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【3-6】 天川識の盤遊

 

 霞ヶ浦(かすみがうら)宅もとい霞ヶ浦神社を後にした俺と桜川(さくらがわ)は、校内へと戻りそれぞれ自クラスの準備を再開した。

 文化祭期間で完全下校時刻も伸びていて、帰路に着くころには斜陽が指していた。


 天川家の両親は共働きといえど、さすがにこのくらいの時間にもなると母親が帰宅して夕飯の準備を進めていることだろう。家に帰るとご飯を作って待ってくれる人がいるってそれだけで幸せだ……なんてなにかのキャッチコピーに使えそうな妄言を心の中で呟きながら、夕焼けの下を歩く。



「女の臭いがする」



 荷物を自室に置いて晩飯を待機しようとリビングに降りるが否や、妹の(しき)が突っかかってきた。


「そりゃ、学校帰りだからな。兄が現役女子高生のかぐわしい香りを身に纏って帰ってきても、なんらおかしいことはないだろう」


 桜川と買い出しに行ったからか。というよりは道中で遭遇した霞ヶ浦の匂いだろう。あいつ香水付けてるしな。実の肉親にあいつの影が見え隠れするのはなんだか癪だ。 


 俺が適当にごまかすと、識はそれ以上追及してこなかった。うんまあ、知ってたけどね。この妹は俺の恋愛事情をいちいち気にするようなやつじゃない。

 決して識が重度のブラコンとかそういう類ではない。これで目のハイライトが消えたりしていたらどこぞのドラマCDよろしくヤンデレ妹に死ぬほど愛されて眠れなさそうな夜が訪れていたが。



「にいちゃん、ゲームしよゲーム」


 そんな識はむしろいつもより光沢多めな瞳で遊びの誘いを持ち出してきた。腕の中にはなにやらレトロな木箱が抱えられている。


「いいけど、なんだそれ」

「チェスだよ。父ちゃんの部屋探したらあったから持ってきた」

「なんだってまたいきなり……」


 言うや否や、識はテーブルにボードを拡げ、箱をがさごそやって駒をばら撒きだした。


「今日、友達んちにチェスあってさ。教えてもらってやったんだ」

「ほーん。お前がな……」

「なに、その含みのある反応」

「や、お前はそういう知性が求められるジャンル向いてねえだろ。スマファイみたいな感覚重視のゲームやってたほうがいいんじゃねえの」


 おおかたこの前のスマファイのリベンジでも目論んでいるんだろうが、ぶっちゃけチェスなんてそれこそ識に負ける未来が視えねえぞ。

 単純な知力に加えて集中力や戦略的思考が要求されるチェスという盤技はもはや一種のスポーツだ。今でこそスマファイも競技ゲームとして親しまれているが、前者は精神的持久力がモノをいう。


「スマファイですら勝てないお前が、俺にチェスで挑むとはな。笑わせるぜ」

「ふん。言っとけ言っとけ。これでもあたし才能あるって褒められたんだから」

「は。ならかかってくるがいい。あとその友達は大事にしなさい」

「決まりだね。そんじゃ試合決定。テキトーにスタバの新作賭けよ」


 得意げに駒を配置する識は、どうやら相当自信があるようだ。

 いいだろう。俺もそろそろ、平穏で退屈な日常に飽きが来ていた頃だ。ここいらで実力を見せつけて、兄と妹の力関係ってヤツを思い知らせてやるとしよう。



 そんなこんなで、対極開始。


 ……つっても、俺もいまいちルール覚えてねえんだよな。チェスなんて中高生で指すことねえしな、最後にまともにやったのなんざ小学生以来だ。

 まあいいか。識にゲームで負けたことはないし、どうせ今回も俺が勝つだろうからそれくらいのハンデは見逃してやったほうがやりがいがあるだろ。



「なあこれ、ポーンだっけ? こいつどう動くんだっけ」


 日本人なら親しみのある将棋と違って、チェスはどうも駒の可動範囲が覚えづらい。同じ競技から派生したものである以上将棋と似た動きになるのは知っているが、細かい特徴は分からねえな。コマだけに。


 俺の素直な質問に、識がにやりと口角を上げた。

 なんかこいつ悪巧みしていやがるな。


「にいちゃんは先攻だから、ポーンは動かせないんだよ」

「え、そうなん。じゃあ、なんだっけこれ、馬みてえなやつ」


 先手俺。Na3。

 対する識の一手目。

 R×a3。ルークによる()()()()()()



「はァ⁉ ちょっと待て!」

「なんだよ、うっさいなー」

「おかしいだろ! どんな動きしてんだそのルーク!」


 俺は思わず身を乗り出した。

 それもそうだ、なぜなら識が打った一手――そう、最初の一手で放たれたルークは、自陣に構えるポーンを飛び越えて俺のナイトを取るという、わけのわからん挙動を見せたからだ。


