【3-5】 浅夏のひとときⅢ
歩き出してからは揚々としていた霞ヶ浦の後に続いて、一行は彼女の実家であるという隣町の神社へと到着した。
大きな神社だ。百メートルほどある参道を覆うように連なる木々が緑のトンネルを作り、トンネルを抜けた先にはさらに太く巨大な御神木が泰然と構えている。
そして、俺はその景色を見知っていた。
「神社って……、ここだったのかよ?」
「せんぱいといえど、がにさす知ってましたか」
「知ってるもなにも、毎年ここに初詣で来てるぞ」
実家からそう遠くない位置に鎮座するこの社には、決まって元旦に参拝するのが天川家の恒例だ。年越し直後は友達と遊びに飛び出すから毎年寝不足で気乗りしないのだけれど。
「まー、ここらじゃ一番規模が大きいですし。知り合いみんな来るんでヤなんすよね。ただでさえ人多くて相手すんのだるいですし」
霞ヶ浦が縁起でもないことをぼやいた。
つまりこいつは、元日なんかは家の手伝いで神職に携わっているということか。
ああそっか、だから巫女服を。……悪くないな、霞ヶ浦みたいなめんどくさがり系生意気後輩がイヤイヤ巫女さんやってる姿は見てみたい。
「げ。わたしも初詣ここなんだけど。周とすれ違ってたかもしれないってこと?」
「なんで嫌そうな顔してんだよ」
「じゃあせんぱいは来年から出禁にしますか」
「なんで?」
ヒロインの一存で神域に立ち入ることもままならなくなってしまった。おい霞ヶ浦、てめえそれでも神の御使いかよ。
「や、逆に気づかねえだろ。お前みたいのが人の密集地帯にいればアリみてえにうじゃうじゃ集まってくるだろうし」
「わたしのことなんだと思ってる? 確かに去年は囲まれたけど……、そっか、なら周が覚えてるわけ…………」
桜川はなにやら合点がいったようで、ひとりでぶつくさ呟いている。
「毎年行ってんのに、そんな場面に出くわしたことがないんだから、世間ってのは思いのほか広いのかもな」
「そりゃそうスよ。なんせ「あー! だめだめ!」――むぐぅ」
俺の呟きに霞ヶ浦がなにか答えようとして、横から伸びる手に続きを切られた。
強制的に沈黙させられた彼女の小さな口を、桜川が必死の形相で塞いでいる。
「聞いてないよね? なにも聞いてないよね?」
「あ、ああ。聞いてないからそこの白目向いてる後輩を解放してやれ」
どんだけ強い圧力で絞められたんだろうか。カニくらい泡吹いていやがる。カニは人を無口にするって本当だったんだなあ……。
にしても、時折見せる桜川のらしくもない仕草はなんなんだ。なにか隠しごとでもしているみたいな。ヘンに頬を赤らめて呟くとか勘違いするからやめてくれ。
「──っはぁあ……! 死ぬかと思った……。でもひたちさんに殺されるなら本望っスね」
「どんだけ崇拝してんだよ」
意識を取り戻した後輩に案内されるまま境内を奥に進み、社務所に連れていかれた。
霞ヶ浦は衣装を取りに行ってしまって、彼女の部屋にあたる一室で待機することになった。
後輩女子の部屋に上がっといてあんまよろしくないけれど、霞ヶ浦の自室は私服が積み重なったスチールラックとか化粧品がぶちまけられたローテーブルとか、プライベート丸出しの空間である。
途中で他の部屋を見た感じ、本来は旅館の和室みたいな内装なのだろうが、住人のセンスが反映されてそんなエモさなど微塵も感じさせてくれない。いやまあ、いいんだけどさ。
「にしても、霞ヶ浦みたいなやつがこんなとこに住んでるなんてな……」
姿勢が定まらず落ち着かないのをごまかすために呟いた。
「あの子はもともとここの神主さんの一人娘なの。普通より厳しめな家庭で育った反動が思春期といっしょにやってきちゃってさ」
桜川が朗らかに応えた。
こんなわけわからん状況でも落ち着いているのだから、さすがは旧知というか、どこか哀愁さえ感じる冷静さだ。
「それでグレたと」
「この家を継げ、なんて言われてるらしくて。それで思いついた精一杯の反抗が今の姿なんだと思う」
その話を聞いていて、俺はある人物を連想していた。
それというのも誰あろう、傍らに佇む少女。桜川ひたちも、大病院の院長の娘であり、幼い頃から制限されてきたと自白したことがある。
まあ、こいつらにもそれぞれ、苦労があるんだな。誰しも人並みに悩みを抱えているもんなのだろう。
俺が押し黙っていると、後ろの襖が勢いよく引かれた。
「じゃーん! 見てください、ひたちさん!」
現れた霞ヶ浦の腕からは、純白の広袖が波打つように膨らんでいた。
腰から足にかけては、白衣に相なすように主張する緋色の袴が揺れている。
正真正銘本物の巫女服を身に纏った霞ヶ浦は、俺たちの前でひらりと一回転してみせた。まるでお遊戯会の衣装をお披露目する幼稚園児のように。
「わあ。かわいいじゃん!」
桜川の素直な賞賛に、霞ヶ浦は恍惚の笑みを浮かべている。
「えへへ。……せんぱいも視姦ます?」
「いまとんでもねえルビの振り方された気がするんだけど⁉」
お前から見せてきたんだろうが。自分から誘っといて被害者ヅラとか、こんなん自己顕示欲二毛作ジャーン(やけくそ)!
