【3-2】 文化祭の買い出しってなんかワクワクしますよね
「はあ……、助かった」
千切れ雲が泳ぐ群青の下。
人と車がごった返す昼間の街中を、俺と桜川の二人は制服で歩いていた。
とは言っても、もちろん俺たちが学校を抜け出して二人しかいないどこか遠くへ行こう的な駆け落ちを考えているわけではない。平日の日中に公式に街に繰り出していい大義が与えられるとなれば、それは文化祭準備のおつかいしかないだろう。
「なんであんな、まどろっこしいことを?」
力なく猫背気味に歩を進める桜川に問いかけた。
あのくじ引きでのアイコンタクト。どうやらこいつの意向に応えることはできたようだが、どうして俺を巻き添えになどしたのだろう。俺と一緒にお買い物したかった? ……なわけねえもんな。
桜川は絞り出すような声で答える。
「他の子だったら気を回すことになるでしょ。もともとわたしともう一人で業者の人と打ち合わせを予約してたんだけど、その子が休んじゃってさ。わたし的には一人の方が気楽だったんだけど、男子どもがなにかと理由を付けて同伴したがってきやがったのよ」
すんごく嫌だったんだろうな。うげぇ、という表情と口ぶりから心中お察しする。
「つまり、気を遣わず開放的になれるからってだけで俺を巻き込んだと」
「ん。周もシケた顔してないでさ、このヒロインの隣を歩けるなんてめったにないコトなんだから。もっと喜んでもいいのよ」
「俺以外だったら狂喜乱舞してたろうな。まあ俺も買い出し行くつもりだったからいいけどさ」
「どこ行くか決めてんの?」
「や、まだ。つっても結構あるからな、できれば一回で全部済むようなとこがいいんだけど」
呟くと、桜川は目を丸くして問いただしてきた。
「そんなあんの?」
「生憎と雑務なんでな。嫌だったら先に帰ってていいぞ」
「べ、別に。嫌じゃないし、こっちでサボってた方が楽だし」
早口でまくし立てる桜川の声色が、しかし弾んでいるようにも聞こえた。まあ、確かに時間を稼げるっていう利点はあるかもしれねえけど。それでも大量の荷物を抱えて移動する労力を考えたら微妙なところだ。
「お前は? どこ行きたいの」
「わたしはすぐそこだから距離的には大したことないかな。打ち合わせ自体も一時間くらいだと思う」
「そうか、なら安心した。すぐ戻るに越したことはないしな」
「へ。う、うん。そうね」
桜川が目的地を示すなり、俺たちは早速その方面に歩き出した。
「にしても、あっついな……」
六月ともなると、日中は無視できないくらいの気温に達する。今年は梅雨の予報も例年と比べて少ないようで、今日みたいな日は雨雲の影などちっとも覗かせない。
「ちょっと周、左側立ってよ。日陰作んなさい」
「意味ねえよ。太陽真上にあんだろうが」
しかもこっちは左車線。歩道側を歩けなんて、初めて言われたぞ。
……まあでも、こいつにブッ倒られでもしたら迷惑だし。それくらいの護衛には付き添ってやろう。
*
二十分ほど歩いたろうか。駅前大通りの端に位置するビルの前で、マップを開く桜川が足を止めた。看板でテナントを確認すると、たしかにドレスショップの名前が載っている。
俺たちはエレベーターに運ばれ、それから慎重にオフィスの扉を開いた。
スタジオで待っていたのは一人の男性だ。男性……だ。どこかコワモテな、ガタイのいいマンバンの男の人。でその人は、並んだトルソーに掛かった肩出しオフショルのセーターやらラインの出るワンピースを代わる代わる自分に着せて鏡を覗き込んでいる。待っていたというよりは、そこに居た。
男性は俺たちの気配に気づくと、ワンピースを纏ったままこちらに振り向いた。
「いらっしゃい。なんのご用かしら」
「ぇ」
思わず声を漏らしそうになるのを、すんでのところで踏みとどまった。彼の見た目からは想像もつかない女性口調に、俺の思考は認識にバグを起こしてしまいそうになる。いやそもそも、レディース服を着たガチムチの男からどんな人格を想像すりゃいいってんだという話だが。
「えっと。今日、打ち合わせを予定してた海南の桜川です!」
「打ち合わせ……ああ! 学祭ね。あれ、正確には文化祭だったかしら? まドッチでもいいわよね。男なら細かいコトは気にすんなって」
なるほど。自認は男なのか。じゃあただの女装趣味――や、趣味ってわけでもなさそうだな。おそらくこの人がここのドレスショップの店員さんなんだろう。
「じゃ、アナタたちがその担当ってコトでいいのかしらね。……にしてもアナタ、レベチでカワイイわね。モデルみたい。いや、女優さん……アイドルってカンジ。そこの坊ヤもなかなかいいビジュしてるわ」
「あ、ありがとうございます!」
「ども……」
手慣れた対応の桜川の横で、俺は気恥ずかしそうにそっけない会釈を返す。顔を合わせるや否や、二人して褒められた。この人いい人!