「いやいや、にいちゃん。このルークは将棋でいうところの香車、つまりタテヨコ無限に走り回れるコマなんだよ。だからまんまと出てきたにいちゃんのナイトをぶっ倒せるわけ」

「そうじゃねえよ。俺が言ってんのは、そのルークがてめえのポーンを無視して直進してきたことだ。どんな暴走列車従えてんだお前は」

「なに言ってんのさ。にいちゃんのナイトだってポーンを飛び越えて3列目に出てきたでしょ」

「……言われてみれば」


 そうか、香車に似ているといえど、必ずしも将棋の駒と一挙手一投足同じ動きをするわけじゃあないんだ。識の胡散臭さに過敏になってしまっているのかもしれない。



「そういうことなら、俺はポーンでお前のルークを取らせてもらうぞ」

「ぶっぶー。はいだめー」

「え。なんで」


 俺がP×a3に二手目を指すと、識が唇を尖らせながら腕をクロスさせた。思いがけない横やりに呆気に取られてしまう。


「見て分かる通り、ルークは戦車なのです。雑兵ごときで倒すことはできません。ポーンは死にました」

「なんだそのシステム! この競技にそんなゲーム性はない」

「だめー! あたしのルークは世界で一番強いんだから! Bランク以下の駒じゃ倒せないし、十一回までなら生き返れるんだもん!」

「なにその十二の試練(ゴッドハンド)? 理不尽もいいとこだろうが、ちょっとルールブック見せろ!」


 取り乱す識の隙をついてルールブックを奪取した。冷や汗を流しながら目を泳がせる識をよそに、俺はパラパラとページをめくっていく。



「今までのルール、全部ちげえじゃん」



「……っち、バレた」

「やっぱりズルしてたんじゃねえか……」

 バレたじゃねえよ。


「ったく、どうしようもねえな、お前。言っとくけどさっきまでみたいなズルはもう通じねえからな」

「は、はい」


 いつの間にか正座していた識に釘を刺して、ゲーム再開。


 その後の展開は一方的だった。

 一手、また一手。俺が淡々と駒を打つたび、さっきまで余裕ぶっていた識の表情がだんだんと歪んでいく。

 ほら言わんこっちゃない……。こいつ感情が表に出やすいからこういう心理戦向いてないんだよ。



 そして終局。識のB×d5に合わせてクイーンでのチェック。キングを引き出したところでビショップを展開、チェックをかけられた識はぽかーんと呆けてしまった。


「うそ……。それさっき教えてもらったやつだよ。中間手」

「へえ、そんな名前が付いてんのか。とりまほい、チェックメイト」

「なああーっ‼」


 俺が容赦なくトドメを刺すと、識は全身から力が抜けたように、がく、と崩れ落ちた。四つん這いで悔し涙を呑み込んで拳を強く床に叩きつけている様はさながらパチンコで大負けして店の前で慟哭する中年男性のようだ。



「なんであそこから勝てんだよぉ~! ルール外の動きするやつ相手に最善手打ち続けるとかAIでも無理だろ脳ミソどうなってんだよこの人間電子計算機!」


 なぜ俺が責められてんだ……。

 かくして、俺の前にはイカサマを働いて惨敗した挙句ギャン泣きしている女子中学生が誕生した。つかこいつ、仮にそれで初心者に勝てたとして喜べんのか?



「あたしの作戦全部読んできやがって! ぜったいズルしてた!」

「どの口が言ってんだ。ちゃんと自分の頭で打ってんだよ。お前がどんな手を打ってきても対応できるようにな」


 悔しそうに唇を噛んでいた識が、俺の答えに目を丸くする。


「全部のパターン覚えたってこと?」

「アホか。それこそAI並みだよ。俺は健二くんじゃないんだからスパコン超えた真似はできません」


 単純に導き出しているだけだ。チェスというのは二人零和有限確定完全情報ゲーム、10の120乗を超える爆発的手数を把握できればいいって人類最強ゲーマーの兄の方が言ってた。

 なら話は簡単だ。考えうる限りの最善手、次に相手が指すであろう一手を考慮して、悪手で誘ってきたなら再演算を繰り返せばいい。



「それはそうと。勝負は俺の勝ちだな。約束通り新作おごれよ」

「ぐ……はいはい、わっかりましたよ。それじゃ今度、覚えてたらなんか奢ったげるよ。シャー芯とかでいい?」

「いいわけねえだろ。忘れたフリして逃れようったってそうはいかねえぞ。今からだ、今からスタバ行って新作買ってこい」

「ふぇえん、にぃちゃんの徹頭徹尾〜!」


 なにその捨てゼリフ。泣いたところで俺が甘やかすと思ったら大違いだぜ。


 兄であろうと、妹であろうと容赦しない。それが俺たち兄妹の在り方なのだ。

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