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【4-2】 波紋のリハーサル

 

「――え」



 鈍い音がした。


「……おい、なにしてくれてんだ!」


 一触即発の火蓋を切ったのは、やはりというか、理特の駒込(こまごめ)だった。

 どすの効いた声に捕まっているのは、うちのバンドメンバーの一人である田宮(たみや)だ。ベースを背負いアンプを手に持っていたはずだが、そのアンプが床に転がっている。


 近くにいた俺たちがすかさず駆け寄った。



「田宮、どうした」

「どうしてくれるんだ、これ! 大事なセットが使い物にならないじゃないか!」


 田宮の反応する隙を与えんとばかりに、駒込が声を荒げて圧しにかかる。三個イチの臼井(うすい)菅谷(すがや)もぞろぞろと並んできて、三人で田宮を詰め寄る状況になった。


「今からリハーサルだってのに、これじゃまともにやれないだろ!」

「い、いや。明らかにわざとぶつかってきてたじゃないか! こっちは避けようとしたのに……」

「口答えか? 普通科が? お?」


 菅谷、臼井が援護射撃。田宮の抵抗はなす術なく踏み潰されてしまう。

 ……さすがにここでいちゃもんを付けられるのは面倒だな。ちっと助けてや――



「今のは良くないんじゃない?」



 不吉な声が通った。

 舞台袖から姿を現したのは美浦(みうら)だ。誰もが息を呑むような緊迫した空気の中、彼だけが飄々としなっている。

 まるで見計らったような登場に、五組の面々は揃って視線を向ける。


「美浦、前と同じだ。こいつらが俺にぶつかってきて、見ての通りセットが壊れたんだよ」

「だから、俺らはなにもしてないだろ!」


 売り言葉に買い言葉。絶対的な正誤なんて関係ない、この前と同じ水掛け論だ。

 であれば、ここから展開される展開は。



「うーん。僕たちも許してあげたいんだけど。こっちとしては大事な備品を傷つけられて見過ごすわけにもいかないんだよね。とはいえうちの人間が不注意をしでかしたことは否定できない、それは確かだ」

「なら――」



「これは事故だね」



「え……」

「お互いに意図はないんだろう? なら、不注意が重なった結果の不慮な事故。前と同じさ、お互い痛み分けといこう」

「あ? なわけ――」

「落ち着きなよ。そしてよく見てみるんだ――彼のシャツの袖を。くっきりと色がついているじゃあないか」


 とりとめのない言い分に、俺の声色にも怒気が乗ってしまったのを、美浦は気づきやしなかった。いや、気づいたうえで気にも留めない風に振る舞っているのだろう。


「軽くぶつかったくらいでそんな風にはならないんじゃないかな。これはまるでそう、キミが意図的にぶつかってきたと取れなくもないんだよ」

「い、いや。待ってくれ、オレはわざとじゃ」

「だとしても、お前がうちの道具を壊したことは事実だ」


 精一杯の抵抗は、無情に突きつけられる駒込の言葉で力なく圧せられた。

 田宮の顔から血の気が引いていく。

 対する美浦は、こんな殺伐とした状況なのにどこか嬉々とした声色を弾ませている。



「こっちも大事な備品を傷つけられてみすみすと見逃せっていうのは納得できなくてね。そう、だからこれは事故。どっちが悪いとかないんだよ。いわば僕たちは互いに被害者なんだ」

「いつまでンなこと……」

「普通科のお前らに情けをかけてやってるんだ。美浦に感謝しろ」

「……っふざけんな!」

「おい待て、北原(きたはら)!」


 滝田(たきた)が静止をかける。が、一拍早く飛び出した北原の感情はすでに爆発してしまっていた。

 怒りに弾かれた北原が突っ込んだのは、駒込の抱えていた照明機材。見るからに解る精密機器に、北原の伸ばされた足が、めり込んだ。



「――っ、おい……」

「ちょっと、北原……!」

「あーあ。せっかく痛み分けと行こうと思ったのに、その厚意を踏み躙るようなマネをされちゃあ、こっちとしても黙っていられないな」


 そんな異常事態でも、美浦の平然ぶりは変わらない。

 愉快そうに浮かべているのは、実に悪魔的な笑みだ。


「待って、美浦くん。一度ちゃんと、話をしましょ」

「話すことなんてなにもないだろう、はとりちゃん。君たちの態度は目に余る。いくら寛容な僕たちといえど、こうも噛みつかれちゃあ黙ってはいられないな」


 こうなることを見越していたように、まるで演技でもするように。美浦は邪険な光を瞳に宿らせ、大仰に手振りを添えた。



「じゃあこうしよう。放課後、生徒会室に来てくれ。組織の問題はリーダーが責任をもって収集付けるべきだ。今回の件についての処遇を、会長さんを交えて話し合おうじゃあないか」



 美浦が台本を読み上げるような声調で委員長に取引を持ち出す。


 この時点で二年五組は、美浦悠馬にチェックをかけられた。

 ここで提案を断って弾劾されるか、大人しく無実の罪を受け入れるか。どのみち破滅は免れない、まさしく悪魔の契約。


 この提案を持ち出すために、こいつらは接触してきたのだろう。

 偶然か必然か。文化祭の二日前という土壇場で、理特は決定的な一撃に打って出た。



「…………分かったわ。それで構わない。だから、これ以上話を大きくするのはやめて」

「さすがはとりちゃん。話の分かる娘で助かるよ。それじゃあ放課後、お話をしようか」


 委員長が生唾を呑み込んだ。

 その反応を嗜虐的な笑みで見届けた美浦は、去り際に彼女の肩に手を添えた。



「じっくりと、ね」



 突然に現れては殴りつけるような猛威を振るい、過ぎていった不穏な嵐。

 美浦たちが去った後も、淀んだ空気が晴れることはない。

 誰一人として声を上げることなく立ちすくむステージは、皮肉にも南西の陽光に照射されて眩く光っていた。



「ゴメン、委員長……! オレのせいで……」

「いや、俺もだ。あそこでカッとなって、大事にしたから……」


 強く歯噛みする田宮と北原。握られた拳からはぎちぎちと音が軋んでいた。


「それで、これからどうするんだ」

「大丈夫。万が一のことを考えて予算は余裕を持たせて調整してあるし、補正予算を組み直せばなんとかなるわ」

「ならなおさら、話し合いなんてしなくてもいいんじゃねーか」

「ここで無視したらどんな制裁を受けるか分からないでしょう。大丈夫、みんなに迷惑はかけないから、安心して」


 大丈夫。その言葉は俺たちに向けているようには、とても思えなかった。

 まるで自分に言い聞かせているような。安心しろなんて、曇った表情で告げられても、気休めにすらならない。



 美浦の取引は、同時に洗脳でもある。クラスの代表としての器、ともすれば彼女の人格を全否定せしめる言葉選びで、委員長を後に引けない焦燥感に駆らせている一種のマインドコントロールだ。


 委員長本人はそれが意図的に仕組まれていることを自覚していない。特進クラスを手足のように統べて君臨する美浦悠馬(はるま)の恐るべき人心掌握術。


 そして、生徒会――絶対的正義の下に審判を下す天秤――事実に基づいて当人間の議論を見届けるあの会長は、美浦にとって好都合だろう。 



 待ち受けるのは欠席裁判。このまま話し合いに臨んだら、本当に救いはなくなる。


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