つか、見ます? ってなんだよ、桜川の前に現れた時点で既に俺の視界に入ってんだよ。
「せっかくですし、見せてやらないこともないですよ」
上から目線が気になる……。そもそもお前が着てくるのかよ。
だが、見るかどうかと訊かれたら凝視するのが世の情け。世界の破壊を防ぐため世界の平和を守るためロケット団的観点からも霞ヶ浦の巫女服姿を観察する必要があろう。
「うんまあ、可愛いな(巫女服が)」
「そ、そうスか」
弱ったな……。俺は巫女服が大好きなんだ。
唐突な性癖お披露目ご容赦願いたい。しかしてこと巫女服となると俺には譲れない持論があるのだ。
いやさ、霞ヶ浦の着崩しもあるんだけどこの襟から覗く首元よ。ふわりと垂れる袖口に手を突っ込みたいとか誰もが思うに違いない。露出なんてほとんどないのに、それがかえって夢を膨らませる。さながら巫女服というものは終わらない夢を見続ける無限の海、まさしくシーオブド○ームス。マジビ○ーヴ!
絶対製作者の癖出てるよな。清廉潔白であるべきなのに、あの恰好で神職とか無理でしょ。
ましてやこれを着るのは桜川だろ? その辺の実写化舞台より映えるだろ、たぶん直視できないから当日サングラスをかけて参加することになるぜ。なんなら後方腕組みプロデューサー然としていてもおかしくないまである。ウチのヒロインが最強すぎるんじゃい……。
「でも、本当にいいのか?」
「「は?」」
二人そろって俺に低い声で返してきやがった。こういうとこそっくりだな……。
「霞ヶ浦お前、親御さんが厳しいんだろ? そうでなくたって、たかが高校の文化祭に神社の備品を使っちまっていいのかよ。神学的な意味は抜きにして」
グレた娘が神職の衣装を持ち出すとか、どう考えても怪しさ満点。最悪ろくでもない勘違いを生むことになる。
そんな俺の懸念は、しかし霞ヶ浦にはさしたるものではなかったようで、
「そのことなら問題なしです。なんてったってウチのおじいちゃん、長いことひたちさんのお父さんに診てもらってるらしいすから」
「ほう。それなら問題ない……、のか?」
アグレッシブな反抗の女二人──というか霞ヶ浦の強気な口調に押されて、俺はな納得しそうになる。
「……いや待て、やっぱダメじゃね」
「なんでですか!」
「桜川、規約には目を通したか?」
「……あー、そっか」
俺の提言に桜川が顔をしかめた。
そうだ、文化祭の遵守項目。演劇の出し物について、その詳細が発表された会議に俺は偶然参加していたからよく覚えている。
衣装や舞台のセットは、備品として認められたものでないと使用が許可されていない。たとえば業者を通して衣装をレンタルすれば予算内でやりくりしたものは備品として扱われ、名目上は学校が管理することになっている。
しかしこの場合、霞ヶ浦の所有する私物の受け渡しになるため、桜川たち六組のステージ衣装としては使えないのだ。
とまあ、普通なら見落としがちなルールだけど、気をつけないとあとあと面倒なことになりかねないので注意が必要である。
さりげなく流してたけど、こいつもこいつですぐ思い当たるってやべえな。
「あっぶな……。ナイス周」
「ああ、ひたちさんの巫女姿が……! せんぱいが余計なこと言わなきゃよかったのに」
「その結果ひたちさんがペナルティくらうけどな」
そもそもなんで俺が、敵であるこいつにヒントを与えてんだ。このまま泳がせておいたほうがよかったんじゃねえか。
*
「スンマセン、お役に立てず……」
「気にしないでよ。わたしたちこそごめんね、急に押しかけちゃって」
学校に戻ろうという俺たちを、霞ヶ浦は敷地の外まで見送ってくれた。
欅の木に挟まれた参道の前でしゅんとうなだれる霞ヶ浦をなだめるように、桜川が後輩の頬に手を添えた。
「ありがとね」
「い、いえ! なんでも言ってください、ひたちさんのためなら何でもしますよ!」
桜川の言葉に一瞬だけ明るくなった霞ヶ浦の顔色だが、しかしすぐに神妙な面持ちへとうつろいだ。
「あ……、あの!」
「うん?」
「ひたちさんは……」
なにかを切り出そうとして、そこで口ごもる。
無茶ぶりでもするつもりだろうか、後輩としてわがままに甘えようとしているのか、霞ヶ浦の心の内は読み解けない。
「……いえ。やっぱり、なんでもないです」
やがて霞ヶ浦は、言い淀んでいた言葉を呑み込んでしまった。
それは、彼女らしからぬ表情。
どこか怯えているようであり。
なにかに想いを馳せるようでもあった。
「そっか。じゃあね、また」
そんな彼女の逡巡を、彼女は静かに見過ごした。
見やった空にはうっすらと紅いグラデーションがかかれど、まだ蒼い。
照りつける西日に向き直って、俺と彼女は歩き出した。




