【4-1】 波紋のリハーサル
【Ⅳ Your anger is a gift / Zugzwang(Bxf4 Bg4)】
文化祭当日まで一週間を切った。
各クラスの準備は滞りなく進んでいた。大道具や暗幕の作成、発注した衣装の合わせ、本格的な舞台装置が揃うと教室内の雰囲気もがらりと変わる。
廊下を歩けば耳に入ってくる喧騒からは、数日後に控えた祭りに舞い上がった活気が伝わってくる。
市場のような賑わいを見せる通路を抜け、俺たちが場所を移したのは武道館だ。
毎年六月の文化祭は、終日かけて全学年分の演目を鑑賞し各学年ごとに投票、閉会式で集計結果を発表するタイムスケジュールだ。一階の演劇の本番はこの体育館のステージで行われることになっている。
前日になるとフロアシートが敷かれ無数のパイプ椅子が並ぶアリーナは、私立高校とだけあってバスケコートが四面あるくらいには広い。このホールに全校生徒千人弱が総動員される。
そして現在、俺たち――二年五組の生徒たちは体育館のステージに揃っている。なにも体育の授業で移動してきたわけじゃない。そもそもこの一週間はどのクラスも体育の授業はないのだ。
文化祭の直前一週間は、各クラスごとにステージで練習する機会が一度与えられる。
三学年の八クラスずつで計四日間。一から六限までの中からそれぞれ一コマぶん、本番前のリハーサルとして打ち合わせの時間が設けられている。
ステージリハの日程はそれぞれのクラスの時間割なんかの兼ね合いで決まる。そして今――木曜の五限は二年五組のリハーサルの時間だ。
各自で道具のセッティングや衣装合わせをしている間、音響チームも準備を進める。
北原はギターの頭に取り付けたチューナーなるものをチラチラ見ながらピックなるもので弦を弾いてはペグなるものをきゅるきゅる回してを繰り返していた。
チューニングが終わると腕慣らしで弾き出した。じゃかじゃんと奏でられるメロディは聞き覚えのある邦楽のイントロ。
「北原、マジで上手いな」
「疑ってたのかよ。これでもガキの頃からやってきたからな、ギターだけなら誰にも負けないぜ」
そう豪語する北原からは、たしかな自信が感じ取れた。うん、誰にも負けてないどころかお前のせいで他が霞みつつあるのはバンドとしてどうなんだろう。
際立って目立つが、ギターならそれくらい脚光を浴びてもいいだろう。クラスではおふざけ要因の一人である北原だがこうしてピックを持てばヒーローみたいに見えるのだから、音楽に限らずなにかにひたむきになれるというのはカッコいいもんだ。バックグラウンドも相なってあとは上下ピンクのジャージさえ着て『なれる! ギターヒーロー』とか著書でも出せば重版狙えるレベル。
「それよか天川、今、手空いてないか?」
本番前のセッティングでは、俺の役目は音響。
PA周りの設定をバンドメンバーの助言を頼りに調整していた俺に指名が入る。
「ああ、今やってるとこが終われば、俺のやることは一旦なくなるな」
「オッケ。したらエフェクターの設定したいから手伝ってくれね?」
「いいけど、どうやんだ」
人数の関係でこの役割に回されただけで、俺は生まれてこのかた本格的な音楽に携わったことがない。楽器に触れるのとか怖いし。触ったら爆発しないかななんて機械オンチのお母さんみたいな警戒度である。
「大したことじゃねえ。俺が言ったとこをいじってくれればいいさ。あとはアンプの微調整かな」
アンプか。知ってるぞ、電源を入れたままこのコードみたいのをぶっこ抜くととんでもない爆音が鳴るんだろ。けいおんで仕入れた知識だ。つかそれ以外に知らん。
「かしこまり。なんなりとお申しつけくれ」
「なんだよ、その口調。絶妙にかしこまれてないし」
「なんせお前はある意味主役みたいなもんだからな。ベストコンディションで臨んでもらわないと」
「ハードル高いな、オイ。保険かけるるわけじゃないけど、相棒じゃないから、イマイチ自信なかったりする」
俺の意地悪にこそばゆい表情を浮かべた北原。心配しないでも、むしろさっき聞いた感じじゃぜんぜん上手かったけどな。弘法筆を選ばずってやつだ。
「ヘンに不安にさせんなよ。みんな期待してんだから」
「お、おう。任せろ」
北原は変わらず苦笑を浮かべていた。
エアモニの調整を済ませれば、今度は舞台袖へ移動する。俺も脇役といえど役者ではあるので、安っぽい衣装に着替えて台本を確認しておく必要がある。
それぞれの準備が終わって、通しでの練習。
リハーサル自体はつつがなく進んだ。
主要キャストの演技は初回の練習時よりはるかに様になっていた。大根役者もいいとこだった滝田も今や見違えるほど上達している。出来る限り本番を想定したステージだったが、この分だと問題はなさそうだ。
五限の終礼が鳴る五分ほど前、通しの練習が終わったキリのいいタイミングで委員長が両手を合わせた。
「それじゃあ、リハーサルは終わり! 各自片付けに入りましょう」
体育館に響く明るい声に、散っていたクラスメイト達が声を上げる。みんな声調こそ気だるげだが、一つの山場を越えた安堵に肩の力が抜けた風だ。
残す二日間は細かい作業を詰めて、あとは本番を待つだけ。誰もが内心で浮き足立っていた。
そして数分後。チャイムが鳴り始めるが早いか、閉め切られていた扉は勢いよく開かれ、人の波が流れてくる。
その波に、弛緩した緊張はふたたび張りつめる。
「げ。よりによってあいつらかよ」
滝田昴がわざとらしく顔をしかめた。
その理由は明らかだ。ずかずかとホールに踏み入ってきたのは、俺たちの見知った顔――委員長と衝突して今回の構想の火種を作ったきっかけともいえる巨躯の男子、駒込だ。
そこからしばらくして凱旋するように堂々と姿を現したのは、美浦悠馬。彼らの一番後ろで軍衆を率いるように闊歩している。
美浦と駒込。言わずと知れた理系特進クラスの面々だ。
つまり、六限の間は二年七組がリハーサルを行うということになる。
まあ驚くことではない。授業時間の都合上、一から八まで順番通りに時間が回ってくるわけでもないし、それぞれの日程はレジュメに載っていたから目を通せば分かることだ。
「おら、お前らの番は終わりだ。さっさと退け」
「なんだよ。今出ていこうとしてたんだろ。まだチャイム鳴ってないし」
「普通科が口答えしてんじゃねえ」
「その通り。身を弁えろ。普通科なら五分早く荷物まとめて出ていくのが常識だろ?」
七組が顎で指図し、五組が抵抗する。そんな五分前行動が常識化された覚えはねえぞ。
「やめましょ。なるべく関わらずに大人しく撤収したほうがいいわ」
委員長がひそひそとクラスメイトを窘めていた。
完全にコワモテの人への対応だ。おかーさんみてみてキッズを言い咎めるお母さんの役が似合うな、委員長……。今からキャスティング変える?
だが、そんな光景を笑ってはいられない。同学年でこれほどの意識の差が生じるのは、ひとえに学園法の影響で根付いたスクールカーストによるものなのだから。
今回の文化祭も特待生の出来レースになるか、はたまた俺たちが権力構造に一矢報いるか。先の未来は誰にも見通せない。
扉の入り口で小道具を抱えた七組生徒と五組の人間が入れ替わる。
互いに顔色を覗くことなくすれ違う両者の間には、張り詰めた空気が流れていた。
――事件が起こったのは、突然のことだった。
「あァっ」
「――え」
 




