【4−4】 強者の法律
美浦悠馬は徹底した男であった。
玉石混淆の海南高校において、彼はまごうことなき強者の立場にあった。生まれながらの強者――そう彼は自身を評すが、それはつまるところ、才覚に恵まれたわけではなかった。
一つ、秀でた才能と呼ぶのなら、彼は『物事の本質を捉える』ことに長けていた。
全国有数の進学校の、特進科クラスのひとつを束ねる彼とて、特段勉学への感覚が優れているわけではない。
突出しているのはだから、要点を掴む巧さ。示された公式や現象の原理を見抜き、他人とは別の角度からモノの仕組みを理解する。
それはヒトに対しても同じことだった。対面した人間の感情の機微が彼の中でパラメータとして数値化され、視界に現れる。どんな傑物にも弱点はある。美浦はそうやって、他人の外骨格の裡に秘められた綻びをつくことに長けていたのだ。
そんな美浦は、またしても例のごとく、一つの綻びを見出した。
海南高校生徒会会則第七条補則五節。いわゆる『学園法』。
この学校に存在する独自の法律。
生徒会会則なんて、普通の高校生は目を通さない。学園の法律が余すことなく記された生徒手帳なんて、学割が効くチケット程度にしか捉えていないだろう。
実際その認識に問題はない。形骸化した校則など、大半の学生には縁のないものだ。
だが、こと海南においては違う。
学園法という一つの法律。現代の社会倫理に余裕で抵触するような差別制度だが、『弱者を導く』という大義によって強制力を得たソレは、もはや絶対の命令権となる。
普通科を支配することは実に容易だ。この権力構造が根付いている以上、弱者たる彼らが叛逆を実現することなど万に一つもありえない。
だから、僕が目指すのはその先だ。
一人の人間だとか一つのクラスとか、そういう狭い世界で完結するほど、僕の強さは陳腐なモノじゃあない。僕の才覚とこの学校のシステムがあれば、学年――どころか海南という一つの国を支配することだって可能だ。
生徒会や執行委員会は一枚岩ではないだろう。いずれ飼い殺すことになるとしても、そのためにはまず、足元の虫ケラから踏み潰す作業をしなくちゃあならない。
この二学年には、決して凡人と看過できないような存在が少なからずいる。特に二人の女子生徒――桜川ひたち、そして花室冬歌。いずれも飛び抜けた才能を有しながら、人並み程度のったれた日常に甘んじている平和ボケしたヤツらだ。
あろうことか、花室冬歌にいたっては弱者の証明たる普通科に在籍しているというのだ。
しかし、だからといって僕はあえて、彼女に学園法の命令権を行使するつもりはない。いつか対峙することになっても、それはなんのハンデもない実力勝負の舞台だ。
だが、もう片方は違う。桜川ひたち。現状学園一の強者として崇められている彼女を蹴落とすには、そう、学園法の存在が必要不可欠となってくる。
この文化祭は、『あの人物』はだから、手始めでしかない。
法律が敷かれているということは――ルールが決められているということは、そこには必ずあるはずだ。決まりごとで縛られた規律の綻び。それを列挙して実行に移せる可能性をシラミ潰しに模索する。簡単に言えば、消去法、とでも。
できること、できないこと。反例として明言されていない角度から、僕の支配者としての力でアプローチを加える。
そうすれば自ずと見えてくる。…………法の抜け穴ってやつが。