「それにしてもビックリしちゃった。制服着てなかったら高校生とは思えなかったわよーアナタたち? お似合いすぎて結婚式の衣装合わせでも依頼しにきたのかと思っちゃったわ」
「「ちがいます」」
「あら息ぴったり」
俺と桜川の否定に、店員さんは感心したように微笑んだ。
「やだもーナニ、二人してじっとり舐め回すような視線なんてくれちゃって? ワタシの格好がおかしいとでも言うんじゃないでしょうね?」
じっとりっつうかジト目だけどな。
「そういうことじゃ……いやそっちもそうなんですけど……。えっと、この店はおひとりで?」
「ええ。ココはワタシが自分のためだけに創りあげた理想郷――そしてその理想とは、すべての女子に最上級の美しさを創り出すコトなのよッ!」
「――は、はい?」
「ねえ二人とも。この世界で一番美しいモノってなんだと思う? そう、ファッションよ! 宝飾から精神に至るまでのすべてが人間の美しさを引き出すスタイル、その中でもワタシは『服』に心を奪われたわ!」
俺はなにかとんでもない地雷を踏んでしまったようだ。名前すら出てこないモブであろう店員さんの講釈が垂れ流されてくる。
「とりわけレディースは絶品ね! 裁字やドレープまで、こだわりだしたらキリがない細部にこそまさにそう、神が宿ったかのような神秘的『美』が生まれるの。そしてそれはひとりひとり違うカタチを持っている。ワタシはその可能性を見出し、目の前の女子を女神に換えるコトを至上の満足とし、ソレを己の路として定めているのよ。だからこうして自分でも着てみるワケ」
だから、の次がわけ解らん。その前まではいいこと言ってるっぽいのに、最後の理屈だけは通ってなさすぎる。
「へ。へぇ~! カッコイイですね!」
誇らしげに胸を張ったガチムチワンピに苦し紛れの賞賛を飛ばす桜川。あまりの衝撃に、さしもの桜川といえど声が上擦って頬は引き攣ってしまっていた。
「……確かに、自分の芯を定めてるっていう点では美しい理論ですね」
「フフ。ありがと。坊やもいいセンスしてるわ」
己の信条に通ずる所のある俺としては、その一点だけは頷かざるをえなかった。
店員さんに促され、俺たちは控えのスタッフルームに案内された。好きな飲み物を聞かれて、お茶とオレンジジュースの缶が差し出される。
なんだかこうしていると、前のことを思い出すな。この桜川と着ぐるみを着てイベントのバイトをした時のこと。こいつも同じことを思っているだろうか。あるいはそんな記憶などとっくに追いやってしまっているか。
少し待っていると、衣装を脱いでインナーだけになった店員さんが俺たちの正面に腰を下ろした。
「今年もこの季節になったのね。毎年海南のコから問い合わせはあるから、なんだか親近感沸いてきちゃうわ」
店員さんは朗らかに語りだした。三、四十代くらいの彼はかれこれ十年近くこの街でドレスショップを営んでいるらしい。知り合いの娘がちょうど俺たちくらいの年頃らしいし、今年の学園祭も遊びに行くわよ~なんて言っていた。
「それで、アナタたちはナニをするのかしら?」
「えっと、オリジナルの伝記風の演劇を。その中に巫女のキャラクターが出てくるんですけど、衣装をお借りできたらなって思って」
へえ、オリジナルの演劇とはこれまた強気に出たもんだ。桜川や一ノ瀬はじめ、綺麗どころの魅力を脚本で最大限引きだす狙いだろうか。それなら衣装にこだわるってのは重要だしな。
万人受けする所作と声調で桜川。しかし、店員さんは悩まし気に顔をしかめている。
「巫女服ねぇ……。ごめんなさいね、ウチには置いてないわ。作るにしても期間的に間に合いそうにないし」
「そ、そうなんですか……」
ま、無理もない。見たところこの衣装屋はコスプレってよりドレスの貸し出しみたいなサービスを売りにしてんだろうからな。簡単な衣装ならあるやもしれんが、本格的となると一から作るしかないのだろう。
「ウチは洋物のドレスなんかをメインに扱ってるから、ウエディングやパーティー用の衣装くらいしかないのよ。タキシードとドレスならあるんだけど。二人に似合うモノなら見繕えるわ」
「だからウエディング関係ないですって。巫女と正反対じゃないすか」
俺がすかさず否定すると、店員さんは「ちぇ~」と唇を尖らせた。
「そりゃあ、見ててお似合いだもの。お節介やきたくもなるわよ。そうだ、ホントに結婚するってなったらワタシに声かけて頂戴。とびきりの衣装を用意するわ」
「ほんとにお節介じゃないすか。そんな未来、万が一にも観測されませんよ」
いたたまれなくなった俺のツッコミに、店員さんは面食らったようにぱちくりと瞬きする。
「付き合ってるんじゃないの?」
「「ちがいます」」
「ほら息ぴったり」
俺たちの温度のない否定を、やはり店員さんはからかうように宥めてきた。
「力になれなくてゴメンなさいね。でも、それ以外の貸し出せそうな衣装はできる限り協力させてもらうわ。ワタシの秘蔵のコレクションを余すことなく貸してあげる」
「いえいえそんな、ありがとうございます!」
「イイのイイの! 乙女には美しく在る義務があるんだから」
気前よく手を振る店員さんに見送られて、俺たちはテナントを後にした。
ビルを出てからというものの、桜川はなにやら立ち込める不満を咀嚼できずにいた。
「――わたしたちって、そんなにカップルに見えるかな」
「少なくとも大人の人にはそう見えてるんじゃねえのか」
俺が淡泊にそう返すと、桜川は仄かに頬を染めて「ふ、ふーん……」と漏らした。
人前では花も恥じらう可憐な乙女も、俺に対しては飾ることのない(傲慢で残虐な人でなしの)姿を見せている。それがきっと、俺たちよりも一回り成熟した人間から見ればなかよしこよしに見えなくもないのだろう。
普段見せない裏の顔。それを前向きにとらえていいのかは判じかねるけれど。
喧嘩するほど仲が良い――否。似た者同士、というやつか。
「ま、俺も人相がいい方じゃねえしな。似たような表情してりゃあ勘違いもされんだろ」
「なんでわたしが人相悪い前提なわけ?」
てめえは自分のことどう見えてんだよ。
 




