもしれないが。花室が敵として認識しているのは桜川ただ一人だ。
要するに、それ以外の他人は眼中にない。普通科も特進も関係ない、花室の眼には桜川ひたち以外は平等にゴミクズ程度にしか見えていないのだろう。
俺たちが七組への対策を講じている間、花室はずっとあのヒロインに勝つ方法を思案していた。
だからこうも徹底するのだ。完璧主義的な思考はそう、完全無欠なあの少女を超えるために当然のことなのだ。
「土煙にまみれた集団の中で個として機能し、みすぼらしい作劇すら演出に変えて団体戦を翻す。それはお前にもできるはずだ。セットとか証明だとか、まどろっこしい舞台装置は必要ない。お前自身が輝けばいい」
「あなたのソレは、暴論ではないのかしら」
「否定はしない」
まさか俺がその言葉を受けるなんて、とんだ皮肉だ。俺が花室に対して内心で思っていたことを、こいつ自信に指摘されてしまうなんて。
「でも理想論じゃない。手の届かない夢じゃない。たった一つの真実だ」
まっすぐに言った。
氷点下よりも凍てついた彼女の瞳を、まっすぐに受け止めた。
「分かったわ。あなたに乗せられてあげる。桜川ひたちに勝ってあげるわ」
巨匠、動くってか。いやはや骨の折れる説得だった。キラーワードの桜川の名前が功を奏したと言ってもいい。とりあえず困っとけばあいつを出せばなんとかなるとか汎用性高すぎだろ。ガブリアスかよ。
ともあれ、ようやくスカウトは完了したわけだ。あまねP、爆誕である。
「前から思ってたけど、天川って花室さんの扱い上手いわよね」
「確かに。花室さん、猫みたいで可愛かったなー」
「……私のどこを見てそんな風に思えたのかしら、滝田くん?」
「や、うちも思った。見た目ライオンで中身ラガマフィンってカンジだよね、花室さん。うちけっこ―好きかも」
なんだよその絶妙な例え。
つかむしろ逆だろ、逆。可憐な見た目で惑わせて凶暴な牙で獲物を食いちぎる。綺麗なバラには棘がある的なヤツだ。ほら、高嶺の花だしね。どっちかというと食虫植物だね。ハエトリグサとか?
そんなこんなで花室が正式加入し、改稿版ブレーメンの音楽隊の準備はほどなくして完了した。
台本については、白鳥さんの作家力に花室の援護が加わりわずか一時間ほどで草稿が完成した。都和たちが作った衣装や劇の振りはそのまま使いまわすことで、なんとか繋ぎ止めることに成功。
「分かってると思うけど、これは機密事項。他クラスはもちろん、他の五組の子たちにも直前まで秘密にしておくことを、約束してほしいの」
「もちろん! 任せてよはとりちゃん!」
「朱音が一番心配だけど……。そこまで言うなら大丈夫そうだなー」
*
「――これで良かったの?」
夕暮れが差し込む部屋の中。桃園はとりの声が慎ましく響いた。
滝田や朱音は部活に向かい、その他も予定ややるべきことのために発ったので、会議室には俺と委員長の二人しかいない。
なにか言葉を紡ごうとする委員長に背を向けて、俺も部屋を後にしようと扉に手をかける。
「あの空間さえ作れりゃあ、会議なんてどうだっていいさ。んで委員長が俺の言った通りにしてくれれば、あとはこっちで上手くやっとく」
「上手くって……まだなにか、やることがあるっていうの? 天川、アンタ……」
踵を返した俺を、不安を孕んだ声が引き止める。
去り際、俺は彼女に一瞥だけやった。
「一日だけ、時間をくれ」
俺はポケットに手を伸ばす。
スマホを繰って、トークアプリを起動してとある人物のアカウントを探した。
まだ会話をしたことがないから履歴にはないが、アカウントの追加だけはしてある。目当ての人物と自分が同居するグループトークを開いて、そこからプロフィールに移動する。
画面に映し出されているのは――トーク相手は、桜川ひたち。
『頼みがある』
『なに?』
『教えて欲しいことがある
七組のこと』
『なんでよ
なんでわたし』
『買い出しに付き合ってやったろ
それに
お前なら知ってるだろ』
『内容次第』
『七組の演劇内容と、
――――について』




